月の観光地
「松居さ〜ん」
声がして振り返るとそこには北原がいた。
「今の彼、技術部の新人さんでしょ?仲いいの?」
「いや・・・仲がいいというか・・同期なだけです」
「同期?いいじゃないの~」
北原はニヤニヤしながら行ってしまう。
そして日曜日。
楓は数ヶ月ぶりに月に来ていた。
前回は、宇宙基地に行くための経由地で特に観光もしなかった。
「何か買いたい物とかないの?」
平野は楓に尋ねる。
「いえ、特に・・・」
買い物もそんなにしない。
ほとんどネット通販サイトで用が足りる。
無重力ミュージカルの開演時間まではまだ二時間ほどある。
人見知りな楓には平野といるのも実は苦痛だ。
「じゃあさ、博物館に行かない?」
「博物館?」
「そう。月の開拓の博物館。なんでも、宇宙基地の住人なら無料で入れるらしいよ」
無料か。なんて素敵な言葉でしょう。
月の開拓博物館は、思ったよりもこじんまりした建物だった。
空港のすぐ隣にあり、見物客は少なかった。
楓達が入口付近を見ている時には、他に中年男性がひとりいるだけだった。
写真撮影も自由らしく、高そうなカメラで撮影しまくっていた。
道順に従って見学コースを歩いていく。
アポロの月面着陸から始まって、これまでの月に着陸したそれぞれの写真や資料。
アポロが持ち帰ったという月の石。
二千四十年代から始まった、各国の月面開発の記録。
開拓に使われ小型重機の数々。
工事現場の見学ツアーも数回行われていたらしい。
月で行われたイベントの数々。
このあと行く無重力劇場の建設のデジタル図面もあった。
意外と楽しかった。
思えば楓は博物館など学校の授業でしか行ったことがなかった。
その頃には国立博物館だけでなく、都内の大中小様々な博物館や科学館、美術館に行く授業があった。
しかし、楓はその半分くらいにしか参加していない。
そういう日はズル休みをしてきた。
全く興味がなかったし、参加した物も特に面白いと思えなかった。
東京から出る授業は一切参加しなかったので、特に視野が狭い。
面白い、楽しいと思えたのは国立漫画美術館と国際アニメ博物館、日本ゲーム科学館の三つだけだった。
つまり、自分が興味のある事だけ。
今回月の博物館が面白いと思えたのはきっと宇宙に住む事になって、月や宇宙に多少興味が出来たからだろう。
もしかしたらあの頃にもっと色々な事に興味を持てていたらそういった授業が楽しかったのかもしれない。
その後、二人は近くのカフェに入った。
それぞれサンドイッチ、ミートソーススパゲッティを頼んで待っていると、顔見知りに会う。
「あら、松居さん」
それは滝沢だった。
小さい女の子を連れている。
「こんにちは」
楓は縮こまって挨拶をした。
「こんにちは!」
平野は正反対に元気に挨拶をする。
「もしかしてデート?」
「違います!」
楓はうんざりして答える。
もう・・・面倒くさいなぁ〜
「滝沢さん、この子は?」
平野は隣のテーブルに座った滝沢に奥せず尋ねる。
流石だ・・・。
「あ、この子が日奈ちゃんよ」
「えっ?あのカフェの?」
「こんにちは・・・」
日奈は小さい声でモジモジしながら挨拶をした。
「あ、地球のアメリカンコーヒーと月と星のパフェを一つずつお願います」
滝沢は月には珍しいロボットではないウェイトレスに注文する。
注文が終わると再び二人の方に向き直った。
「日奈ちゃんとは顔見知りなの。
こうしてよくお出かけしてるのよ。高橋さんは日曜も休めないからね」
「そうなんですね。それでわざわざ月まで。今日はどちらに?」
平野がたずねた。
「無重力の
アスレチックに行くの」
滝沢ではなく日奈が答えた。
無重力アスレチックとは、軽めの無重力空間に地球上と同じようなアスレチックがある施設だ。
無重力だから体力や筋力、運動センスがなくてもこなせる。
三コースありそれぞれアスレチックの設備ではなく、無重力の強弱でコースが分かれている。
一番無重力が強いのは初級者コースで、幼児でも挑戦できる。
「ああ。僕、先月行きましたよ。
上級者コース、途中棄権でしたけど」
「あら。上級者コースを途中まででも行けたんなら凄いじゃないの。
運動神経いいのね」
滝沢が笑顔で言った。
「はい!もっと体を鍛えて来月にでもまた上級者コースに挑戦します!」
平野が屈託なく答えた。
「あのね、この間は月のプラネタリウムでお星さま観たの。
その時にここのパフェ食べて美味しかったの」
日奈が二人に向かって話しだした。
「その前は浮かんで歌って踊るのを観たの」
「オズの魔法使いを観たのよね」
「ああ、子ども向けのミュージカルですね」
平野が答える。
「どうしても月での催し物は土日に集中しちゃってるからね。
私が一緒に行ってるの」
滝沢が答える。
月でのイベントは人が集まりにくい。
もともと月や宇宙基地に小さい子どもが少なく、小学校、中学校はあるが高校は通信制高校しかない。
なので高校にあがる頃には、両親と離れて地球の全寮制高校に入学する生徒がほとんどだった。
そして、宇宙基地や月にある企業はそのほとんどがカレンダー通りの休みである。
意外と月にも観光業は少なく土日でないと人が集まらない。
その上、ミュージカルや芝居は日本語での物が少ない。
今は翻訳機がかなり優秀で、各自翻訳機やスマホアプリに接続したイヤホンを通して芝居などを観る事は出来る。
しかし、ミュージカルなどは歌の部分は翻訳機を通してしまうと上手く聞くことが出来ない。
字幕でみる事が出来るスマートグラスもあるが、目で見る舞台と字幕を上手く合わせて観る技術が必要なので、まだまだ値段が高い。
昔と違って今の日本はかなり英語教育に力を入れていて、ほとんどの日本人が日常会話くらいは出来る。
しかし、それでも苦手な人は苦手だ。
映画なんかも気を張って観たくないという人も多いので、字幕も吹き替えも今だに現役だ。
楓も字幕や吹き替えなしだとリラックスして鑑賞出来ない。
というか英語の成績は良くなかったので、字幕や吹き替えなしでは映画やドラマを観られない。
「オズの魔法使いのミュージカルは日本語だったんですよね?」
平野がたずねた。
「よく知ってるわね。日本の劇団がやったのよ」
「ああ!確か地上版と無重力版の演目があるっていう・・・」
「そうそう!その劇団!私は宇宙に来る前の若い頃に地上で観たんだけれど、無重力も良かったわ」
「両方観たんですね」
平野は言った。
二人ともお芝居やミュージカルが好きらしく、話が会うようだ。
「松居さんはお芝居とかミュージカルは好きなの?」
滝沢は楓に話を振ってきた。
「確かずっと東京にいたんだよね?
そしたら展覧会とかライブとか・・・イベントがいっぱいあったでしょ?」
「いえ、今日が初めてです」
「あら、そうなのね?でも学校の授業で観たでしょ?」
そういえば・・・
楓は東京都外の課外授業は全て欠席していたが、都内のものはそういう訳ではなかったはずだ。
全部出席した訳ではなかったが、半分は参加したはずだった。
歌舞伎にミュージカル、オペラにバレエなど。
恐らくあまり興味がなかったから記憶にも残っていないのだろう。
「まぁ、小学生じゃ興味持てない子もいるよね。私も興味でたのなんて成人してからだもの」
滝沢はそう言う。
そう言えば、小学校での課外授業のミュージカル鑑賞。
確か、ロングランになっていると話題の作品だった。
上演が終わった時に隣の席の子が、めちゃくちゃ感動していた。
ものすごく興奮していてハマったと言っていた。
その子は地方から寮に入って東京の小学校に来ていた。
休みの度に都内の博物館や美術館に寮の人間と行き、二年ごとに地方の学校に行っていた。
昔と違い今は、政府が地方と都市部の格差をなくす為に交通費や配送費に補助金を出している。
また小学校、中学校の間は二年区切りで都市部や地方など、日本各地の学校に行く事が出来る。
楓はずっと東京の公立校に行ったが、二年ごとに北海道や沖縄、離島などの寮に住み込んで通う生徒も多い。
また地方の生徒が、都市部の学校に通って色々な文化施設を体験する事もある。
楓は文化施設も地方の自然もあまり経験せずに過ごしてきた。
そしてはるばる宇宙に来てから体験している。
「宇宙で働いてて何が一番嫌かって、イベントに参加出来ない事なのよね。
流石に地球に帰るまでの交通費は高すぎるし。
だからなるべく宇宙基地や月でのイベントには参加したいなって思ってるの」
そう言えばお婆ちゃんが言ってたな、と楓は思った。
祖母の若い頃からイベントのほとんどが都市部に集中していて、当時地方に住んでいた祖母はそのほとんどをオンラインで鑑賞していたという。
そしてそれは今でも同じ現状だった。
変わった事は、交通が良くなり日本全国から東京に日帰りが出来るようになった事だ。
飛行機や新幹線もどんどんスピードや安全性が上がっていき、今では北海道から沖縄まで飛行機で三十分で着く。
政府が地域格差をなくす為に補助金を出して、交通費が格段に安くなったので、週末になると地方から人どっと押し寄せた。
その為、飛行機や新幹線は深夜の便を増設した。
東京での展覧会やライブなども地方から人が押し寄せるので、関東住みの人々がチケットを取れなくなっていた。
そして、関東民が地方に参加するようになっていた。
結果、現在の日本では都市部や地方の人間が個々で行ったり来たりして活性化している。
しかしそれでも楓のように産まれた都市から出た事がない人間もいれば、地方にも都市部に子どもに足を踏み入れさせないという方針の親もいる。
自分自身や親の方針で行き来しない国民。
自由に行き来して楽しむ国民。
そんな国民から離れて行き来が出来ない不自由を味わっているのが、宇宙基地や月で働く国民なのだ。
滅多に来ない月でのイベントに通う宇宙基地の住人。
宇宙基地ではイベントはほとんど来ない。
滝沢のような外交的な人間には物足りないのだろう。
「じゃあそろそろ時間なので。僕たちはこれで」
平野が滝沢たちに会釈をして立ち上がった。
楓も慌てて滝沢に会釈をして立ち上がり、伝票を手に取った。
「この間ご馳走になったから今日は私が」
「えー。別に気にしなくていいのに」
気にしなくていいと言われても、気にはなる。
「今日のチケットのお礼も兼ねて」
楓はそう言うと滝沢に軽く会釈をしてレジに向かってさっさと歩きだした。
開演前。
徐々に席が埋まっていくのを端の方の席からぼんやり眺めながら楓は考えていた。
自分は東京生まれ東京育ちだ。
高校生の頃、北海道の田舎から寮に入って通っていた同級生に言われた事がある。
羨ましい、と。
東京生まれ東京育ちなのが。
交通費をかけずにディズニーランドや展覧会に行ける事が。
近所の人間が窓から覗いてこない事が。
自分の習い事、ピアノやバレエにそんなの無駄だ、必要ないと言ってくる人がいない事が。
こうして東京の寮に入る事も色々と言われたそうだ。
身内でもない近所の人が面と向かって自分は東京に行かせるのは反対だ、と親に言ってきたと。
地元に残らせて子どもを産ませろ。
あんた達が孤独死しないように面倒を見させないとならない。
地元に働く人がいなくなると店がたくさん潰れる。
それでも、田舎の事は気にしないで行ってきなさいと母親が言ってくれたそうだ。
その子は小さい時から母親がくるくる動くのを見てきたそうだ。
法事の席で、座って動かない親戚たちの中でひとりお坊さんにお酌をしている姿。
一人娘の自分に会うたびに、お父さんをお願いねと言ってくる父の兄弟。
でも今頃、近所の人に色々と文句を言われてるだろう母親の事をすごく心配していた。
ノイローゼになっていないだろうか。
働き過ぎてつかれていないだろうか。
そんなある日。
その子のお父さんが入院した。
特に心配な状況ではなく、そもそも数年前から手術の予定があったらしい。
手術も含めて一週間で退院できるとの事だった。
その子の母親は、お父さんはたいした事がないから帰らなくてもいいと連絡をよこしたらしい。
しかし。
その子に父親の兄弟から電話や葉書が送られてきた。




