東京だと
終演後。
「どうだった?」
平野は楓にたずねた。
「凄く良かった・・・」
楓は小さい声で答える。
「想像の百倍凄かった」
「それは良かった。無理に誘ったかなって心配してたんだ」
平野は安心したように答えた。
「でも先に地球バージョンを観た方が良かったかもしれないけど」
そうだった。
同じ演目だけれど、あと二パターンあるのだった。
「観たんですか?地球バージョン」
楓は尋ねる。
「地球バージョンだけ。宇宙バージョンは今日初めての観たよ」
平野が答える。
「もう一つの海中バージョンは今年中には観たいと思ってる。
夏に里帰りした時にでも観に行こうと思ってるんだ」
おお。流石だ。
「でも、実家が田舎だからな。
観に行くとしたら地球に着いてから東京に一泊しないと」
平野は難しい顔して言った。
「松居さんみたいに東京だと実家にいる間いつでも行けるんだろうけどね」
平野は楓の方を見て苦笑いしながら言った。
そうだった。
私はいつでも行けるのだ。
羨ましいと言われるくらいに。
今の日本は北海道から沖縄まで三十分で着く。
政府の地域格差をなくす制作の為に交通費と配送費は補助金を出しているのだ。
特に交通費は文化的補助金と言って、展覧会やライブのチケットがあれば、その前後の日付の飛行機や新幹線の交通費は割引される。
その他にもテーマパークや水族館なども適用される。
何処に住んでいても日帰りが出来る時代なのだ。
それでイベントはどうしても東京に集中する。
展覧会も芝居もミュージカルも。
それでも地方の人たちは東京まで遠征する。
北海道から沖縄まで。
飛行機や新幹線も今では一晩中動いている。
コンサート終わりに、北海道や沖縄に帰れる時代なのだ。
宇宙基地の自分の部屋に戻った楓は配られたパンフレットを眺めていた。
宇宙でしか観られない無重力ミュージカル。
きっと観たい人はたくさんいるのだろう。
楓は会社のお金で宇宙基地まで来た。
宇宙基地から月を往復するのは日帰りで充分だ。
交通費もそんなにかからない。
日本円で片道千円くらいだ。
自分はきっと、今日いい経験が出来たのだろう。
少し高い興奮気味のまま、楓はベッドに入る。
次の日。
「おはよう、松居さん」
滝沢が楓を見つけて声をかけてきた。
「おはようございます」
「どうだった?ミュージカル」
「凄く良かったです!」
楓は正直に答えた。
「きっと貴重な経験なんですよね」
昨日から考えていた事を話した。
滝沢は宇宙基地にも長年住んでいるらしい。
色々と出掛けてはいるらしいが、月くらいだろう。
しかも北原の話では、地球には全く帰ってはいないらしい。
それ以上の事情は分からないが、もしかしたらストーカー被害なのかもね、と言っていた。
ストーカー被害者ならば宇宙基地にいる方が安全だろう。
ここにいると分かってても来られないだろう。
何となく楓もそうじゃないかと思っていた。
滝沢は家族の話は一切しない。
周りが家族の話をしているときも。
そしてもっと上の方の人間、部長や課長が家族の話をしている時に、滝沢が来ると話を止めてしまう。
おそらく、上の人間は滝沢の事情を知っていて気を使っているのだろう。




