死の絵3
「いくら何でも、これを本物と間違えるかあ?」
呆れ声。
僕たちの悲鳴は外まで響いたらしく、慌てて飛んできたエーカーがそれを眺めながら言う。
「薄暗い中で、ドアを開けていきなりそれがあったら慌てもするわよ。普通よ普通」
耳を赤く染めながら、口を尖らせウィッチが言い訳している。
「ああ……気持ち悪い」
ヴァンも無理をして走って地下に来たらしく、青白い顔をさらに青白くして石の床に横たわっている。情けない姿だが、逆に言うとそこまで体調が悪いのに悲鳴を聞いて駆け付けたということだ。少し見直す。
「運がよかったな、二人とも」
にやにやと笑いながら、タリィは重厚な木製のドアを開けたり閉めたりしている。
「このドアを閉めた状態でいくら叫んでも外には聞こえなかっただろう。この地下のアトリエは防音がうりだからな。愚かな凡才二人が恐怖で気絶していても助けが来るまでかなり時間があっただろう」
そう言ってから、タリィはドアを閉めてから部屋の中を進み、それに歩み寄る。
そう、僕たちは恥ずかしい話、二人そろって気絶してしまったようだ。もっとも、エーカーたちがすぐに駆け付けてくれたからそこまで長い間倒れていたわけではないが。
「ふうむ、これか。大した絵ではないな。天才の俺ならもっとうまく描けるはずだ。クロイツの死体なんぞ描く気にもならないが」
それに近づいてじろりとタリィは眺める。
そう、それは絵だ。真っ黒い背景の中で、それに溶け込むように黒い服を着た男が倒れている絵。あのクロイツが、死んでいる絵だ。
ランプがついているとはいえ、地下だからやはり薄暗い。その薄闇の中でその絵を見て、本物のクロイツが死んでいるとばかり思ってしまい二人そろって悲鳴を上げて気絶してしまったわけだ。
「地下だから仕方ないが薄暗いな。ええと、ちょっと待てよ」
薄暗い室内の奥にある、更に薄暗い一角。ごみごみと古びた木の棚が置いてある場所へとタリィは、進み、
「これだ、確か、これに。ああ、これこれ」
タリィはその棚と棚の間の壁、埃まみれの装飾を手で撫でる。コートに埃がついたことに眉を顰めつつも、にやりと笑う。
「これだ。これ、分かりにくいがランプなんだ。覚えているか?」
「ああ。懐かしいわね、それ。そう言えばそこに補助用のランプがあった。そうだそうだ」
ウィッチはぽんと手を叩いて懐かしんでいる。
それは一見、ガラスでできた鳥にごてごてと金属の管が無数に繋げられている趣味の悪い装飾品にしか見えない。
「こいつを付ければ多少はマシになる……ヴァン、頼む。魔術はお手の物だろう?」
言いながらこつこつとタリィはガラスの鳥の部分を叩く。薄暗くて見えにくいが、目を凝らせば確かにその中に芯らしきものがある。ランプだ。
「ええ? ……ほら」
青白い顔をしていたヴァンは嫌な顔をしながらも、体を起こすことなく、その場で目を細める、と。
「うおっ」
ぼん、という音と共に、ランプに灯が灯る。
さすがのタリィも驚いて身を引く。
それはそうだ。あんな調子が悪そうなのに、かなりの距離から正確にランプの芯に向かって炎の魔術を使ったということだ。
「さすがは、ヴァン・ホームズだな。一級の魔術師にして探偵」
いつも自らを天才と自負して尊大なタリィには珍しく、顔を強張らせながらも賞賛する。
ヴァンはそれに答えず、青白い顔でゆっくりと目を閉じる。
とにもかくにも、その補助用らしいランプが灯ったことで、部屋の明るさは多少はマシになる。
その明るさが嫌なのか、ヴァンは目を閉じたまま唸る。
「さて、この絵のことは気味は悪いが、とりあえず燃やせそうなものは持って上がろう」
平然と言って片隅にあるキャンバスを持ち上げようとするタリィに僕は慌てる。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! この絵のこと、どうするんですか?」
「どうもしない。ほっとけばいいだろう」
「そうじゃなくて、この絵が出現した理由とか――」
「ココア」
そこで、タリィではなくヴァンが声を出す。
「……まあ、仕方ないか。ここで、はっきりとさせるのも、ありだろう」
え?
死んだ顔でヴァンが言う意味が分からない。
「伝説の探偵が言うならそうなんだろう。天才の俺がきっちりここでけりをつけておくか」
埃が付かないように慎重に手で払ってから、タリィは立てかけてあるキャンバスの束に腰かける。
「どうもこの一連の話は、犯人――そんなものがいるとしたら、だが、犯人は俺たちの中にいる可能性が高い。そうだろう、ヴァン?」
「……そうだな」
二人の会話に僕は驚愕するが、エーカーとウィッチは気まずそうな顔をして黙るだけだ。まるで、うすうすとそのことに気付いていたかのように。いや、分かっていなかったのは僕だけか?
「クロイツの死体が描かれていたのはそれなりの大きさのキャンバスだ。あれを目立たずにあの地下のアトリエまで持って入るのは難しい。俺たちだろうと、第三者だろうと」
適当な古いキャンバスを手にリビングダイニングまで戻った僕たちは、ソファーに座ってタリィの話を聞いている。ヴァンですら、多少つらそうではあるもののきちんと座っている。
「でも、夜に皆が寝ていた時なら……あ、そっか」
と僕は気付いて壁にかかっている絵を見る。この『霧に浮かぶ塔』の絵がすり替えられたのかどうかを話していた時に、全く同じ話題になったのを思い出した。
「夜も、難しいんだっけ……いやでも、ここにある絵をすり替えるんじゃあなくて、地下まで持っていくだけならなんとかならないですか? それに、ひょっとしたら僕らが塔に向かっていて、かなり意識がもうろうとしているヴァンさんだけが残ってたタイミング。あの時かもしれない」
僕の異論を、タリィは鼻で笑ってから、
「クロイツがいなくなったことに気付いて朝、全員で家探しした時にあんなものはなかった。ヴァンだけが残った寮に誰かが忍び込んで地下までキャンバスを運ぶというのもな。現実離れしているよ。ヴァンだけが残るかどうかは神のみぞ知る、というか全員が結局塔を見に行かない可能性もあった。ということは地下のアトリエまでクロイツの死体の絵を運び込んだのは計画的じゃあないということになる、が」
「……それは考えにくいだろう……ありえない、とまでは言わないが、よっぽどのことがない限りまずは除外して考える可能性だ。計画的でなくクロイツの死体の絵を持っているなどという話があるわけがない」
とヴァン。
それはそうだ。偶然、クロイツの死体の絵を同窓会に持ってきました、という人間がいたら、ある意味でこの事件そのものより恐ろしい。
「つまり、第三者だろうが俺たちの中だろうが、地下のアトリエにこっそりとあの絵を持ち込んだとは考えにくいということだ」
「じゃあ、どうして僕たちの中に犯人がいるって――」
「持ち込んだんじゃあない。おそらく、最初から準備をしていた。そう考えるのがしっくりくる」
赤いコートを撫で、タリィは面白くもなさそうに語る。
「準備ってのは、どういうことだ?」
エーカーが質問すると、
「そのままだ。あの地下のアトリエに、元々あの絵はあったんだ。他の無数のキャンバスと一緒に重ねて置かれていたら、誰もそこに二代目の死体が描かれているなんて気付かない。そうして、どこかのタイミングでそれをドアを入ってすぐの場所に出して設置してやればいい。それなら、時間がかからず目立つ必要もない。ちょっとあの地下室に入って準備だけして出てくるのなら、俺たちの中の誰かなら簡単に目立たずできる。外部の人間には難しいかもしれないが」
「けど、だからって外部の可能性がゼロってことはないんじゃ――」
僕の反論を、タリィは面倒くさそうに遮り、
「確かに、ひょっとしたらうまく忍び込めるかもしれない。だが、問題はそこじゃあない。この話の前提は、この寮にそもそもその絵を準備していた、ということだ。予めここで同窓会が開かれることを知っていて下準備ができ、なおかつ目立たないようにこの寮に忍び込んで絵を設置する。そんなことができる第三者を考えるというのは、なかなか難しい。俺たちの中に犯人がいると考えた方が、よほど自然だ」
「……まあ、な」
ヴァンは多少口ごもりながらも、それに同意する。
「そして、こんな悪趣味なことをする奴が、他と無関係とは考えにくい。方法はよく分からないが、塔を一瞬で建て、絵から塔を消し、そして道を消して下山できない状況に俺たちを追い込んだ犯人がこの中にいる、ということだ」
「やっぱり、ね」
ウィッチが呟く。その呟きが意味することに、僕は戸惑う。
「やっぱりって、ウィッチさん、分かっていたんですか?」
「そこまで筋道立てて考えてないわよ。ただ、正直、あたしたちが巻き込まれているこの妙な状況、人為的なものだろうとは思うし、そうだとしたらあたしたちの中の誰かの仕業なんじゃないかと思ってた。エーカーも、そうでしょ?」
「ああ……ただ、俺は、正直」
そこでエーカーが珍しく口ごもる。
「どうした、エーカー。言えよ」
タリィに促され、
「……正直、こんなことを一番やらかしそうなやつ、一番犯人として納得できる奴は、今、この中にいない」
「――エーカー……お前」
「そうだ、タリィ、お前だってそうだろう? ウィッチだって、そうなんじゃないか? まるで、この事件は」
一度言葉を切ってから、
「ニャンが起こしたみたいだ」
そう、エーカーは言う。
「あいつが起こした、芸術と称したとてつもない悪ふざけ。これは、その一つだと考えるととても納得がいくんだよ、正直な」
「ニャンという、お前たちの同級生が死んだのは、確かなのか?」
ぽつりとヴァンが質問する。
「ああ、そりゃあ間違いない。なにせ――」
「エーカー」
エーカーが喋るのをウィッチが遮ろうとするが、
「言わせろ。こんな状況だ。包み隠さず情報交換しとかねえとな。間違いない、ニャンは死んだ……俺たちの目の前で死んだんだ。ばらばらになって。自殺だ。多分、事故じゃあない」
「あれは事故だ。少なくとも、そう結論が出ている」
冷静にタリィが言うが、
「それを俺たちが信じてるのか? タリィ、ウィッチ、それにいないがクロイツだってそうだ。クロイツ先生、父親の方だってきっと、自殺だと思ってる。本当はな。あいつは、俺たちに新しい作品を見せると言って、爆発してバラバラになって死んだ……爆薬が暴発したんじゃあない。あいつは、あの自殺が作品だったんだ。そうだろ? 今でも夢に見る。ばらばらになったあいつが湖に落ちて、一瞬だけ深い青の水面に真っ赤な花が咲いた……あれが、あいつの作品だったんだ。分かるだろ?」
答えるものは、誰もいない。




