↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
191/345

夜が来る3

 リビングダイニングに戻った僕とタリィの報告を聞いて、ヴァンとウィッチは呆然としているようだ。いや、というより僕の報告だ。タリィは、戻ってきてからソファーに座り、黙って頭を抱えている。これまでの傲岸な態度は欠片もない。


「トイレに行く、といって向こうに行くのは全員が見ている」


 気を取り直したように、ヴァンが口を開く。


「その後、必ずこの場所には誰かがいた。二人が見に行った時も俺とウィッチが残っていた。外への出入り口はここだけ。ということは、エーカーがこの寮から外に出たとは考えられない。トイレじゃあなくて、自分の部屋に戻って寝ているということは考えられないか? あるいは、酔って別の部屋に入ってそのまま寝ているとか」


「一応、その後、ここに戻るまでに全部の部屋を確かめたんです。どこにもエーカーさんの姿はありませんでした」


「荷物は?」


 続いてウィッチが言う。が、とっさに意味が分からない。


「え?」


「エーカーの荷物。もしあたしたちには分からない不思議な方法を使ってエーカーが外に出たとして、夜のこの山を荷物なしで過ごすことは不可能でしょ。もしもエーカーが自分の意志で寮を出たなら、荷物がないはず。もし荷物がそのままなら――」


 そこで、ウィッチは口をつぐむ。その先は言わなくても分かる。誰かに、消されたということだ。


 エーカーという男と、死とはかなり距離があるような印象がある。殺しても死なないような男、という感じだ。そのエーカーが死んだ。ショックとは別の、何かざわざわとする違和感で座りが悪い。それは僕以外もそうらしく、周囲の空気が奇妙にざわめているように感じる。


「落ち着け」


 だがそこでヴァンが割って入ってくる。


「あれだ、まだ見てないとこがあるんじゃないか?」


「え?」


「地下だよ。地下のアトリエ」


「あっ!」


 うっかりしていた。そうだ。ここからトイレへ向かう道は、地下への階段が途中にある。地下に降りていてアトリエで倒れているということもありうる。


「今すぐ地下を探しに――」


 慌てて立ち上がる僕に、


「待て」


 ゆっくりと顔を起こしたタリィが言う。


「タリィ……」


 その憔悴した顔にショックを受けたらしく、ウィッチが呻き声のようにして名前を呼ぶ。

 ショックを受けるのも分かる。あのタリィがこんな顔をするなんて、想像もしていなかった。


 数分しか経っていないのに目の下には薄く隈ができ、瞳もどんよりと曇っている。眉間にはひびのように皺が深く刻み込まれ、苦痛に耐えているかのように頬が時折痙攣している。


「地下を探しに行くなら、全員で行こう」


「おい、何を言っているんだ。そうしたらこのダイニングリビングが空く。もしもまだ寮のどこかにいたらその隙に外に出られるぞ」


 ヴァンが反論するが、


「少なくとも、地下以外にはいない。それは、さっきの時間で隅々まで俺とココアが確認した。そうだな?」


 同意を求められるので、頷くしかない。実際、トイレでエーカーの不在を確認した後、他の部屋を調べるタリィは鬼気迫っていた。僕も一緒に必死で調べた。ヴァンに気を付けろ、と言われていながら消えてしまったのだから、責任を感じていたのもある。

 ともかく、どこにもエーカーはいなかったと断言できる。


「それに、もう」


 タリィの目は血走りつつある。


「俺は、誰も信用できなくなりつつある。全員だ。全員、固まるしかない」


 タリィ以外は、全員顔を見合わせる。そして、しばらくして、おずおずとウィッチが声をかける。


「ひょっとして、それって、さっき言ってた事件の大体が分かっているって話と、関係あるの?」


「……地下のアトリエを確認する。それから、話す」


 そう言って立ち上がるタリィ。僕たちは着いて行くしかない。ヴァンはとうとうウィッチの肩を借りている。先頭にタリィ、その次にウィッチと、その肩を借りているヴァン、そして最後に僕という順番で廊下を歩く。


「エーカーが消えるとは、な」


 ヴァンの呟きが聞こえる。僕を責めているようにも聞こえるから耳が痛い。


「僕も、ヴァンさんの言いたいことは分かります」


 だが、同感の部分もあるので、僕は言う。


「あの人は、こういうわけの分からない事件からは、一番距離があるように見えた。一番、芸術家っぽくないというか」


「芸術家、ね」


 さっきまでの動揺とはあからさまにギャップのある、落ち着いた声。だから一瞬、それがウィッチの発言だとは気付かなかったくらいだ。


「芸術に憧れ、芸術家に憧れているような奴は、芸術家じゃあない。それをするべきだと思うから、それを描くべきだと、創るべきだと、彫るべきだと、そう思えて仕方がないからそれをするのが芸術家。これは、タリィの持論なんだけどね。あたしも同感よ」


 自分の名が出たというのに、タリィはまるで反応せず前だけを向いて歩き続けている。聞こえていないはずはないのだが、反応する余裕がないのか、それともそもそも耳に入っていないのか。


「そういう、欲求って言えばいいの? 初期衝動みたいなものと、一番遠いのは何だとおもう?」


 僕への問いかけだろう。


「え、何ですか? 衝動の反対だから、計算とか?」


「憧れよ。だから、あたしは芸術家じゃあない」


 自嘲によるものか、少し笑みを含んでウィッチは言うが、実際の表情は後ろの僕からは伺えない。


「逆にエーカーなんかはあれで、在り方としては芸術家に一番近いのかもしれないわ。タリィよりも、よほど」


「……その、クロイツさんは、どうです?」


 ウィッチのの芸術観と同窓生評に、状況にも関わらず思わず引き込まれてしまって、いつものインタビューの癖でついつい掘り下げてしまう。


「クロイツ? 彼は……仕事ね。絵を描く仕事をしているだけ。美しいものへの憧れなんて欠片もない。だけど、そうやって割り切って絵を描き続けているからこそ、あたしよりは芸術家に近いんだと思う。彼は自分が芸術家だとは思っていないし、自分のやっていることは芸術活動ではなく業務だと思っている」


「それでも、ウィッチさんよりも芸術家に近いんですか?」


 僕には、よく分からない。だが、一体どうしたことだろう。先頭のタリィも、ウィッチのすぐ横で肩を借りているヴァンも、まるで会話に参加してこない。


「芸術家になろう、芸術をしようと思ってる奴よりは、よっぽどね。そんな風にしている奴が一番芸術からは遠い。それに気付いた時には、あたしはもう手遅れだった。抜け出せない沼にはまったようになっている」


 声が、ふと沈む。何か、僕では想像もできないような深い疲労や絶望が伝わってきて――

 だが、階段まで辿り着いたことで幸いにも会話は終わる。


 既に夜を迎えていることもあって、地下への階段は暗い。

 先頭のタリィが炎の魔術によって足元を照らしながら階段を下りていく。魔術についても万能というのは嘘ではないらしい。やがて、ドアにたどり着くと躊躇うことなくタリィはそのドアを開ける。


 中は完全な闇。タリィは苛立たし気に炎を大きくする。炎をずっと維持していることもそうだし、この精神状態でここまで正確に炎を操っていることもそうだが、タリィは間違いなく魔術師としても一流以上だ。


 炎で照らされた部屋の中を歩き進むタリィの前に、突如としてクロイツの死体が出現して後ろから覗き見ていた僕はぞっとするが、よく見ればそれは壁に立てかけられた例の絵だ。

 それにしても、見ればみるほどよくできている。絵の背景とクロイツの服が黒なのも手伝って、暗闇にあると絵と現実の境目が分からなくなる。そして、どこまでも写実的な倒れたクロイツの姿。

 だが同時に、タリィが大した絵ではないと評したことも納得できる。これは、それだけの絵だ。技術はそれなりだし、力も注がれているが、それだけの絵。クロイツの死体を本物そっくりに描く。ただ、そのことだけを目的に描かれている。だから心を打つこともない。芸術に疎い僕でも、何となくそれが分かる。


 タリィはランプに火を灯して回る。部屋が明るくなり、古いキャンバスが持ち去られたこのアトリエには誰もいないことがよく分かる。

 だがそれでも薄暗い。例の絵のこともあり、部屋の隅の暗がりに何か恐ろしいものが潜んでいるような恐怖で何となく僕は足を踏み入れられない。


「まだ明かりが足りないな」


 後ろからヴァンがそう言った途端、部屋の片隅がぱっと明るくなる。だが。


「……ん?」


 すぐにその明かりが消える。ヴァンが首を傾げる。


 見れば、ヴァンの視線の先にあったのはあの一見装飾品にしか見えなかったランプだ。そのランプにヴァンが明かりをつけたが、どうもうまくいかなかったようだ。


「……芯がおかしくなっているらしい。これは……いや、いい。重要なのは、この部屋にはエーカーがいないということだ」


 ランプを至近距離で見つめた後そう言いながら、タリィは何か思いついたようにウィッチを手招きする。

 怪訝な顔をしたウィッチはヴァンを壁に寄りかからせてから近づくと、何かタリィに囁かれる。すると、ウィッチは表情はそのままにそのランプに近寄り、何やら弄り回している。


「……うーん、タリィ、どうもこれは直らないっぽいわね」


「それは、分かっている、分かっているんだ」


「あれ、これ――?」


 目を見開き、何かを言いたそうなウィッチに、


「どうだ?」


「そうね……間違いないと思う」


「やっぱり、そうか」


 タリィは荒い呼吸を落ち着けながら言う。


 二人の会話の意味が分からず、僕は助けを求めるようにヴァンを見るが、ヴァンも困惑した表情をしている。どうやら、二人のやり取りの意味が分からないらしい。


「……戻ろう。全員で、戻るんだ。俺の考えを、話す」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。