エピローグあるいは喫茶店での話(4)
レオは、黒い上下の目立たない格好をしている。とはいえ、やはりその髪と瞳の色は目を引く。
「ああ、俺もコーヒー」
近くの店員にそう言って、レオはゆっくりと足を組む。
「ああ、まあ、久しぶりだ」
「うん……だな」
何と言っていいか分からず、俺は曖昧に答える。
コーヒーが運ばれてくると、レオはそれを一気に飲み干す。
「さて、積もる話でも、あるか?」
カップから口を離してすぐにレオが言うが、そう言われると特に話すべき内容が思いつかない。
「元気にしてたか?」
そんなことを、言う。
「ああ、それなりにな。どうやら、俺は死なないらしいから、まあ、元気だ」
「ドラゴンイーターか」
「正直、あの瞬間、頭割られるまでは半信半疑だったんだ。本当に死なないのかどうか、な。多少の傷ならすぐに再生できるのは実験済みだったが」
「確かに、致命傷を試しに自分に与えてみるわけにもいかないか」
そうして、二人で笑う。
随分、懐かしい気がする。
「ああ、キリオもいればよかったんだけどな。三人で、前みたいに」
「え、いいよ、あいつは。俺はまだ心の準備ができていない」
レオは顔をしかめている。
「心の準備って、何だよ?」
「あいつ、結構怖いだろ」
言わんとしていることは、まあ、分かる。
「驚かすつもりだったんだ」
「え?」
「女の姿になって、ほら、お前達にとってはヴィクティーの姿で、一度、姿を見せたことがあったんだ。お前は気付かなかったが」
「ああ、ナムト国でか。あれ、相当キリオ、怯えてたみたいだぞ」
注意するつもりで俺が言うと、
「馬鹿言え。目が合った瞬間、あいつは笑いかけてきたんだ。まったく、恐ろしい女だよ」
嘘だろ。俺とボブの前では、明らかに怯えていたぞ。
「全てを見抜いていたとは思わないが、おそらく奴は、ヴィクティー姫用の俺の顔を見て、驚くよりも先に俺が生きていることを、それから探偵が不死公に呼ばれたことに俺が関係していることも、察したんだろう。それで笑いかけてきたんだ」
そんな馬鹿な、と言いかけてふと思い出すのは、嵐の城での光景。不死公が来た時のキリオの歯を食いしばっているような表情だ。
まさかとは思うが、あれは、全てが茶番だと気付いていたキリオが、のこのこと不死公がやってきたのを知って、笑いそうになっている、その笑いを噛み殺している表情だった、なんてことはないよな。きっと。
「あの事件」
そうして、俺は話を変える意味も込めて、切り出す。
「ヴィクティー姫をお前が殺した事件のことだ。聞いたよ、あれは、スペアだったんだな」
「はっ」
牙を剝いてレオが笑う。
「スペアだから人間じゃあないってわけにもいかん。どちらにしろ、俺は人殺しだよ」
「それを言うなら、俺だってあの時、怨公を殺すつもりで短刀を投げた」
「ありゃあ、正当防衛だろ。しなきゃ、お前もその場の全員も死んでいた」
「だったら、お前だってそうだろう。ヴィクティーを、助けるためだったんだろ?」
「まあな」
肩をすくめて、
「が、それでも殺しは殺しだ。罪もない、と言ったら嘘になるが、まあ、少女を殺したんだ。本来、ここでコーヒーなんぞ飲める身分じゃあない」
「レオ、ヴィクティー姫を生き延びさせるために手を血に染めて、インコグニートなんてものに参加した。そこまでして、どうして怨公を倒したかった?」
俺の中で、それについてはまだ整理がついていない。
そうだな、と少しだけ考えてからレオは、
「まあ、一つには、ずっと俺の気の弱い幼馴染、もうかなりお転婆になったが、ともかくその幼馴染がずっと地下で暮らすのも面白くない。人殺しの俺が地を這うのは仕方ないとしてもな」
そう言いながら笑うレオからは、相変わらず、いやかつてよりも強い圧を感じる。そんなつもりはないのだろうが、存在自体の持つ力とでも言うか。まるで地を這っている感じがしない。
「もう一つ、俺のことを知りたかったというのもある。俺はおそらくは怨公の作品だろうと想像がつく。ひょっとしたら、マクガフとかいう協力者の作品かもしれない。だが、それはどうでもいい。俺はどうやらドラゴンイーターだ。自分のルーツを知りたかったんだよ」
「へえ、それで、知れたのか?」
「全然」
頭を振る。
「妙なことに、怨公のラボなんかを今、親衛隊の連中と一緒に探ったりもしてるんだが、俺についての資料は一切ないんだ。残念だが、仕方ない。俺が複製だというのなら、オリジナルが誰なのか、知りたかったところだが」
「どうして?」
ひょっとして、レオでも自分のアイデンティティーに不安を抱いたりするのか?
「できれば、オリジナルが無能であって欲しかったんだろうな」
「え」
「だったら、今の俺の能力は全て、オリジナル由来ではなく俺自身によるものだ。そうだろう?」
そして笑ったまま口を大きく開けて、
「ああ、怨公程度が俺のオリジナルだって証拠さえ見つかれば、あんな無能が元なんだから、俺自身がどれほど偉大かというのを実感できたのにな」
そんな恐ろしいことを言う。
圧倒されつつも、俺は怨公が刺された時の記憶を思い出す。
「怨公が、お前のことを始祖の亡霊とか何とか言ってなかったか?」
「言っていたな。だが、もう、飽きた。もういい。オリジナル探しの興味が薄れてきたんだ」
飽きっぽい奴だ。
「なあ、レオ」
「あん?」
「これから、どうするんだ?」
俺の質問に、虚を突かれたようにレオは目を丸くしてから、
「ああ、墓参りかな」
「え?」
「ヴィクティーのスペアの、だ。目立つわけにはいかなかったから、これまで一回も行っていないんだ。あの聖堂に、花を添えるくらいが精一杯だった」
「あれ、お前か」
「ん? お前、あの花を見つけてたのか。目ざといな。ヴィクティーも一緒に行きたがっていたな、墓参り。あいつも、毎日もう一つの墓の方で彼女のために祈っているから」
「もう一つの墓?」
「シャーク国の王家が管理しているヴィクティー姫の墓ではなくて、インコグニートの作った小さな墓だ。そっちは、俺も何度も行った」
「どうして、インコグニートが墓を管理してるんだ?」
そんな組織じゃないだろう。
「俺が頼んだからだよ。首だけでも、弔ってくれってな」
「首?」
ああ、そうか。
思い出す。
スペアの首。あの事件で、行方不明になっていた首。そんなところに、あったのか。
「食べたなんて言っていたくせに」
「人の首なんて食うわけないだろ」
当然と言えば当然のことを言って、大笑いして、レオは手を叩く。
「ああ、しかし、この国も変わるな」
ひとしきり笑った後、レオがぽつりと言う。
「大忙しみたいだ、ゲラルト団長も」
「ああ、王が神の如く振舞って国を治める時代が終わる。ちょうどいいタイミングだろう。神の役割をしていたドラゴンイーターも滅びた。神が直接どうのこうのする世界じゃなくなったんだ」
「まだ、お前がいるだろ、ドラゴンイーター」
「俺ねえ」
大きく伸びをして、レオは目を天に向ける。
「俺はもう、表舞台には立たない。ただのインコグニートだよ。だからやっぱり、もう神はいない。ヴァン、お前は忙しくなるぞ」
「え、俺?」
「トカレフが、ペース国で新しい犯罪捜査や司法のモデルを導入しようとしていて、お前を必要としている。落ち着いたらお前はそっちに出向だろう」
「よく知ってるな」
そういう話は、確かにあった。
「けど、それでは終わらない。全ての国で、捜査や司法以外の分野で、あらゆることが変わっていく。大幅に。俺には見える、その流れが、はっきりと。その中で、お前は利用されていくんだ。使い潰される」
「やめろよ、その不吉な予言」
こいつが言うと説得力があるな。
「予言なんて曖昧なものじゃあない。各国のキーマンは、お前に異世界の知識があることを知っている。これからの激動で、お前の知識は引っ張りだこになるんだ」
「え、そうなる?」
「なる。間違いなく。過労死しないように気をつけろ」
「また、すぐに生まれ変わることになりそうだな」
「まだそんなこと言ってるのか」
呆れた顔をして、ため息と共にレオは肩をすくめる。
「お前のは、単に記憶を植えつけられただけだ」
「そう言われても、俺にとっては一回産まれてから死ぬまでの記憶があるんだ。生まれ変わりと一緒だよ」
ついさっき、マサカドに話したのと同じようなことを言う。
「いいことを教えてやろうか」
と、にんまりとしたレオが身を乗り出してくる。
「え、何?」
「怨公のラボを漁っていて、俺の資料はなかったが、お前の資料は見つかった。お前の記憶が、どういう風に異世界からお前に送り込まれたのかをな。まだ、今の俺には理解できないが、どうやらまず対象となる人間、記憶の元になる人間にはかなりの厳しい条件があるらしい」
「へえ」
俺の前世である、あの冴えないミステリマニア。あれは、厳選に厳選を重ねた逸材だったのか。人として見たらただの冴えない男だけど。
「だから、異世界から情報を少しずつこちらに収集しながら、対象となる人間を捜す作業にかなり時間がかかったらしい。だから、結果としてお前の記憶の元となった人間についてはかなり調べてあったようで、その資料が残っていた」
「まあ、いくら資料があったって、それよりも俺の記憶の方が膨大で詳細だろ」
「その資料にあったが、対象となった男は、記憶をこちら側にコピーした時点では死ななかったらしい」
「え」
今度こそ、固まる。
「資料によるとそれなりの傷を負って意識を失ったらしいな。そのタイミングが最も記憶のコピーに適したタイミングだったからそこでコピーしたようだが、どうもその後、医者のところに連れて行かれて一命は取り留めたらしい。そこから先については、もう必要がないから怨公も調べていないようだが」
「じゃあ」
あの記憶、あれは、続きがあるってことなのか?
あの後、病院に運ばれて、助かって、その後、あの男は生き続けたってことか。
「俺は、誰なんだ?」
もう、完全に俺は、あの男の生まれ変わりじゃあない。
「お前は、ヴァン・ホームズだろ。俺がレオ・バアルなのと一緒だ」
それを、レオが一言で片付ける。
「さあて」
レオは立ち上がる。
「ゆっくりし過ぎた。そろそろ、俺は地下に潜る」
「あ、ちょっと」
慌てて、
「もう、会えないのか?」
「お前はこれから世界の中心になる。人殺しの俺は世界の地下に沈む。会うことはないだろうな。これが多分、最後だ。だから」
不意に、いつも自信に満ち溢れているはずのレオの顔から、色が抜ける。ふっと、力の抜けたような表情になる。
そこにあるのが感傷だと、信じたい。
「訊きたいことあるなら、今のうちに訊け。友達として、一つだけ、どんな質問でも一つだけ答えてやる」
「ああ」
立ち上がり、俺はレオに目を合わせる。ようやく、一つ、確認しておきたいことができた。
「レオ」
「ああ」
「お前が俺に近づいたのは、俺が怨公の作品だったからか?」
沈黙。
一瞬かもしれないが、永遠のように思えた静寂の後、
「気が小さいな。見損なうな」
いつものレオの顔になって、自信に満ちた顔で笑う。
「違う。お前と初めて出会ったあの時、お前と怨公につながりがあると俺は知らなかったし、怨公の作品だからといって面白くない奴とは友人にならない」
「そうか」
「そんなことでいいのか?」
笑いかけてくるレオに、
「ああ、満足した」
俺も笑い返す。
「じゃあな」
そして、レオはくるりと踵を返すと、何の未練もないように、喫茶店から出て行く。
俺はどうすることもできず、ただその場に立ったまま、消えていくレオの背中を見送るしかない。
さよなら。
俺は、心の中で、レオと、前世の自分だと思っていた彼、そして名探偵の役割に別れを告げる。
こうして、俺の名探偵としての物語は終わる。




