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ガイア教の野望  作者: 岸 風塵
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第三章 動乱

第3章  動乱


   1 


 救世主である小山田志郎が、突然行方不明となり、ガイア教徒たちは騒然となった。救世主がいなくなった後、教団はどうなっていくのか。

 その教徒たちの不安を取り除くためにも、この事態にどう対処していくのか、誰を後継者とするのか、緊急に話し合わなければならなかった。

 そこで最高幹部たちの会合が行われた。出席者は五名である。穏健派であり、重鎮の真田岳大司教。アメリカからこの会合のため急遽帰国した、真田の弟子である由良和貴司教。武断派の筆頭、黒田道生司教と彼と思想を同じくする横瀬恭介司教。そして、ガイア教の資金を支え、発言力を増していた諏訪晴樹司祭。諏訪のみ司教ではなかったが、ガイア教の最大のパトロンともいうべき存在になっていたので、特別に同席を許された。

 莫大な資金力のある諏訪司祭に認められれば、自分たちの活動に多大な支援が期待できる。そういう信者たちが諏訪司祭の下に集まり、彼はいまやガイア教の幹部的立場になっていた。

 アメリカ帰りの由良が口火を切った。

「救世主がいなくなった以上、早急に後継者を定めねばならない。経験や識見、すべての面で真田大司教が救世主の座に就くのが当然でしょう」

 その意見に、当の真田が反対した。

「いや、わしは救世主になるつもりはない」

 由良は、消極的な真田に対して、意外に思いながら、

「しかし、このままでは教団は求心力を失い、空中分解してしまうでしょう。新しいまとめ役は必要です」

「わしのような先の短い老いぼれが跡を継ぐようでは、ガイア教は刷新されまい」

「では、大司教には誰かご推薦の人材があるのですか?」

「なくもない」

「誰です、それは?」

 由良は答えを促した。真田は間をおいて、少しためてから言葉を発した。

「わしは、横瀬司教でいいと思う」

 意外な人物の名に、司教たちは顔を見合わせた。由良は驚きで目を見開いた。当の横瀬は意味がわからぬというような困惑の表情を浮かべている。派閥では真田と対立する立場にいるからだ。

「横瀬司教といいましたか」

 そう真っ先に質問したのは黒田である。

 黒田は不服な態度をありありと示した。

「横瀬司教は私より年少であり、実績も私に遠く及ばない。なぜ私ではなく、横瀬司教を推すのです?」

 真田は深く息を吐いた。

「確かに、横瀬司教は黒田司教に比べ、経験不足かもしれない。だが、私の見るところ、横瀬司教には見所がある。これから時間をかけ経験を積めば、立派なリーダーになるだろう」

「真田大司教。そんな時間はないのですよ。ばかげた話はよしてください!」 

 黒田は怒りでテーブルを両手でたたいた。

 由良は黒田に落ち着くように、手で制した。 

「それでは黒田司教、あなたは、後継者に誰がいいと考えるのです」

「それは・・・」

 黒田は言葉を濁し、横瀬のほうに視線を向けた。

 そのとき、今まで困惑の表情を浮かべ沈黙を保っていた横瀬が軽く頷いて口を開いた。

「私は、次期救世主に黒田司教を推したい」

 その発言を待っていたように、黒田は、

「私も、推薦されるからには、身を粉にして救世主としての職責を全うするつもりだ」 

 会合の前に、黒田は横瀬に自分を推薦するように頼んでおいた。横瀬は、派閥で分類すれば、黒田派であったから、すぐに了承した。だが、二人は心からお互いを信頼していたわけではない。片や自国の軍隊、片や外国の傭兵部隊。二人は同じ軍人出身だが、出自が違う。表面的には手を組みながら、内面ではお互いの出自を軽蔑しあっていたのだ。

 黒田が、救世主が行方をくらます原因となった張本人などとは横瀬も知る由もない。

 由良は、まだ一言も発していない人物に意見を求めた。

「諏訪司祭。あなたはどう思う。誰を後継者にすべきか。今のところ、自薦他薦含め、真田大司教、横瀬司教を推薦するのが一人ずつ、そして黒田司教を推薦するのが二人」

 発言を促された晴樹は、無表情のまま冷静な態度で口を開いた。

「司教でない私などが口を差し挟むのはおこがましいが、この会合に出席した以上、意見を述べさせていただきましょう。私は誰でもいいと思っています。ただ、ガイア教が混乱の只中にある以上、信者たちを一つにまとめるため、新しく教団が生まれ変わった、というイメージは必要でしょう。現場で率先してリーダーシップを発揮できる行動力のある人物が適役でしょう。この中でそういう活動をしてきた人物といえば横瀬司教ではないでしょうか。そもそも救世主のいない今、最高位である真田大司教の意見を採用するのが至極当然だと思います」 

 その発言に、黒田は唖然としている。

 横瀬の胸の内から困惑が消え、喜悦にも近い感情が生じていた。彼はそもそも黒田など本当は推薦したくなかったのだ。だが、まさか自分が真田大司教らから推薦されるとは思ってもいなかった。チャンスがあれば、自分こそ、という野望がふつふつと湧き上がってきた。

「結局、多数決で言えば、二票で黒田司教と横瀬司教が同数ということになるな」

 由良が納得のいかない声音で言うと、

「ちょっと待ってくれ。黒田司教への推薦を撤回したい。私は自分を推薦する」

 横瀬が大げさに手を挙げて告げた。

「横瀬司教、どういうことだ!」

 黒田が、まなじりを決した。

「やはり私の方が救世主にふさわしい。そう思っただけだ」

 二人は互いににらみ合っている。 

「これで、横瀬司教が三票か・・・」

 由良は真田を救世主にしたかったが、本人が拒んでいるため、強く自分の意見を主張できなかった。それに真田は老齢である。ただでさえ大司教としての責務を果たすのは大変であるのに、これ以上、責任や負担を強いることは彼の健康を害することになりはしないか、心配でもあった。穏やかな性格の由良も、自分の思い通りにいかない展開に珍しくいらいらしているようだった。 

 険悪な空気をよそに諏訪晴樹が冷静な声で発言した。

「現時点では小山田救世主が戻ってこないと確定したわけではないのです。まあ、誰が救世主の後継者になるにせよ、今回選ぶのは、あくまで小山田救世主がいない間の一時的なまとめ役でしょう。救世主の代理として、とりあえず、名目上は横瀬司教に就任してもらい、教団の決定権は本日のような司教以上の会合の合議に拠るところにすればよろしいかと思います」

「・・・」

 確かに、ここでお互いが妥協しなければ、ガイア教は瓦解してしまうだろう。それだけは避けなければならなかった。

 納得のいく者、納得のいかない者。表情は様々だったが、会合の結果、以下の人事が決定した。

 救世主代理に、横瀬。真田は大司教に留任。由良と黒田は司教留任。横瀬が抜けたため、空位となった司教は、諏訪が新任となった。


 会合が散会した後、横瀬が晴樹を呼び止めた。

「諏訪司教。君の発言で形勢は一気に変わった。俺が救世主代理に決まったのも君のおかげだ。礼を言わせてもらうよ」

「救世主代理。あなたに感謝されるいわれはありません。自然や動物を大事にしない思い上がった人間には体罰も必要だ。俺はそう思ってるだけですから」

 だから、そういう思想の持ち主であるあなたを推薦したのだ。

 晴樹は視線でそう呟くと、無言で一礼し、去っていった。 


 大司教の執務室では、由良が真田に疑問を投げかけていた。

「真田大司教。どういうことです。横瀬を救世主に推薦するなど。我々とは相反する思想の持ち主です」

 由良にそう詰め寄られ、真田は重い口を開いた。

「・・・由良君。君には真実を話しておこう。救世主は命の危険を感じて、身を隠すことに決めたのだ」

「それはどういうことです」

「黒田が暗躍したらしい。救世主を意のままに操ろうと銃で脅したらしいのだ」

「なんということを・・・」

「もし、わしや君が救世主の後を継いだら、同じことの繰り返しになるだろう。下手をすれば命の危険にさらされる。横瀬と黒田は同じ派閥だが、内実は反目し合っている。横瀬をガイア教のトップに据え、二人を仲違いさせれば、彼らの勢力をそぐことができるかもしれぬ」

「そううまくいくでしょうか」

「わからん。だが、救世主は言っておられた。ガイアの降臨は近いと。おそらく救世主はその機会を待っているに違いない。我々も軽率な行動は慎み、油断なく事態の推移を注視していくしかあるまい」

「・・・」

 由良は煮え切らない気持ちを抱きながらも、真田の意見を受け入れざるをえなかった。


「くそっ。横瀬め。裏切りおって。何であの野郎が救世主代理なんだ。そもそも俺のほうが年上だし、ガイア教としての経験も俺のほうが長い。こんな人事には納得できない」

 会合が終わり、自分の執務室に戻った黒田は不満をぶちまけた。

「だいたい、司教でもなかった諏訪に、どうして一番発言力があるのだ」

 執務室のソファには、彼の腹心である久能涼兵が腰掛けている。

「そもそも小山田が行方をくらましさえしなければ、こんな面倒な事態にはならなかった。久能君。こうなれば堂々と軍事行動を起こすぞ。実力で教団を掌握するのだ」

「はじめからそうしていればよかったのでは・・・」

「君に何がわかるのだ。横瀬の裏切りがなければ、俺が教団のトップに立つことができたのだ。ともかく、神の軍隊を行使する時がきたのだ。準備を進めておいてくれたまえ」

「わかりました」

 久能の瞳にこのとき異様な光が宿ったのを、黒田は気がつかなかった。 


   2


 ひどいとは聞いていたが、これほどまでとは・・・。

 陽一は、想像以上の惨状に呆然とする思いだった。

 彼の派遣された村は、過去の内戦により、村人たちが多数殺害された場所であるという。

 少年は兵隊として連行され、少女は暴行され、体に傷害を負った者、心に深い傷跡のある者、そんな人たちばかりの村だった。

 内戦が終息したとはいえ、部族間抗争は続き、治安状況は改善されてはいなかった。経済は破綻しているため、人々の暮らしはよくならず、皆が貧しい生活を送っていた。

 慢性的な栄養失調で、病気になっても、医療手段がないため、手の施しようがない。

 辛い状況であったが、この現実を生き抜くためには、心が折れてしまってはどうにもならない。

 彼は、ガイア教の司祭として、人々の心を救わねばならなかった。 

 何日か、布教活動を行っていると、村の地理にも詳しくなった。そして、村のはずれに、誰も近寄らない一軒の家があることに気付いた。

 そこへ行こうとすると、村人たちが必死で止める。

 理由を聞いても、誰もはっきりと答えない。

 村人の制止も聞かず、陽一はその家に向かい、扉を開けた。

「なんということだ・・・」

 そこには、たくさんの子供たちが、折り重なるようにして寝ていた。

 全員が苦しそうな様子である。

 陽一は一番そばにいた子に近寄り、額の温度を手のひらで測ってみた。

「すごい熱だ」

 何人かの子供たちの熱を調べてみたが、皆一様に高い。

「み、水・・・」

 一人の子供が、荒い息で呟いた。

 陽一は、持っていた水筒で水を口にふくませてあげた。 

 彼はすぐに、村の中心部に駆け戻って、村長に問い質した。

「あの子供たちは一体どういうことです?」

 村長は、無言で下を向いていたが、やがてポツリと白状した。

「伝染性の熱病です。抵抗力のない子供たちに猛威を振るっています。もう何人も死んでいるのです。かわいそうですが、ああやって隔離して見捨てるしかありません。そうしなければ、この村の全員が感染して全滅するかもしれないのです」 

「たくさんの子供たちを見殺しにするのですか」

「仕方ありません・・・」

「誰も彼らを看病しないのならこの僕がします」

「高坂司祭。それは危険です。あなたは医師ではないのでしょう。あなたまでが熱病になってしまいますよ」

「子供たちを、小さな弱い命を守らないで、どんな大人の意味が、人間としての意味があるというのです。確かに苦しみは誰の身にもふりかかります。だが、小さな純粋な命が、より多くの苦しみを味わわなければならないという現実を前にして、どうして見過ごすことができるでしょう」

「司祭・・・」

「熱病の感染が怖いのなら、あなた方は近寄る必要はありません。僕一人であの家の子供たちの面倒を見ますから」

 その日から、陽一は可能な範囲で食料や水をその家に運びいれ、子供たちの世話をした。

 彼の介抱も虚しく、一人、また一人と亡くなっていく。

「この現実で、一体、僕に何ができるというのだ。僕はあまりに無力だ」

 医者もいない。薬もない。絶望が彼を襲った。

 夜中、彼は全身を疲労感に包まれたまま、ふらふらな足取りで外に出た。

 夜空には、満天の星が瞬き、ひときわ輝く月光が彼を照らし出した。

「僕はこの世の中に吐き気を覚える。小さな子供たちが苦しむ姿。現実とはなんという、救いようのない醜い世界なのだ」

 彼は両の拳で大地をたたきつけた。

「ガイアよ。一体、何だというのです。この現実の世界は」

 陽一の心の中には怒りがこみ上げてきた。人々に苦しみを与え続ける神とは、何と理不尽な存在なのだろう。

 希望を持てる環境を構築するため、ガイア教徒として、やれるだけのことをやるつもりだった。しかし、病に倒れた子供たちには命すら与えられない。

「この世の中は矛盾だらけだ」

 彼は精神的、肉体的疲労から、大地の上でそのままうつ伏せで寝てしまった。

 どのくらいの時が経っただろう。

 やがて、一条の光が彼の額に当たった。そのあたたかい感覚によって彼は目覚めた。

 朝日であった。

 そうだ。子供たちには、陽光が必要なのだ。それはきっと愛という名の陽光なのだ。

 彼らは人間なのだ。ごみのように捨てられていいわけがない。最後の命の瞬間まで、人のぬくもり、あたたかさを教えてあげたい。

 最後の瞬間まで抱きしめてあげる。それなら自分にもできるではないか。

 陽一は立ち上がった。

 

 その日、新たに熱病に感染した女の子を、まだ若い母親が泣きながら連れてきた。

「司祭様。この子の魂をお救い下さい。私のたった一人の娘なのです」

 陽一が詳しい話を聞くと、少女の名はスレーナといい、彼女の父親は兵隊にとられ、戦死したとのことだった。母親は一人娘を手元で看病したかったが、村人に見つかってしまい、やむなくこの家に連れてきたとのことだった。

 陽一は早速、スレーナを敷布の上に寝かせ、額に手を当てた。

「お母さん。心配しないで。僕が責任を持って面倒を見ます」 

「司祭様。本当に感謝します。あなたは神のような人です」

 母親は手を合わせた。その後も彼女は水などを運ぶ手伝いをしてくれた。

 スレーナはまだ初期症状で、会話ができる状態だった。

 陽一は、安心してもらえるように笑顔で自己紹介した。

 するとスレーナが問いかけてきた。

「ヨーイチは偉い司祭様なんでしょう?」

「偉くはないよ」 

「ヨーイチ、人は何で生まれてくるの。苦しむために生まれてくるの。それなら、私、最初から生まれてこなきゃよかったのに・・・」

 スレーナは、寂しそうに言った。

 陽一は、寝そべって彼女を優しく抱きしめた。

 しばらく、無言で抱きしめていた。

「スレーナ。君の夢は何だい?」

 彼女の目の輝きが変わった。 

「わたし、いっぱい勉強して学校の先生になりたいの」

「そうか。それじゃ、病気を治して、がんばらなきゃな」

 陽一の優しい言葉に、スレーナも落ち着いたようだった。

 それから何週間も、看病を続ける日々が続いた。

 陽一の献身も虚しく、子供たちは次々と息を引き取っていった。陽一の作った簡素な手作りの墓標だけが増えていった。ついに生存者はスレーナ一人になってしまった。

 スレーナは息も絶え絶えになりながら、陽一に話しかけた。

「私は死にたくない。死ぬのが怖いの。人は死んだらどうなるの?」

 陽一は優しくスレーナをさすりながら、静かに語りかけた。

「死んだら、土に帰るんだ。神様である地球のもとに帰るんだよ。神様と一つになるんだよ。神様は、君をあたたかく包み込んでくれる。君はそっと神様に抱かれていればいいんだ。だから、死は怖いことじゃない」 

 それを聞いて安堵したのか、スレーナはかすかに穏やかな顔になった。 

 スレーナの瞳から涙がこぼれた。陽一は、それを拭った。

 そのとき、すでに彼女の息はなかった。

「死んだ・・・。あっけなさすぎる・・・」 

 将来は学校の先生になりたいと夢を持っていた少女は、大人になることなくその生涯を閉じた。

 陽一は、彼女を抱きかかえると、外に出た。そのまま弱々しい足取りで、村の中心部に向かった。

 連日の看病で、陽一の体は痩せ細り、髪やひげは伸び放題だった。

 村人たちが、遠巻きにして陽一を見ている。 

「僕は一人として子供を救えなかった。村人たちよ。僕を笑うがいい。そして、憎むがいい。さあ、僕に石つぶてを投げつけたまえ。いっそ、その方が僕も救われる」 

 しゃがれた声で陽一は叫んだ。

 だが、誰も石を投げる者はいない。

 やがて、一人の女性が彼の前面に進み出て、ひざを折り、祈りの姿勢をとった。

 スレーナの母親だった。

「司祭様には感謝しております。子供たちに最後まで人間らしく接してくださいました」

 すると、村人の全員が次々とひざを折り、陽一を仰いだ。

「司祭様。ありがとうございます」

「ありがとうございます」

 感謝の声が、辺りに満ちた。


 子供たちのお墓の前で、心を込めた弔いの儀式が村人たちによって執り行われた。

 陽一は司祭として、彼らの魂が安らかなる場所へ導かれることを神に祈った。

 陽一は祈り終わると、隣で共に手を合わせていた村長に向かって言った。

「村長、子供たちの死は深い絶望そのものです。しかし彼らの死は決して無駄ではありません。彼らは確かに大人になって夢をかなえることはできませんでした。大きな花を咲かせ、実を実らせることはかないませんでした。若葉のうちに、枝から落ちてしまいました。しかし、その落葉は、大地にしみこみ、養分となって、大木を育てる基となるのです。そして、新しい大きな実を実らせることになるのです。子供たちの死は、新しい未来の子供たちの笑顔のために、必ずつながっていくものと僕は信じています」

 村長はその言葉を聴いて、こらえていたものを吐き出すように涙を流した。

「高坂司祭。あなたのその言葉は我々を救ってくれます。本当にありがとう。あなたはいずれ、多くの人々の魂を癒すことになるでしょう」

「いいえ。僕のような小さな人間がどうして人を癒すことができるでしょう。今回、子供たちに触れ合って、僕自身がたくさんのことを教えていただきました」

 陽一はそう言って、目を細めた。

「与えられた人生を純粋に使うことの大切さです。僕はスレーナたちの分まで、生きるつもりです。この世界を、地球と人間が真に共生できる理想郷とせねばなりません。生命は地球のために。そして、地球は生命のために。人類もこの枠組みから逃れられるものではありません。僕は人々にガイア教の教えを広めなければなりません。その使命を果たすと自ら決めたのです。この布教の旅路は終わることはないのです」

「司祭。あなたの目指すものは何ですか?」

「地球上に生きる全ての人が、生まれてきてよかったと笑顔で神に感謝できるときが来れば、それこそ僕の目指す至高のときでしょう」

 現実にはありえない。理想でしかない。世界には貧困、戦争、暴力が満ち溢れていて、笑顔を忘れてしまうほどの絶望が覆いかぶさっている。全ての人が生きる喜びを感じることなど夢物語でしかないのかもしれない。だが、本当にそうだろうか。

 どうせ無理だとあきらめてしまえば、その瞬間、本当に全てはだめになる。希望だけは絶対に捨ててはならない。そして、その希望への扉を開くための努力も絶対に怠ってはならない。

 そのためにこそ、ガイア教はある。宗教はあるのだ。

 陽一はそう自分に言い聞かせている。

「高坂司祭。あなたの教えを村人たちにもっと聞かせてください」

 村長は深く頭を下げた。 

 陽一が微笑んだとき、突然、彼にひどいめまいが襲った。

 陽一は突然倒れた。驚いた村長が彼の額を触る。ひどい高熱であった。


   3


 諏訪晴樹は、ペットと一緒に入店できる喫茶店で天川見可子と待ち合わせをした。

 黒猫のクレオをひざの上で抱いている。

 晴樹は、この猫が道路に飛び出したとき、身を挺して助けたことを覚えている。

 陽一からこの猫を預かったとき、晴樹はすぐに天川見可子が誰であるかがわかった。

 数奇な縁で自分に飼われることになったこの猫を、見可子に再会させるために彼女に会うことにしたのだ。

 予定の時刻より早く到着した晴樹は、ほんの少しだけ彼女を待つことになった。

「司教様をお待たせするなんてすみません」

 時間通りに彼女はやってきた。 

「いや、大丈夫です。何にします?」

 見可子が選んだコーヒーを晴樹は店員に二つ頼んだ。コーヒーはすぐに運ばれてきた。

 晴樹は、クレオを助けたとき、見可子を一目見ただけだったが、こうして近くで見ると彼女の美しさに少し驚いてしまった。

「司教様というのはちょっと。諏訪と呼んでください」 

「そうですか・・・。諏訪さんにはずっとお礼を言おうと思っていたんです。クレオを助けていただいた上、飼ってくださることになるなんて」

 見可子は陽一から、全て事情を聞いていた。

「ここに連れてきていますよ」

 晴樹は、ひざの上に抱えていた黒猫を、テーブルの上に出し、彼女に手渡した。

 彼女は満面の笑みになって、

「クレオ、ひさしぶりね」

 と言って、猫に何度も頬を寄せた。クレオは早速ゴロゴロ言っている。

「この子、喜んでる。それと、諏訪さんに大事にしてもらってるって言ってます。よかったねえ、いいご主人にめぐりあえて」

「君は本当に動物の考えてることがわかるの?」

 陽一から聞いていたことを、彼は質問した。

「ええ。動物たちの抱いている不安とか、怒りとか喜びをどうしてか感じてしまうんです。一種の霊感が強いのかしら」

「そう・・・」

「変な人だと思います?」

 彼女は不安げな表情をした。

「いや、君のその能力をガイア教に生かしてもらえたらと思ってる。実は、ガイア教も真剣に捨て猫や捨て犬を保護する活動を始めることにしたんだ。動物たちだって、もっとも身近な自然の一部とも言えるしね。天川さんは実際にそういう活動をしてきたわけだからノウハウも持っているだろうし、是非協力して欲しいと思ってね」

「本当ですか。ありがとうございます。こちらこそ、是非手伝わせてください」

「それと、教団のことで何か困ったことがあったら、何でも俺に相談してくれてかまわないから」

「あの、信者になったばかりの私にこんなによくしていただいて、ありがとうございます」

 見可子が見るに、晴樹は、陽一のように明るく周囲に温かさを撒き散らすようなタイプの人間ではない。どちらかといえば、寡黙で冷静な性格だと見分けがつく。だが、陽一と同じように、晴樹も優しい人柄だった。それが見可子は素直に嬉しかった。

「君のことは陽一から頼まれていてね。なにかと協力してくれと言われているんだ。彼には友人はたくさんいるだろうが、俺にとってはたった一人の親友だからね」

 見可子には気になっていることがあった。それは、初めて会ったときの去り際、晴樹が自分の命など惜しくもない、と言ったことだ。

「諏訪さんが優しい方でよかったです。そうじゃなきゃ、自分の身を投げ出して、猫を救うなんてこと、できませんものね」

 それを聞いた晴樹の視線から、穏やかさが消えたようだった。

「天川さん。俺のことを誤解してるんじゃないか。俺は自分のことを優しいなんて少しも思わない。俺は基本的に人間が嫌いなんだ」

「えっ」

「自然を敬わない人間なんか、この世に必要ないと思ってる。もちろん、俺自身も、その人間の一員として生きている以上、この世に必要ないのかもしれない。なんの意味もないのかもしれない」

 見可子は、この晴樹という人物に複雑な印象を抱いた。冷静沈着に見えながら、どことなく繊細で危うさを秘めている。自分のほうがかなり年下なのに、なぜかわからないが、この人をほっておけないという気持ちが生じた。

 コーヒーを飲み終わった二人はクレオを手提げケージに戻し、一緒に店を出た。

 見可子が道端に視線を落とし、なにかに気づいた。

「諏訪さん、あれ見て」 

 急に、晴樹の空いている左手をつかんで、引っ張った。右手でつかんでいたケージがかなり揺れた。晴樹も驚いたが、クレオももっと驚いただろう。

 見可子の覗き込んでいる視線の先に、タンポポがあった。ひび割れたアスファルトから茎を出し気丈にも花を咲かせている。普通なら見落とすだろう。

「かわいい」 

「ああ、ほんと、そうだね。でも、よく気づいたね」 

「この花が私を呼んだんです」

「君は動物だけじゃなく、植物の気持ちもわかるのか」

 その質問に見可子は答えず、ただ微笑むだけだった。

 二人は、たかが路傍の花だとは思わなかった。二人してしばらくタンポポを眺めていた。

 手をつないでいたことも忘れていたが、それに気づいて、二人はばつが悪そうに手を離した。

 再会を約束して別れると、すぐに晴樹の携帯電話が鳴った。教団内の彼の配属下にある信者からの着信だった。

 電話に出ると、その声が尋常でない震えに満たされているのがわかった。

「諏訪司教、たいへんです。教団本部が黒田司教率いる武装集団に占拠されました」   


   4


 陽一は暗い道を何日もさまよっていた。

 いや、道だと思っていたが、体は宙に浮いている。どうやら漆黒の宇宙の中に放り出されたようだ。

 体全体が痛く、苦しい。彼の皮膚はウイルスに蝕まれて、ただれていった。

 だが、ウイルスと思っていた苦痛の元凶は、人間の姿をしていた。小さな人間たちが、うじゃうじゃと陽一の地表の上を覆いつくし、肉体の中に侵入してくる。

 どうやら自分は地球のようだった。

 苦しくて、叫ぼうとするも声さえ出せない。ただあえぐばかりである。

 何の脈絡もなく場面が変わり、行く宛てもなくふらついていると、泥沼に足を踏み入れてしまった。

 その底なし沼は容赦なく陽一の体を絡め取り、身動きできなくさせる。

 泥中に飲み込まれ、息ができなくなる。夢中でもがき、腕をばたつかせる。もうだめだと思ったとき、何か手にひっかかるものがあった。

 それは泥沼に浮かぶ人間の遺体であった。だがよく見ると、浮かんでいると見えたそれは、限りない数の遺体が積み上げられたものだった。

 陽一はようやく、泥沼から這い上がることができた。

 積み上げられた遺体は、泥沼の中で一本の橋を形成していた。彼はその橋の上をゆっくりと歩き始める。

 人間の遺体だけではない。ありとあらゆる動物、哺乳類、爬虫類、両生類、魚類、すべての種族が積み重なっている。もうすでに滅亡してしまった種族も見える。小さな昆虫から、巨大な恐竜。原始的な生命である単細胞生物まで。

 どうやら、底なし沼に沈まずに、こうして今を歩くことができるのは、その生命たちの限りない積み重ねによるものらしい。

 自分はただ生かされているのだ。そして、歩くことができなくなったとき、自分もこの橋の一部となって、他の誰かを渡らせることになるのだ。

 陽一は歩きながら、彼らの全ての種族のDNAの記憶が自分に吸い込まれていくのを感じていた。

 しばらく歩いていると、はるか先に光の点が見えた。光に近付いていくと、点が大きくなっていき、やがて陽一は、その光に全身を包まれていった。

 

 熱病の感染を恐れていた村人たちであったが、最後まで子供たちの面倒を見てくれた陽一に対して、恩返しの意味もあって、彼らが交代で陽一の看病に当たった。しかし、看病の甲斐もなく、最後の瞬間が訪れようとしていた。

「お亡くなりになられた・・・」

 村長がぼそりと呟いた。村人たちが見守る中で、陽一は息を引き取った。  

「気の毒に・・・。遠い異郷の地で命を落とされるとは。せめて子供たちの墓標のそばで村人みんなで手厚く葬ってやろう」 

 村人総出で協力し合い、墓穴を掘り終わると、そこに陽一の遺体を安置した。

 ひとしきり祈りをささげると、スコップで遺体の上に土を戻し、やがて顔の部分を残すのみとなった。

 突然、地が揺れた。地震はわずかな時間だったが、大地のきしむような鳴動に村人たちは驚いた。

 地震がおさまると、村人たちはやがて落ち着きを取り戻した。

 そのときだった。村人の一人が陽一を指差して驚愕の声をあげた。

 その声につられ、村人たちは視線を移した。そして信じられない光景を目撃した。

 陽一が目を見開き、片手を土の中から突き出したのだ。

 

「気が付かれましたか」

 陽一は薄く眼を開けた。しばらくは、ぼんやりした視界だった。時間が経つにつれ、焦点が合ってくると、スレーナの母親がすぐ傍らにいることがわかった。どうやら自分を看病してくれていたらしい。

「生き返られました。本当に奇跡です」

 と笑顔で言った。

 彼女の話によると、陽一は一旦息を引き取ったが、埋葬の途中で意識を取り戻したのだという。その後、再び意識を失い、寝込んでいたらしい。

 目を覚ましてから、数日かけて、陽一は次第に快方に向かっていった。

 元気になってきた彼だったが、なぜか立ち上がることができない。

 周囲がぐらぐら揺れていて、平衡感覚がまるでない。

 村人たちに支えられて、ようやく立つことができたが、歩くことまではできなかった。

 何度か試すうちに、長い木片を杖として、ゆっくりではあるが、なんとか自力で立てるようになった。

 めまいがひどい。高熱のため、脳に障害が残ってしまったのだろう。ふらふらして、うまく歩けない。

 杖を突き、やっと前進する陽一の姿を見て、村人たちは哀れんだが、本人は、

「命を拾っただけでも神に感謝せねば」

 と言って微笑んだ。

「それより夢の中で、神からのお告げがあった。僕はそれを人々に伝えねばならない」

 彼は村人たちを集めると、穏やかに語り始めた。

「人類の祖先が誕生して、五百万年ともいわれます。猿人から原人となり、旧人を経過して新人と呼ばれるホモサピエンスとなりました。我々はそのホモサピエンスです。人類の進化は決して単純ではなく、複雑多岐な進化を繰り返した結果、十五万年前に現在の形態であるホモサピエンスは生まれたのです。我々ホモサピエンスはやがて科学文明を築き、その代償として、森林を伐採し、大地を不毛、荒涼と化さしめたのです」

 村人たちは、黙って耳を傾けている。

「僕たちは、地球を汚してはならない。何百年、何千年かかってでも、荒れ果てた大地ではなく、緑豊かな大地を取り戻すべきなのです。地球は人類だけのものではない」

 そこまでしゃべって陽一は少しよろめいた。

 慌てて村人たちがその体を支えようとする。だが、陽一は自分の杖で体のバランスを保ち、片手を軽く挙げて村人たちの助けを制した。

「もし、人類が滅んだとしても、地球は、後、五十億年は生きます。膨張し続ける太陽にやがて飲み込まれてしまうまでは。人類がいなくなったら、我々に続く新しい種族が繁栄するでしょう。恐竜が滅んだ後の哺乳類、つまり我々人類のように。それならば、我々がいなくなった後、地球に生まれ、生きる生命のためにも、地球を痛めつけてはならない。それが地球に生を受けた生命の役割であるし、当然の行為なのです。それができなければ、我々は、怠惰で、傲慢で、無知という、汚名と恥辱を後世に残すことになるでしょう。ただの反面教師として、新しい種族の教科書に記載されるに過ぎなくなるでしょう」

 疲れもあったが、陽一は休まずに語り続ける。その姿には、確かに何かが憑依しているかのようだった。 

「繰り返しますが、地球に生きる生命はそれぞれ責任を負っている。その生命すべてのために地球は存在しているのであり、人類のためだけに存在しているのではない」

 ついに陽一の体が大きくぐらぐらとゆれ始めている。平衡感覚が全くないのだろう。たまりかねて、スレーナの母親が、彼を後ろから支えた。陽一は「ありがとう」と小さく呟き、説法を続けた。

「たとえば一匹の魚があなたに命をささげて、その身を食べさせてくれるでしょう。あなたはその命のおかげで一日を生きながらえることができる。知らず知らず命のバトンを受け取っている。世界はそうつながっているのです。人類が地球上での繁栄を得るために、一体何億、何兆の命を犠牲にしてきたのか。今、生きているということは、そういう数え切れない動物たちや自然界の種族たちの犠牲の上に成り立っている。たくさんの屍の上を一歩一歩、踏み歩いているということと同じなんです。そのつながりの中で自分という存在がいる。無限と思われる過去の生命たちのバトンを受け継いでいるのです。だから、そのバトンをしっかりと後世に託さなければならないのです」

 陽一は笑顔で言った。それは本当に穏やかで優しい笑顔だった。

「これは僕が発言しているのではないのです。神である地球からの言葉を代弁しているに過ぎないのです」

 言うべきことを言った陽一は、ほっとしたのか、その場にへたりこんでしまった。


   5


 本部にたどり着いた諏訪晴樹は、黒田司教の用意した物々しい歓迎を受けた。

 銃を携行した教徒たちに半ば強引に一室に案内されたのだ。

「諏訪司教、待っていたよ」

 背もたれつきの椅子に深く腰掛け、足を組む黒田の姿があった。

「黒田司教、これはいったいどういうことです」

 晴樹は、何の変哲もない至極単純な質問をした。 

 それほど広くない部屋には武装した集団が、十名ほどおり、ガイア教の幹部たちに銃口を突きつけているのだ。手榴弾の束をぶら下げている兵士もいる。

 横瀬救世主代理は憮然とした表情をしている。真田大司教は半ば呆れたような表情だった。由良司教の姿は見えなかった。

 一人、見たことのない顔だったが、眼鏡をかけた若い青年が黒田の隣に立っていた。晴樹をじっと見つめている。その男の氷のような冷たい視線と目が合って、晴樹は生理的に嫌悪感を覚えた。

「由良司教は逃げたようだな。まあいい。彼一人いなくてもどうということはあるまい」

 黒田は不遜な笑みを浮かべて、部屋を見回し、椅子から立ち上がった。

「さて、皆さんにお集まりいただいたのは他でもない。話は簡単だ。ガイア教の全権を私に委ねてもらいたいのだ。私に従うならば、皆さんの命まで取ろうとは思わん。私の手足となって働いてもらいたい。だが、反抗するならば、今この場で死んでもらう」

「馬鹿なことを言うな」

 真っ先に反論したのは救世主代理である横瀬だった。

「これはクーデターだ。この前の司教会議で救世主代理となったのはこの自分だ。小山田救世主が戻ってくるまでの間は、自分が責任を持ってガイア教を預からねばならんのだ」

「救世主は戻っては来んよ」

「どうしてだ」 

「私が銃で脅し、傀儡として利用しようとしたが、行方をくらませてしまった。すべてを放り出して逃げてしまった。無責任な男だ」

 黒田の発言に、横瀬は呆然となった。

「なんということを・・・」

 横瀬はそう声を絞り出すのがやっとだった。  

「あなたがたは小山田のように愚かではあるまい」 

 黒田は勝ち誇った顔をしている。

 こんな状況なのに、晴樹はきわめて冷静だった。それは彼の生まれ持った資質なのかもしれない。

「それにしても、この兵士たちは何です?戦争でも始めるつもりですか?」

 無表情のまま、晴樹は黒田に問うた。

 黒田は、隣にいる若い男の方を見た。

「この軍隊の意味は久能君に説明してもらったほうがいいだろう」

 久能という青年は眼鏡を華奢な中指で押さえると、ガイア教が軍隊を持つ大義を語り始めた。 

「宗教が軍を持てばこれ以上強いものはありません。過去の歴史を振り返ってください。十字軍は教義の名の下に異教徒を根絶やしにしました。日本の歴史でも、戦国時代、一向宗門徒の抵抗にあの織田信長は最後まで苦しめられました。現在だって、原理主義者たちは、武器を手に取り、異教徒の抹殺に奔走しているのです」

 久能は無表情のまま、

「ガイア教が軍隊を持つのも当然の流れと言えるでしょう。神である地球を冒涜する人類をこれ以上のさばらせておくわけにはいきません。地球を人類の侵食から守るのです」

 そう言ってはじめて久能は冷たい笑みを浮かべた。

「地球初期化計画。この軍隊を使って、人類を粛清し、汚染された地球を自然豊かな本来の姿に戻すのです。今こそ、それを実行に移すべき時ですよ」

「心配していた通りのシナリオになってしまったな」

 そう発言したのは、真田大司教だった。

「そもそも、黒田司教、横瀬司教の出自は軍人だ。二人を重用することで、小山田救世主は、教団独自の軍隊を作り、それを操ることで、権威だけでなく実力を兼ね備えた世界の支配者にでもなりたかったのだろう。彼は宗教家ではなく、その部分では俗物だったのだ。しかし、自らが唱えた人間を害虫とする思想が一人歩きし、自分自身の命が危うくなってしまい、身を隠さざるをえなくなった。武断派が武力をもって思うがままに教団を牛耳ろうとしている。今の状況は、概ね、そんなところかね」

 真田に対して、横瀬は弁明するように声を張り上げた。

「俺は、軍隊の創設には関わったが、救世主の追放劇には一切関与していない。全ての責任は黒田司教一人にある」

「無駄話は、もうそのへんでいいかね」

 黒田は手を振り上げて制した。

「横瀬救世主代理。君にはその座を降りてもらおう。ガイア教は私が支配させてもらう」

 ポケットから小型ピストルを取り出した黒田は、横瀬に照準を合わせる。

「私に従うのか、それとも従わないのか。さあ、この場で返答したまえ」

 そのときである。横瀬は、元軍人の敏捷な動作で、黒田の襟首につかみかかった。そのまま銃を奪おうともみ合った瞬間、鈍い銃声が部屋に響き渡った。

 黒田が、横瀬の手を振りほどき、数瞬早く引き金を引いたのだ。銃弾は横瀬の横腹部に突き刺さった。

「黒田、貴様・・・」

 出血を抑えながら、横瀬は床に倒れこんだ。

「馬鹿なやつだ。素直に従っておれば、死なすに済んだものを・・・」

 黒田は、次に真田に銃口を向けた。

「さあ、真田大司教、今度はあなたの番だ。あなたは私に従うかね」

「・・・」

 真田は沈黙を保っている。

「答えられないのか。なら先に、諏訪司教でもいい。どうだ。私に従うか?」

 黒田は銃口を晴樹に向けた。黒田の目線は焦点が合っていない。自分に陶酔しているのか。それとも狂ってしまったのか。

 誰もが床でもぞもぞと動く横瀬の存在を忘れていた。

 横瀬は血まみれのまま、突然立ち上がると、完全に油断していた兵士の後ろから襲いかかり、手榴弾を一つ奪い取ると、ピンを抜いた。

「俺は外人部隊にいた頃、修羅場を何度も踏んできた。貴様などには負けん」  

 そのまま、手榴弾を黒田の足元に転がした。

「ふせろ!」

 誰が叫んだのかわからない。

 その一瞬の後、爆発音が部屋全体にこだました。

 

 しばらく気を失っていたようだった。

 鼓膜がやられてしまったようだ。耳鳴りがひどい。

 晴樹は、ゆっくりと目を開けた。周囲は煙で真っ白だった。

 彼はゆっくりと立ち上がった。どうやら自分の命は助かったらしい。

 奇跡的に目立った外傷もなかった。

 次第に煙が消えていき、部屋全体が見渡せるようになった。

 そこには凄惨な光景が横たわっていた。

 黒田は全身を血まみれにして絶命している。爆発の直撃を受けたのだろう。

 横瀬は体をうつ伏せにして倒れている。甚だしい流血から、もはや生きてはいまい。

 真田は、爆風で体を壁に打ちつけたようだ。その際、頭部を打ったのだろう。頭から出血しているようだ。

 この部屋にいた兵士も全てが倒れこんでいる。

 晴樹が無傷でいられたのは、たまたま傍にいた兵士が、爆風の防壁となって、彼を結果的に守った格好になったからだろう。その兵士も息がない。

 そんな状況の中で、晴樹の他に、全く無傷な男がもう一人存在した。

「ああ、大事な眼鏡が割れてしまった」

 その男は、そんな独り言を吐いた。 

 久能涼兵は、爆発の瞬間、瞬時にその身を傍にいた兵士の後方に躍らせて、直撃を避けた。

 晴樹と同じように、他人が壁の役割を果たしてくれたおかげで助かったのだ。

 壊れた眼鏡を投げ捨てると、立っている晴樹に近寄ってきた。

「この中で残った司教は、諏訪司教、どうやらあなただけのようですね。幹部でもない私には教団を率いる資格はない。あなたが救世主代理として、ガイア教を率いてください」

「君は黒田司教の部下ではなかったのか」

「黒田さんはもう死にました。それに、彼はそもそも忠誠心を傾けるに値する人物ではありませんでした。」

 晴樹には、自分と同じような年代のこの青年の真意を測りかねた。

「・・・。とにかく、今はそんなことはどうでもいい。久能君といったか。早急に教団の医療スタッフを呼びたまえ。それから、このことは外部に漏らしてはならん。爆発音も周囲に響いたかもしれん。緘口令を敷いて、教団内部で処理せねばならん」

「わかりました」

 久能はうやうやしく一礼した。そして部屋から退出していこうとする刹那に振り返り、

「ガイア教の軍隊も、全て、あなたの意のままになるでしょう」

 そう言って笑ったようにも見えた。 

 久能という男が一体、何を求めているのかはわからない。死者や怪我人が出た悲惨な状況であるのに、楽しんでいるようにも見える。

 とにかく、この現場で、自分と久能だけが助かった。

 この現実を前にして、運命は、自分にどう働きかけてくるのだろうか。

 自分が救世主代理・・・。

 ということは、彼は自分が望んだわけでもなしに、父からの遺産である莫大な金、救世主代理としての地位と名誉、そして、教団の軍隊という力を手に入れることになる。人が望む欲望を全てかなえてしまったことになるのだ。

 神は一体、それだけのものを自分に与えて、何をしろというのだろうか・・・。

 

 黒田と横瀬が共倒れになった。予想もしない展開に久能は顔をほころばせた。

 自分をあごで使う黒田が、彼にはもう目障りになっていたのだ。

「黒田さん。あなたには失望していたのですよ。大いなる理想のために、人類を粛正すると言ってくれたじゃないですか。しかし、結局はあなたも権力が欲しかっただけのくだらない普通の人間でしたね」

 久能は、心の中でそう呟いた。

 彼は傷一つ負わなかった自分の強運に対して、自分は特別な人間だという自負をあらためて強くした。

「黒田や横瀬など、いかようにも操作できる。頭の脳みそさえ筋肉でできているような奴らだ。だが、諏訪だけは油断できない。何を考えているのかわからないところがある。背中を向けたとたん、刃物で切りつけてくるようなそんな氷のような雰囲気がある」

 久能は、自分だけが持っている鋭い嗅覚でそう感じていた。

「諏訪はきっと、人間を憎んでいるのだ。だからこそ、面白い。これからが楽しみだ」

 

 この日の惨劇により、ガイア教において、横瀬救世主代行はその地位に留まることは不可能となった。結果的に彼が教団のトップにいた期間はわずか数日間であった。

 文字通り、三日天下となった。

 教団の新たな人事が、信者たちに発表された。諏訪晴樹が新しい救世主代理となり、久能涼兵が司教となった。

 もちろん、どのような経過で、こういう事態になったのか、信者たちには一切知らされることはなかった。

 後世、ガイア教教団史が出版され、すべてが明るみになるが、この会議において多くのガイア教幹部が血を流したため、「血の会議」と呼ばれることとなる。 


 教団は独自に医療施設を所有している。

 その施設に入院している真田のもとに元教え子の由良司教が見舞いに訪れた。

「命に別状がなくて本当によかったです」

「頭を少し打ったくらいだ。どうということはないよ」

 真田はそう言って包帯の巻かれた頭をさすり、微笑んだ。だが、軽口とは逆に、実際には頭を強打したため、意識不明の状態が数日続いていたのだった。

「それにしても君はあの場にいなくて正解だったな。もし、あの場にいたなら、今頃命がなかったかもしれん」

「たまたま富士の大神殿に行っていたのです。あの聖域に行くと、自分が神と一体化している感覚を得られる。ヒーリングのために行ったのですが、そういう意味では神に救われたのかもしれません」

「私もそう思うよ。ともかく、ガイア教は無残な姿になってしまった。私の代わりに君がガイア教に残ってくれることがせめてもの救いだ」

 真田は力のない笑みを浮かべた。

「どういう意味ですか?」

「私は現在のガイア教に全く未練はない。人類を否定する思想を持ち、ついには武装集団まで作り上げてしまった。恐れていた暴走が始まってしまったのだ。君には教団の中枢に残ってもらい、彼ら人類否定派の動きを監視してもらいたいのだ。私は人類肯定派として新しい教団の形を模索するつもりだ」

「同じガイア教徒が、二つの派に分かれると・・・」

「こうなることは必然だったのかもしれんな」

 そう言って真田は目を細めた。

「君に忠告しておこう。人類否定派である黒田と横瀬は幸いにも共倒れしてくれた。しかし、新たに救世主代理となった諏訪君は危険な人物だ。派閥の旗幟を鮮明にしているわけではないが、横瀬司教と近しい立場だったことからも、人類を否定している感じを受けるのはもちろんだが、彼には常に破滅的な雰囲気が漂っているのだ。自分の存在さえも否定しているような・・・。死を恐れない者は、何をしでかすかわからんぞ。そんな人物が混乱に乗じて、武装組織を率いる久能とかいう若者と手を組み、最高権力者になってしまったのだからな」

「たしかにそうかもしれません。だが、彼は真田先生が高く評価している高坂陽一の無二の親友です。私は彼がどうして、高坂陽一のような人物に好かれているのか、その理由が知りたいのです。私は彼がただの厭世家のようには思えない。深いところで、人間の本質的な情緒が隠されている気がするのです。私は彼の入信の儀式を執り行いました。その責任として最後まで彼を見届けるつもりですよ」

「そうか・・・。頼んだぞ。私は、体が良くなったらアフリカの高坂君を訪ねるつもりだ。わしの目に狂いがなければ、彼は人類肯定派の大きな手助けになってくれるだろう。彼の成長を期待しているのだ」

「派が分かれることになっても、先生への尊敬の念は変わるものではありません。人類否定派の監視はお任せください。ただ、私も一言、先生に言っておきたいことがあります」

「何だね」

「私には、諏訪晴樹が人類を救うことになるような予感がするのです。彼が救世主代理になったのは天の配剤ではないかとも感じるのです。もちろん何の根拠もない。ただの勘ですが」

「ふっ、面白いな。お互い、自分の信じる道を突き進もうじゃないか」

 師弟はがっちりと握手を交わした。

 

   6 


 一ヶ月後、傷も完治せぬまま真田は由良に言ったとおり、アフリカの陽一のもとに向かった。

 長い空の旅を終えて、現地に到着すると、人々の顔が明るいのに気付いた。生活は貧困で苦しいはずなのに、なぜ、みな笑顔なのだろう。

 真田は来訪の目的を村人に告げた。

 しばらくすると、陽一が、杖をつきながら、ゆっくりとたどたどしい足取りで歩いてきた。

 周りには、現地の人たちが穏やかな笑顔で彼を取り囲んでいる。

 陽一は笑みを浮かべながら、真田に事情を説明した。

「実は、ここへ来て熱病に感染してしまったのです。自分の身ながら信じられないのですが、村人の話だと、僕は一度死んだというのです。埋葬しようとしたところ、突然蘇ったというのです。自分では全く記憶にはないのですが」

「・・・!」

 真田は目を細めた。ある予感が彼の脳裏をかすめた。

「ただ、覚えていることもあります。生死の境をさまよって苦しんでいるとき、ふと夢の中で啓示があったのです。地球も同じなのだと。地球は病んでいる。人類というウイルスに感染しているのだ。そして、そのウイルスのために、高熱を発して苦しんでいるのだ、と」 

「そうか。ともかく、君が生きていることを神に感謝しよう。実は私も日本で同じように死線をさまよった身なのだ」

 真田は、日本での出来事を説明した。小山田救世主が行方不明になったこと。黒田司教のクーデター。幹部たちを襲った爆発事件。そして、どういう運命のいたずらか、陽一の親友、諏訪晴樹の救世主代理就任。

 事態の急激な変遷に、陽一も驚かずにはいられなかった。

「君は、人類を地球のウイルスと言ったね。ならば、そのウイルスを排除するかね?現在のガイア教の中枢は、人類を地球にとって害とみなす人類否定派が牛耳っているのだ」

 陽一は、ゆっくりと首を左右に振った。 

「どうして、人類を排除することなどできるでしょう」

 陽一は目を閉じた。真田にはその表情が悟りを開いた者のように崇高に見えた。

「この世に生きとし生けるもの全てに、神は宿っています。木や川や海や山や獣にも。小さな虫にも神は宿っている。全ての命には神が宿っているのです。動物の一種である人間も例外であることはないのです。人間にも当然、神は宿っている。地球が神であるなら、地球が生み出した地球上の生命は全て神です。地球の一部である我々生命は、全て神の一部なのです。全ての命を畏れ敬わなければなりません」

「地球の意思を感得したようだな」

 真田は、感慨深げに言った。

「僕はもはや、人類の代弁者ではありません。地球上に生存する全ての生命の代弁者なのです」

「やはり、私の予感は間違いではなかった」

 真田は、そう言って膝を折った。そして深々と頭を下げた。 

「ガイアは降臨なされた。あなたこそが、地球神であられるガイアの化身です。日本に戻り、人々を教化してください。そして、人類の生存を否定するのではなく、是認する人類肯定派を立ち上げ、ガイア教が正しい姿になるよう導いて欲しいのです」

「真田大司教、頭をお上げください。僕はあなたに頭を下げられるほど偉い人物ではありません。それに、僕はこの地で植林に励み、地球の緑化を手助けするつもりなのです。誕生した緑に多くの動物たちが参集し、やがて美しい水が生まれ、人々の生活に笑顔が蘇る。それが僕の夢なのです」

 真田はあきらめずに説得した。

「ここで生活している人たちの苦しみは確かに計り知れない。想像を絶するものでしょう。しかし、村人たちの表情を見たところ、みな明るい笑顔でした。それはきっとあなたが彼らの心を救済したからです。今の日本の状況は悲惨です。物質的に恵まれてはいるが、精神的には、ここの人々よりも数倍貧しく、苦しんでいる。ここで餓死している人は数千人。だが、日本では心の飢えで数万人の人が自殺しています。日本の人々にこそ、人生の喜びからの笑顔が必要なのではないでしょうか」  

「・・・」

 人類の未来の鍵を握る教え。それは地球を敬う心を育むことだ。

 人間はかつてその心を持っていた。しかし、この僅か百数十年の間に、その心を失ってしまった。それは、科学文明を享受している先進国に著しい。

 日本の人々はどこかで心を失ってしまっているのだ。

 そんな中で、自分に何ができるだろう・・・。

 陽一は迷った。しかし、自分を求めてくれる人がいる。そのことが単純に嬉しかった。

 求められれば、それに真摯に応じる。それでいいのではないか。

 陽一はしばらく黙って考えていたが、ついに日本へ帰ることを決意した。

 僕を待っている人がいるならば、その人の下へいこう。悩んでいる人がいるならば、その人の下へいこう。世界は今、どこも病んでいる。地球は痛み、人の心は荒んでいる。かつて人類は、キリスト教や仏教、イスラム教など、宗教によって魂を救われてきた。だが、地球の未曾有の危機、人類の生存意義を問われる今この時代こそ、この瞬間こそ、人々に生きる意味と正しさを説かねばならない。生きる勇気と支えを与えねばならない。

 まず、日本を救うことはきっと世界を救うことにつながるはずだ。一隅を照らせば、その光はやがて、覆いつくす暗闇に、瞬く星のような光明を灯すだろう。

 肩書きなどどうでもいい。ただ人々を救うのにその肩書きが必要だというのなら、そのためにはガイアの化身にでもなんでもなろう。

 陽一はそう固く心に誓うのだった。

 晴樹、君は救世主代理になって、人々を一体どこへ導こうというのだ。もし、それが破滅への道なら、僕は命をかけて君の前に立ち塞がるだろう。

 胸の中で決意した陽一は、真田に力強く言った。 

「真田大司教。僕は日本へ帰ることにします。非才な身ですが、助けてくれますか」

 真田は待っていた答えを得て満足げに頷き、やがて、うやうやしく頭をたれた。

「この老骨に鞭を打って、最後のご奉公をいたしましょう。すべてはガイアの御意のままに・・・」


 真田と陽一が再会を果たしていた頃、日本では東海地方に頻繁に地震が襲っていた。

 震度五、六弱の地震が連続し、首都圏にも被害が生じ、死者が数十名、怪我人は数百人に及んでいた。 

 地震を感じると、人間は、地球が生きているということを実感させられる。

 頻発する地震は、人の心に不吉な予感を呼び起こさせるに十分な効果があった。

 専門家は、これらの地震は、もっと大きな地震が起こる前触れに過ぎないと分析した。

 人々は不安におののいた。

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