プロローグ
久しぶりにミステリに挑戦です。
明日、9/21に「ペテン師は静かに眠りたい2」発売ですのでよろしくお願いいたしますプロモーションの一環としてこのタイミングでプロローグ投稿です。
結局のところ、全ての芸術論は筆者は何を芸術とみなしているかをただひたすらに語っているに過ぎない。
――ジェリコ・モウディ
『芸術論史』より
ココア:主人公。新聞記者
タリィ・モウディ:天才と称される彫刻家にして建築家
エーカー:放浪画家
クロイツ・シャカル:画家・ペース芸術学校教師
ウィッチ・テノール:彫刻家
ニャン:故人・ペース芸術学校学生
ヴァン・ホームズ:隠遁中の貴族・元探偵
それをどう考えていいのか分からず、誰もが呆然としている。
なかった。何もなかったはずだ。
なのに。
霧の中に浮かぶ塔を、全員が呆然と眺める。
「おい……あの塔って」
誰かが、呟く。
「あの絵の塔、じゃ、ないか?」
全員が息を呑む。そうして。
「あれっ、て」
別の誰かが指をさす。震える指。
その先には、霧でかすれながらもかろうじて見える塔の小窓。その小窓の奥の闇から。
少女がこちらを見て、笑っている。
「ぐえ」
思わず声が出る。
「ああ、大丈夫、大丈夫。ほら、地面見てみな。道があるだろ。その道辿っていけば、絶対に着くから」
背後から、ここまで乗ってきた馬車の御者の声がかかるが。
そうは言っても、凄まじい霧のために数歩先は完全に霧に隠れて道など見えない。この分では、常に真下に顔を向けて道を確認しながら歩いていくしかないようだ。
「大丈夫大丈夫。今日はまだ、霧が薄い方だから」
「これで、ですかぁ?」
信じられない。だったら霧の濃い日は真っ白い闇の中にいるも同然だ。
「ここら辺はこんなもんなんだよ。だからこの山、そんなに険しくはないのに事故が多発してなあ」
のんびりと御者が恐ろしい話をしてくるので、僕は思わず体を硬直させる。
「まあ、あんたはあの小屋に行くだけなんだから大丈夫だ。少し登ったらすぐ着くよ」
「すぐって、どれくらいですか?」
「んんー……そうさなあ。女の脚なら一時間程度……んん?」
そこで御者の声が止まったので、僕は何だか予感がして振り向く。
「なにか?」
「いやあ、あんたって、その……失礼だけどよ、男、女、どっち?」
やっぱり。
思わず強張った顔を無理やりに笑顔にして、
「よく間違われるんですけど、僕はですねえ……」
「あっ、いけねえ、次の客の予約があった。またな、嬢ちゃん……か、坊ちゃん!」
だが、僕が怒りを込めて主張する前に、急いだ様子の御者は嵐のように走り去っていく。
後に残された僕は呆然と立ち尽くしかない。
確かに、あまりにも童顔すぎる上に華奢な体つきのため、男か女かというよりもただただ子ども、という印象が強いらしく、僕は性別を迷われることが多々ある。
けど、ようやく一人前の記者となった後も、こんな風に間違えられるなんて。
「恰好、子どもっぽいのかなあ……」
改めて自分の恰好を見ると、記者の活動に最適なコーディネートと思った格好が、見ようによっては活発な子どもの服装のように見えてくる。
「……はっ」
気付けば、数分間その場で立ち尽くしていた。
「いけないいけない」
昼前ですらこれなんだ。日が沈みだしたらとんでもないことになる。
慌てて地面の道を睨みつけるようにして、山道を登り始める。
僕はシャーク国の平民の出だ。もっとも、最近では貴族の血筋も平民の血筋もあまり関係なくなってきてはいるけど。
色々と事情があって、現在シャーク国、というよりこの世界、パンゲア全体が激動の時代なのだ。出自を気にしていたら古臭いと言われてしまう。その一方で、厳然と出自による差別があるのも確かなんだけど。ともかく、色々なことが一気に変わってきている。
それに合わせて新しくできるものも多く、新聞もその一つだ。今までなかったわけではないが、広く一般の人々に向けて新聞というものを発行し、それによって稼ぐという形態ができあがったのはつい最近。そして取材してその新聞に記事を書く、記者という職業が正式なものとしてできあがったのもごく最近だ。
そして僕はそれになった。記者に。
本当は憧れていたのは探偵という職業だったのだけど、現在は激動の中で探偵は消えていっている。いや、正確には探偵士という職業はあるのだけど、それは憧れていた探偵という職業とは違う。個人プレーで華麗に事件を解決する探偵ではなく、こつこつと一人一人が役割分担して規格化した仕事をこなしていく職業だ。
だから、事件記者を目指した。事件を取材して、自分の頭で推理して、それを元に更に取材して。探偵が捜査と推理を繰り返すのに似ている。
が、今のところ、記者にはなれたが事件記者とはなっていない。
有名人への取材や、祭り、催しの記事を書くだけ。今回のも、今を代表する若手芸術家たちの同窓会の取材という僕にとってはとんでもなく興味のないものだ。
おまけに、その会場が国境沿いでシャーク国とは近いとはいえ、隣国であるペース国にまでいかなければならないというのだから気分が重い。
そして、その同窓会会場までの道のりがこれ、だ。霧の山道。もう、いい加減にしてほしい。
「ひい、ひい……」
険しさはそれほどでもないとはいえ山道、そして五里霧中の状況ということで、すぐに気力体力共に底をつく。
元々、体力には自信のある方ではないというかその真逆と言ってもいい。華奢な体格からすぐに想像できる体力を実際にはさらに下回ると言っていい。
喉を鳴らしながら登っていくが、霧の中に何か建物らしきものが浮かぶことはない。かといって、そればかり探していては足元の道を見失う。
道といってもほとんど獣道のような、ただその道筋が削れているだけのような道だ。目を離しているうちに外れれば、見つけ出すのに苦労するのは確実である。
「畜生、何で僕がこんな……」
愚痴りながらも足を動かしている、その時。
「そこか、はーっはっはっは!」
物凄い大きな笑い声。霧が波打つように感じるほどだ。
「うぇっ」
何?
恐怖のあまり、僕がかちこちに固まっていると、霧の向こう側から、大柄な人影が現れる。人影はどんどんと近づいてくる。
「最悪だろう、この辺りは! 外の奴らにゃあ、とんでもなく酷いらしいな。俺にとっては庭みてぇなもんだけどよ」
笑いながらそう言って、とうとう霧の向こうから人影が正体を現す。
太い胴体、太い腕、太い脚。太い首に太い顔。赤茶けたひげがぼうぼうに伸びてびっしりと顔の下半分を覆っており、同じく伸びっぱなしの髪と一体化してまるで毛虫だ。
「よお、あんたぁ、ココアか?」
「あ、はいそうです」
名前を呼ばれて僕は背筋を伸ばす。どうやら目の前の男は怪しい人物ではなく――
「よかった。取材に来た記者だな。俺はエーカー。絵描きだ。迷ってるんじゃあねえかと思ってな、ここまで出てきたんだ。会場はすぐそこだ。ついてきてくれ」
「ああ、ありがとうございます」
地獄に仏だ。
間近で見ると、そのエーカーという大男はひげのために老けて見えるが目鼻立ちや肌からするとそこそこ若いようだ。
「そら、行くぞ」
「はい、お願いします」
さっきまでと違い、前を向いて広いエーカーの背中を追えばいいので体力も精神力も全然消費の度合いが違う。一気に楽になる。
足取りも軽く、自然と雑談をするつもりで口を開く。
「エーカーさん、でしたよね?」
「おう。エーカーだ。あんまり有名じゃあねえけど、ペース芸術学校の出身の絵描きだよ。へへ、あんたも俺の名前知らなかっただろ」
「いえいえ。お名前は伺ってますよ」
これは本当だ。取材の前準備として、きちんと出席者の名前は下調べしている。
エーカー。平民の出ながら、幼い頃から絵がうまかったということでペース芸術学校に入学、そのまま絵描きとなる。
依頼があれば肖像画を描いて金を稼ぎ、その金を使ってあちらこちらに旅をしながら各地の風景を思うがままに描いている破天荒な絵描きらしい。無頼漢ともいえる。
「おお、そうかよ。タリィみたいに有名人じゃあないのに、嬉しいね」
と、喋っていたエーカーが足を止める。
「着いたぞ、ここだ」
「え?」
広い背中から顔を出して覗くと、霧の中になるほど確かに建造物がある。だが、それが異様だ。
真っ白い、立方体。まるで巨大なサイコロ。確かにドアらしきものはあるが、住居とはとても思えない。
唖然としている僕を横目に、またエーカーが霧を吹き飛ばすほどの大笑いする。
「はっはっは、唖然としたろ! どうだ、この妙な建物、芸術家の卵たちの寮にふさわしいだろう!」
「寮、ですか?」
「ああ、知らなかったのか。ここはもともと、ペース芸術学校の寮だったんだよ。見ての通り大した大きさじゃあないから、生徒が増えた今じゃあ使われてないがな。俺たちの時はここで共同生活してたんだよなあ」
「ははあ……」
ここが、寮。
変わっている。確かに、芸術家の卵という名の変人にはぴったりかもしれないが。
「だから今回、ここを同窓会の会場にしたってこった。はっはっは、クロイツ先生が設計した阿呆みたいなここをな。ようこそ、『霧中寮』へ」
取材は一泊二日の予定だ。ただでさえ霧の濃い山中を日が沈んだ後に歩くわけにもいかない。つまり、こんな妙な建物で一泊することになる。




