第2章:土の匂い
ポケットの奥で、あのゴムのような葉の破片がごわついている。
その感触を振り払うかのように、焔は黒く湿った土を握りしめた。
鼻腔に残るプラスチックの焼けた匂いを、豊かな腐植土の香りがようやく上書きしていく。
ここだけが、焔にとっての「鎮火」できる場所だった。
「よし。今日の土壌pHは6.2。理想的だ」
市民農園「みどり区画」の一角。焔の区画は、消防署のロッカー内部のように、ある種の強迫的な整然さで満ちていた。
支柱は等間隔で打たれ、トマトの脇芽は見事に処理されている。彼にとって、これは趣味であると同時に、もう一つの「現場管理」だった。
火を消すことが「マイナスをゼロに戻す」作業であるなら、植物を育てることは「ゼロからプラスを生み出す」作業だ。
焔の最大の矛盾。
彼は、祖父の農園を焼いた「火」を制御すること(Want)に人生を捧げながら、その火が奪った「命」を自ら育てること(Need)に心の底から焦がれていた。
「焔くん、また精が出るねぇ」
隣の区画でカブを間引いていた老人が、腰を叩きながら声をかけてきた。農園仲間の、宮田だ。
「ウス。宮田さん。そっちは調子どうです」
「ぼちぼちだよ。……それより、あんたんとこも来たかい? あのスーツの連中」
焔は、N-P-K(窒素・リン酸・カリ)のバランスを考えた追肥の手を止めた。
「スーツ、ですか?」
「ああ。『グレイ・デベロップメント』とか言ったかな。この農園一帯を買い上げて、タワーマンションにするんだと」
宮田は、忌々しそうに土を払う。「再開発」という名の地上げだ。この一帯は、第1章の火災現場を含む、例の「再開発予定地区」のど真ん中だった。
「俺は立ち退かんぞ。じいさんの代から借りてる土地だ」
「……無理はしないでください。火の元には十分注意を」
職業柄、ついそんな言葉が出る。
宮田は「縁起でもない」と笑ったが、その目は笑っていなかった。
焔は自分の区画に戻ると、緊張をほぐすように土を触った。
(再開発……火災……)
嫌なパズルが組み上がりそうになる。
彼はポケットから、あの異様なツタの破片を取り出した。陽の光に透かしても、その葉脈は不自然なほど整然としている。
(こんなものが、自然に生えるか?)
彼は自分のトマトの葉を一枚、そっとちぎった。固定種の「ポンデローザ」。柔らかく、生命力に満ちた緑。
指先でこすると、青々しい夏の匂いが弾ける。
さっきのツタは、無臭だった。
焔は無意識に鼻をすすり、二つの葉を比べた。
片や、命の匂いがする緑。
片や、命の匂いがしない、燃えない緑。




