夜が来る2
あまりにも理不尽なことの連続に、僕は混乱したまま夜を迎えることになった。
ほかの面々もまた同様らしく、全員が困惑した顔を隠さないまま、リビングダイニングに集まっている。言葉は少ない。
唯一、平然としているのはタリィだけか。ヴァンも混乱はしていないが、明らかに調子の悪い顔をしているから平然としているとは言い難い。
「どこにいったんですかね、塔。絵にもないし」
僕の言葉に誰からも返事はない。
全員で確認したが、壁の絵には相変わらずに塔は存在しない。絵から消えたままだ。絵からも消え、現実からも消えた。あの塔は一体、どこに行ったのだろうか。
「何の痕跡もなかったな、地面に。魔術で荒らされているから、当然と言えば当然か。足跡なり何なりあるかと思って期待してたんだけどなあ」
ヴァンが言うが、ぬけぬけとよくもそんなことが言えると僕は感心する。あの目印のことは僕以外には誰にも話す気はないらしい。エーカーに気を付けろ、と言っていたし、彼に聞かせてはいけないということかもしれない。
そのヴァンの発言にも、反応する人間はいない。
沈黙が広がると、家具がほとんどなく、がらんとしたこの寮が余計にだだっ広く感じる。僕たち以外に誰も存在していない絵画、その中で彷徨っているような感覚。
最初にこの寮に来た時には、狭い寮だとすら思っていたのに。ここまで印象が変わるものだろうか。まるで別物だ。
沈黙の中、男性陣が拾い集めてきた小枝と、古いキャンバスが暖炉の中でぱちぱちと爆ぜる。暖炉があっても夜は冷える。途中で火が消えたことも考えて、僕とウィッチは部屋から持ってきた毛布に包まっている。
「……ああ、エーカーはまたトイレか」
機械的に酒を口に運んでいたタリィが、ふと目を上げる。そのことにたった今、気づいたようだ。
そう、確かにエーカーはいない。トイレに行ったきりだ。気を付けるようにヴァンに言われたが、さすがにトイレに付いて行くのは怪しすぎるので遠慮した。
「珍しいわね、あいつ、酒飲んでも全然トイレいかなかったじゃない」
「そうだな。逆に、ヴァンはさっきから酒も飲んでいないのにトイレに行きすぎだ」
ようやく舌が回り始めたのか、からかう口調のタリィに、
「気分が悪いんだから仕方ないだろう」
酒ではなく水を飲みつつヴァンはむすっと答える。とはいえ、彼の顔色は今までに比べればようやく少しだけよくなってきている、気がする。調子は悪そうだが。
タリィの言うように、さっきからヴァンはトイレに何度も行っている。本人いわく、「さっきまでトイレに行く気力すらなかったから回復した証拠」だそうだ。
それは喜ばしいことかもしれないが、しかし。
「トイレに行く都度、エーカーさんに肩借りるのやめましょうよ。何度も付き添いでトイレ行かされて、エーカーさん可哀想でしたよ」
僕が言うと、ヴァンはさすがにばつの悪そうな顔をする。
「いやあ、でも一番体格いいしさ。やっぱりまだ一人でトイレに行って戻って来るって不安なんだよ」
「案外、それでトイレに行きたいのが感染ったんじゃあないか、エーカーの奴」
別にごみも付いていないというのに真っ赤なコートを叩きながら、口を曲げて面白がるタリィに対して、
「……それにしても、遅いわね、今回のトイレ」
沈んだ口調のウィッチが不安がる。
どうも、あのクロイツの死体の絵を見てから、彼女は精神的に不安定なようだ。いや、それを言ったらそれ以前から彫刻を破壊したりと妙な行動が増えていたが。
「ひょっとして、悪酔いして倒れているとか、ないわよね」
「学生の時から、あいつの才能は酒を飲めることだけだぞ。あとは何の才能もない。そんなあいつがこれしきで気分が悪くなるか?」
気楽な様子のタリィは首を捻るが、僕もだんだんと不安になってくる。
「状況が状況ですから、精神状態が悪くてそれが影響するってこともあるんじゃないですか?」
というより、この状況で酒を飲んでいるのはタリィとエーカーだけだ。この状況下で酒を飲めるだけでこの二人は異常だと思う。
僕とウィッチ、そして当然ながらヴァンは水だ。
「あいつがそんなタマか?」
と言いながらも、だんだんタリィの顔も自信がなさげになっていく。まさか、ひょっとして。そんな疑念が顔にありありとよぎっている。
「まあ、ちょっと見てくるか」
「一人で行動しない方がいい」
半死人のような態度ながらも、ヴァンがまともなアドバイスをする。
「ココアを連れていけ」
前言撤回。
「ど、どうして僕なんですか?」
何があるか分からないのに。恐ろしい。
「何が起こるか分からないから、二対二になった方がいいだろう。一人だけこの部屋に残すのもあれだし、全員でトイレを確認に行くっていうのも間抜けだ。タリィは一応、魔術が色々と使えるんだろう? それで、俺も魔術については一応天才と呼ばれていた男だ。だから、タリィが行くなら俺はここで待ち構えておく」
自分が動かない理由を理論武装していくヴァンに呆れる。むかつくことになかなか筋が通っている。
「で、でも、どうして僕なんです? ウィッチさんでも――」
「はっきり言うと、お前とタリィが共犯ってセンが一番考えにくいからだ」
「え」
空気が、ぴしりと凍る。
タリィには変化がないが、ウィッチが体をこわ張らせるのが見て取れる。
「こんなことを言いたくはないが、ウィッチとタリィだけを行かせたら、この二人が共犯だった場合、何でもできるだろう?」
「言うじゃあないか、ヴァン。そんなざまでも、元名探偵ってわけだ。だが、自分も疑われる立場だということを、忘れるなよ」
「分かっているよ。だから、ウィッチと二人で残るんだ。ウィッチと俺が前々から知り合いで共犯だとは、お前も思わないだろう? なにせ、俺をここに呼び込んだのはお前だ。お前の一存なんだ。俺と共犯になり得るのは、お前だけだよ、タリィ」
空気が張りつめる。タリィとヴァンは今や隠す素振りもなく睨み合っている。
さっきまでのがらんどうのような周囲の空気感は一変している。息苦しい。
「……残していったウィッチを、お前がどうにかする可能性もある。なにせ、魔術の天才なんだろう?」
「それを言うならお前がココアを殺す可能性だってある。お互い様だ」
えっ!?
「分からないな、ヴァン。お前、俺たちの中に犯人がいると思っているのか、思っていないのか、どっちだ?」
「お前はどっちなんだ、タリィ」
「……はっきり言ってやる。俺には、もう、事件のところは掴めている。だが――」
衝撃発言に僕とウィッチが息を呑むが、それを気にすることもなくタリィは続ける。
「お前のことだけは分からない、ヴァン。お前は一体、何を考えている?」
睨み合い。
「特に何も。俺はただ、明日になったら下山して、さっさと安全な隠居生活に戻りたいだけだ」
さらに張り詰める空気。息苦しいほど。そのまま緊張感がどんどんと高まり――
そこで突然、ヴァンは笑いだす。空気が一瞬で緩み、僕は混乱する。
「はっはっは、いや、悪い。ちょっと、言い過ぎたな。あれだ、気にしないでくれ。はっきり言って、お前とココアを組ませるのは念のため、だ。俺は正直、この事件、どうやったかは分からないが誰かが人為的に引き起こしたとしたら――」
ぐるりと首を回して、
「複数犯だとは思っていない。だから、共犯どうのこうのは、あくまで念には念を入れて、だ」
共犯が、ありえない?
「どうしてです?」
正直なところ、僕はウィッチ、エーカー、タリィ、そしてクロイツ全員が共犯だということも考えていた。全員が組んで、僕とヴァンを驚かそうとしているのだと。芸術家たちの悪ふざけというセンを少し考えていたのだ。それが一番平和なので、願望でもあった。
「この事件があまりにもわけが分からないからだ、ココア。まあ、何かしらの隠された利益が存在する可能性もある、が。ずっと、気分が悪いなりに考えていたんだが、どうもこの事件――事件なんだとしたら、だが、今のところ、ちゃんとした動機を想定しにくい。絵から塔を出したり消したりして、誰が一体得をする?」
その考え方はあまりにも狭い気がする。なにせ、相手は芸術家なのだ。
僕が納得していないのを顔から読み取ったのか、
「芸術家だから、こんなとんでもないことをただただ純粋にしたい、とか、俺たちに見せたい、という動機があるかも。そう思ってるのか? ないとは言わない。が、今の俺たちの状況を見てみろ、どうなってる?」
「え?」
どうって、山中に閉じ込められている。
「監禁だ。これは、れっきとした犯罪だろ? 別に、罪を犯してでも、貴族を監禁してでも面白いことがしたい、と思う芸術家がいたっていいとは思う。思うが、ある寮のある代の出身者が全員そんな奴で、全員で組んでるってのはちょっと不自然な気がするんだよ。むしろ、これが人為的に引き起こされたものだとしたら、かなり個人的な妄執みたいなのが関わってると考えた方がしっくりいく。要するにな、やばい奴が一人いるって方が納得できるだろってことだ」
「そりゃあそうね。芸術家が全員、常識がなくて芸術のためなら罪に問われてこれからの人生が終わちゃってもいいと考えている連中だと思ってるなら、それは大間違いよ、ココア。あたしなんてかなり常識人だし」
「常識人が自分の彫刻粉々に壊すかよ」
タリィがウィッチに小声で突っ込んでから、
「まあ、一応納得はできる話だな。じゃあ、結局のところ、俺は念のためにココアを連れて行けばいい、それだけの話か」
「そうだ。けど、戻ってきたら分かっているよな?」
「何?」
「話してもらうぞ。自分で言ったんだからな。この事件の大体のところは掴んでいるって」
笑みを消して真剣な顔で言うヴァンに対して、タリィは舌打ちして立ち上がる。
「余計なことを言ったか……ココア、行くぞ」
「あっ、はい」
立ち上がり、タリィについていく。でも、殺されないだろうな? ヴァンとタリィのやり取りで恐怖を煽られ、何となく不安になって振り返る。青白い顔をしたヴァンは少し笑みを浮かべながらウィッチと何かを語り合っている。いい気なものだ。
タリィは赤いコートを翻し、早足で廊下の突き当りまで歩く。地下への階段のある場所だ。そこを曲がり、更に次の突き当りまで進んでいく。
「芸術家は変り者が多いと思うか、ココア?」
歩きながら、そんなことを突如としてタリィが問いかけてくる。
「え、いや、そんな」
誤魔化そうと思うが、そもそもさっきのやりとりで何となく僕がそう思っていることがばれてしまった気がする。
「芸術家なんてやっているやつは、ただ、人より正しいことがしたいんだ」
「……正しいこと、ですか?」
正しいこと。タリィの振る舞いを見ていると、とてもそうとは思えない。
「自分が正しいと思うことをな。誰だってそうだろ? 芸術家は、それが人より強い。正義感が強いんだよ。自分が正しいと思うことをしたい。正しいことというのは、美しいことだ。常識外れの変人のように見えるのは、ただただ正義感が強すぎるんだ。自分でもコントロールできないくらいに」
正しいことは、美しいこと。よく、タリィの言っていることは分からない。
「正しいこと、美しいこと、心地よいこと、快感を生ずること、言い方は何でもいい。とにかく、どんな人間でも持っている、それをしたいという欲求が、人より強い。それだけだ……だからウィッチは、芸術家じゃあない、本当はな」
そう言えば、前もそんなことを言っていた。
そこで、トイレのある突き当りに辿り着いたので会話が打ち切りになる。
タリィはにあるトイレのドアを遠慮も何もなくかなりの力でノックをすると、
「おい、エーカー」
沈黙。
再びノック。タリィが今度はもう少し大声で、
「エーカー、寝てるのか?」
返事はない。
振り返ってきたタリィと僕は顔を見合わせる。嫌な予感だけが膨らむ。
「エーカー、開けるぞ」
宣言してから、タリィはドアを軽く引く。動く。鍵がかかっていない。一瞬の躊躇の後、ドアは開け放たれる。
「――エーカー……」
そこには、誰もいない。タリィの顔からは血の気が引き、青ざめている。これまでに、決して見せなかったショック。それを露わにして、タリィはよろめいて二、三歩下がる。
「……どうなっている、こんな。まさか」
声が震えている。これまでからは考えられないくらいに動揺した様子のタリィは、そのままよろよろとトイレから離れる。困惑、動揺。それを目にしたこちらが逆に冷静になるくらいに、タリィはそれに溢れている。隠そうともしていない。演技とは思えない。




