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死の絵2

 無言で最初に駆け出したのはエーカー、続いてタリィ、僕と続く。顔色の悪いヴァンは急に立ち上がろうとして失敗してよろめているので置いていく。

 まったく、頼りにならない。


「おい、大丈夫かっ!」


 大声を出しながら部屋に駆け込むエーカー。そしてタリィと僕は開け放たれたドアから室内を覗く。


「あ、エーカー、皆も。ごめんごめん」


 そこにいたのはへへへ、と頭をかくウィッチと、その目の前にある大小様々な石片。


「……な、なにやってるんですか?」


 他の人を代表して僕が口を出すと、


「彫刻よ、彫刻」


「……これ、ですか?」


 石を削っていた、ということだろうか。確かに、粉々に割れる前はかなり大きな石材、いや岩という方が正しいか。タリィの言ったように、彫刻をしているだとすれば分かる、が。

 ただ、今は粉々になっている。

 ウィッチの手にはのみが握られている。


「その……失敗したんですか?」


 言葉を選びつつ、おそるおそる質問する。

 ただ単に失敗したとは思えない。一体、どうやったらここまで粉々になるのか。


「そうそう、ちょっと失敗しちゃって」


 だが、当のウィッチは悪びれることもなくそう答える。


「……というか、彫刻、してたんだな」


 エーカーがぼそりと言う。


「そう。まあ、近くにいい岩があったから、この寮の準備してる時からこっそりと部屋に持ち込んで、時間見つけては彫ってたんだよね」


 塊だった時にはなかなかの大きさの岩だったはずというのに、それを部屋まで運び込むとは見た目よりもウィッチはかなり膂力体力があるらしい。


「ちょっと彫ろうと思ってたんだけど、失敗失敗。ああ、片づけてから戻るから、先に食事を始めといて」


 恥ずかし気に笑っているウィッチに毒気を抜かれて、全員でもごもごと口を動かしてからゆっくりと部屋を出ていく。


「……こんな時にも、彫刻してるんですね。さすがというか、なんというか」


 リビングダイニングに戻りながら僕が呟くと、


「どんな時にも、だ。この世界で食っていくとなったら、時間があれば絵を描く、あるいは石を削る。食事と睡眠以外の全ての時間を、いや時にはその時間すらも使って、ただただものを作る。そういうものだ」


 タリィがしみじみと言う。


 さすがは一流の芸術家だ、と思わず胸を突かれる思いをしていると、


「凡人はな。俺は天才だから全然違うが」


 と言わなくてもいいことを付け加える。


「まあ、特にウィッチのやつはそういうところ、真面目なんだよ」


 エーカーが言う。


「真面目か。才能がないことに、コンプレックスがあるだけだろう」


「否定はしねえけどよ」


 タリィの辛辣な言葉を、意外にもエーカーは流す。

 てっきり、反発すると思ったのに。


 戻ると、急に動こうとしてまた余計に気分が悪くなったらしく、ヴァンが顔色を一層悪くしてソファーに寝転がっている。


「……どうだった?」


 かすれ声で訊いてくるので、


「ウィッチさんが彫刻壊してしまっただけみたいですよ……粉々に」


「あ、そう……粉々? そんな風に、なるもんなのか?」


「どうでしょうね」


「あいつは――」


 そこで、エーカーがどっかと腰を下ろしてからぽつりと口を開く。


「あいつは、ああ見えて繊細だ。喜怒哀楽がそのまま作品に出る……彫刻は、多分あいつが壊した。製作途中の彫刻を破壊するのは、あいつがその作品に違和感を覚えた時――ようするに、気に入らなかった時だ。そしてなおかつ、あいつに精神的な余裕がない時……結構、追い詰められているみたいだな」


「そうだな。あいつは、本当はクロイツよりも神経が細い。それがあいつの作品を見れるものにしてるという面もあるが」


「どういう意味です?」


 タリィの言葉の意味が分からない。


「芸術作品……正直言って、この言い方自体あまり好きじゃあないが、作品はこう、見た人間の感情が動かないとならない。驚き、ショック……まあ、感動。そういうものだ。それは、普通にやったところで与えられない。凡人はな。だから工夫するんだが……ウィッチの場合、あいつ自身の精神的なブレが作品に反映されて、それが見る人間に何らかの印象を与えてる。俺の見る限りな」


「タリィの言うことに同意するのは癪だが、そういうこったな。あいつの繊細さ、感情のひだみたいなものが作品に出ているから、それなりに好事家が評価してるんだろうぜ。基本の技術はもちろんだがよ」


「ははあ。結構、お二人とも冷静ですね。さすがプロ」


 思わず、記事に使えるかとメモしてしまう。だが、よく考えればこの奇怪な事件の方を記事にするに決まっているから、今更芸術家のインタビューなどしないわけだが。


「恥ずかしい話だが、学生時代は全員で熱く芸術論を交わした。その癖が出たか。忘れろ」


 本当に恥ずかしいらしく、タリィは顔をしかめる。


「はっはっは、いいじゃねえか。学生ってのはそんなもんだろ。全員で輪になって、朝まで討論してたことも一度や二度じゃねえよなあ」


「二代目以外はな。クロイツは冷めていた。芸術論に興味はない男だったよ。奴にとって、芸術というものは父の名を使って生活の糧を得る以上のものじゃあなかった、昔からな。ある意味で潔い」


 想像できる。


「あいつは、まあな」


「お前もそうだっただろうが。お前は、言いたいことがあったらキャンバスに叩きつけろ、が合言葉の熱血漢だったからな。言っておくが、馬鹿にしているんだぞ」


 これも想像できる。


「うるせえな、若かったんだよ……ああ、そういや覚えてるか、ニャンの事件」


「芸術は爆発だといって本当に爆発させた事件か?」


「それじゃねえよ。ほら、観客にどういう印象を与えるかって話で……ほら、どこから見ても瞳がこっちを向いているように見える絵。ニャンが描いたことがあっただろ、自慢げに」


「あったな」


 なんだそれ?

 本当にそんなものがあったとも思えない。


「マジックアートか。なるほど」


 と、ヴァンがぽつりと呟くので顔を向けて目で真意を問うと、


「ああ、悪い。こっちの話だ。俺の知っているもので、そういうジャンルがあるんだ。さっきの目で追い続けるものもそうだし、遠近感を狂わせるような絵がな……くそ、余計なことを言った、本当に調子が悪いな、俺。忘れてくれ」


 悔やむようにきつく目をつむるヴァン。


「ああ、そういうのだ。それ、ニャンが得意だったんだよ。へえ、ヴァンが知ってるってことは、ひょっとして他にもあんなもん描ける奴がいるのか?」


「忘れろって」


「ま、いいや。でよ、その絵、皆で真似したの覚えてるか? 模写大会だよ。ほら、賞品としてニャンが何だったか高い葡萄酒を出して」


「ああ、あったな。それで?」


「そのニャンの妙な絵、ちゃんと写せたのは、お前とウィッチだけだった。クロイツは途中で諦めて、俺は全然別の絵になって。で、写せたけど、ニャンが二人がこの絵を模写できた理由はそれぞれ違うって言い出して」


「覚えているさ。俺は才能。ウィッチは執念であの絵を模写した、だろ?」


「ああ。それで、俺、なるほどとかなり納得した覚えがあるんだよな。言い得て妙だ。で、お前はウィッチみたいな凡人と一緒に優勝は気にくわないといって葡萄酒のボトルをぶっ壊したって事件。くく、まあ、俺たちの中では確かに芸術だとか美だとかいうものに一番執念があるのは、実はウィッチだ。だから、こんな時にも彫刻するのは全然不思議なことじゃあない。精神的に不安定でそれを壊すのもな」


「ああ、それ……」


 エーカーがいない時に、似たようなことをタリィも言っていた。


「もう、同じような話をしたぞ、俺が。凡人は天才の後を追うものだな」


「え? マジかよ。どんな話?」


「芸術に一番憧れているのはウィッチだという話だ。お前は考えるのではなく描くだけで、俺は天才だから中から溢れてくる。あいつが一番芸術から遠くにいる」


 ともかく、喋りながらも中止されていた食事がようやく始まる。


 かなり食料は少ないので、僕とヴァンは水、タリィとエーカーは酒で腹を膨らませる。特にヴァンは気分が悪いからという理由で水しか飲んでいない。もちろん、ウィッチの分は取っておく。


「ああ、そうだ、ココア」


 青白い顔のヴァンが水で口を湿らせてから開く。


「はい?」


「俺は動けなかったから……メモしてるんだろ? 見せてもらっていいか?」


「ああ、いいですよ」


 一応、記者ということで塔を見に行った時とか、何か事あるごとにとにかくメモをしまくっている。


「自分用のメモですから読みにくいかもしれませんけど」


「構わないよ。見せてくれ」


 気分が悪いのに、走り書きのメモ帳なんて見たら余計に気分が悪くなるんじゃあないか。心配しつつ、メモ帳を渡す。


 思った通り、ヴァンが目を細めながらメモの字を追い出して、すぐに顔の青白さが増す。


「……字が汚い。汚すぎる」


 そして、気持ち悪そうなヴァンが絞り出したのがその一言だ。


「言わなくていいでしょ、そんなこと」


「いや、汚すぎる」


 文句を言いつつ、ヴァンはぺらぺらとページをめくっていく。

 返してくれ。


「……ううん、気持ち悪い」


 そしてごろりと横になる。

 まったくもって、何の役にも立たない元探偵だ。憧れの探偵像ががらがらと音を立てて崩れていく。


「それにしても、ウィッチ、遅いな」


 と、酒を飲んでいたエーカーがちらちらと部屋の方を見ながらそんなことを言う。


 確かに。まさか……と嫌な予感がしたところで、


「ごめんごめん」


 とウィッチがやってくるのでほっと息を吐く。ちらりと見ればエーカーは不自然に目をそらしているが、安堵しているのを隠せていない。


「片づけは済んだのかよ?」


「うん、お待たせしましたっと。あ、あたしはお酒いらないから」


 すぐにウィッチも食事に参加する。


 妙な気配を感じる。ふと見れば、僕の横、気分が悪いと転がっているヴァンが、恐ろしく冷たい目でじっとエーカーを見ている。何かを観察するかのような目。


「……どうかしたんですか?」


 そっと顔を近づけ、囁いてみる。


「なかなか、興味深い。エーカーが……」


 と何かを小声で言いかけ、青白い顔でヴァンはふう、と息を吐き、


「ココアって、名探偵にちょっと憧れてたりしてるんだな」


「え、そうですけど」


 そう言えば、そのウィッチとのやりとりも一応メモしていたんだった。かなり恥ずかしい。

 ちらちらと観察してみると、食事を始めたウィッチと、彼女に話しかけながら酒を飲んでいるタリィとエーカーはこちらを気にしていないようだ。


「ちなみに、誰に憧れてる?」


「憧れてる名探偵ですか……ええっと」


 ちょっと照れるが、本心を言う。


「ゲラルト・マップです」


「そこは俺って言えよ。気を使えないな……とにかく、名探偵を目指しているココアにアドバイスだ。この事件、エーカーから目を離すなよ」


「え、それってどういう……」


 意外な言葉に僕は思わず首をすくめエーカーを窺う。

 こちらのことを気にもせず、豪快に酒を呷っている。


「ひょっとしたら、焦点は奴だ。それに……ああ、くそ、頭が痛くてうまく働かない。ともかく、俺が生ける屍になってるんで、頼れるのはお前だ、ココア。頼むぞ」


 ふう、と言うだけ言ってから息を吐いてヴァンは目を閉じる。そして、それきり動かない。


 僕は呆然としている。

 僕に、任せる? それに、エーカーから目を離すな?


「それって、どういう――」


「――しまった!」


 大声で僕の質問は中断される。

 大声を出したのはタリィで、立ち上がって狼狽した顔をしているのは普段の彼の雰囲気からは不釣り合いだ。


「おお、なんだどうした?」


 エーカーが面食らった様子で訊く。

 隣のウィッチも、ぽかんとした顔でタリィを見上げている。


「……薪の用意をしたのは、ウィッチだよな」


「そう、だけど?」


「当然、一晩暖をとるのには十分な程度しか用意していないだろう?」


「そりゃあ、そう……あ」


 ウィッチが、そして横のエーカーが目を見開く。話を聞いていただけの僕もほぼそれと同時に気付く。

 薪。暖炉の横に積まれている数本の薪に目がいく。


「……夜は冷えるぜ、この辺。暖炉なしじゃあ、きついかもな」


 エーカーは今はまだ盛大に燃えてくれている暖炉の中を覗きつつ、言う。


「日が完全に沈む前から全員ベッドに潜り込んで布団にくるまっとけば大丈夫じゃない?」


 ウィッチが言うと、


「冗談じゃあない。この天才の俺に、そんな無様な真似をしろというのか」


 理不尽にもタリィは憤慨し、


「それに、だ。学生時代も含めて、この霧中寮で暖炉を使わないまま夜を過ごしたことはない。どこまで冷え込むか実際のところは分からない。さすがに一晩で凍死することはないだろうが……」


「ああ、霧が晴れてくれなきゃ、もっといる可能性もあるわけだよな」


 ひげを撫でつつ、エーカーは唸り、


「どっちにしろよ、薪がないならずっとここにいるのは無理だぜ。ましてや食料だってねえんだ」


「食料がないのは節約すればある程度何とかなると思っていたが……薪がないのはまずいな。霧が晴れるか薄くなる日を待つのはいよいよ現実的じゃあない。明日の朝、下山するべきだろう」


 タリィはそう言ってから、全員を見回す。


「となれば、凍えてまともに動けない状態で朝を迎えるのはまずい。燃やせるものを探さなくてはな。じゃあ、皆、頼む」


 そう言ってからタリィがまた座るので、全員の目が丸くなる。


「……お前も動けよ」


 エーカーがやがて呆れた口調を隠さずに言うと、


「薪のことに気付いたのも、こうやって指示を出しているのも俺だぞ。天才は頭脳労働、凡才共は肉体労働だ」


「多数決で却下だ、タリィ。まあ、女性陣は屋内で燃やせるものをかき集めてくれ。俺とタリィは外に拾いに行ってくる。まだ日は完全に沈んではいない。ほとんど草さえ生えてねえけど、ちょっとは燃やせるものくらいあるだろ」


 エーカーは立ち上がるとぐい、とタリィの襟元を掴み上げる。


「ぐえええ、こ、この天才になんてことを……」


「さあて、と」


 青白い顔をしたヴァンも起き上がると、


「あれ、お前も来るのかよ?」


 というエーカーの言葉に肩をすくめる。


「気分は悪いが、魔術なら使える。もし木でもあれば俺の風の魔術で斬り倒してやるよ」


「そりゃあ心強い。あの天才ヴァンの魔術なら間違いないな」


「エーカー、真の天才は俺だけだ」


「はいはい、ほら、行くぞ、タリィ、ヴァン」


 結局、エーカーが二人を引きずるようにして寮から出ていく。


 残った僕とウィッチは顔を見合わせた後、


「……それじゃあ、やりましょうか」


「だね」


 そして、数十分。


 最初からほとんど家具や物の置いていないこの寮の中で探すと言ってもたかが知れている。結局、大して燃やせるようなものは見つからずに、僕はため息をつく。こうなると、それぞれの持ち物の中に別に燃やしてもいいものがないかどうかを探すって話になるけど、さすがにそれを僕が勝手に探すわけにもいかない。


 無意味な作業に疲れてリビングダイニングのソファーで一息ついていたところで、ウィッチもやって来る。


「どうでした?」


「ダメね。こうなれば、もうキャンバスでも燃やすか……絵描きなんだからエーカーたくさん持ってるでしょ」


「でも勝手に燃やしたら激怒しますよね、多分」


「そりゃそうね……あ、そうだ」


 ウィッチは足取りも軽く歩き出す。


「地下、あそこに古いキャンバスがあるのよ。ここがまだ学生寮だった時に学生が練習に使ってたやつが残ってるはず。古くてもうぼろぼろのやつとか、燃やしたっていいでしょ」


 スキップしながらウィッチが去っていく。そうか、その手があったか。

 そういえば地下にはまだ降りてない。どんな感じなんだろうか? 気になるので、ウィッチの後を追って階段を下りる。


 それぞれの個室につながる廊下の突き当り、何の変哲もない階段を下ると、そこに木製のドアがある。


「地下のアトリエかあ。確か物置替わりになってるんですよ――」


 先を行くウィッチの背中に語り掛けていた僕の言葉は、ドアを開けたウィッチの悲鳴で遮られる。

 あのウィッチが出したとは思えない高い悲鳴。耳が痛くなるくらいだ。


「どっ、どうし――」


 ウィッチの背中越しに部屋の中を覗いた僕も続いて同じように悲鳴を上げる。


 薄暗い、地下。クロイツの死体が、そこにある。

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