アフターエピソード1
皇帝ガリウスが操る巨大な黒竜の背に、私は彼に抱き上げられるようにして乗せられた。
十年間、地獄の底で這いつくばり続けたこの国が、ゆっくりと足元から遠ざかっていく。
「サラ様……どうか、お幸せに」
地上では、私の十年の秘密を共有し、共に歩んでくれた唯一の味方である老執事バロウが、深く、静かに頭を垂れていた。
今回の出来事を機に、彼は隠居することを決めている。
彼に、もう私の血生臭い復讐の続きを見せる必要はない。それが、私からの最後の、そして唯一の感謝の印だ。
私は彼に振り返ることはせず、ただ前だけを見つめた。
竜が大きく羽ばたき、王宮を眼下に見下ろす高さまで急上昇する。
吹き荒れる風の中で、私の体を支えるガリウスの胸の熱さだけが、確かな現実としてそこにあった。
竜はさらに高度を上げ、王都全体が豆粒ほどにしか見えない高さまで到達し、次第に王都が完全に視界から消えていく。
街の広場には、すでに処刑台が設置されている。
そこにくくりつけられているのは、ユーリ、母エリザ、そして国を貪った悪徳貴族たちだ。
「サラ! 僕が悪かった! 助けてくれ! 僕らは愛し合っていたじゃ──っぐあ!」
「あなたたち、私が誰だか分かっているの!早くこの縄を解きなさ──痛っ!」
彼らに向かって、数え切れないほどの民衆が殺到し、憎悪を込めて石を投げつけている。
十年間、彼らが民から奪い、搾取し続けた代償。その惨めな最期。
私が呼んだ悪魔によって、彼らがこれからどんな地獄に堕とされるのか。
遥か上空を征く今の私には、もう知るよしもない。
私にとって、それはとうに終わった、関係のない出来事だった。
◇ ◇ ◇
帝国での盛大な結婚式の夜。
絢爛豪華な皇帝の寝所には、私とガリウスの二人だけが残されていた。
私は彼に向き直り、静かに息を吐く。
「……では、契約を果たしましょう、陛下」
私は一切の感情を交えず、純白のナイトドレスの胸元のリボンに手をかけた。
この命を救われ、国と民を庇護してもらう代償。それがこの身体と、形ばかりの皇妃という肩書だ。
十年間、私は自分を殺し続けてきた。
今更、男に抱かれることへの恐怖や恥じらいなど、微塵もない。
だが、私がドレスを肩から滑り落とそうとした瞬間、ガリウスの大きく熱い手が私の手首を乱暴に掴んだ。
「何をしている」
地を這うような低い声。見上げると、ガリウスは氷のように冷たい瞳で私を見下ろしていた。
「何、とは……妻としての義務を果たすためですが」
「誰がそんな真似をしろと言った」
彼は苛立たしげに舌打ちをし、私の手からリボンを奪うと、乱れたドレスの胸元を彼自身の手で素早く引き合わせた。
予想外の行動に、私は小さく目を見開く。
「陛下? これは、政治的な契約結婚のはずです。貴方は私の体と、女王としての血筋を手に入れるために……」
「勘違いするな、サラ」
ガリウスは私の言葉を遮り、私の腰を引き寄せてベッドへと強引に押し倒した。
視界が反転し、ふかふかの天蓋ベッドに沈み込む。
その上に、彼が巨躯を覆い被せてきた。
逃げ場のない圧倒的な獣の気配。
だが、彼は私にそれ以上触れようとはしなかった。
「俺は、感情のない精巧な人形を抱く趣味はない」
至近距離で、黄金の瞳が私の奥底を射抜くように見つめてくる。
「俺が欲しいのは、そんな安っぽい契約で差し出される抜け殻ではない。お前自身だ」
「……私、自身?」
「ああ。お前のその凍りついた心が溶け、自ら俺を求め、俺にすがりつくようになるまで……俺はお前を抱かん」
それは、私を絶望の淵から救い上げた悪魔からの、新たな宣戦布告だった。
「……そんな日が来るはずがありません。私の心は、とうの昔に壊れているのです」
私が無機質に答えると、ガリウスは凶悪な笑みを浮かべた。
「言ったはずだ。それを溶かすのが俺の仕事だと」
彼はそれ以上何も言わず、私の体を毛布ごと抱き寄せた。
「寝るぞ。明日は朝から皇妃としての仕事が山積みだからな」
彼の腕の中は、狂おしいほどに熱かった。
背中に触れる彼の心音が、早鐘のように激しく鳴っていることに、私はまだ気づいていなかった。











