タリィの推理
再びダイニングキッチン。暖炉からの熱で温まった室内に座る僕たちの中心には、足を組みその足に肘をついているタリィがいる。この部屋に戻ってきてしばらくはまだ動揺した様子のままだったが、ようやく顔は落ち着いてきた。
「……天才の俺の推理を披露していいか?」
やがてぽつりと言うタリィに、当然ながら反論は出ない。自分を天才と称するあたり、ようやく調子がでてきたようだ。
「といっても、完全に推理できたわけじゃあない。言ったように、俺が掴んだのは大体のところだ。もっと言うと、どうして存在しなかった塔が突如として出現したのか、その部分だけだ」
「その謎が解けたの?」
前のめりになるウィッチを制するようにタリィは目を向けてから、
「俺くらいの天才になると、突如としてあの塔が現れた時にいくつか方法は思いついていた。で、実際に近くで塔を観察するうちに、いくつかあった選択肢は減っていった」
あのぼろぼろの煉瓦を思い出す。触れれれば崩れそうなくらいの、あの塔の外壁を。
「あれを一晩で作り出すのは無理だ。張りぼてのようなものだったら可能かもしれないが、あれだけしっかりとしたものは、そこのヴァンの土の魔術だって無理だろう。それに、軽く調べた程度だがあの壁は明らかに経年劣化しているように見えた」
「それには同意するわ。彫刻家の端くれとしてね。あれを一晩でゼロから作り出せるなら、彫刻家も建築家もいらない」
「僕も、あの塔が古びていたことには同意します」
ウィッチと僕が同意するのを、調査に同行していなかったヴァンは黙って見ている。
「だろう? 俺ほどの天才にしても難しい。となると、こうとしか考えられない。つまり、あの塔はもともとそこにあった。それが、見えなかったんだ」
「見えなかった?」
塔が? 意味が分からない。
「この辺りは霧が深い。少し離れれば真っ白い霧に覆われて見えなくなる」
「そりゃあ、そうかもしれませんけど、あんな大きなものが影も形も見えなくなるなんておかしいですよ。現に、さっきまで霧の向こうにうっすらと見えていたじゃないですか。それに、方向的には僕たちが山を登ってきた道の方角にあるんですよね、あの塔って。なら、かなりあの塔に接近していたタイミングもあるはずでしょ? そこでも塔に気付かなかった、見えなかったっていうのが問題なんじゃないですか?」
疑問が噴出して、一気に喋ってしまう。はっと我に返ったところで、
「さすが名探偵の卵」
にや、とヴァンが笑ってくるので少し恥ずかしい。
「凡人ココアの疑問はもっともだ。そこで、発想を逆転させる必要がある。逆にこう考えるべきだ。つまり、塔があったのにそれが見えなかったのはなぜか。それこそが問題だ。霧に完全に隠されてしまったのはなぜか。ヒントは、この寮だ」
「え?」
どういう意味、と言いかけて僕の脳裏に、ほんの少し離れただけなのに寮に戻ろうとして迷っていたヴァンの姿が浮かぶ。正確には、ヴァンと僕なのだが。
「――白、ですか」
「白いってことね」
僕とウィッチの声が重なる。
「そう、塔の色が白に塗られていたら、かなり近寄らないかぎり白い霧に紛れて見えないはずだ。真っ白かった塔が、白くなくなったのが塔出現のからくりだと思った。だが」
「けど、どう見ても白くなかったですよ、近くで見てみたじゃないですか」
僕が反論、というかほぼ無意識に文句をつけると、
「ああ。だから、塗料が落ちたんだろう」
「落ちた?」
一瞬、意味が分からない。
「クロイツ先生の絵具が流行っているが、今でもこだわりのある絵描きは自分で絵具を調合する。俺もそうだ。そして、調合によっては極端に水で流れ落ち易い白い塗料を作ることも可能だろう」
「……塔の外壁は、確かに濡れていた。でもそれは……」
ウィッチが言いたいことも分かる。僕もそうだ。濃霧のせいで、外に出ただけで僕たちの衣服が湿ってしまう状態なのだ。まさか、塔が濡れていたのが――
「つまり、こういうことか。もともと白かった塔が、『水洗い』された。それで塔が出現した」
静かに、ヴァンがまとめる。
「そうだ。いかに水洗いするのか。水の魔術が必要だろう。とはいえ、この作業には繊細さは要求されない。ただ単に塔の全面に水をかけてしまえばいいだけだからな。これほど霧が濃かったら、水の原料にも事欠かない。魔力についてもそれほどは必要ではないはずだ」
「夜のうちに水洗いされた、ってことか。ふうん」
ヴァンは不満げに唸り、
「どうも納得できないな。霧が濃い。外にあるものはすべてじっとりと湿っている」
「ああ、だから、水洗いしたのに気付かなかった」
「俺が言いたいのはそれ以前の問題だ。もし、そんなに水で洗い落しやすい塗料ができたとして、だ。そうしたら霧で徐々に落ちていくだろう」
ああ、それはそうか。ヴァンの視点に僕はすとんと納得するが。
「もちろん。水をかければ容易く落ちるが、霧ではなかなか落ちないように調整しなければいけない。何度も実験をしなければならないだろうし、素人には無理だ」
その指摘は予想済みだったらしく、タリィは平然と返す。
「つまり、絵具のプロフェッショナルであり、なおかつこの環境――霧の濃いこの場所で何度も実験をすることができる人間、それが塔を出現させた――というより、塗った犯人になる」
「ちょっと、待ってよ」
ウィッチが話のいく先に見当がついたらしく、慌てて腰を浮かす。
「絵描きであり、この山で実験を何度もできる人物。クロイツかエーカーしかいない。謎の第三者が犯人だ、という可能性を考えないならな。二代目なら教師としてこの旧寮に足を運ぶ理由はいくつでもつくれるだろうし、エーカーは山歩きがライフワークだ」
思わずヴァンの顔を盗み見る。エーカーを見張れ。そう言っていた、ヴァンを。
ヴァンの顔には何の表情も浮かんでいない。
「もちろん、疑っていたのはクロイツだ。二代目は姿を消していたし、その後死体の絵が出てきたことも逆に怪しい。さも、自分は被害者で犯人ではないですよ、とでも言いたいみたいでな」
「ちょっと待ってよ。あの、塔の中にいるニャンは?」
「絵だろ」
ウィッチの質問に、タリィはいとも簡単に答える。
「絵? 絵って……絵?」
「絵。中に蝋燭でもあったんじゃあないか? 蝋燭の炎の揺らめきが、闇の中のニャンの絵を照らす。それでまるで生きている人間のように見えた。それだけだろう。俺たちが見たのは遠く離れた塔、それも霧が晴れた一瞬だ」
「僕たちが塔に近づいたら彼女がいなかったことはどうなるんですか? まさか、絵が勝手に動いたとでも……」
「それがまた、俺がクロイツを疑った理由だよ。俺たちが塔の中にニャンを見てから、塔に近づくまでの間に中の絵を移動させたとしたら、それができるのは外部犯を除けばその時点で行方不明のクロイツだけだ」
淡々と喋り続けるタリィ。
「動機はよく分からない。実際、ただ悪ふざけなのかもしれないと思ったんだが……道をかき消すのはやりすぎだ。俺たちの誰かがパニックになって無理に下山しようとすれば遭難する可能性があるし、他の登山者がこの一帯の道が消えているために遭難するかもしれない。悪ふざけにしては危険すぎる、というのは引っ掛かっていた」
「ちょっと待ってよ、タリィ。動機もいいけど、そもそもクロイツは一体いつ、あの夜に外に出たわけ? 密室だったんでしょ? それに、今になってまた塔が消えたのは?」
「まあ、待ってくれ。言っただろう、ウィッチ。俺は最初に言ったはずだ。大体のところしか掴んでいない、と。そこらについては俺には分からない。いや、分からなかった。エーカーが消えるまで、な」
タリィの声が沈む。
エーカーが消えるまでは? と、いうことは。
僕が息を呑み、ウィッチの顔も硬直する。タリィの言いたいことが分かったのだ。
「はっきり言おう。エーカーが犯人、もしくはクロイツとエーカーが共犯だと考えた方がいい。いや、ヴァンが言ったように共犯は確かに考えにくいんだろう。天才としても同意する。とすると、犯人はエーカーだ」
犯人がエーカー、その言葉はしばらく頭にうまく入ってこない。
あの、エーカーが? 豪放磊落な彼のイメージと、この奇妙な事件とが結びつかない。
だが僕のそんな状況はお構いなしに、タリィの推理は続く。
「エーカーが犯人だと考えれば、最初の半密室の謎もいとも簡単に解ける。何度も言ったが、あの夜、俺の意識は途切れた瞬間があった。繊細さも天才的なんでな。ということは、エーカーはその時は自由に動けたわけだ。この寮が半密室になっていたのは、俺とエーカーが見張り役だったからこそ。一方の意識がなく、一方が犯人だったら密室でも何でもない。今思えば、あの夜について訊いた時のエーカーの返答はかなり曖昧だったし、俺に合わせていた感がある」
確かに。僕もそういう印象を持っている。エーカーは僕たちの反応を見つつ探り探り証言していた気がする。
そして、同時に気付く。
そうか。エーカー消失でタリィがショックを受けていたのは、クロイツが犯人だとばかり思っていたのに、エーカーが犯人だったからのショックだったのか。
いや、待てよ。だとしたら。
「あれ、でも、ちょっと待ってください。だとしたら、ですよ」
僕は口に苦いものを感じる。
「その、共犯じゃなくてエーカーさんの単独犯だとして、それで今、クロイツさんが行方不明ってことは、クロイツさんは――」
「多分な」
顔を歪めるタリィを見て、ようやく彼のショックの本当の理由に気付く。
「いや、でも、そんな、エーカーが」
ウィッチが顔を青ざめさせて、弱弱しく反論を口にする。
「そうですよ、エーカーさんがクロイツさんを、その、こ、殺すなんて」
うまく動かない口を使って、僕も反論する。たった一日二日の付き合いだが、それでも彼が人殺しとは思いたくない。
だが僕が殺す、という言葉を使ってしまったことで部屋の温度が更に下がったような雰囲気になる。
「大体、タリィさんが意識を失っていた時にエーカーさんが外に出て水の魔術を使ったとか、ちょっと乱暴すぎませんか? タリィさんがいつ起きるかも分からないし、そもそも僕たちの誰かが間違えて起きてしまったらおしまいですよ」
「悪いが、動機や心理状態なんかまでは分からないんだ。いかに天才としてもな。俺に分かるのは、事ここに至っては犯人がエーカーだということだけだ」
「ココア、俺もそこにこだわるのは意味がないと思う。そんな危ない橋を渡るか、と俺たちが不思議がったとして、結局深く考えずに犯人がそれをやった可能性はあるわけだからな。考えるだけ無駄だ」
何故か、名探偵の言葉とも思えないことをヴァンが口にして反論を封じる。
「……が、まだ納得はできていない」
と思えば、今度はヴァンが反論を始める。
「タリィ、じゃあ、結局、エーカーはどこでどうやって消えた?」
そうだ。エーカーの消失も、全く謎に包まれている。
「……この寮に抜け穴があった、そうとしか思えない」
「おいおい、秘密の抜け穴か。それってあったら結構興ざめなやつだぞ。それに、この寮は外から見れば白い立方体だ。どう見ても抜け穴はなかったはずだ」
呆れた様子のヴァンに、
「地下ならどうだ。地下のアトリエだ。あそこから、山のどこかへの地下道があった」
「……どうもあやふやだな。タリィ、お前、確証でもあるのか?」
ヴァンは首を捻る。
「確証というほどじゃあないが、あのランプを覚えているか? とてもランプに見えない、ガラスの調度品にしか見えないランプだ。さっき、あれの芯が壊れていただろう? あのランプが抜け穴を出現させる仕掛け、スイッチなんじゃあないか? あれを使って抜け穴の出入り口を開け、その後でバレないようにランプを壊した」
「じゃあ、これから本当にあのランプに妙な仕掛けがあるかどうか確かめに行こう。どうも、お前のはかなりあやふやな推測にしか聞こえない」
ヴァンとタリィの視線が絡む。多少なりとも気力体力が回復してきたらしいヴァンと、これまでとは違って精神的にショックを受けている様子のタリィ、客観的に見て覇気的には互角といったところだ。
「真っ当な話だ、が……」
タリィは目を閉じて、しばらく沈黙を挟んでから、
「正直なところ――俺はヴァンとココアを信用できない」
突然言われて僕も驚く。が、よく考えればそれも当然か。こっちから初対面なのと同じように、向こうからしても僕とヴァンは初対面なのだ。同窓生とどちらを信じるかは言うまでもないだろう。
「だから、なんだと?」
ヴァンは動揺する様子を見せない。
「そして、お前は俺を信用していない。そうだな?」
「隠しても仕方ないな。まあ、それなりに信用してない」
そのヴァンの妙な言い方にタリィは喉で笑って、
「正直でいい。俺としてはもう地下のアトリエに行きたくない。一つには、もしも予想通り何かの仕掛けがあった場合、エーカーが潜んでいる可能性があるからだ。別にエーカーというのに不満があるなら、犯人と言ってもいい。とにかく、危険だ。第二に、もう、全員が全員を信用できていない。下手に動かず、ここで夜を明かした方がいい。生きて帰った後で、またここに地下のアトリエを調査しに来ればいい。違うか? 命があってこそ、だ」
正論だ。
ヴァンも黙る。
「そして第三に、俺は信用できなくても、ウィッチはどうだ?」
「はぇっ!?」
息を呑んで二人のやり取りを見守っていたらしいウィッチが、突然名を呼ばれてびくんと跳ねる。
「な、何?」
「俺とウィッチが共犯だとは思っていないんだろう、ヴァン?」
「まあ、な」
「ウィッチは俺と同じく、立体芸術の人間だ。才能では天と地ほどの差があるにしてもな。俺が勝手に推理を喋っても信用されないと思って、さっき手を打った」
僕は思い出す。そう言えば、地下のアトリエで何か二人は話していた。
「ウィッチ」
もう一度名を呼ばれて、ウィッチは慌てて頷く。
「あ、ああ。そうそう、そうなの。あたし、タリィに言われたのよ、お前も調べてくれって。俺だけじゃあ信用されないかもしれないからってさ。だから、あのランプ、調べたの。そしたら――」
「秘密の入り口があったか?」
「さすがにそんなものは見つからなかったけど、寮の外に続いている何かの仕掛けの跡があったのは確か。これは、自信を持って言える。これでも彫刻家の端くれだから、あのランプから何か妙なものが外に向かって伸びていた跡があったわ。ワイヤーか何かだと思うけど、その跡が」
思わず絶句してしまう。さすがに、このウィッチの発言が嘘とは思えない。ということは、やはりタリィの言うことは正しかった、ということか。
「……なるほど、分かった」
ヴァンが、やがてゆっくりと口を開く。
「じゃあ、あとはここで全員で全員を監視しつつ、夜を明かすとしよう」
乾杯、とヴァンは水の入ったグラスを掲げて、それをうまそうに飲み干す。
僕たちも結局、ダイニングキッチンから動かず、時折暖炉に火をくべながら夜を明かすことにする。酒は飲まなかったが、それでも精神的な疲れからか眠くて仕方がない。あるいは、暖炉の炎と他人がいるという安心感からだろうか。気が緩んでしまっているのかも。
ふと見ると、お互いを見張ろう、とか言っていたタリィが思い切り寝ている。おいおい。
落ちてくる瞼を必死に上げながら横を見れば、ウィッチはいつの間にか手元にナイフを持ち、それで暖炉で燃やす用の木片を削り、何か彫刻をしている。
とろんとした目を逆に動かすと、そこには立って僕たちを見下ろしているヴァン。眼帯。冷たい片目。その目を見ていて、何かが引っ掛かる。何かが。眠くて、うまく働かない頭のどこかで何かが引っ掛かっている。
「どう思うの? ヴァンさんは、タリィの推理」
どこか遠くから聞こえる声のようだが、これは横のウィッチのヴァンへの質問だ。遠く聞こえるのは、僕の意識自体が遠くなりつつある証拠だろう。
「六十点かな。全面的に間違えてはいないと思うが、どうもね」
――そうか。
はっと、曖昧になっていく意識の中で今までのいくつかのパズルのピースが重なる。もしくは、重なった気がする。
そうだったんだ。分かった。ようやく、分かった。
まずい、そうか、犯人は――
意識が遠くなる。まずい、このまま、寝てしまったら、殺されてしまう。漠然としたイメージだが、そう思う。
だが恐怖が僕の意識を覚醒させることもなく、僕はそのまま眠りに落ちる。
絶望だけを残して。
寒い。とても寒い。
これは死だ。死のイメージだ。だからとても寒い。
だがやがて、少しずつ、少しずつ温かくなっていく。生への帰還。
「――あ」
目を開ける。眠っていたことに気付く。ソファーで寝ていた。周囲を見回す。皆、寝ている。特に異常はない。
こうして、僕たちは誰も殺されることなく、普通に起床することになる。




