消失
「……どういうことだ?」
エーカーが頭をかきむしる。
僕たちはダイニングで、無理矢理たたき起こしたヴァンも含めてテーブルを囲んで座っている。
「どうして、クロイツがいねえ?」
そう、エーカーの言葉通り、部屋にはクロイツがいなかった。寮の中をいくら探しても、外をぐるりと寮の周りを一周しても、どこにも姿がない。
「……気分が悪い」
一方、まだ青い顔をしているヴァンは、そんなことを呟いている。
「そんなに弱いのに、どうして飲んだんです?」
ついそう言ってしまうと、
「いやあ、いつもはこんなに気分悪くならないんだけどね」
ヴァンは首を振ってから、
「ええと、とにかく、状況をまとめると、クロイツがいなくなって、代わりに塔が出現したわけだな。俺はまだ見てないが」
全員でヴァンの言葉に頷く。
「じゃあ、あれだ、クロイツは先に起きて、塔に気づいて、見に行ってるんじゃあないか?」
その指摘に全員がはっと息をのみ、空気が弛緩する。なるほど確かにその通りだそうに違いない、といった安堵が広がっている。
だが違う。何かが、違うはずだ。何か違和感がある。
その違和感が何かを考えていて、はっと気づく。そうだ。そうだった。
なんてことだ。これは。
「密室……」
思わず呟く。
全員が怪訝な顔で僕を振り向く。いや、一人だけ。ヴァンだけが値踏みするような、観察するような目でこちらを見てきている。
「密室って、何が?」
エーカーが言う。
「ああ、いえ」
一瞬躊躇した後、
「その、出入り口はこのリビングダイニングに直接つながってるあれだけなわけですよね?」
「そうだよ」
答えるのはタリィ。彼もきょとんとしている。どうやらまだ密室、ということにぴんときていないらしい。
「それで、そのリビングダイニングでは、ずっとタリィさんとエーカーさんがお酒を飲んでいた。一晩中」
僕がそう言うと、エーカーとタリィと顔を見合わせてから、
「どうだ、タリィ?」
エーカーはタリィに話を振る。
ヴァンはぎょろり、と目をエーカーに向けている。
「さっきも言ったが、俺は何度か意識が朦朧としたタイミングがあったのはあった。お前はどうなんだ? 俺の知る限りは、ずっと起きていたみたいだが?」
「ん、まあ……俺はずっと起きてたぜ」
「ということは、クロイツさんがあの出入り口から出ていくなら、気付いたはずですよね?」
僕のその確認に、エーカーは腕を組み唸りだす。
「……難しい質問だな、そりゃあ。俺も何度かトイレに行ったりとかで、席を全く外さなかったってわけじゃあ、ないからなあ」
その曖昧な証言に不安を覚えたのか、ウィッチは眉をひそめてエーカーを見る。
「その時、タリィは? 意識がなかったのか?」
突然、青白い顔のヴァンが口を出してくる。喋った後で、すぐに顔をしかめる。相当気分が悪いらしい。
「俺は天才だが、意識がない時はないし、記憶が曖昧なこともある。つまり、俺の記憶の中ではエーカーがトイレに行ったかどうかは曖昧だ。ということは、その時、俺は前後不覚だったんだろうな」
「どうして自慢げに言うのよ、そんな内容」
ウィッチが呆れた顔をすると、
「そういう奴だろ、今更だぜ。んなことよりよ、密室ってのは――」
とエーカーが話を元に戻す。
「つまり、あれか。俺たちが見張り番になってるから、この寮が密室になってて、見つからずに出入りができないってことか」
「そういうことです」
「ほぼ密室、だな、正確には。結局んとこ、さっき言ったようにずっと見張ってる状態だったわけじゃあない。ただ、俺がトイレにいたとして、あるいはタリィの意識が朦朧としていたとして、さすがにここを通って誰かが出ていったら気付きそうなもんだからな」
「話が飛んでいるな。出入り口以外にも、別の場所から出た可能性がある」
そこでヴァンがふう、とため息をつきながら話に割って入る。気分がまだ悪いらしくソファーの背もたれにへばりつくようにしている。
別の場所から出た可能性?
「どういうこと?」
ウィッチが身を乗り出すと、
「ちょっと待て。気分が悪い……」
深呼吸をしてから、ヴァンは語りだす。
「今、ぱっと思いつくものだけ挙げていくと、まずは窓だ」
「いやいやいや」
僕は思わず突っ込む。
だって、窓って、そんなもの。
「この寮にはないでしょ、窓なんて」
外観を見れば一目瞭然だろうに。
「いや、窓か、それはなくとも換気口はあるはずだ。そうだろう?」
だがヴァンは自信、というより確信をもって断言している。
「あ、ああ」
あろうことか、なんとタリィがそれを肯定する。
馬鹿な、どうして。
そんな思いでヴァンを見ていると、それに気づいたらしく、
「あれだ」
と親指で暖炉を指し示す。めらめらと燃えている暖炉を。
「……暖炉?」
「煙突なり窓なりの排気口なりがないのに暖炉を設計するほどクロイツ大先生が馬鹿ならしょうがないが、チューブ入り絵具で大成功したんだ、そんなことはないだろう」
唸ってしまう。言われてみればその通りだ。暖炉がある以上、排気口がなければいけない。
「外から見たら分からないが、実際にはこの暖炉には煙突がある。煙突、といったら語弊があるな。ただ単に四角い穴が開いているんだ、天井にな。それから、かなり分かりにくく設計しているが壁にも通気口がある。ほら、ここだ」
タリィは立ち上がり、近くの壁の一部を撫でる。
その部分、一目見ただけではただの真っ白い壁にしか見えないが、よく見れば何やら切れ込みが入っているようになっている。
「白く塗った鎧戸だ。この辺、クロイツ先生は凡人なりに工夫してるよ。どうしても、真っ白い立方体にしたいって意向と普通に住むために必要な機能の両方を満たすための苦肉の策ってわけだ」
「鎧戸は取り外せるんですか?」
勢い込んで僕が尋ねると、
「えー、考えたこともなかったわね? 掃除のときもそのまま掃除してたし」
ウィッチは首を捻る。
「試してみればいいだろう。というか、設計を齧っている天才の意見としてはだな、外せないなんてありえない。メンテナンスの時とかどうするんだって話だ」
そう言ってタリィはしばらく鎧戸と格闘していたが、やがて鈍い音と共に鎧戸が壁から外れる。
「ほら外れた」
外れて外の空気が部屋に流れ込んでくる。少し寒い。
できた長方形の穴は、だが人が通るには少し小さすぎる気がする。不本意ながら華奢な僕でも、頭を突っ込んで片方の肩を入れたところで終わり、という感じだろう。
「はあ……多少、気分がよくなるな。この鎧戸はこのリビングダイニングにしかないのか?」
ヴァンが外の空気を胸いっぱいに吸い込んでから質問する。
「いや、各部屋にある。だけど、見ろよ、これを通って外に出るなんて無理だろ」
エーカーもその穴に寄って覗き込み、言う。
「そうかもしれないな……可能性の二つ目は、地下のアトリエからでも、トンネルを掘って外に出るという手だ」
「トンネル? ……ああ! ディガーみたいなことをしたってことか」
エーカーが手を叩く。
ディガーとは、土の魔術といくつかの道具を使って穴を掘ることを生業とする人々のことだ。技術の優れたディガーは、信じられないほど深くまで掘り進むらしい。
「けど、クロイツは土の魔術はそこまで得意じゃなかったはずだぜ。水の魔術は多少は使えたみたいだけどよ」
「別にクロイツがやったとは限らない。外からトンネルでこの寮に侵入した何者かが、クロイツをさらっていったのかもしれない」
青白い顔でそう呟くヴァンに、タリィは胡散臭げな目を向け、
「どうもな。さっきクロイツを探しにアトリエを見たが、穴の痕跡みたいなものはなかったぞ」
「信じられないくらいうまく作ったのかもしれない」
おそらくは自身でも信じていないであろうというのが伝わる口調だ。
「とにかく、俺が言いたいのはクロイツが出ていく、もしくは出ていかせる方法はこの出入り口だけじゃあないということだ。おまけに、この出入り口すら、タイミングによっては使える可能性がある。だから、密室だと騒ぐような話じゃあない。そう言いたいだけだ」
「だってよ。さすがは元名探偵。ココアの面目丸つぶれだな」
そう言ってエーカーが笑うので、さすがにいい気分はしない。
「ああ、いや、違う。俺はただ……」
と言ったところでヴァンの顔色が更に青くなり、ソファーに転がる。
「……気を悪くしたならすまなかった、ココア。そういうつもりじゃあなかったんだ」
「ああ、いえ、別に――」
「……もう無理だ」
突如としてよろよろと立ち上がったヴァンは出口に向けてのろりと走り出し、
「うええええ」
と、外に出てから思い切り吐いている。
思わず全員で顔を見合わす。なんて体たらくだ。
「……悪い悪い。いやいや、本当に気分が悪くてな。昨日も、ベッドに入った後気分が悪くてトイレに駆け込んだくらいだ。トイレが遠かったのをあれほど恨めしく思ったことはない」
トイレはこの寮で一か所だけ。リビングダイニングからは一番遠い、廊下を突き当りまで行って曲がって、その先の突き当りだ。確かにヴァンの部屋からもそれなりに遠かった。
「おまえか、トイレを汚したのは!」
突如としてタリィが激高する。
「汚したってほどじゃないだろ。口をすすごうとした時に、気分が悪すぎて水の魔術を失敗して水浸しにしただけだ。いや、掃除しようと思ったんだけど、猛烈に気分が悪いし掃除道具がどこか分からないしさ」
「掃除したのは俺だぞ。まったく、この天才にトイレ掃除をさせるとは」
どうやら本気で怒っているらしくかっかと顔を上気させていたタリィだが、やがて気を取り直したように咳払いし、
「話を元に戻すが、あの塔が出現――そうとしか表現できないな。塔の出現とクロイツが消えたのが無関係ってことはないと思うんだ。やはり、あの塔を調べないか?」
その発言に、エーカーは頷いて同意しつつ、
「ただし、道を外れる可能性もあるぜ。霧が濃いしな。ロープか何か、地下になかったか? それを使って、万が一にも遭難しないようにしていかねえとな」
「もちろんだ。山の中を遭難するならともかく、ひょっとしたら絵の中に迷い込むことになるかもしれない」
冗談のつもりか、タリィが言う。
「そうね……あの塔、まるでこの絵の――」
ウィッチがそこで固まる。顔が、目も口も見開いた驚愕の表情で硬直している。
「ああ……気持ち悪い」
ふらふらと戻ってきたヴァンが、ウィッチの様子に気づいてその視線を辿り、目を細める。
僕もエーカーもタリィも、それに続いてウィッチの見ているものを追う。そうして、彼女が固まっている理由が、とんでもない驚愕の理由が分かりすぎるくらいに分かる。
むしろ、何故、今まで誰も気付かなかったのだろうか。
あの絵、「霧に浮かぶ塔」というタイトルの絵。あの絵がおかしい。
さっき、霧のかなたにまるで絵から抜け出したかのように塔があったが、あれは本当に絵から抜け出したのかもしれない。
リビングダイニングにかかっている絵には、塔がない。ただただ、霧の情景のみが描かれている。
「なるほど……そういうコンセプトか。絵から塔が抜けて現実に出現、というわけだ」
絶句している僕たちの中、ただ一人、ヴァンだけが青白い顔で少しだけ笑う。




