塔1
「全く、どうして俺が……」
ぶつぶつ言いながらも、エーカーはヴァンに肩を貸す。ヴァンが一人で歩けるような状態ではないのだから仕方ない。
半分引きずられるようになりながら、ヴァンはエーカーと一緒に寮を出る。それに続いてタリィ、そしてウィッチと僕。
深い霧の中、とりあえずまずは水場まで行き、全員で塔を再確認する。
「どれだ……ああ、あれか」
ヴァンは初見なので、塔の影を見つけるまで少し時間がかかっている。とはいえ、すぐにその霧の向こうの影を見つけて、
「霧が深いからはっきりと見えないが、なるほど、何か長細いものがあるのは確かだ」
「霧が薄れる瞬間なら、もっとはっきりとあの塔が見えた。この天才が断言してやるが、古い塔だ。あの絵の通りの」
タリィの言葉に、ヴァン以外の全員が頷く。
「なるほど……で、はっきりさせておきたいんだが、その塔の窓から、ええっと、ニャンだ、ニャンが笑いかけてきたというのも、全員が確認したのか?」
「僕はニャンさんを知りませんけど、少女が笑っていたのは見えました」
僕がそう言うと、
「間違いねえ。ありゃあ、ニャンだ。それも、学生時代のままのな」
エーカーが説明する。
「彼女の、ままだった。あの、眼」
ウィッチも、かすれ声で呟くが、
「眼?」
と僕が聞き返しても反応してくれない。
「……ああ、少し、不思議なんだが、誰か答えてくれるか?」
少し首を傾げてヴァンが質問を切り出す。
「この距離、おまけに霧がある。いくら薄れていたとしても、塔の中にいる人物をはっきり目撃するなんてことが可能なのか? 全員、そんなに目がいいのか?」
そう言われると、確かに不思議だ。たとえ霧がなかったとしても、僕の視力であの距離の人物をはっきりと確認して、おまけに笑っている、と表情まで見分けることができたとは。だけれど、確かにそれが見えた。そのはずだ。
「……正直、そんなに目がいい方じゃあない。俺も、それからウィッチもだ。タリィは、結構目がいいよな?」
「視力も天才的だからな。ただ、ウィッチやエーカー、それからココアまでも彼女が見えた、そして笑っていると分かったのはおそらくはっきり見えたからじゃあない。逆だろう」
「逆?」
僕の疑問に、
「ああ。他の凡人共は俺ほどはっきりと見えてない。ぼんやりとした彼女の姿しか見えなかった。だからこそ、雰囲気で判断したんじゃあないか? 彼女は、明らかに俺たちを見て笑っていた。笑いかけていた。少なくとも俺にはそう見えたし、はっきりとは見えなかったかもしれないがお前たちはそれを感じた。そういうことだろう。雰囲気や気配というのは、案外馬鹿にできない」
「……笑いかけてきた、か」
ヴァンはしばらく、そのタリィの説明をかみしめるようにしていたが、
「そういうこともあるか。まあ、実際のところは塔に近づいてみれば分かることもあるだろう」
「だな。俺の肩を借りてるお前が言うのは納得いかねえが、まあ同意だ。よし、じゃあ、あの塔に行こうぜ」
エーカーはそう言って前に歩き出す。まずは、道を辿ってできるだけ塔に近づく。道から外れる場合、ロープか何かを使ってすぐに道に戻れるようにしておく。そういう流れだ。
だが、その計画はすぐに崩れ去る。
「嘘だろ」
エーカーの絶望に満ちた呟き。寮から少しだけ離れた地点で、足が止まっている。
タリィすら呆然としている。僕とウィッチも同じだ。
道が、ない。寮を少し離れたところで、地面がずたずたに荒れているのだ。元々あった獣道は、跡形もなくなっている。
塔に近づく、近づかないではない。これは、下手をすると。
「参ったわね。下山ルートが分からない」
ウィッチが強張った顔で言う。
そうだ。この、霧の濃い山中を、目印なしで歩くなんて恐ろしいことはできない。
「ちょっと……降ろしてくれ」
ヴァンはエーカーの肩から地面にぼてん、と落ちる。そのまま地面に寝るようにしている。何してるんだ。
「ああ、くそ、まだ気持ち悪いな」
体を起こしのろのろと地面に座り込み、ヴァンは荒れた地面を撫でる。
「……かなり広範囲だし、道具を使ったんじゃあないだろうな。おそらく魔術だ。土の魔術で直接地面をめちゃくちゃにしたか、もしくは、風か?」
「風?」
タリィが怪訝な顔をする。
「ああ。風の魔術で、暴風で地面をえぐらせるって方法もある」
「俺は全方位に天才的だが、魔術についてはヴァン、お前が専門だ。だからお前の意見を聞きたいんだが、俺の知る限り魔術というのは視認することが必要になる。俺が彫刻中に土の魔術を使用する時も、正確に魔術を行使するためにかなり綿密に観察する必要があるんだ。こんな霧の中で、広範囲を魔術で荒らすなんてできるのか?」
かなり理路整然としたタリィの言葉に、僕なんかはなるほどそれもそうだと納得しかけるが、ヴァンは首を捻る。
「確認したわけじゃあないが、この一帯の地面全てが荒らされているなら、かなりの範囲になる。それだけの範囲に魔術を行使するという時点で、それなり以上の魔術の使い手であることは確かだが……霧の中でこの現象を起こすこと自体には、そこまで魔術の腕は関係ないよ」
はあ、と顔色悪くため息をつきながらヴァンは続ける。
「要するに、荒らせばいいわけだからな。確かに正確な魔術の行使に視認が必要というのは間違いないが、これに関してはどこをどう荒らすかについては、どうでもいいわけだ。とにかくここらを荒らしさえすればいい。そういう意味で、霧の中だからこれができないという話にはならないな……エーカー、悪い、肩を貸してくれ」
「え? 面倒くせえな」
言いながらもエーカーはヴァンを引き上げる。
「悪い悪い……マジで気持ち悪いんだ」
「そういえば――」
思い出す。
「昨夜、眠る直前、風の音を聞いた気がします」
そう、何か風の音らしきものがしたが、あまりにも眠いのでそのまま眠ってしまった。
「それが暴風で、それによって道が消えてしまった、と?」
タリィは顎を撫でて何やら考え出す。
「あのさ、山の天気って極端なこと多いじゃない。単に、暴風が吹いて道が消えただけってことは考えられない?」
おずおずとウィッチが言うが、
「……だとしたら、道はとっくの昔に消えてなくなっているはずだ。単なる暴風じゃあ消えないはずの道が一晩で消えたってことは、人為的なものだろう。芸術的とは言えないがな。この天才はともかく、お前たち凡人の作品にすら劣る」
何故か少しおどけるような調子でタリィが言う。
「ここで俺たちが困っているのは、何者かの意志ということだ。ふふん、この天才を困らせるとはな」
「おいおい、まあ、別にいいんだけどよ、結局どうするんだよ。寮に戻って作戦会議でもするか?」
エーカーがしびれを切らしたのか声を上げる。
「さて、どうかな……とりあえず、やはりあの塔は確認しておいた方がいい気がする。道はないが、地面に目印を刻みながら、せっかく持ってきたロープを使いつつ……ならば寮に戻ることはできるはずだ」
タリィの提案に、全員が沈黙する。迷っているようだ。
僕としては、正直なところ寮に戻りたい。この霧の中を道もなく塔まで歩くというのはごめんだ。ただ、タリィの言うようにすれば確かに塔から寮に戻るくらいはできそうな気がする。それに、塔を確認しておいた方がいいというのも、確かにそうだ。僕の脳裏にはあの少女が、笑いかけてきていたあの死人らしき少女の姿がこびりついている。恐怖と一緒に。皆と一緒に塔を確認して、これを払しょくしたいというぬぐい切れない衝動もある。だが、やはり歩きたくない。こんな霧の中を歩くなんて恐ろしい。無事にたどり着ける気がしない。途中で倒れそうだ。
「……塔から寮までの往復に、どれだけ時間がかかるか分からない。帰り道の途中に日が沈むというのは最悪だ。やるなら今の方がいいだろうな」
迷っているそぶりを見せながらも、ヴァンがそう言ってタリィに同意する。
「お前、ほとんど自分で歩かないくせによくそんなこと言えるな」
エーカーが呆れ声を出して、
「山歩きについては俺が一番詳しいだろ。その俺から言わせてもらうと、タリィの言ったような方法をとりながら慎重に進めば、寮まで戻れなくなる、って危険はほとんどないと思っていい。寮は真っ白いから霧で見えにくいんで、それだけ注意すれば大丈夫だろう。塔はそこまで寮から離れていないように見えたしな。それに、何よりも面白そうだ。絵から飛び出した塔。こりゃあなかなか、できる経験じゃあねえぞ。どうだよ、ウィッチ」
「そうね――あたしも正直なところ、あの塔は調べたい。ニャンの――いえ、とにかく、賛成よ。クロイツの件もあるし」
まずい、このままじゃあ塔まで行くことになる。その時、天啓がひらめく。
「あのー」
そこで、僕は申し訳なさそうに声を出す。
「僕、ちょっと提案があるんですけど」
「ん?」
「全員であの塔まで行ってると、ひょっとしてクロイツさんと入れ違いになったりしませんかね?」
その発言に、全員があっという顔をする。
「確かにな」
エーカーが頷く。
「もしクロイツさんが寮に戻ってきた時のことを考えると、誰かが寮に戻ってクロイツさんに説明できる状態の方がよくありませんか?」
よし、いいぞ、いけそうだ。僕の言葉に熱がこもる。
「それもそうね」
ウィッチも同意する。
ここだ。
「だから僕が――」
「だったらヴァンには寮に残ってもらおう。エーカーもそいつを引きずって塔まで行くのは大変だろう」
だが僕の希望をタリィが一瞬で打ち砕く。
「俺は全然大丈夫だぜ」
「で、ですよね。だから僕が――」
「エーカーが良くてもヴァンさんが危ないじゃない、そんな状態で連れまわされたら」
ウィッチの正論に、
「ああ、まあ、そうか」
エーカーも納得する。してしまう。
「じゃあ、お言葉に甘えるよ」
ヴァンが言うに至って、もうそれで決定というような雰囲気になる。まずい。
「あのお、でもヴァンさんだけじゃあ、体調悪そうですしひょっとしてうまく説明できないって可能性も――」
「いや、大丈夫だ。動くのはきついが、意識は結構しっかりしてるから」
黙れ、酔っ払い。余計なことを。
「ああ、あれか、ひょっとしてココア、行きたくないのか?」
ヴァンが話を振ってくる。
「え、ええ。実は体力に自信がなくて皆さんに迷惑を――」
「お前は行った方がいいと思う。記者だし。まさか、こんな状況で塔を調査しないのか、記者なのに?」
「う」
ついに、ヴァンの発言でとどめを刺される。というか、昨夜からそうだが、ひょっとしてヴァンは僕のことを嫌っているんじゃあないのか?
「おい、さっさと行こうぜ。いやあ、いったいどうなってるんだろうな、あの塔?」
楽しそうなエーカーの言葉で、とうとうこの話は決着がついてしまう。この剛毅な男は、心底この状況に心が弾んでいるらしい。
畜生、なんてことだ。悲惨なことになりそうだ。
「あれ? おい、寮どっちだっけ、真っ白いから霧にまぎれて全然見えない。こっちか? ああ、こっちだ」
文句を言いながら寮に戻っていくヴァンを、恨めしく見ることしかできない。




