第3章:データと直感
そのサイレンの音は、非番の焔の耳にも届いた。
勤務時間外のサイレンは、ただのノイズのはずだ。
だが、胸騒ぎがした。煙の匂いが風に乗って届いた先は、「みどり区画」のある方角だった。
「宮田さん!」
現場は、焔が最も恐れていた光景だった。
宮田の家屋はほぼ全焼。そして、昨日までカブが植えられていた畑を踏み荒らすようにして、あの「燃えないツタ」が壁面にまで達していた。
それは、火の中心から逃れるどころか、まるで火を求めて集まったかのように、不気味に広がっていた。
「……ありえない」
昨日までは、影も形もなかった植物だ。
一晩で、これほど成長するなど。
焔は、栽培学の常識が根底から覆される感覚に眩暈を覚えた。これは、放火だ。そして、あのツタは、明らかに「植えられた」ものだ。
「おい、赤井!何してる、野次馬は下がれ!」
同僚の制止を振り切り、焔は確信を持って消防署を飛び出した。向かう先は、市役所だ。
市役所・都市計画課。
アクリルの仕切りが並ぶ無機質な空間に、焔の制服姿はひどく浮いていた。
対応に出た緑川 雫は、その整った眉をわずかにひそめた。
「火災現場の土壌データ? 申し訳ありませんが、消防の方の管轄では?」
彼女の声は、淹れたてのインスタントコーヒーのように、温度はあるが香りがない。
「火災が、特定の再開発地区に集中している。そして、現場には必ずこの植物が」
焔は、ビニール袋に入れた「燃えないツタ」の破片を、彼女のデスクに叩きつけた。
雫は、その物体に触れようともせず、タブレットの画面に視線を落とした。
「赤井消防士。あなたの『直感』は理解しますが、私たちが動くには『データ』が必要です。植物が火災を引き起こすという科学的根拠は?」
「火災が植物を『育てて』いるんだとしたら?」
「……非合理です」
雫の言葉は、高圧放水のように焔の熱意を跳ね返す。
焔は、緊張で乾いた唇を舐めた。「……『グレイ・デベロップメント』という会社を知っていますか」
その瞬間、雫のタブレットをタップする指が、ほんの一瞬、止まった。
彼女は顔を上げない。
「再開発の認可を申請している、主要デベロッパーの一つです。それが何か?」
「その連中が、立ち退きを拒否した老人を……」
「憶測ですね」
雫は、きっぱりと遮った。
「お気持ちは察しますが、役所は憶測では動けません。確かな『データ』をお持ちください。例えば……火災現場の土壌に、何らかの法的な汚染が確認される、とか」
焔は、その冷たい目に焼き付いた自分の姿を見た。
(そうだ。土だ)
彼はツタの破片を掴み、無言で踵を返した。
「非合理」な仮説を「データ」に変えるために。
あの、燃え残った現場の「土」を調べるために。




