夜が来る1
「……これから、一晩全員で過ごさなければいけないというのに、ここで互いに疑心暗鬼になってしまったわけだ」
少しの間続いた沈黙を終わらせたタリィの言葉に、僕は耳が痛くなる。おそらく、本当はここまでタリィは言うつもりはなかったのだ。僕が無理矢理引き出してしまった形だ。
「ココア、そう気に病むな。ウィッチもエーカーも、内心思っていたことだ。実際にタリィがはっきりと言葉に出しただけだって。いずれこうなった」
ヴァンが慰めてくるので、
「ヴァンさん……」
やっぱり名探偵なんだ、と感動しかけたところで、
「というか、お前以外全員気づいていたよ。実際、お前ちょっと鈍いな。記者をやっていて大丈夫なのか? 名探偵に憧れるのもいいけど、もっと周囲を見ないとさ」
二日酔いでほとんど何の役にも立っていない奴に一体どうしてここまで言われなければいけないんだろうか? しかも、悪意ではなく本気で心配している様子なのが、なおショックだ。
「……とはいえ、互いに警戒していたとしても、結局ここをこれから下山するのは無理でしょう?」
ウィッチがやれやれと首を振る。
「まあ、そりゃあなあ。山慣れてる俺だって嫌だ。食料のこともあるから無理にでも下山した方がいいっつっても、するなら――」
「明日だな。明日の朝。今日はとにかく、暖炉にキャンバスを放り込んで、酒でも飲んで毛布にくるまってさっさと寝るべきだ。そうやって英気を養って、明日の朝出発。こんなの、俺ほど天才じゃなくても分かる道理だ」
「うまい具合に互いに監視しながら夜を明かせりゃいいんだろうけど、どうするよ、タリィ?」
エーカーからの問いかけにタリィは肩をすくめる。
「全員、この場所にいることにするか? 全員が寝てしまうということもないだろう。昨夜一晩中酒を飲んでいた俺やお前はきついかもしれないが――」
「おいおい、馬鹿にするなよ、タリィ。もう一晩徹夜なんて余裕だ。お前らは寝てていいぞ。俺が見張っとく」
「そのお前が犯人だったらどうするんだ、エーカー」
「あ? なんだそりゃ、疑ってるのか」
「可能性の話だ」
本気なのかそれともじゃれ合い半分なのか、タリィとエーカーが揉め出す。
エーカーに注意しろ。
そのヴァンの言葉が頭から離れない僕は、そのやり取りの際もちらちらとエーカーを観察する。特に変わった様子は見られないが、一体?
「……俺は気分がまだよくないし、遠慮なく寝るぞ」
突如としてヴァンが宣言する。あまりにも唐突なその宣言に、僕もウィッチも、そして言い合っていたタリィとエーカーまでもがぽかんとする。
「――何だよ、その宣言は」
ようやく、タリィが僕たち全員の気持ちを代弁する。
「俺は気にしないってことだよ。いいか、おそらくだが、お前たち全員、気にしすぎだ。よく考えてもみろ。今、俺たちの身に起こっていることは、大きく分けて次の四つだ」
青白い顔ながら、雄弁にヴァンは指折り数えだす。
「なかったはずの塔が現れた。下山ルートが分からない。クロイツの姿が消えた。クロイツの死体の絵が出てきた。このうち、具体的にまずいことが起こっているのは下山ルートが分からないことと、クロイツが消えたことだ。これは別に俺たちの中に犯人がいる可能性が高いなんて話にはなってない。いがみ合うようなことじゃあない。だろ?」
「だけど、少なくともクロイツの絵が出てきたのはあたしたちの誰かが――」
ウィッチが何か言おうとするのを、手を振ってヴァンが止める。
「そりゃあ、そうかもしれないが、それと下山できないことやクロイツが消えたこと――要するに、俺たちに危険があるかどうかってのは、直接的には関係してない。違うか?」
「だがそれぞれ無関係と考えるのは無理がある。違うか?」
もっともなタリィの追求にヴァンは頷きながらも、
「そりゃあそうだ。で、だから疑心暗鬼になって全員でろくに眠れずに明日に下山か? それくらいなら、多分大丈夫ってことでぐっすり寝た方がいいんじゃないか?」
あくびをしてから、目をエーカーに向ける。
「ところで、さ」
「ん?」
「そういうわけで寝たいんだけど、二日酔いの頭痛と気分の悪さがひどくて、安眠できそうにないんだ。薬とか持ってない?」
「何で俺に訊くんだよ」
確かに、エーカーがそういうのに詳しいとは思えないから傍から見ていてもその問いかけは不自然だ。
「絵描きは化学に詳しいんでしょ、確か。薬品類に詳しいかなと思って。おまけにエーカーはいろいろなところ旅するわけだから、そういう備えもあるんじゃない?」
そうヴァンが説明すると、エーカーは意外にも、
「あー……まあ、外れてはねえな。確かに、ちょっとした薬の類なら自分で調合できるよ。特に腹痛の薬とかは旅の必需品だしな。けど、睡眠薬か。俺は、眠ろうと思ったらすぐに眠れるタイプだからなあ。ええと、ちょっと待てよ」
と言って懐を探り出す。
「おっ、運がいいな。あったあった。これが、一応よく眠る薬だ。けど、そんな強力なもんじゃねえぞ。薬草煎じてるだけだからな。もっと本格的に調合したりすりゃ、強力になるだろうけどよ」
「いいのいいの、それで十分」
「あ、そうだ。酒と一緒に飲めばかなり効くと思うぜ」
「殺す気か」
文句を言いつつ、ヴァンは丸薬をエーカーから受け取る。
「ヴァンさん、もう寝るつもりですか?」
まだ日が沈んですらいない。
あまりにも早い睡眠についての会話に少々驚く。そこまで調子悪いのか?
「さすがに、多少暗くなってから寝る。逆に夜中に目が覚めてもまずいだろうから」
ああ、さすがにそうか。
「……なあ、もう一度だけ、寮の周りを見回らないか?」
そこで、タリィが言い出す。
「え、どうしてよ?」
唐突な提案にウィッチが驚く。僕も同じ気持ちだ。
「多分、これが最後のチャンスだからな」
「最後?」
「ああ。日が沈んだら、外を見回ることはできない。明日の朝は、準備が出来次第即座に下山するべきだから見回る暇はない。これが最後だ――クロイツを、見つけられる最後のチャンスだ」
目を閉じて、タリィはほんの少しだけ、眉を顰める。彼には似つかわしくない、まるで祈っているかのような表情。実際、祈っているのかもしれない。クロイツの発見を。あの絵を見た後だから、余計に。
誰もそのタリィに何も言えず、顔を見合わせる。
実際、確かにこの夕日が沈む直前のタイミングが自分たちの手でクロイツを探せる最後のチャンスだろう。寮の周りを見回るくらい、いいかもしれない。
「……全員で、行くとするか。案外、クロイツがビビッて草むらで泣いているかもしれねえしな」
冗談めかして言いつつ、エーカーが立ち上がる。照れ隠しだろうか。
「そうね。もうちょっと疲れといた方が、きっちり眠れると思うし。運動するのも悪くないか」
続いてウィッチ。タリィも立ち上がり、僕もそれに続く。
「え、俺、気分悪いんだけど……」
全員でクロイツのために動くか、というこの場面であろうことか渋るヴァンに、
「悪いが、お前が犯人というパターンも考えられる。事ここに至っては、ここに置いとくわけにもいかない。仕方ない、ヴァン、ほら」
とタリィが背中を向ける。
「何? どういうことだ?」
明らかにヴァンが困惑していると、
「おんぶしてやろう」
「……普通に肩を貸してくれ」
濃い赤に染まる山中。霧が夕日で赤く染まっているから、まるで空気自体が真っ赤に発光しているかのようだ。
もうすぐ日が沈むので遠出はやめておこう、ということで、全員でぐるぐると寮の周囲を回るだけ。当然ながら、何も見つからない。
そもそも、寮の周辺は本当に何もないのだ。特徴的な岩や木すらない。草と石くらいだ。目印になるようなものが何もない。これまではそれを不便だと思っていなかったのだろう。それはそうだ。道があったのだから。だが、道がなくなると途端に下山のためのちょっとした手掛かりさえないことになる。
「まあ、何もないわな」
エーカーがぽつりと漏らす。
クロイツの手がかりもないし、前述したようにそもそも何もない。そういう感想しか出ないのも当然だ。
クロイツ探索の間、エーカーをずっと観察していたが、特に怪しい素振りは見られなかった。
「どこいったのかねえ、あいつは」
「ちょっと、思ったんだけどさ」
ウィッチが、僕の横を歩きながら話す。
「あいつが消えたんじゃあなくて、あたしたちが消えてるってことはない?」
「は? どういう意味だよ?」
喋りながら、僕たちは進む。もうすぐ水場だ。これで三周目。そろそろ、諦めて戻るべきだろう。
「あたしたちの方が、あの例の絵の中に吸い込まれちゃったってこと、ない? だったら、なかったはずの塔があることも説明がつくし、クロイツがこの場にいないことだってさ」
「面白い考え方だな。逆転の発想か」
そういうタリィとは対照的に、横で肩を借りているヴァンは苦い顔をしている。
「どこがだ。説明がついていないだろう、ウィッチ。じゃあ、あの絵が聖遺物だとでも――」
肩を借りたままでヴァンが何事か反論しようとして、不意に言葉を止めると目を細め、何事か考えだしているようだ。
「……聖遺物、か」
聖遺物。魔術では再現不可能な現象を起こす、人の身では破壊できないアイテム。確かに、聖遺物が関わっているとすればこの状況も――
「……おい」
震える声。その声がタリィのものだと、遅れて理解する。彼の声が震えることなど、想像もしていなかった。
「どうなっている、あれ……」
タリィが指をさす。だが、その先には何もない。
……何もない?
その方向は、山を下りた先、あるはずのない塔があった、あの方向。赤い霧の向こうには、何の影も浮かんでいない。
「馬鹿な」
それきり絶句するエーカー。僕も、何も言うことができない。だって、いや、しかし。
「み、見えないだけじゃないですか、霧が濃くて」
「……いや」
ヴァンが手を伸ばす。突如として、風が巻き起こる。魔術だ。局所的な暴風が霧を吹き飛ばしていく。まるで透明な筒が伸びていくように、一部だけ霧が晴れていく。
それは一瞬の出来事で、すぐに霧は元に戻る。だが、一瞬で十分だ。明らかに、その向こうに塔の影がないことははっきりとした。
「――これ、どういうことなんですか?」
また、塔が消えた?
意味が分からず、僕の呟きに答える人もまた、いない。
ふと見れば、タリィに肩を借りていたはずのヴァンの姿がない。全員が塔があったはずの方向に集中している隙に、どこかに行っている?
どこに、と慌てて周囲を見回すと、赤く染まっている霧の向こうによろよろと動く人影。他の誰も塔がなくなったことに呆然としており気付いていないようだ。ひょっとして何か怪しい行動を、と思った僕は、他の人たちに声をかけることなく、抜き足差し足でその影に忍び寄る。
「――これは」
よろよろと周囲をさまよっていた人影が、その場でしゃがみ込む。
僕はその人影にそろそろと近づくが、
「ココアか」
気付いていたらしく、近づいてはっきりと捉えたヴァンはこちらに顔を向けた姿だった。
「何してるんですか?」
「全員が馬鹿みたいに塔がなくなったと呆然としているから、その時間を使って探索していただけだ。別にいいだろ」
そう言いながらヴァンは地面の少し大きめの石を撫でている。
「その石、どうしたんですか?」
言いながら気付く。明らかに、自然にできたものではない傷。その石には、直線を二本交差させたような傷が刻まれている。
「な、なんですか、それ?」
「目印だと思う」
事も無げにヴァンが答える。
「何の?」
「知らないよ。こういうのがあるかな、と思ってちょっと探してたらあっただけだ」
どういう意味だ?
はあ、とため息をついてよろめきながらヴァンは立ち上がる。
「さて、と。で、どっちに戻ればいいんだ? そんなに離れたつもりはないんだが……予想以上に視界が悪いな。日が沈みかけているのもあるが」
そのヴァンの発言ではっと我に返り僕は周囲を見回す。赤い霧で、寮のある方向が分からない。さっきの疑問は頭から吹っ飛ぶ。
「……えっと、とにかく、僕がこっちから来ましたから、こっちに真っすぐ進めば」
「真っすぐ進むのが難しいと思うんだが」
「大体、ヴァンさんが後先考えずに離れるからいけないんですよ。どうしてくれるんですか?」
「勝手についてきただけだろ」
と言い争っていると、
「あれ、ヴァンとココアがいねえぞ?」
「嘘でしょ?」
「落ち着け、ウィッチ。視界が悪いからはぐれたのかもしれない。おい、どこだ?」
タリィたちの声が聞こえる。ひと安心だ。
僕とヴァンは顔を見合わせてほっと息を吐いた後、
「ここだ」
とヴァンが声を出した後、聞こえた方向へと足を運びだす。
「……あ、そうだ。ココア、エーカー見てるか?」
ヴァンに声をかけられる。僕にだけ聞こえるくらいの声で。
「あ、はい、ちゃんと見張ってますけど、あの、あれってどういう……?」
「秘密だ」
秘密。そんな殺生な。
「あの、じゃあ、塔が消えたの、どう思います?」
ついさっきあった重大事件を訊いてみると、
「ああ、あれは、確かに妙だ。妙な話だ。だが、妙すぎるから、これはいったん無視した方がいい」
「え?」
あまりにも意味不明な発言の真意を問う前に、
「ああ、そこにいたのね」
と、ようやくウィッチたちと合流できる。
「焦ったぜ。今度は二人が消えたのかと思ってよ」
エーカーは心底動揺していたらしく、まだ少し顔が強張っている。悪いことしてしまった。
「とにかく、もう日が沈む。冷えてきた……戻るか?」
タリィが僕たち全員に問いかける。さすがに、これ以上クロイツを探そうと提案する人間はない。タリィの言うように日が沈みかけており、周囲は薄暗く、そして肌寒くなってきている。
つまり、これは。
誰も言わないが、エーカーたちの暗い表情から、全員が考えていることが分かる。
つまりこれは、クロイツを探す最後のチャンスが終わったことを意味する。もう後は、体力をなるべく温存したまま明日を迎えて、下山することしかできない。




