同窓会1
「ペテ師は眠り2」買ってくだ(ダイ)
聞き間違いかと思った。まさかこんなところで、ヴァン・ホームズの名を聞くとは。
僕にとって、いやおそらく多くの人にとって尊敬と畏怖の対象の名前。そしてある種の人間にとっては、憎悪の対象。
非常に優れたシャーク国を代表するような探偵であり、歴史に残るような難事件をいくつも解決した男。卓越した魔術師であり探偵であるために、己の腕だけで平民から貴族へと成り上がった立志伝中の人物。
だが同時に、探偵が犯罪捜査をするというシステムを個人的能力に依存しているとして切って捨て、犯罪捜査、司法、その他もろもろの構造、制度を改革していった。
現在、犯罪捜査が僕からすると面白くとも何ともない画一的で組織的なものになっているのは彼の提言によるものと言っていい。その改革はシャーク国だけでなく他の国々にも影響を与え、パンゲア全土が一気に変革――一部の人が近代化、と呼ぶそれを起こしていくことになった。
その改革の中心にいたのがヴァン・ホームズであり、世界的な影響力で言えば一時期は王族を凌いでいたはずだ。
だが、そのヴァン・ホームズは世界的な改革の波が少し落ち着いてきた時期に、突如として表舞台から姿を消す。急な隠居に色々と憶測は飛び交ったものだったが。
その、ヴァン・ホームズがここにいる。まさか、と思う。
「ヴァンさんって芸術に興味あるの?」
呆然としている僕をよそに、招き入れられたヴァンはソファーに座らされ、お茶と共にウィッチの質問攻めにあっている。ふわふわとしたまま、僕は対面に座る形になったヴァンをただ眺めている。
ソファーとテーブル、そして備え付けの暖炉以外には家具といえる家具のないがらんとしたダイニングリビングで、僕は伝説と向かい合っている。妙な気分だ。
「全然ない」
眉間の皺はそのままに、端的にヴァンが答える。
「じゃあ、どうしてタリィと?」
「ああ」
老人のようにお茶を静かにすすってから、ヴァンは眉を顰め、
「うちの妻と、それと妹がな。結構そういうのが好きで、うちの屋敷建てる時に是非ってことでタリィに頼んだ……らしい。まったく、平生はいがみ合っているくせにそういうところは似てるんだ、あの二人は」
「それでパトロンに?」
「ホームズ家がな。俺は、正直なところ全然面識はない。興味もない。ホームズ家の財産を今管理してるのは妻と妹だ。俺は狭い部屋で本を読んで、時々部屋を出て食事をして、また戻って本を読んで寝る。そんな毎日だよ」
「へえー、意外。ヴァンさんって大金持ちだからもっと豪遊してるんだと思ってた」
「金は……どうかな? あれだけ働いてたんだからかなり稼いだと思うけど、実際今どんな感じなのか把握してないんだよ」
生気のない声ながら、意外にもヴァンはウィッチの質問に対して普通に答えている。
不機嫌というわけではないらしい。むしろ、今の状態が彼にとっての通常なのかもしれない。
「じゃあどうしてこの同窓会に来たんだよ?」
ホームズ家と言えば大貴族、それも一時期は王族を超えるほどの勢いがあったほどの家だというのに、エーカーも物怖じせずに話に加わっている。
「それを言われるとなあ」
ヴァンは顔をしかめて、
「元々、ここには妹が来るはずだったんだ。妹はこういうのに参加するのが好きなたちでな。貴族向きだ。が、残念ながら、体調を崩したんだ。風邪だよ。で、結構体面を気にする妹なもんだから、参加させてくれってタリィに頼んだ挙句に参加しないってのは気が引けるってことでさ、どうせ暇だろって言われて代役をするはめになった」
「妹さんはなかなかの女傑でなあ、お前たちに紹介できないのが残念だよ!」
快活に叫びながら、荷物を置いてきたタリィがリビングに戻ってきてソファーに座る。あの真っ赤なコートは脱がずにそのままだ。余程気に入っているらしく、ソファーまでやってきて、コートを両手でぱたぱたと叩いてほこりを落としてから、皺にならないように広げつつ座っている。
「まあ、そうだ。あまり知られてないが、俺が隠居した後、シャーク国でのホームズ家の影響力や権力ってのは実は増してるんだ。妹が本当に好きなんだよ、そういう権力闘争とかが」
ため息とともに空になったカップをテーブルに置いたヴァンの右目が、ふっと正面の僕に向く。
「あー、ところで、君は? どうも、年齢が合わないから同窓会のメンバーじゃないんだろう?」
「あっ、ぼ、僕は……その……き、記者ですっ」
緊張のあまりつっかえつっかえ何とか言葉を押し出す。
「ああ、記者」
「あのっ、ヴァン、ヴァン・ホームズさん、その、よ、よろしければ取材とか……」
「……取材?」
ヴァンの眉間の皺が深くなる。機嫌を損ねたか、と心臓が縮み上がる。
「取材って、何を?」
「い、いえ、どうして隠居したのか、とか、隠居している間何をしていたのか、とか……」
どんどん語尾が弱くなっていく。
「あ、それはあたしも聞きたい」
ウィッチの援護射撃。心から感謝する。
「別に何もないよ。隠居したのはあのままじゃ過労死するからだ。あのさ、今のこの見た目でも分かるだろ、俺がどれだけつらい状況だったのか」
長いため息。
「改革の原案を出した一人だからって、結局シャーク国、どころかほかの国でも改革の時に監督者なり顧問なりに任命されまくったんだよ。うちの議長、ゲラルトの強欲野郎が見返り欲しさにやったんだけどな。ほんと、普通の人間の五生分くらいの仕事をあの数年間でこなすことになった。限界がきて隠居しただけだ。そのあとはさっき言ったようにずっと本を読んでただけ」
あっさりと言ってヴァンはタリィに顔を向け、
「ところで、タリィってうちの妹とどう?」
「どう? どうとは、何だ?」
「いや、結婚とか。うちの妹、あの性格だからかまだ全然浮いた話がなくてさ」
「はっはっは。シャーク国では女傑と言えばアイス王妃だが、それを塗り替えかねないほど強烈だからな、ヴァンの妹は。俺みたいな繊細な天才は無理だ。俺の貴重な才能が潰されてしまう」
「お前は繊細なのではなくて自己中心的なだけだ」
ずっと黙っていたクロイツがぼそりと呟く。結構毒舌だ。
「我らがウィッチ・テノールだって女傑ぶりじゃあ負けてねえだろ」
エーカーが笑いながらウィッチに目をやると、彼女は肩をすくめる。
「あたしは大人しいもんよ」
「へっ、そうかよ。例のエニグマ広場の彫刻、かなり依頼主ともめたって聞いたぜ。馬に品がないから別の構図のものにしろっていうのを、これがベストだって言い張ったんだろ?」
にやりとした笑いと共にエーカーの口から出た言葉に、ウィッチは眉を寄せる。
「ほお、そうなのか、ウィッチ。やるじゃあないか。俺だって、お前程度の才能しかなかったらなかなかそこまで強気に出れないぞ」
さらりと失礼極まりないことを言うタリィを無視して、ウィッチはエーカーに向けて呆れた顔をして、
「よく知ってるわね、そんなことまで」
「全国放浪してるからな。色々な話が耳に入る。お前の噂は他にもある。聞きたいか?」
「ああ、もう。やめてよ、エーカー」
耳を赤くして手でぱたぱたと顔を仰ぐウィッチ。
彼女のそんな様子を見て、かかかか、とエーカーは笑って、懐から小さな瓶を取り出すとそれをぐいと呷る。
「まだ夕食前だと言うのに」
クロイツが眉を顰める。
「いいんだよ、水みたいなもんだ。多少入ってないと調子が出ない」
そう言ってなおも呷るエーカーからは、明らかにアルコールのにおいがする。
「羨ましいな。俺は全然飲めないんだ」
ぽつりとヴァンが言う。
「ほう、そうなのか。だがヴァンはパーティーで飲まなきゃいけない機会はたくさんあったんじゃあないのか?」
タリィの疑問に、
「それもあって隠居したんだ……ところで、このリビング以外にここは部屋はいくつあるんだ?」
きょろきょろと見回すヴァン。そう、それは僕も気になっていた。なんとなく、この寮の中を探索する機会がなく、まだこのリビングしか分からない。
「この階には他に個室が六室あるだけだ。狭いものだが。全て、この元アトリエにつながっている」
クロイツが答える。
「この階?」
思わず僕が口を出してしまう。そういえば、エーカーが地下がどうのこうの言っていたな。
「ああ、地下にもアトリエがある。物置代わりにしているがな。まあ、学生時代から地下のアトリエの方はほぼ物置だった。未だにその頃のものが残っていたぞ。古いキャンバスとか懐かしかったな」
タリィの言葉に、彼が荷物を置いてきていたことを思い出す。あれは、地下に置いてきていたのか。
「あのお、ところで、同窓会の準備ってしないんですか?」
あまりにも全員がリラックスしているので僕は疑問に思う。
これから全員で思い出話に花を咲かせて食べて飲むなら、準備をしないといけないのではないのだろうか。
「ああ、料理ならできあいものを注文して、もう地下に置いてるんだ。さっき俺が置いてきたのがそれだよ。いい時間になったら取りに行けばいい。エーカー、酒はお前が準備してるんだよな?」
「おお。高級な酒ってわけじゃあないが、味と強さは抜群のやつをそろえてきたぜ。地下のアトリエの隅に置いてる。うちの村のやつもある。お前らにはかなりキツいかもしれないけどよ、慣れたらやみつきだ」
「ぞっとしないな」
クロイツがそう言って薄っすらと笑う。どうやら偏屈そうな彼もこの場を楽しんではいるらしい。
「あの、それと」
この際だ。もう一つ、気になっていたことを聞いてみる。
「どしたの?」
軽い感じでウィッチが反応するので、
「確か、皆さんの代はペース芸術学校の生徒は五名だったとお聞きしたんですけど、あと一人、遅れてられるんですか?」
その質問をした瞬間、空気がぴしりと凍る。それは一瞬のことだったが、だからこそはっきりと雰囲気がおかしくなったのがわかる。
「いや、これで全員だぜ。四人だけだ。確かに、生徒は五人だったが、この同窓会には四人だけだ」
エーカーが、何でもないことのように言う。あまりにも何でもないようにふるまいすぎて、逆に不自然に思えるほど。
「……一人、学友が欠けた。死んだんだ」
そのエーカーの欺瞞を打ち捨てるように、無味乾燥な事実だけをぶつける口調でクロイツが言う。
「そうだ」
タリィはそこでふっとリビングの壁にある、一枚の絵に目を向ける。そこで僕も初めてそこにそれなりに大きな絵画があることに気がつく。ほとんど家具や装飾品のない、この寮の壁にかかっているというのに何故かこれまで目に入っていなかった、木製の額縁に入れられた、おそらくは油絵。
「あの下手な絵を描いた奴だ。死んだのはな」
タリィはそう言うが、僕の目にはなかなかうまい絵に見える。それは、霧の絵だ。霧が立ち込め、一寸先も見えない風景画。いや、霧の中に一つだけ、かすれながらもかろうじて見えるものがある。塔だ。おそらくは石造りの、古びた塔。霧の中にそびえ立つ石塔の絵だ。それは、おそろしく侘しさを感じさせる絵だった。見ていると、こちらの心象風景にまで霧がたちこめてくるかのような。
「懐かしいわね、この絵」
ふっと息を吹き出しながら、ウィッチがこぼす。
「『霧に浮かぶ塔』か……」
「思い出した」
そこで、唐突にヴァンが声を出して、目を細める。
「『霧に浮かぶ塔』。作者は、ニャンだ。謎の多い女性芸術家、だったか。これがそうか」
「よく知ってるわね」
本心で驚いたらしく、ウィッチがのけぞる。
「彼女は全然、有名とは程遠いのに」
「俺の学生時代に、そういうのが好きな奴がいて、そいつから聞いた。そいつも彫刻が趣味の一つだったくらいだから、芸術関係が嫌いじゃなかったんだろう」
立ち上がり、ヴァンは絵の近くに歩み寄る。
「これがそうか。聞いていた通りだ……そいつは言っていたよ。作者は死んでしまったが、それが納得できる絵だと」
「どういう意味だ?」
かたい声を出すクロイツに、ヴァンは絵を向いたまま、
「俺の意見じゃあないが……そいつは言っていた。長生きできる奴が描ける絵じゃあない、と。俺もこの絵を見て思うよ。なんというか、これはまるで、死を描いているようだ」
あまりにも抽象的だが、しかし言いたいことは分かる。
絵に描かれている風景はあまりにも侘しく、死をそのまま描写しているかのようだ。恐怖の対象としてでも、荘厳なものでもなく、ただただ、死そのものを。大したことでもない、ただの身近にあるたくさんのものの一つとして、死を描いている。そう表現せざるを得ない。妙な気分だ。決して、芸術に詳しいわけでもないのに、それでもそう思わせる妙な力が、この絵にはある気がする。
「あいつは――」
エーカーが何かを言いかけて、やめて首を振る。
「……ニャンは事故死だ。別に自殺したわけでも何でもない。考えすぎだよ」
後を引き取るようにタリィが言うが、その言葉はどこか空しくリビングに響く。




