塔2
結果から言うと、塔は思ったよりも近くにあった。ただ、僕の体力が尽きるのはそれ以上に早かった。
ぜえぜえと倒れかけながら山を歩く僕をさすがに不憫に思ったらしく、最後にはエーカーに背負われていた。
「代われよ」
途中、何度もエーカーはタリィに要求したが、タリィは「コートに皺ができる」と拒否し続ける。
「ただでさえ、いかにこのコートに汚れを付けないか、に神経を使っているんだ。凡人を背負いたくない」
「とか言って、単に体力に自信がないだけだろう」
「凡人はこれだから。天才の俺がどれほどの身体能力を持っていたのか、忘れたのか?」
「そう言えば、単純な筋力ではあたしたちの中で一番だったわよね、タリィ。ペースの何かの大会にも入賞してたわ」
「天才だからな。ウィッチとココア二人くらいなら、両手に抱えて動ける自信はある」
「じゃあ代われよ」
「それとこれとは話が別だ。それに、体力ではエーカーが一番だっただろう。昔から、いくら野山を走り回っても息切れ一つしていなかった。凡人ながら体力はある。適材適所だ」
「じゃあ、塔に着いたら、塔を登るのはウィッチの役だな。昔から身軽で、大木なんかにもひょいひょいと登ってたもんなあ」
話を振られたウィッチは、
「ちょっと、勘弁してよ。まったく。もういくつだと思ってるのよ。高いところにそう簡単に登ってたまるかっての」
顔をしかめる。
本当に、同窓生の会話という感じだ。この会話を聞いているうちに、心のどこかに風が吹いているような感覚がしてくる。それを振り払う。
喋りながら近づくにつれて塔の影ははっきりとして、また思った以上に大きくなっていく。
霧の中でも完全にはっきりと見えるほどに近づいた時には、自然と僕たちの足は止まっていた。僕は背負われていたけれど。
「……すげえな、こりゃ」
塔を見上げてエーカーが漏らす。
「ええ、これ、本当に塔ですね」
エーカーから降りながら僕も同意する。
小さな塔に似た建造物だとか、単に何かを高く積み上げただけのものではない。
れっきとした塔だ。
全員でそろそろと用心深く歩いてさらに塔にすぐそばまで近づく。
見た目、明らかに古い塔だ。だが近づいて、その外壁を手で撫でて改めて確信する。
これは、昨日今日建てられた塔ではない。明らかに、古くからある、歴史のある塔だ。
積まれた石は表面が風化しかけ、ところどころにひびが入っている。そのひびや隙間には、苔が生えている。こんなもの、古くからある塔でなければありえない。
「こんなものがあったら、山を登ってきていた俺たちの目に入らないはずがない」
タリィの言葉に、
「だな。それに、俺たち以外の登山客も騒ぎ出す」
エーカーが答える。
その答えに引っかかる。
「エーカーさん、この山って、あの霧中寮に用がある人以外も登るんですか?」
「そりゃあな。登山する物好きが月に数組はいるみたいだ。つうか、いなかったら今頃道は残ってないだろ。霧中寮が学生寮じゃなくなってから何年経ってると思ってるんだ」
それもそうか。
「……ここからだと、見えないわね」
ウィッチが塔を見上げる。
何のことか一瞬分からなかったが、すぐに見当がつく。あの少女だ。塔の上部にある小窓。その奥にあの少女はいた。だが、真下にいてはそれを見ることはできない。
だが。
「そもそも、いなかったみたいだけどな」
エーカーの言う通りだ。
ここまで塔に近づく前に小窓を見た限り、その奥には単なる闇しかなかった。もし窓から見える場所にあの少女がまだ立っているなら、既に目撃しているはずだ。
「あれが生きている人間なら、同じ場所でじっとしていると考える方が無理がある」
タリィが言うので、僕はぞっとする。生きている人間なら。その言葉からは、彼女が死人であるということが連想される。
だが、彼が続けるのは全く思いもよらない話だ。
「彫刻か、絵画という可能性も考えていたんだが」
言いながら、タリィは塔をぐるりと回るように歩き出す。僕たちもそれについて行く。
「何だと?」
エーカーが眉を寄せる。
「彫刻に色を付けるか、絵画を置いとくか。とにかく、そうやっていたのかと思っていた。距離があって、しかも霧の合間にかろうじて見えた程度だ。おまけに薄暗い塔の奥。俺ほどの天才の作品じゃなくとも、本物の人間だとごまかせる。そう思っていた」
「あれが、偽物?」
ウィッチが首を傾げる。
僕も同感だ。あれは、どう見ても本物の人間に見える。だが。
「確かにな。俺でも、時間をかければ鏡に映したように実物そっくりの絵を描くことはできる」
絵画を専門とするエーカーは納得する。
「ああ。俺くらいの天才になれば専門外でもそれくらいの絵は描ける。ただ、いくら俺でも、勝手に動き出す絵は描けない。あるいは、魂を持った彫刻も造れない。今、窓からあの姿が見えないということは、あれは本物の人間だった。そう考えていいだろうと思う」
「あのさ、話を蒸し返すようで悪いけど」
ウィッチがそこで躊躇いながらも切り出す。
「あの女の子が本物ってことは、つまり……」
「言いたいことは分かるぜ、ウィッチ。確かに、俺の目から見てもニャンに見えた。ただ、見えたけどよ……その、なあ、タリィ」
「ああ、エーカー。そうだ、俺にもそう見えたが、断言はできない。似た雰囲気の少女だった、というだけの話だ。本気でニャンの亡霊だと思っているわけじゃあないだろう、ウィッチ?」
「それはそう、だけど……」
「ウィッチよお、まあ、ニャンはああいう死に方したから、気にするのもわかるぜ。けど、逆に言えば、俺たちが気にしすぎたせいで、ぱっと見たあの女の子をニャンだと思い込んでるって可能性もあるんじゃねえか? 実物は、そこまで似てないかもしれねえぜ」
意外にも、エーカーが冷静な意見を出す。
「……あれ?」
だがそこで、タリィが突如として妙な声を出すので会話が中断する。
「どうしたんですか?」
「いや……一周した」
「え?」
それがどうかしたのか、とさらに訊こうとしてその言葉の意味に気づく。
「……入り口、ありませんでしたよね?」
なんとなく、全員で塔を見上げる。
どこからも入れない塔。ひどく不気味だ。
「この塔、入れない塔なのかよ」
エーカーの呟きに、
「さすがに壁を壊しちゃうのは気が引けるけど、あたしかタリィなら、地面からトンネル掘って通れるんじゃない?」
とウィッチが続く。
「土の魔術、お得意なんですか?」
少し前に話が出た、ディガーのように地下から塔に入り込む、ということか。それなり以上の魔術の腕が必要なはずだ。
「彫刻やってるから、土の魔術はそこそこ経験あるわよ」
「俺は天才だから魔術は基本的に一通りできる。火も水も氷も土も風も何でもできる。天才だから」
自分が天才だということを強調する。
「そうそう、昔から器用だったよな、タリィは。逆に俺はどうも土の扱いが苦手だった。というか、魔術って基本繊細な作業だろ? 俺、だめなんだよ」
「絵は結構繊細なのにね」
「絵は絵だよ。ウィッチは逆に、土以外は魔術からっきしだったよな?」
「失礼な。そこまででもないわよ」
喋っている二人を後目に、タリィは掌で塔の外壁を叩き、そして地面を蹴っている。
「地面は大丈夫だろうが、見ろよ、これ」
「え?」
「あん?」
タリィの声に二人が振り返る。
そこで、タリィは掌でまた外壁を叩く。そこまで力を入れているようには見えない。だがそれでも、ぱらぱらと表面の薄い石片が剥がれ落ちる。それだけでなく、上からも小さな石の破片が降ってくる。
「悪いが、いくら天才とはいっても、こんな状態の古い塔に潜入する気にはなれないな。壁だろうが床だろうが破壊すれば、いや下手をすれば振動を与えただけでも崩れる可能性がある」
確かに、見た目からしてかなり古い、朽ちかけた石塔だ。無理はできない。
僕も外壁を触ってみる。ひんやりとしていて、霧の中にあるためにかなり湿っている。少し壁を掌で押してから離すと、かすかな感触と共に細かい石片が掌にくっついてくる。もろい。
「何とか登ってあそこの窓から入るっていうのもなし?」
一応だめもとで、という雰囲気でウィッチが提案する。
「登っている最中に崩れて真っ逆さまに落下ってことになりそうだよなあ……でもまあ、やってみてもいいぜ」
それを受けてエーカーが腕まくりするが、登るのはウィッチさんの役目、みたいなことを言っていなかったか? もう忘れてエーカーが張り切っている。呆れた僕の様子に彼らは気付いた様子もない。
「やめろやめろ。どうしてこの塔に来たか忘れたのか。そもそもは、クロイツを探しているんだ。そのヒントでもあるかと調べているだけだ。リスクを冒す必要はない。ともかく、この塔の中にクロイツがいるなんて可能性はどうやらほとんどゼロだ。それがわかったなら、ここは戻るべきだろう。確かに興味深い塔だが、調べたければまた別の機会に準備を整えてからくればいい。今の俺たちは、下山すら危ういかもしれない状態だということを忘れるなよ」
「まあ、それもそうだな」
あまりにもまっすぐなタリィの正論で引き下がる。
「ちょっと、あっちを見てみましょうか、ココア」
と、僕の背中をぽん、と押してウィッチが少し塔から離れた場所に押していく。
背中に、ぽかんとして見送るタリィとエーカーの視線を感じる。
「な、なんですか、ウィッチさん」
二人が霧で見えなくなるくらいまで押されたところで慌てて言うと、
「別に。ただ、ココアがどうにも、落ち込んでいるような気がして」
「落ち込んでいる? どうしてです? 僕は――」
反射的に誤魔化そうとしたが、すぐに諦める。僕は顔に出やすいタイプだと、自覚はある。
「いえ、まあ、落ち込んでましたね、皆さんが楽しそうに喋ってるのを聞いていて」
「どうして?」
「特技の話になったじゃないですか。僕、特にこれという特技がなくて……皆さんは芸術家で、芸術以外に特技があって、それなのに僕は、って、ちょっと思って」
「記者より芸術家の方が偉いの?」
心底驚いたらしく、ウィッチは目を見開いて驚いている。
「いや、そういうわけでもないんですけど、その、僕、実は元々記者になりたかったわけじゃないんですよ」
「あ、そうなの? 何になりたかったのよ?」
一瞬躊躇するが、今更恥ずかしがってもしょうがない。
「探偵です。まだ、探偵が活躍していた時代が僕の子どもの時代ですから、名探偵になって難事件をいくつも解決するのが夢でした」
「同じね」
「え?」
「あたしもよ。子どもの頃は、彫刻家になるなんて、夢にも思ってなかった。将来の夢は料理人だったんだから」
「料理、お好きなんですか?」
「未だに玉子も焼けない」
思わず僕とウィッチは顔を見合わせて、そして同時に噴き出す。ひとしきり笑ったところで、どちらからということもなく、塔に近づいて待っていたエーカーとタリィの元まで歩いていく。
最初の印象と違って、ウィッチはかなり感受性が高く、そしてお人好しで気を遣うタイプのようだ。そんな発見と共に、心が少し軽くなっている。
待ちわびていたらしいタリィは、
「さあ、ヴァン一人残しているのも心配だ。万が一にも日が暮れないうちに戻るとしよう」
と言いながらも、じっと塔を見ている。まるで魅入られたように。だが、それを断ち切るように目を閉じて頭を振り、塔に背を向けると地面に刻んだ目印、それを辿って歩き出す。
少し躊躇ってから、エーカーとウィッチが顔を見合わせつつ、それに続く。
最後に、僕。後ろ髪を引かれるように、何度も塔を振り返りながらも、歩き出す。だが、どうしても、振り返るのをやめられない。一歩進んでは振り返り、二歩進んでは振り返り。まるで、塔がじっとこちらを見下ろしてきているかのような感覚を拭えない。
まるで、あの少女が見下ろしてきているかのような。少しずつ塔からは離れていく。だというのに、見られている感覚は強くなっていく。
これで最後だと心に決めて、もう一度振り返る。そして、窓を見上げる。その塔の向こうの闇。
昼だというのに光の届かない闇、その奥で少女が笑っている気がする。




