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宵待保育園  作者: もちむぎ


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第十二章 アイスは経費になりません

第十二章 アイスは経費になりません


 九夜目の勤務を終えた朝。


 夜久園長が、悠斗へ白い封筒を差し出した。


「何ですか、これ」


「お給料です」


「俺に?」


「ほかに誰がいるんですか」


 悠斗は封筒を両手で受け取った。


 予想していたより厚みがある。


 中を確かめると、何枚かの紙幣と、勤務した日ごとの明細が入っていた。


「本当に金がもらえるんだ……」


「仕事ですから」


「母親に脅されて、妖怪の子どもの口を塞いで、床の水を拭いて、火を消して、壁をどかしてただけなのに」


「それを仕事と呼ぶんです」


「残業代も入ってる」


「確認すると言ったでしょう」


「園長先生、ちゃんとしてたんですね」


「どういう意味ですか」


 悠斗は封筒を何度も裏返した。


 最後に給料をもらったのは、何年も前だった。


 三日で辞めた飲食店から振り込まれた、わずかな金。


 嬉しいと思うより先に、申し訳なさと情けなさが込み上げ、明細を見ないまま使った。


 今日の金は違う。


 九夜分、働いた。


 全員を生きたまま朝まで預かった。


 連勝記録九。


 その対価だった。


「黒川さん」


「何ですか」


「顔が緩んでいます」


「緩んでません」


「お給料は、好きに使ってください」


「言われなくても、新しいゲームを買います」


「そうですか」


 夜久園長は笑った。


 悠斗は給料の入った封筒を、鞄の一番奥へしまった。


     ◇


 帰宅すると、深雪が居間で新聞を読んでいた。


「ただいま」


「おかえり」


「給料出た」


「そう」


「もっと驚けよ。六年ぶりだぞ」


「働いたら、お金をもらえるのは普通でしょう」


「その普通が俺には珍しいんだよ」


「じゃあ、三千万円から引いておくね」


 悠斗は鞄を抱えて後ろへ下がった。


「これは俺の金だ!」


「借金を返すんでしょう?」


「あの借用書、俺は署名してないから無効だ!」


「内臓にする?」


「給料でお願いします」


「じゃあ、全額」


「横暴すぎる!」


 深雪は新聞をめくった。


「冗談。最初の給料くらい、好きに使えば」


「本当に?」


「次からは食費を入れてもらうけど」


「いくら?」


「十万」


「高い!」


「六年間の利息込み」


「まだ利息を取るのかよ!」


「嫌なら一人暮らしをすればいいでしょう」


 悠斗は黙った。


 家賃。


 光熱費。


 食費。


 通信費。


 今の給料では、どう考えても足りない。


「……来月から相談ということで」


「はいはい」


 深雪は笑いながら、新聞を閉じた。


     ◇


 午後。


 悠斗は久しぶりに一人で商店街へ出た。


 目当ては新しいゲームだった。


 発売されたことは知っていたが、金がなく、無料の配信動画を見て我慢していた。


 店頭には、大きな広告が出ている。


 悠斗は迷わずソフトを手に取り、レジへ向かおうとした。


 その途中、冷凍食品売り場の前を通る。


 色とりどりのアイスが、透明な扉の向こうへ並んでいた。


 ――アイス、食べたい。


 冷房が止まった夜、子どもたちが床へ転がりながら言っていた。


 悠斗は一度、その場を通り過ぎた。


 足を止める。


 戻る。


 冷凍ケースの扉を開けた。


「……何が食べられるんだ?」


 牛の身体を持つことに、人間用のアイスを食べさせていいのか分からない。


 河童に乳製品は大丈夫なのか。


 鬼が冷たいものを食べたら、くしゃみで火を吐かないか。


 そもそも園児へ勝手に食べ物を与えていいはずがない。


 悠斗は扉を閉め、スマートフォンを取り出した。


 夜久園長へ電話をかける。


「どうしました?」


「園児の食べられない物を教えてください」


「何をするつもりですか?」


「別に」


「理由が分からなければ教えられません」


「……アイスを買おうかと思って」


 電話の向こうが静かになる。


「黒川さんが?」


「悪いですか」


「いいえ」


「笑ってます?」


「笑っていません」


「声が笑ってます」


 夜久園長は、園児ごとに食べられない物を教えた。


 久太郎には、塩分の強い物を避ける。


 大河は、刺激の強い物を食べると火を吐きやすい。


 ことには、牛乳を使った物でも問題ないが、食べすぎると腹を壊す。


 小吉は甘すぎる物が苦手。


 こはくは油揚げ味を好むが、そんなアイスは売っていない。


「油揚げ味は探しませんからね」


「普通のバニラで大丈夫です」


「めめといわおは?」


「特にありません」


「分かりました」


「黒川さん」


「何ですか」


「アイスは経費になりませんよ」


「給料から出します!」


 悠斗は電話を切った。


 ゲームソフトと、七人分のアイス。


 レジで合計金額を見たとき、少しだけ後悔した。


     ◇


 十夜目。


 悠斗が保育園へ入ると、子どもたちはすぐに鞄へ気づいた。


「先生、何持ってるの?」


 久太郎が尋ねる。


「何も」


「冷たい匂いがする」


「河童にそんな能力があるのか?」


「ないけど、冷たい感じがする」


 久太郎が鞄へ近づく。


 悠斗は頭の皿を押さえて止めた。


「夕食を全部食べたら出す」


「何が入ってるの?」


「食べたら分かる」


「きゅうり?」


「何で俺が給料で、お前のきゅうりを買うんだよ」


 その日の夕食は、いつもより早く終わった。


 久太郎だけではない。


 こはくも、大河も、めめも、いわおも、ことも、何かを期待した顔で悠斗を見ている。


 小吉も、母親が仕事へ行っている間、一人で椅子へ座っていた。


 今日は三十分の予定だった。


 何度も時計を見ているが、泣いてはいない。


「本当にアイスなの?」


 こはくが尋ねる。


「どうして分かった?」


「園長先生が言った」


「秘密にしてくださいよ!」


「食べ物のことは、先に説明が必要です」


 夜久園長が言う。


「驚かせる予定だったのに」


「子どもの安全が先です」


「分かってますよ」


 悠斗は冷凍庫からアイスを取り出した。


 名前を書いた袋を、一つずつ並べる。


「久太郎」


「はい!」


「こはく」


「はい!」


「大河」


「はい」


「めめ」


「こっち」


「いわお」


「ここ」


「小吉」


「……はい」


「こと」


「はぁい」


 ことだけ返事が遅い。


 全員へ配り終え、悠斗は紙製のスプーンを探した。


「園長先生、スプーンは――」


 尋ねるより先に、身体が動いた。


 流し台の下から二番目の引き出しを開ける。


 中には、紙製のスプーンがまとめて入っていた。


 悠斗は手を止めた。


「……ここにあると思った」


 夜久園長が、悠斗を見ている。


「以前、教えましたか?」


「いいえ」


「じゃあ、たまたまですね」


「そうですね」


 夜久園長はそれ以上、何も言わなかった。


 悠斗は全員へスプーンを配る。


「一人一個。交換するな。食べられない物があったら、すぐ言え」


「先生のは?」


 めめが尋ねる。


「俺の分もある」


「ゲームも買ったの?」


 久太郎が聞く。


「どうして知ってる」


「袋から見えてた」


「人の買い物を見るな!」


 久太郎は笑いながら、アイスの蓋を開けた。


     ◇


「冷たい!」


 こはくの耳がぴんと立つ。


 大河は一口食べるたび、口から白い息を吐いた。


 いわおは、溶ける前に食べようと急ぎすぎて、頭が痛くなったらしい。四角い身体を抱えるようにして唸っている。


「ゆっくり食べろと言っただろ」


「頭、割れる」


「割れない。少し待て」


 めめは眼鏡をかけたまま、白いアイスを見つめていた。


「白い?」


「明るい色なのは分かる」


「昨日より見えてるな」


「うん」


 久太郎は、頭の皿へアイスを少し乗せようとして、悠斗に止められた。


「食べ物で遊ぶな」


「冷たくしたら気持ちいいと思って」


「水をかけておけ」


 小吉は、アイスを少しずつ食べながら時計を見ている。


「あと何分?」


「母親が戻るまで十五分」


「遅い」


「アイスが溶ける方が早いぞ」


 小吉は時計を見るのをやめ、アイスへ集中した。


 ことは一口食べるたび、長い時間をかけて味わっている。


「あいすぅ」


「それはアイスだ」


「せんせぇ」


「何?」


「また、かってきてぇ」


「給料日のあとだけな」


「きゅうりも」


 久太郎が言う。


「きゅうりは自分の家で食べろ」


「油揚げ味」


 こはくも続く。


「そんなアイスは売ってない」


「先生が作って」


「俺を何だと思ってるんだ」


「先生」


「今日だけの手伝いだ!」


 子どもたちが一斉に笑った。


 もう誰も、その言葉を信じていなかった。


     ◇


 小吉の母親は、約束した三十分で戻ってきた。


 小吉は泣かずに待つことができた。


 母親へ抱きついたあと、アイスの空き容器を見せる。


「先生が買ってきた」


「よかったね」


「次は、お母さんが戻るまで四十分でもいい」


 母親が目を見開く。


「本当に?」


「アイスがあるなら」


「毎回は買わないぞ」


 悠斗が言うと、小吉はすぐに母親の服をつかんだ。


「じゃあ三十分」


「戻すな!」


 母親が声を上げて笑った。


     ◇


 園児たちが眠ったあと、悠斗は記録をつけた。


 久太郎。両足を水へ三十秒。


 めめ。眼鏡を三十分装着。白を明るい色として判別。


 大河。保育室の中央から「ここにいる」が届いた。


 こはく。片方の耳が七秒消えた。


 いわお。避難訓練で三回続けて赤い印へ移動。


 小吉。母親と離れて三十分。泣かずに待てた。


 こと。「や」と発言。予言には至らず。


 園児、全員無事。


 連勝記録、十。


 ノートを閉じたあと、悠斗はゲームソフトの入った袋を見る。


 今夜は帰ったら、すぐに遊ぶつもりだった。


 だが、子どもたちの記録を書いているうちに、夜はほとんど終わっていた。


「まあ、明日でいいか」


 悠斗はゲームを鞄へ戻した。


 帰宅すると、深雪は居間にいなかった。


 悠斗は給料の残りから一万円を抜き、食卓の上へ置く。


 その横へ、小さな紙を置いた。


 ――食費。今月分。


 部屋へ戻り、扉を閉める。


 しばらくして、居間の方から深雪の声が聞こえた。


「一万円じゃ足りないよ!」


 悠斗は布団へ入り、聞こえないふりをした。

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