霧に浮かぶ塔
ペ2買()
この世にあるものを絵を使って、あるいは彫刻によって描き写すことをしてきたものは数多く、歴史上幾人ものその道の天才が存在してきた。
だがタリィ・モウディこそは、この世にないものを石から削り出すことに成功した第一人者なのだ。
まどろみの中でインタビューのことを考えていたからだろうか。覚醒した僕の頭の中にあったのは、ある評論家がタリィに対して行った批評の文面だった。
「うっ」
二日酔い独特の頭痛と倦怠と共に、僕は体を起こす。
窓のない部屋では朝日が出ているかどうかなど分からないし時計もないが、それでも何となく朝なのだという気配は感じる。
「ああっ、あー……」
倒れ込んだまま、変な姿勢で寝ていたからだろう。体が妙に固まっているので伸びをすると、ばきばきと音がする。
今、何時頃だろう?
立ち上がり、身だしなみを最低限整えてから、咳払いして部屋を出る。
何やら喋り声が聞こえる。それを追うように歩いてリビングダイニングまで行くと、ソファーで対面しつつ互いに酒を呷っているタリィとエーカーの姿がある。そして二人の周辺には無数の空き瓶が転がっている。
まさか。
「おお、早いじゃねえか」
先に気づいたエーカーが、笑いながら語り掛けてくる。見た目、昨夜よりもむしろ元気そうにすら見える。
「おはよう、顔でも洗ってきたらどうだ? 朝は水が冷えているから気持ちいいぞ」
一方のタリィは、さすがに疲れた顔をしている。だが酒を飲む手を止めてはいない。
グラスを片手に、暖炉に薪を放り込んでいる。
一晩、ずっと暖炉の火は消えていなかったらしい。おかげで室内は温かい。
「おはようございます。あのお、つかぬことをお聞きしますが……まさか、ずっと寝ずに二人で飲んでいた、ってことはないですよね?」
「どうして? 何かおかしいか?」
タリィがきょとんとした顔をして、
「まったくだ。うちの村ではこれくらい普通だぞ」
エーカーが笑い飛ばす。
文字通り飲み明かしたということか。とんでもなく酒に強いし体力もある、ということだろう。
「……信じられん」
声がしたので振り向くと、そこにはいつの間にかそこにいたヴァンの姿がある。後ろに亡霊のごとく立っている。
「ああ、ヴァンさん。ですよね、僕らにはとてもそんなマネは無理……」
と言いかけて、明らかにヴァンの様子がおかしいのに気づく。
顔は真っ白、目は充血しており、猫背も昨夜よりひどい気がする。
「あの、ヴァンさん?」
「二日酔いだ。気分が、悪い」
ふらふらとソファーまで歩くと、そこでごろんと横になる。こちらはこちらで、なんて弱さだ。
「とはいえ、そろそろ酒が切れるな。そろそろお開きにするかあ」
エーカーが欠伸をする。
「いや、酒がまだ少しだが地下に置いてあるはずだ。が、まあ確かに、これ以上は飲めないな。俺も顔洗いにいくかな」
つられるようにタリィも欠伸をして立ち上がる。やはり少しふらついている。当たり前か。
「おはよう」
ダイニングに入ってくるのはウィッチだ。やはり二日酔いなのか、多少顔色が悪い。
「何? 二人とも、寝ずに飲み続けていたわけ? 信じられない」
呆れ声を出して目を丸くする。
それはそうだろう。普通、そういう感想になる。
「いやあ、正直なところ、俺は何度か意識飛びそうになったけどな。繊細さも天才級だから」
「情けない。俺の村だったら下戸扱いされるぞ、そんなもん。確かに、お前、何度か目が虚ろなタイミングあったもんなあ」
かかか、と笑って、信じられないことに更に酒を呷るエーカー。
その様を見て肩をすくめながらタリィはダイニングから、外に向かう。顔を洗おうと言うのだろう。
僕もその後をついていく。確かに顔くらい洗いたい。
「一体、一晩中も何を喋られていたんですか?」
同行するのに無言というのも妙な話なので話しかけてみる。
「会話術も天才的だから話題が尽きることはないんだよ」
寮の外に出ると、朝の冷気とそれに冷やされている霧とが一気に全身を包む。これから冷たい水で顔を洗うという気が少し削れる。濃い霧の向こうに朝日が見える。
外はやはり霧でほとんど前すら見えず、それどころか朝の冷えた空気の中、逆に霧が濃くなっているようにすら思える。
この辺は岩ばかりで木々がほとんどないからまだマシだが、これがもしも緑豊かで障害物だらけだとしたら、いくら足元に気を付いていてもまともに歩けないだろう。
水場は寮の裏にあった。タリィが桶で水をすくうと、それを頭から浴びている。豪快だ。
僕はさすがにそんなこともできず、素直にその水で顔を洗う。痛いほどに冷えている水で顔を洗うと、ようやく本当の意味で目が覚めた気がする。そうだ。今日こそは、取材を終わらせなければ。昨日はヴァンに出会った衝撃と酒とで何もできなかった。記者失格だ。
「あー冷たそー。ちょっと勇気がいるわね」
同じく顔を洗いに来たらしく、ウィッチがやってくる。その後ろからエーカー。
「エーカー、さすがに酒飲むのはやめたのか?」
タリィが言うとエーカーが肩をすくめて、
「死体みたいなヴァンと二人きりで酒飲んでても仕方ねえだろ」
確かに面白そうではない。
その時、かすかに風が吹いた。立ち込めている霧を、少しだけ薄くする程度の風。
「大体――……」
そこで、エーカーの言葉が止まる。言葉だけではなく全身の動き全てが止まっている。ぽかん、と口を開けている。
「どうした?」
不思議そうにエーカーの視線を追うタリィも止まり、続いてウィッチ、そして、最後にそれを追う僕も止まる。動きも、思考も。
少しだけ薄くなった霧、その向こうに、何かある。かろうじて浮かび上がっているあれは。
それをどう考えていいのか分からず、誰もが呆然としている。
なかった。何もなかったはずだ。
なのに。
霧の中に浮かぶ塔を、全員が呆然と眺める。
「おい……あの塔って」
誰かが、呟く。
「あの絵の塔、じゃ、ないか?」
全員が息を呑む。そうして。
「あれっ、て」
別の誰かが指をさす。震える指。
その先には、霧でかすれながらもかろうじて見える塔の小窓。その小窓の奥の闇から。
少女がこちらを見て、笑っている。
すぐに霧によってその塔はふたたびぼやける。だが目を凝らせば、確かにそこに、その霧の向こうに細長く高い何かがあることくらいは分かる。塔の影。あそこ、塔がある。だが。
「何もなかった、はずだよな?」
タリィの呟きの通りだ。そして珍しくその口調からは余裕が感じられない。
方向的には、あちらは山を下る方向。僕たちが登ってきた方向のはずだ。当然、この寮まで登ってくるまでの間にあんなものは存在していなかった。塔があれば、さすがに気づくはずだ。建造物の影すら、なかったはずなのだ。
「一晩で塔ができたか」
笑いを含むエーカーの声。だが、かすかにそこに虚勢を感じるのは考えすぎだろうか。
「……ねえ、あの塔の、窓」
躊躇いながら、ウィッチが口にする。その瞬間、場に緊張が走り、そしておそらくは全員がその緊張で確信する。
全員、あの窓、あそこからこちらを見て笑っている少女を見たのだ。
「笑っていたの、あれは、ニャン――」
言いかけて、ウィッチはふう、と息を吐く。
「ごめん、忘れて。とにかく、妙よ。何かが、妙」
あの少女のことをウィッチが口にした時走った緊張、その理由が分かる。いてはいけない少女。死人。
「……あの塔、確認してみるか?」
沈黙の後、エーカーが言う。
「だな。ただ、道からかなり外れた場所にあるようだったらやめておこう。遭難する。道の上から、できるだけ近づく。これでどうだ?」
タリィの妥当な提案に、一同頷く、が。
そこで僕は思い出す。
「あのお」
「ん? どうした、俺の天才的な提案に何か問題でもあるのか?」
かなり精神的には回復してきたらしく、口調にも余裕がある。
「ヴァンさんとクロイツさん、まだ寮の中ですよね?」
「あ」
慌てて、ヴァンとクロイツを全員で起こしに戻る。




