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ガイア教の野望  作者: 岸 風塵
4/5

第四章 聖戦

第4章  聖戦


   1


 上空のヘリから見下ろす東京の夜景は、まるで幻影のように美しく飾り立てられていた。林立する摩天楼の灯火の輝きは、闇を追放するかのようだ。

 頻発する地震による被害の余波は東京にもあったが、微々たるものでしかない。

「この地上には、何十億人もの人間がひしめいているのだ。一人一人が、限りのない欲望、怒りや憎しみや妬み、嫉み、負の感情を抱えて、町を這いつくばっている。地球を食い物にして、蛆虫のように、うじゃうじゃ気味が悪いほど、増殖してしまっているのだ」

 晴樹は、表情を変えず、そう冷静に呟いた。

「救世主代理。俺はあなたについていきます。人間をこの世から一掃するというのなら、喜んで協力するつもりです」

 久能は、ヘリから見える人工的な明かりを見やりながら、そっと決意を表明した。久能は司教の地位に就き、晴樹の腹心のような存在となっていた。

「俺の心は死んでいるも同然だ。全く、動かなくなってしまったのだ。喜びもない。悲しみもない。怒りさえない。感情が消えてしまったのだよ。まるで生きながら死んでいるのだ」

 晴樹は、金、地位、権力、その全てを手に入れた。

 ほとんどの人間は生まれて、それらを掴むために生きていく。

 だが、手にしたところで、それが何になるというのだろう。

 晴樹の心の中は空虚だった。

 まずは金・・・。

 金があるというだけで、周りの人間の態度が豹変する。

 人はなぜ、そこまで金に固執するのか。

 人は誰でも数十年後という近い将来において必ず死ぬ。いや、明日死ぬかもしれない。

 死んでしまえば、金に何の意味があるだろう。

 いや、金だけではない。地位や権力、そんなものに何の意味があるだろう。

 目先の利益に目がくらんで、それを追いかけ続ける人間とはなんと馬鹿で救いようのない種族なのだろう。

 生まれたときに人は何も持っていなかった。死ぬときも何も持ってはいけない。

 そんなことはわかりきっているはずなのに、ほんの一瞬の人生を物欲に縛られ、その欲を満たすことにのみ奔走する。

 晴樹は自分もその人類の一人であることを痛感し、自分に反吐が出る思いだった。

 晴樹は人間そのものが嫌いなのだ。

「人間にとって、地球は必要だ。無限に恩恵を与え、人間はそれに感謝することもなく、当たり前のこととして搾取し続けてきた。だが、地球にとって、人間は必要なのだろうか。答えはノーだ」

「そのとおりです。救世主代理」

 久能は、かしこまって頭を下げた。

 今や、教団の力は絶大である。政府、財界、警察、自衛隊など、どの分野の中枢にも教徒が侵食し、影響力を及ぼしていた。

 武器を密輸し、私兵を育てる。そして、形を整えたところで、神の軍隊として、人類の粛清という聖なる行為を遂行するのだ。

 着々と準備は進んでいる。その行動に移るためのカウントダウンは始まっているのだ。 

 都会の夜景を見降ろしながら、久能は思考回路をめぐらせた。

 ガイア教の人事について、久能にとって、気に入らない点が二つあった。

 一つは、由良和貴の大司教就任である。真田がいなくなったと思えば、彼の弟子である由良がその後任となった。救世主代理である諏訪が直接、依頼をしたらしいが、由良は必ず人類否定論の障壁となるであろう。そのときには、また実力で取り除けばいいだけの話ではあるが・・・。

 もう一つは、天川見可子という小娘を、司祭に抜擢したことである。ガイア教は彼女を先頭にして、野良犬や野良猫の保護活動に積極的に取り組むようになった。彼女のことは久能も何も知らない。おそらく、諏訪の恋人か何かだろう。人事に私情を挟む諏訪も、やはりただの平凡な人間であるという証か。

 いずれにせよ、教団の軍組織の運営を一手に握っている以上、久能に恐れるものは何もなかった。

 唐突に彼の心に苦い記憶が蘇った。

 子供の頃、通学に使っていた駅のホームで、電車を待っていたときだった。

 顔が青白く、華奢だった少年は、クラスメートからばい菌扱いされ、いつも一人ぼっちの通学だった。

 突然、「ばい菌、死んじまえ」

 と後ろから押された。

 彼は、ホームから転げ落ち、線路上にうずくまった。

 何人かの笑い声が遠ざかっていく。その声は、あきらかに知っているクラスメートたちの声だった。

 痛さで体が動かない。

 やがて、電車が構内に入ってくる。

 大人たちは、何人もいた。しかし、電車が迫っているため、誰も助けようともしない。

 言うことを聞かない体を必死に動かして、彼はホーム上に這いずり上がった。

 しばらくして、電車が駅に滑り込んできた。

 彼は、服をはたき、何事もなかったように電車に乗り込んだ。

 電車の中で、彼は自分の感情を殺し続けた。

 やがて、電車を降り、人波にもまれながら、駅の改札口を抜け出した。

 悔しくて涙が急に溢れてきた。 

 全ての人間が醜く思えた。

 「こいつらはみんな社会の奴隷にすぎない。そんな風に生きていくのはまっぴらだ。世の中には、支配者と奴隷の二種類しかいない。俺は必ず支配者になる。こいつらのすべてを俺の足元にひざまずかせ、その生死をも牛耳ってやる」

 少年は暗い熱情で、そう心に誓った。

 なぜ、こんなことを思い出したのだろう・・・。

 久能は、その記憶を振り払おうとした。

 今、隣にいる諏訪は、どんな少年時代を過ごしてきたのだろう。

「救世主代理。俺は排除されるべき人間に何の感情も抱きません。憎しみも哀れみもです。どうしてたかだか病原菌にすぎない存在に対して、そんな感情が持てるというのです」

 冷めた表情のまま久能は眼鏡の真ん中のフレームを中指でおさえながら言った。

「この世はいつの時代も弱肉強食なんですよ。弱いものが滅びるのは道理です。弱い立場である子供への虐待も自然の摂理。殺人だって、殺されるのがいやなら、先に手を下すしかない。そんなことは当たり前のことです」

 感情を抱かないと言いながら、久能は感情的になっている自分を抑えられなかった。

「他人をだまして、おとしめ、傷つけ、自分がよければすべていいという人間はごみですが、そのごみのいかに多いことか。ごみは綺麗に掃除しなければなりません」

 晴樹は、黙って聞いているだけだった。

「失礼。少しおしゃべりが過ぎました」

 久能はそう言い、口を閉ざした。

(諏訪は、俺と同類のはずだ。もし、同類でなかったら・・・。そのときは消せばいいだけのことだ)

 ガイア教幹部の専用ヘリは、この日、東京を出発し、諏訪救世主代理と久能司教を乗せて、関西支部で行われる教徒たちの会合へと向かうのだった。


 車が途切れることなく、走り抜けていく。

 その都会の幹線道路の脇にある歩道は、人波で溢れている。

 蝶が一羽、ひらひらと舞い、車道へと飛び出した。

 あやうく車に轢かれそうになりながら、最初の一台をすりぬけ、その車の風圧にバランスを失いながら、宙を舞い続ける。容赦なく、次々と車が蝶に向かってくる。

 その全ての車をすり抜け、奇跡的に車道の横断に成功した蝶は、歩道で、今度は人の波をかきわける試練に遭遇した。

 人間たちは、小さな蝶を気遣いもせず、時には蹴りつけ、時には踏みつけようとする。必死で生きている小さな命を誰一人思いやろうともしない。

 その蝶は、人が手から提げていたバッグに軽くぶつかって、木の葉が落ちるように地面に落下していった。

 結局、小さな命の存在に誰も気付くことなく、やがてはごみのように踏みつけられてしまうかに思えた。 

 だが、蝶の前で一人の男が立ち止まった。

 白いフードを目深にかぶり、日に焼け、無精ひげが長く伸びている。だが、その眼光は優しく、表情も柔和である。

 杖を突いた若い男は、その場に座りこみ、両手で蝶をすくいあげた。

 蝶は死んではおらず、羽を小さく震わせると、再び空へと飛び立っていった。

「もっと、高く飛びなさい。車や人間の手の届かないところまで・・・」

 その男、高坂陽一は、心から願いながらそうつぶやいた。

 彼は日本に帰ってきたのだ。


   2


 日本に戻った陽一は、新しいガイア教を旗揚げした。

 いわゆるガイア教・人類肯定派と呼ばれる宗派である。

 教主に高坂陽一。大司教に真田岳。陽一は教徒たちからガイアと尊称された。

 真田は今までの人脈を生かし、多くのガイア教徒を肯定派へと呼び込んだ。

 肯定派は、急速に勢力を伸張し、国内で教団全体の三割ほどの信者の獲得に成功した。真田を敬慕している信者がそれだけ多かったということが言えるだろう。

 それに対して、諏訪晴樹を救世主代理とする宗派を、宗旨上、区別するため、ガイア教・人類否定派と呼称する。

 もっとも、否定派は、肯定派を異端としか捉えず、無視する姿勢を保ったが、次第に自らの勢力を侵食されるに及び、沈黙し続けるわけにはいかなくなってきた。

 晴樹の知らないところで、久能は直属の部下に指示を出した。

 異端者の抹殺を、である。


 真田は体調が万全ではなかった。頭部を強く打ち、意識不明になって生還したが、完治しているわけではなかった。後遺症がひどく、頻繁に意識が遠のくこともあった。だが、ガイア教を、人々を救済する組織にしなければ、という使命感が、彼を突き動かしていた。

 否定派の大司教でもあり、真田の弟子でもある由良からは、再三、教団内部で不穏な動きがあるので気をつけて欲しいという連絡があった。武器を手に取った一団が肯定派を襲うかもしれないという危惧があったのだ。

 真田にもそんなことは重々わかっていた。過激派の連中は、自らの思想を貫徹するために手段を選ばず、邪魔者は排除するだろう。

 もはや、自分も長くは生きられまい・・・。

 そんな予感を抱いていた真田は、最後の命の瞬間まで、自分がガイアの化身と信じた陽一を補佐しよう、と心に誓っていたのだった。

 肯定派の集会が、大きな公園で行われようとしていた。

 新たな信者を獲得するための、教主の説法が行われるのである。

 陽一は、杖を突きながら、ゆっくりと用意されたステージの上へ歩き、多くの信者たちの前に立った。

 真田は、彼の隣で控えている。

 陽一は言った。

 自分は人類だけの代弁者ではない。他の地球上全ての種族の代弁者であると。全ての種族の立場から、自らの宗論を主張するのだと。

「神は特別なものではありません。全ての生きとし生けるものの生命に宿っているのです。人の生命の中にも神は存在するのです。なぜなら、全ては神である地球が生み出した神の子だからです」

 彼の言いたいことは、

「生命というものは、地球の一部分であるのだから、分け隔てなく、全ての生命を敬ってほしい」

 というところに結実していた。

 地球を破壊しようとする人類を悪とみなし、人類の存在を容認しない否定派に疑問を抱く信者たちはたくさんいた。

 彼らは、肯定派に救いの道を求めようとした。

 この日の説法でも、否定派に所属していた多くの信者が参加していた。

 だが、一人だけ、視線をきょろきょろさせ、落ち着かない男がいた。

 彼は上着の懐に銃を隠し持っていた。高坂陽一を暗殺するためである。

 陽一は無防備であった。

 刺客は、群集をかき分け、陽一のすぐ近くまで来ると、銃を取り出した。

 周囲が、驚愕の声を発した。

 一発の乾いた銃声が、辺りに轟いた。

 周囲の信者たちが一斉に刺客に覆いかぶさり、彼の手から拳銃を奪い取り、地面に抑えつけることに成功した。 

 陽一は無事だった。

 だが、代わりに真田が倒れていた。

 真田が彼の前に躍り出て、自ら盾となったのだ。

 胸から、血がとめどなく溢れている。

 銃弾に倒れた真田を目の前にして、陽一は杖を投げ捨てるようにして、しゃがみ込んだ。そして、彼の体を抱き起こした。

「ガイア。もはや、私があなたにお力添えをできるのはここまでのようです。あなたを日本に呼び寄せておきながら、ほとんどお役に立てず、お詫びの仕様もありません」

「何を言っているのです。真田大司教のおかげで、信者がこれだけ増えたのではありませんか。僕には何の力もなかった。全てあなたのおかげです」

 真田は自分の流血で両手を真っ赤に染めながら、珍しく弱音を吐いた。

「やはり、人類は暴力を好む存在なのでしょうか・・・。だとしたら、人類肯定派は、否定派の暴力の前に屈せざるをえないのか・・・」

 陽一は、真田の手を固く握り締めた。そして、静かに首を左右に振った。

「真田大司教。僕は、人類を信じています」

 陽一は真田の目をまっすぐに見つめ、静かに語り出した。

「僕は旅行が好きで、世界をあちこち見て回りました。人類の残した数々の遺跡を見てきました。ピラミッド、万里の長城、マチュピチュ。それは信じられないほど素晴らしい遺跡でした。それらの歴史遺産を残してくれた先人たちに教えられたのです。人類には無限の可能性があると。その可能性は、いい方に傾くか、悪い方に傾くかはわからない。だが、その重要な分岐点が、今この時代だと思うのです。今この時代に生きている人類が、どういう生き方をするか、それに人類の運命すべてがかかっているような気がするのです。だからこそ、僕は非才の身でありながら、あなたの要請に応じたのです」

「ガイア・・・」

 真田はかすかに微笑んだように見えた。それは彼の発した最後の微笑であった。

「短い時間でしたが、あなたにお仕えできたことを誇りに思います」

 そう呟き、真田は陽一の手をしっかり握った。

「人類の未来を・・・。あなたならできるはずです」

 真田は、最後にそう言い、やがて永久に瞳を閉じた。 

 

 真田を銃で襲った刺客は、肯定派の信者たちにその場で尋問を受けたが、悪びれることなく、自分はガイア教の正当な信者であり、神のために異端者を抹殺したに過ぎないと公言して憚らなかった。

 陽一の最大の後ろ盾である真田岳は、否定派の刺客により暗殺された。人類否定派の策謀に対し、肯定派の信者たちは揃って憤慨した。

 このままでは、肯定派の重鎮が倒れたことで、否定派は俄然勢いを増すだろう。それどころか、再度、陽一に刺客を差し向けるかもわからないのだ。

 一人の若い教徒が臆せずに言った。

「否定派の奴ら、もう許してはおけません。ガイア、真田大司教の仇を取りましょう。今こそ我々も武器を手に取って立ち上がりましょう。目には目を、歯には歯をです。我らには復讐という大義名分があります。奴らを根絶やしにすれば、すべては解決します」 

「君の名前は?」

小栗(おぐり)正義(まさよし)といいます。暴走族のリーダーをしていましたが、たまたま先日、ガイアが町で説法をなさっているのを拝聴して、そのお話に感動し、最近、ガイア教徒となった者です」

 二十代前半の若い青年で、外見は金髪で不良じみているが、眼光が強く、まっすぐで純粋な性格を印象付けている。なかなか見所がありそうな男だった。

「たしかに、否定派の思想、行動には決して服従することはできません。しかし、だからといって暴力に走ってはなりません。我々が人類否定派と同じように暴力に訴えれば、悲しみの連鎖は絶えることなく続くでしょう。生命には神が宿っている。我々と相反する思想の持ち主であっても、その事実に変わりはないのです。自分の生命に誇りを持つと同時にすべての生命に敬意をもって接するのです。その姿勢こそ、我々肯定派のとるべき態度です」

「おっしゃられることはわかりますが、それでは甘すぎます。否定派の連中をつけあがらせるだけです。またガイアのお命を狙ってくるかもしれません」

「復讐とは弱い人間のやることです。本当に強い人間とは相手を許すことのできる人間です。許すという行為が、どれほど困難で、勇気のいることか、君もわかるでしょう。我々は今この時こそ、その勇気を、身をもって示さねばならない」

「しかし・・・」

 小栗は、まだ何か言いたそうだったが、ガイアに対して反論することを控えた。

 だが、小栗だけでなく、若い信者たちはかなり激昂しているようだった。否定派に対する怒りの感情が十分に陽一にも感じられた。暴発の危険性もある。 

「とにかく、否定派への襲撃を企てるようなことはしてはなりません。そんなことは、真田大司教の望むところではない」

 陽一は若い信者の暴発を未然に防ぐため、彼らには何も告げず、自ら一人で否定派の本拠地、東京の教団本部へと向かう決心を固めた。

(晴樹が僕の暗殺を命令するとは思えない。ましてや、彼のそばには、由良さんや、見可子さんもいるはずだ。今、否定派の内部はどうなっているのか、確かめねばなるまい。それに、彼らに単純に会ってみたいのもある)

 こみあげる懐かしさと、真田の死という悲しみの感情がないまぜになり、陽一の胸の中を複雑に駆け巡るのだった。

 

    3

 

 ガイア教本部に、陽一が一人であらわれると、否定派の教徒たちは意外にも丁重な態度で彼を遇した。陽一は一室に案内された。ホテルの部屋のように寝泊りできる設備が整えてあった。

 晴樹に会わせてくれ、と彼は依頼したが、応対してくれた信者は、それに対して何も答えず、黙ったままだった。

 やがて、その信者も去り、しばらく時間が流れた。

 部屋の外には、数名の人の気配がする。おそらく、陽一がここから出ないように見張っているのだろう。

 体よく軟禁されてしまったようだ。

 先ほどの信者が、戻ってきた。

「救世主代理は明日お会いになられます。ただし、多くの教徒たちの面前においてです。あなたには、宗教裁判を受けてもらうことになります。ガイア教の教えに、あなたの思想が異端であるかどうか、その場ではっきりとさせていただきます。今日はこの部屋で、ゆっくりお休みください」

 要件だけ告げると、その信者はまたそそくさと出て行ってしまった。

 宗教裁判・・・。

 その言葉に陽一は嫌な予感がした。その裁判で自分をつるし上げ、あらぬ罪をでっち上げ、断罪しようとでもいうのだろうか。だが、陽一は自分の思想を主張できる良い機会を得たと逆にチャンスに捉え、明日に備えることにした。


 翌日、陽一は、数千名を収容できる大講堂に案内された。講堂は聴衆で埋め尽くされている。全て否定派の信者である。

 前面の一段高いステージに、幹部たちが座っている。

 真ん中に、晴樹がいた。その隣に由良司教、そして天川見可子の姿もあった。

 一人だけ、椅子から立ち上がっている男がいた。久能という司教で、陽一には初めて見る顔だった。久能の存在は、以前真田から聞いたことがあった。小山田救世主の追放劇に加担した実行犯。教団の武装グループを掌握しているのは、この男だろう。陽一の命を狙い、結果的に真田を暗殺したのも、この男の指示に間違いなかろう。

 否定派の集う中、たったひとりで陽一は裁判に望むわけだ。異端者を弾劾するための舞台は十分整ったといえるだろう。

 陽一は、杖を突きながら、しつらえられた椅子に腰掛けた。

 聴衆は口々に、陽一を異端者呼ばわりした。容赦ない蔑みの声が、講堂中に響いた。

 それを制止したのは、由良司教だった。

「静粛にしたまえ」

 由良の一声に、会場はしんとなった。

「彼が異端かどうかは、今から行う宗教裁判でわかることだ」

 陽一は、晴樹を見た。だが、彼は視線を合わさず、無表情のままだった。見可子と視線が合ったが、彼女は心配そうな表情をしている。杖なしでは歩けなくなってしまった自分の姿を見可子には見せたくなかった。彼女には元気なままの姿で再会したかった。

 裁判は早速開始された。

「わたしが、あなたの相手をしてやろう」

 久能司教が、かけている眼鏡を指で押し上げた。理知的だが、周りを見下しているような傲慢な態度が感じられた。おそらく、陽一よりも年下であろうが、年長者に対する敬意のかけらもない。

「あなたは地球免疫論という説を知っているかね」

「知っています」

「では、もうすでに地球は人類を敵とみなしていることもわかっていよう。地球を破壊する人類に対して、地球は自己を防衛する必要があるのだ。地震や、大津波。相次ぐ天変地異によって、地球は人類の粛清を開始している。自分の生存の危機を脅かすウイルスを排除しようとしているのだ」

「それは違う。人類は長い歴史の過程で地球が生み出したのです。地球の一部なのです。現に人類は今もこうして存在しています。存在しているということは地球が許容している証明だからではありませんか」

「わかっていないようだな。人類は風邪のウイルスのような軽い性質のものではない。致死性ウイルスのようにもう手の施しようのない性質のものなのだ。別の表現で言えば、末期がん患者のがん細胞のようなものだ。いくら地球の抗体でも、人類を消し去ることはできない。その状況こそが、まさに現在なのだ。このままでは、人類は増殖し、地球を食い尽くすだろう。がん細胞は、増殖し、やがては生体を殺す。人類が地球を破壊するのを我々は黙視できない。神である地球を早急にお守りすることが我々の使命であるからだ」

 陽一は、熱病によって死線をさまよう経験をした。その際、地球も苦しんでいるという感覚を自分の体を通して体験している。

「人類は、今、試練の時を迎えているのです。その試練とは何か。地球にとって正しい生き方ができるかどうかです。現在、地球上にいる我々が、自然を慈しみ、生命を思いやることができれば、人類の未来は、きっと約束されるでしょう。そうなれば、人類だけではなく、他の多くの種族も救われるはずです」 

「甘いな」

 久能は苦笑した。

「人類は思いやりなど持てんよ。自分が生きるだけで精一杯で、他者に目を向ける余裕などない。そもそも現実の世界は弱肉強食の法則の下、不公平で成り立っているのだからな」

 陽一は、久能と議論することに、無意味さを見出していた。彼は思い切って、否定派の救世主代理をまっすぐに見つめて叫んだ。

「晴樹。君はどう思っているのだ。君の考えを聞かせてくれ」  

 陽一の突然の発言に、久能は自分が無視されたような気になり激昂した。

「何を言っているのだ。救世主代理はお前など相手にせん」

 だが、晴樹は、久能の発言に対して手を挙げて彼を制した。

 そして、ゆっくりと立ち上がると、久能のいた場所まで来て、彼を下がらせた。

「陽一。お前とは、直接話さなければならないと思っていた」

 晴樹は表情を変えず、低い声で語り始めた。

「お前は人類を過大評価しているのだ。人類は万物の霊長として天下を牛耳っているが、地球上で最強の種族である人類として生まれることは、本当に幸せなことなのだと思うか。貧困、病気、戦争、なまじ知能があるせいで、余計苦しむ要素が多いではないか。人として生まれ、悩みとは無縁の人生などあるだろうか。例え物質的に豊かであっても、心は貧しく、孤独にさいなまれる。一生、健康であることなどありえない。生まれ出ずる日から老いは始まり、必ず最後には病を得て死ぬ。人生に絶対の安穏などない。毎日が競争で他人を蹴落とし蹴落とされ、生きていかなければならない世の中で、いざこざや恨みや妬みが充満し、常に殺伐としている。人類ほど悩みを多く抱えた種族はないだろう。それが強さを得た代償なのかもしれんが、人として生まれ、悩み苦しみを抱くくらいなら、初めから存在などしなければいいとは思わんか」 

 陽一は首を左右に振った。

「人類はきっと変われるはずだ。歴史上、人類は多くの悲劇を経験してきた。その悲劇を繰り返さないためにも、今この時代に生きている我々が、歴史で学んできたことを教訓にして行動に移すべきなのだ。晴樹、今君の言ったことは、君の個人的な人生観を語っているだけではないのか」

「・・・」 

「地球上を見たまえ。雨が降って、川に流れ、海に注ぎ、蒸発して雲になり、また雨を降らす。循環している。人も同じなのだ。自然の一部として、そのサイクルに組み込まれているのだよ。水の一滴のように、大きな生命の流れに身を任せている。自分も他人も全ての人たちがガイアの一部だということを認識すれば、人類も一つになれるはずだ」

「俺はそうは思わん。毎日毎日、人類は小さなことでいがみ合っている。人類史は飽きることもない戦争の繰り返しだが、現代も戦争はなくならない。人は何も学んではいないのだ。そんな状況で、人類は一つだとどうして言えるのだ。宇宙創生から百五十億年。地球が誕生したのは四十六億年前だ。それに比して、人類は僅か五百万年。人類など、たったそれだけの存在にしか過ぎないのだ。その存在が、環境破壊により地球をダメにしようとしている」

「だから、我々が変えるのだ」

「変わらなかったらどうする。地球がダメになったときのことを考えて、人類は宇宙へ進出しようとしている。他の惑星に資源がないか、調査しているのだ。だが、地球を捨てて、人類に未来などない。地球の大いなる恩恵を受けてきたからこそ、人類は今まで存続することが可能だったのだ。その慈悲を感謝することもせず、資源を浪費し、用済みとなれば、捨てるのか。なんたる高慢な態度だろう」

「晴樹。よく聞け。太古の昔、生命は海の中で誕生した。海の中だけでしか生きられなかった。しかし、生命は挑戦した。未知の領域である陸上に這い上がり、進化することによって、適応することができた。人類も同じだ。宇宙への旅路ははるかに険しく、また過酷なものとなるだろう。多大な犠牲も払うだろう。だが、それを恐れず、挑戦し、進化して、宇宙でも適応できる生命になることが、人類の役割かもしれんのだ」

「ならば、神である地球を捨ててもいいと言うのか」

「そうとは言っていない。僕は思うのだ。現在、なぜこれほどまでに人類の人口は急激に増大しているのか。地球は人類を試しているのだ。地球は五十億年後、膨張した太陽によって飲み込まれてしまう。その前に、自分の分身として宇宙へと派遣できる種族を選別しているのではないのか。自らの遺伝子、DNAを残すため、宇宙へとその生存領域を広げるために。宇宙ステーション、スペースコロニーから始まり、火星をテラフォーミングし、やがては木星や土星を周回する巨大衛星でさえも、その英知によって人類は自らの領土となすかもしれん。だが、何度も言うが、宇宙へ適応するためには、途方もない犠牲を必要とするだろう。全人類のほんの一部しか宇宙へは行けないだろう。だからこそ、絶対数が必要なのだ。そして、太陽系を踊り超えて、銀河系へ。それは小さな惑星、地球の大いなる野望といってもいい。数千万年前、地球は恐竜をその大地に闊歩させた。だが、巨大隕石の衝突により、恐竜は滅亡してしまった。たかが隕石の衝突ぐらいで滅んでしまう種族では、自分の野望を託すことはできない。地球はそう考え、人類を生んだ。もし、隕石の衝突がなければ、今でも恐竜が生きていただろうし、人類は誕生していなかっただろう。地球は人類に命運を託すため、人類を試しているのだ。宇宙はまた、巨大隕石を地球上に降り注ぐだろう。無限の惑星や小惑星や恒星でぎゅうぎゅうに詰まっている銀河系の中をめぐる太陽系にとって、それは可能性ではなく、必然のシナリオだ。恐竜が乗り越えられなかったその課題を乗り越えたとき、人類は地球の野望を果たす種族として一歩近づいたことになるだろう。もし、その課題を乗り越えられず、滅んでしまったら、人類はそれまでのことだ。地球はまた何万年もかけてあらたな後継者を選び、その種族に命運を託すだろう。宇宙へとその触手を伸ばせるだけの強靭性と適応性とを備えた種族を新しく創造するだろう」

「陽一。お前の言うことは人類のエゴではないのか。人類はきっと同じことを繰り返すだろう。万が一、地球以外に居住空間を築けたとしても、資源の搾取や汚染により地球をダメにしたように、きっと、その場所もダメにしてしまうだろう。母なる星、地球を大切にできないようで、どうして人類に未来が描けるというのだ」

「人類は変化できる。いや、新しく進化できる」

 陽一は力強く言い放った。

 その語気の強さに、表情を変えなかった晴樹も目を見張った。

「晴樹。ノアの箱舟の話は知っていよう。人類は大洪水によって一度壊滅し、滅亡の危機に瀕した。だが、地球は、人類にやり直しのチャンスを与えてくれた。我々は、もう失敗は許されんのだ」

 

   4

 

 宗教裁判はお互いの主張がかみ合わず、平行線のまま決着を見ることなく散会した。その後、陽一は、同じ部屋にまた軟禁されてしまった。

 時間が経てば経つほど、状況は悪化するだろう。肯定派の信者たちは、陽一が否定派の本部において軟禁されていることに気付き、彼を救出するため、実力を行使するだろう。 

 両派が争い、犠牲者を出すことは絶対に避けねばならない。そうなってしまっては、真田の死が無駄になってしまう。

 その日の深夜、眠れないでいた陽一の下に、ある男が訪れた。

「夜遅く悪いな。こんな時間でないと、自由に友と会うこともできない。救世主代理とは不便なものだ」

 ドアの前に立っていたのは晴樹であった。

 このときの晴樹は、救世主代理としての仮面を脱ぎ捨てていた。晴樹の微笑を見て、陽一も微笑んだ。二人はやっと親友として再会した。

「中に入っていいか。ワインをもってきた。こいつを開けよう」

「酒はひさしぶりだ。もちろん歓迎する。そもそも、ここは僕の部屋じゃない」

 陽一の皮肉に、晴樹は苦笑せざるを得なかった。

 しばらく、無言でワインを飲み交わした。

 今日行われた宗教裁判のことはお互い一言も触れなかった。

 晴樹は心配だったことを質問した。

「陽一。体のほうは大丈夫なのか」

「ああ。うまく歩けなくなってしまったが、こいつがあれば大丈夫だ」

 陽一は、杖を大事そうに掲げた。

「アフリカでは、たいへんだったようだな」

「そうだな。僕も本当は死んでいたかもしれんのだ。だが、命を拾っただけ、運がよかったのかもしれないよ」

 そう言って陽一はグラスのワインを飲み干し、話題を変えた。

「黒猫のクレオはどうしてるかな」

「心配ない。俺が面倒をちゃんと見てるよ」

「そうか。ありがとう。本当なら、もう返してもらうべきところだが、僕の体がこんな風になってしまったから、世話をするのもおぼつかないかもしれん。君にこのまま預かっていてもらいたいんだが、どうかな」

「もちろん、いいさ。もう俺になついてるし、あの猫とは変な縁があるからな」

「そう言ってもらえると助かるよ」

 陽一は友人に感謝した。

 晴樹は、空のグラスにワインを注ぎながら、

「天川見可子さんがお前に会いたがっていたよ」

 と告げた。

「見可子さんによくしてくれているみたいだな」  

「お前に頼まれたからだ。彼女には司教をやってもらっているんだ。彼女がリーダーシップを発揮して、捨て犬や捨て猫を助ける活動をしてくれている。現にたくさんの小さな命が彼女によって救われた」

「彼女は動物の声がわかるんだものな。助けを求める声を聞き逃さないのだろう。観音様を知ってるだろう。観世音(かんぜおん)菩薩(ぼさつ)といって、世の中の全ての声を拾い上げて、余さず救うと聞くが、見可子さんはさしずめ、動物たちの観音様だな」

「そうかもしれんな」

 二人は、見可子が動物の世話をするときの美しい横顔を思い出して微笑んだ。

「好きなのか」

 唐突に晴樹は、陽一に聞いた。

「ああ。君は?」

「俺は関係ない。友の恋の邪魔はしない」  

 そう言って、晴樹はグラスをあおった。

 二人はワイン一本を空けてしまったが、酔いは回らなかった。陽一は急に態度を変え、真剣な表情になった。

「晴樹。真田大司教の暗殺のことは知っていよう。否定派に対して、肯定派は復讐の機会をうかがっている。それを防ぐために僕は話し合いに来たのだ。肯定派の仲間たちはいつ暴発するかわからん。ガイア教徒同士が相争うことは、避けねばならん」

「真田さんのことは、本当に残念だった。俺の(あずか)り知らんところで、起きてしまった・・・。小山田救世主の時代から、ガイア教は着々と軍備を整えていたのだ。地球を守護するための神の軍隊。久能司教は入信当初から関わっていたようだ。現在は実質、久能司教の私兵集団と化している」

「久能・・・。君は彼を信用しているのか?彼が真田大司教を死に追いやった人物だろう。彼は、あまりにも危険すぎる」

「ああ。奴は危険だ。奴は必ずお前の命も奪おうとするだろう。いや、お前だけではない。いずれは俺の命も奪おうとするに違いない。奴にとって、人間は全て敵なのだからな」

「わかっているのに、なぜ彼を重用する?」

「奴の兵権は、俺も手出しができないのだ。今のところ、奴は表面上、俺に忠誠を誓っている。それに、奴の思想は俺と相通じる部分がある」

「・・・!」

「今や多くの人々が、ガイア教に教化されている。俺はその最高権力者である救世主代理という立場になった。俺の指図一つで信者たちを意のままに動かすこともできるのだ」

「晴樹、君はそんなことを望んでいたのか」

「もちろん、全てを支配するというそんなくだらんことに興味はない。ただ単純に思い上がった人類に思い知らせてやりたいだけだ。人類など地球にとって厄害でしかないということを。そのためには久能という毒物を利用することも必要だ」

「君は本気でそんなことを考えているのか。では、天川さんや、由良さんを腹心にしているのはなぜだ。自分が間違った方向に行かないよう歯止めになったり、指針になったりする人たちが自分に必要だと自覚しているからではないのか」

「・・・」

「晴樹。君はまだ、自分自身の生き方を模索している段階なのだ」

 陽一のその言葉に、晴樹は何も言えなくなってしまった。あるいは陽一の言葉は、全て当たっているのかもしれなかった。

 上着の内ポケットから、晴樹は小さなピストルを取り出し、陽一に見せた。

「これは、護身用だが、現実として、教団はもう武装してしまっている。もはや、後戻りはできん」

「晴樹・・・」

「陽一。俺たちは、ずっと中学生時代のままでいたほうがよかったのかもしれんな。あの頃は楽しかった」 

 晴樹は、昔を懐かしむようにそう言い残して、部屋から退出していった。


   5


 久能は、再三にわたって、高坂陽一を有罪とし、その刑罰として死をもって償わせるべきだ、と主張した。

 晴樹は、それに反対し続けた。

 久能はあざ笑った。

「我々が人類否定派と呼ばれることさえ、おかしいではありませんか。我々が正規のガイア教で、肯定派などはただの反乱分子です」 

 だが、晴樹はその言葉に対して、相槌を打たなかった。

 久能は、救世主代理に失望を感じた。

(諏訪も、口では人間排除を叫んでいるが、所詮、実行に移す気はないということか。しかし、奴の無表情の冷徹な視線は、確かに人間を嫌っている者でしか生み出せないものだったはずだ。俺は諏訪に期待しすぎていたのかもしれないし、逆に恐れすぎていたのかもしれないな)

 利用価値のない者には早々に退場してもらおう。

 それが久能の考え方だった。 

  

 晴樹は、教団本部から、車で都内の自宅マンションへと向かっていた。

 本部内にも救世主の居住スペースはあったが、それはあくまで小山田救世主のものであり、彼が行方不明であるため、現状を維持したままになっている。晴樹は、寝泊りは自宅に戻るのが常だった。

 晴樹にとっては、肯定派をどうするかということは、重要な課題ではなかった。

 とにかく、陽一を死なせるわけにはいかない、という気持ちが先行していた。

 宗教裁判などという形式を持ち出して、時間稼ぎをしてはいるが、すでに久能はしびれを切らしはじめている。

 いつまでも、曖昧な態度のままでいるわけにはいかないだろう。

 後部座席に深くもたれながら、流れていく窓の外の風景を、晴樹はぼんやりと眺めていた。

 運転手の河井は相変わらず、晴樹をぼっちゃんと呼ぶ。晴樹が小さなときから諏訪家に仕えていたから、救世主代理という地位に就任しても、相も変わらず晴樹を子供扱いするのだった。

「ぼっちゃん。猫の面倒もいいですが、そっちに一生懸命になると、婚期が遅れますよ」

 自宅には、黒猫のクレオを飼っていて、自分の手で世話をしている。男一人と猫一匹の家庭。河井にはそれが歯がゆいのだろう。

 晴樹は無視を決め込んだ。

「実は先日、天川見可子さんとお話しをする機会がありまして・・・。本当にいいお嬢さんです」

 晴樹は河井の発言に応じざるを得なかった。

「何が言いたいんだ?」

「別に・・・。ただ、あのお嬢さんを大切になさったほうがいいですよ。ぼっちゃんをきっと支えてくれるでしょう。私の方からも色々お願いしておきました」

「色々って、何をお願いしたんだ?」 

 それに対して、河井は意味ありげに含み笑いをしただけだった。

 しばらく走っていると、急ブレーキで車が止まった。

 前の車が突然停止したようだった。信号もなく、事故の様子もない。

 河井はバックをして、前方の車を追い抜こうとした。

 だが、後ろの車が、車間距離もほとんど置かず、ぴったり貼りついた状態で停車している。

 やがて、前後の車から、若い男たちが降りてきて、晴樹たちの乗った車に近寄ってくる。

 彼らは一様に懐に手をしのばせていた。

 瞬間的に晴樹は嫌な予感がした。

「河井、ぶつけてもいい。車を出すんだ」

 尋常ならざる晴樹の声に、河井は思い切りアクセルを踏み、前の車に追突した。男たちは驚いて、車から少し離れた。

 その隙に、いくらかできたスペースの中をバックで切り返し、前の車を半ば押しのけるようにして、晴樹達はその空間からの脱出に成功した。

 男たちは、慌てて懐から拳銃を取り出し、数発、晴樹の車に弾丸を放った。だが、いずれも車体に傷をつけた程度の損害しか与えなかった。

 彼らは急いで車に乗り込み、猛スピードで晴樹の車を追いかける。

「何事ですか、一体!」

 河井は、アクセルを全開に踏みながら叫んだ。

「久能が、俺を消す命令を出したようだ」

 晴樹は、苦笑しながら、

(案外、久能も気が短いようだ。陽一は大丈夫だろうか)

 と、自分の危機を棚に上げて、友の心配をした。 

 やがて、二車線の幹線道路に出ると、河井は、前方に現れる車を次々と巧みにかわしながら、走行していく。

 晴樹は、後ろを振り返った。

 相変わらず二台の車が追走してくる。

 前方には大きな交差点があり、信号が黄色から赤に変わった直後であったが、河井は思い切って突っ切った。

 無事に渡りきった晴樹の車に追いつこうと、追走してきた一台が、赤信号を無視し、交差点に突入した。

 その瞬間、横から来た大型車に激突され、大破した。

 だが、もう一台が交差点の混乱をうまく抜け出し、追いかけてくる。

 サイドガラスを下げて、身を乗り出し、男が拳銃を構えた。

 狙い済ましてから銃を放つと、パンという乾いた音が響いた。

 晴樹の車のリヤタイヤが狙われたのだ。

 破裂したタイヤのために、猛スピードで走行していた河井は、ハンドルの制御に失敗した。

 急ブレーキも間に合わず、車は縁石に乗り上げ、電柱に真正面から衝突して止まった。

 衝撃に、気を失いかけた晴樹だったが、幸運にも後部座席に被害はあまりなかった。体にさして痛みもない。大きな怪我はしていないようだ。

 運転席を見ると、エアバッグに埋もれている河井が、頭から出血しているのが見えた。

「大丈夫か?」

 晴樹が河井に話しかけると、河井は弱々しく頷いた。

「・・・大丈夫です。それよりも、ぼっちゃん。早くお逃げください」

「何を言ってるんだ。お前も一緒に行くんだ。すぐ助けてやる」

 河井は、首を左右に振った。

「奴らは、老いぼれの私の命など欲しくないでしょう。ぼっちゃんを狙っているのです」

「しかし・・・」

「早く、お逃げなさい!」

 河井の強い語気に、晴樹は逆らえなかった。

「すまない」

 衝突に車は歪んでしまったが、幸いに後部ドアはすんなりと開いてくれた。

 晴樹は、車の入れぬ小さな路地にその身を滑らせ、追走車に見つからぬように、懸命に走った。見知らぬ道だったが、息も絶え絶えになりながらひたすら走った。

 どれくらい走っただろう。パトカーのサイレンの音が遠くに鳴り響いた。

 追いかけてくる者はいなかった。 

 河井は無事だろうか・・・。

 晴樹は、全身を覆い尽くす疲労感に飲み込まれ、その場にへたりこんだ。

 

   6


「諏訪に逃げられただと!一体何をやっているのだ」

 諏訪晴樹暗殺を指令した久能は、実行部隊からの報告を受けて、そう叱責した。

 表面上は怒りを見せたものの、久能の内心は余裕だった。必要以上に恐れる必要はあるまい。武装集団は、自分の掌中にあるのだ。奴一人で何ができるだろう。 

 自分が救世主代理として仰いでいた諏訪が、簡単に表舞台から姿を消した。久能は、物足りなさを感じ、興ざめした気分だったが、新たな楽しみを実行に移すことで、その気分を払拭しようとした。

 人類の粛清である。

 軟禁状態の高坂にはもう少し生きていてもらおう。そして、人類粛清という現実を見せつけてやるのだ。絶望をたっぷり味わわせてから処刑しても遅くはあるまい。

 久能の動きは素早かった。

 諏訪が行方不明になったこと、そして、それに伴い、自ら救世主代理に就任したことを公表した。

 由良司教と天川司祭は、その独断的な人事に反対するだろうと久能は予想した。そのときは実力を行使すればいいだけのことだ、と考えていた。だが、その考えを察知したのか、諏訪と同様、彼らも行方をくらませてしまった。

 久能の行動を遮る者は、もはや誰もいなくなった。

 世界中から集まった莫大な資金、密輸で大量に仕入れられた武器、そして、ひそかに訓練し育てた、ガイア教武装集団、自称「神の軍隊」。

 神の軍隊の規模は千人ほどにまで成長していた。

 彼は、各部隊のリーダー、十人を参集させた。いずれも久能に絶対的な忠誠を誓う者たちである。

「寄生虫の駆除にかかるときがきた」

 久能涼兵は、ついにそう発言した。

 彼はこの瞬間を心待ちにしていた。

 滅ぶのは、地球が先か、人類が先か。壮絶な聖戦が今、幕をきって落とされるのだ。

「いいか、人類は急速に増殖している。生体に感染したウイルスと同じようにな。ウイルスをもって、ウイルスを制すのだ。地球を守るには、人間をもって人間を倒すしか方法はないのだ」

 リーダーたちは黙って聞いている。

「一人でも多くの人間を粛清することが、我々の最終目標だ。今回は手始めであるから、我が軍隊の力を試す機会とする。駆除は、まずは百人ほどでいいだろう。各部隊百人をノルマとする。いまや、警察や自衛隊の中枢にもガイア教の信者がいる。わが軍の聖なる行動に賛同こそすれ、邪魔する者はいないだろう」

「久能救世主代理。今回の粛清において、対象とする人間をどう選別いたしますか。何か考慮する必要があるでしょうか」

 リーダーの一人が尋ねた。

「正当なガイア教の信者以外はみな神の敵だ。無差別でかまわん」

「はっ」

 彼らは本物の軍隊のように敬礼すると、足早にその場所から退出していった。


「神の敵を討つ」

 そう叫び、銃を所持したガイア教徒が大挙して、人波で溢れた繁華街に繰り出していった。

 突然現れた武装集団に、平和ぼけした人たちは、映画の撮影か何かのイベントと勘違いしたようだった。

 教徒の一人が拡声器を持って告げた。

「我々は、害獣を駆除しにやってきました」

 そういえば、最近カラスなど害獣が、ゴミ袋を荒らしたりして、町を著しく汚している。

 その迷惑な害獣たちを駆除してくれるというので、市民たちは歓迎の意を示した。

「そう、そう、害獣はどんどん処分してちょうだい」

 真っ先に賛同の声を挙げた人物がいた。

 かつて、天川見可子が駅前で子猫たちの飼い主を探していたとき、公然と邪魔をした婦人だった。野良犬や野良猫を毛嫌いし、見つけたらすぐに保健所に連絡し、捕獲してもらい、処分を頼んでいた。だが、しつこく言ってやっと動いてくれる行政に対して彼女は不満を持っていた。こちらから連絡しなくても、行政がすすんで町を清掃すべきではないか。清掃とはもちろん、野良犬たちの駆除である。そのために高い税金を納めているのだから。

「町を汚す害獣は、一匹残らず駆除してちょうだい。そうすれば、きっと町も綺麗になるわ」

 教徒の一人が、無表情のまま、銃口をその人物に向けた。ためらいもせず引き金を引いた。血を飛び散らせて、その婦人は絶命した。

 瞬間、周りの人たちは、恐慌状態になった。悲鳴を上げながら、武装集団から逃げるように遠ざかる。

「おまえたちが一番の害獣だ」

 教徒たちは、そう言って無差別に銃を乱射した。


 人出の多い大きな公園で、ごみを投げ捨てる若者たちがいた。

 ルールもモラルもない。公園内でシートを敷いて宴会を開き、空き缶や食べ物を散らかし、タバコの吸い殻を投げ捨てている。

 見かねて清掃員のおじいさんが止めた。

「ここはごみ捨て場じゃないんですよ。ごみはちゃんと決められた場所に捨ててください」

「うるせえな、じじい。他の連中だって、いっぱい捨ててるだろうが」

 若者たちは明らかに酔っていた。たしかに、その公園には、若者たちに限らず、ごみを投げ捨てる人たちはたくさんいる。若者たちは、その事実を知っているので、注意されても、周りがやっているのに、なぜ自分たちだけが気をつけなければならないのか、と逆切れしたのだ。 

 老人があきらめて、引き下がろうとしたとき、たまたまそこへガイア徒の一団がやってきた。

「なんだ、てめえら」

 若者たちが威圧した。

「環境の美化にやってきました」

「なに」

「地球に不要なごみを片付けにやってきたんです」

「ああ、このじじいがつべこべ言って、うるせえんだよね。早くこのごみ回収してくれ」

 ごみの回収業者とでも思ったのだろう。飲み干したビールの空き缶を、教徒たちの足元に投げつけた。 

 教徒たちは突然懐中から消音装置付きのピストルを取り出し、若者たちに向けて連射した。

 心臓を撃たれ、全員即死だった。

「おまえらがごみなんだよ」

 教徒のリーダー格の男はそう言って部下に手で合図をした。 

 部下たちはてきぱきと死体を近くに停めた数台の車に積み込む作業を始めた。その作業を呆然と老人は眺めている。

 すべての死体を運び終えると、一人のガイア教徒が気づいたように老人を振り返り、

「このじいさんはどうしますか?」

 とリーダーに聞いた。

「もう大分、年がいっているようだし、そう先も長くないだろう。今回のノルマも決まっていることだし、わざわざ殺すこともあるまい」

「はっ」 

 目の前に起こった現実がまだ理解できず、車が遠ざかっていくのを、老人はただ見つめるしかなかった。

 

 都内各地で銃撃事件が発生している。通報を受けた警察は機動隊を出動させ、事態の鎮静化を図ろうとした。しかし、機動隊の隊員にも多数ガイア教徒がおり、出動した警察官同士が銃撃し合う事態が生じた。

 都内は無法地帯と化しつつあった。


   7


 粛清を開始した人類否定派に対して、肯定派は黙認する姿勢を貫くことはできなかった。全面戦争に突入することを決意したのである。

 教主である高坂陽一が否定派の本部に囚われているという情報も掴んでいた。

 小栗正義という若い信者が中心となって、教主を奪還しようとしていた。

 彼はかつて暴走族のリーダーをやっており、人をまとめる才に長けており、その積極性と行動力から、肯定派の指導者的存在となっていた。

 相手が暴力で来るなら、こちらも暴力で対処するまでだ。否定派をたたきつぶせば、地球と人類に真の平和が到来するだろう。

 宗教が派閥争いをするなど、歴史上よくあることである。 

 我々がその抗争の勝者となるのだ、小栗はそう望んだ。

 肯定派はついに決起し、大挙して否定派の本部へと向かった。

 彼らには大層な武器はない。簡単に作れる火炎瓶や、投石が彼らの攻撃手段である。

 数千にも及ぶ信者が、否定派本部へ押し寄せた。

 数を頼みにして、彼らは拡声器で教主を即時に釈放するよう求めた。釈放しなければ、実力行使に出る、と威圧した。

 それに対し、否定派は、何の返事もしない。沈黙のまま、不気味に門を閉ざしたままである。

 小栗の忍耐は、限界を越えてしまった。

「ええい、かまわん。強行突破するぞ」

 彼らは、鍵のかかった門を躍り越え、本部の敷地内に次々と進入した。

 そのときである。建物の窓という窓から一斉に銃が乱射された。

 否定派の武装集団は、息を潜めて、この機会を狙っていたのである。

 弾丸に貫かれて、次々と信者たちが倒れていく。

「応戦するんだ!」

 小栗は懸命に叫んだ。

 石を窓に投げつけ、狙撃手に怪我を負わせ、ひるんだ隙に火炎瓶を投げ込み、建物の中を炎上させる。

 混乱に乗じて、教主を探し出し、救助するのだ。

 銃により、次々と犠牲者は増えていったが、肯定派は何かにとりつかれたように、前進をあきらめず、倒れた死体を踏み越えて、建物の入り口に殺到した。

 倒しても倒しても、数千人もの信者が殺到するのだ。

 銃を撃っている否定派信者も、さすがに恐怖を覚え始めた。

 建物の窓ガラスは、粉々に砕かれ、部屋のあちこちが炎上している。 

 防衛線がまさに破られようとしたそのとき、大きな爆発音が生じた。

 否定派の一人が、手榴弾の数倍の威力のある小型爆弾を、肯定派の信者たちがひしめきあっているところへ投げつけたのである。

 皆、即死だった。一瞬にして、形勢は逆転した。

 火器の装備に圧倒的な差があり、その差は強い意志と情熱だけでは埋めようがなかった。

「・・・」

 小栗は死者で埋め尽くされた凄惨な光景を呆然と眺めていた。

「退け・・・、退くのだ・・・」

 ようやく声を絞り出した。

 生きて退却に成功した者も、怪我を負った者が多く、一様に疲れ切った表情を浮かべている。

 肯定派の数百人の信者が、この抗争で犠牲となった。

 一方、否定派の犠牲の人数は、運悪く、投石が頭にぶつかった者、火炎瓶の炎に包まれてしまった者などがいたが、十数人であった。

 圧倒的な否定派の勝利である。

 肯定派は一日にして甚大な打撃を被ってしまった。

(人類は滅ぶべきなのか・・・。神である地球はそれを望んでいるのか・・・)

 小栗は逃げ延びたが、絶望に打ちひしがれ、憔悴しきっていた。

 同日、久能救世主代理は、高坂陽一が異端者として、ガイア教を混乱させた罪は重いとして、有罪判決を下した。

 判決は死罪である。

 久能は、高らかに笑った。

「高坂陽一。教主を僭称した愚かな奴め。くだらん人類など俺が叩き潰してやる。いや、人類だけではない。全ての生命を無に帰すのだ。無こそが究極の理想郷。この汚れた世界を滅ぼす。その目的を課せられた俺こそが真の救世主なのだ」

   

 その一日は、日本にとって、いや人類にとって、厄日であったのだろうか。

 深夜、日付が変わる寸前、東海地方一円に震度六強の地震が襲った。

 結果的にこの地震は、東海地方を中心に死亡数千名、怪我人数万人が出る大災害となった。

 専門家はメディアを通じ、休火山である富士が活動を再開し、江戸時代以来の噴火の可能性を盛んに指摘した。

 富士が噴火すれば、空は灰に包まれ、世界的な異常気象を呼び起こすといわれている。

 地球はお怒りになっている。そう叫んで、ガイア教否定派はますます気勢を上げた。

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