エピローグあるいは喫茶店での話(2)
俺は当時、騎士団の副団長に就任したばかりだった。探偵団の方ではまだ平の探偵をしていた、そんな時代だ。若かったよ。小僧だった。
青い狼についての事件を追っていてな。そして、そこそこの幹部を絞り上げて情報を得ることができた。あの頃は、今のように組織が肥大化、複雑化していなくて、幹部を絞ればちゃんとある程度の情報は出たんだ。
そこで、複数の意外な大物が青い狼と繋がっていることが分かってきた。あの当時は不思議だったが、後になってみれば、青い狼なんて犯罪者集団じゃなくて、その裏の怨公と繋がっていたということだろうとは分かる。
とにかく、そこで自国の大物の名前も出てきたんで、大っぴらに捜査できなくなった。ほぼ、俺の単独調査になってしまった。
まあ、妨害されたよ。内からも外からも。直感的に罠を回避して、かかってくる奴らは剣で斬り捨ててやった。いい思い出だな。
そうして、調査を進めていくうちに、ある一家に辿り着いた。名門貴族の一家に。バアル家だ。
そう、バアル家は怨公とかなり深い関係にあったんだよ。当主が信奉者だったんだ。
そこまでたどり着いたところで、俺は捜査を止めた。逃げたんだ。この、俺が。
凍りつくように寒い日だった。
徹夜続きの捜査から、一時の休息。家の前、凍りついた小道に、あの男は立っていた。
真っ黒いローブ、肌は浅黒くて、髪は金色。そして、瞳も。
男は不死公と名乗ったよ。
ああ、そうだ。もちろん、その時のは本物の不死公だ。
捜査から手を引けって、そう言ってきた。
俺は笑ったよ。そうしたら奴も笑い返して来たから、持っていた剣で斬り倒してやった。不死公はおとぎ話の中の人物だし、名を騙っているだけだと思ったからな。
そいつ、体が半分になっても、笑ってるんだよ。捜査から手を引けって。無理やり引かせることもできるけど、自分から手を引けってな。
怯えた。それに、そいつの話が、そいつがやろうと思えば俺の捜査を止めることができるって話が、本当だって直感的に分かったんだ。
で、折れた。
俺の、心が折れたんだよ。全く、生まれてきて初めての経験だった。ぽっきりと音がした気がしたよ。
捜査から手を引いてもらう代わりってことで、不死公は俺に少しだけ教えてくれたんだ。怨公のことや、ナムト国のこと、それからドラゴンイーターのことも。
元々、閉じ込められていながらも各国に根を伸ばす怨公を、不死公はずっと警戒していた。俺の前に直接姿を現したのも、他国に協力者が欲しかったから、そのスカウトの意味合いが強かったらしい。
怨公を生かさず殺さず、その力だけを利用するためには、怨公の協力者よりも強力な助っ人がいるわけだ。ただ、数を揃えるつもりはなかったみたいだ。少数精鋭でな。
俺は折れて、捜査を止めて、不死公と話し合った。俺は、不死公の協力者なんぞになるつもりはなかった。ただ、少し話をしただけだ。そうして、別れた。
今でも不思議なのは、不死公が俺を放っておいたことだ。協力者にならなかった時点で、知ってはならない情報を知った邪魔者にしか過ぎないはずなのに、何故だろうな。
案外、理由としては、話し相手が欲しかったというだけかもしれない。実際、その後にも時々手紙をくれたりしたからな。
それが、俺の思い出だ。負けて逃げた思い出。凍るような思い出だよ。
それから、俺はただただ、目の前の仕事を消化するだけの日々を送った。青い狼の事件が起きても、事件を解決したらそれきり。黒幕を辿っていくことすらしない。死んだような日々だ。想像できないだろう?
ある日、俺はバアル家の当主が死んだという話を耳にする。
その息子が傑物で、死んで混乱しつつあるバアル家をまとめ上げたとも。
何よりも、黄金の眼を持っているということを、知った。
不死公か、怨公か、どちらかは分からない。だが、ドラゴンイーターが関わっていることだけは分かっていた。
だからといって、調査するつもりはなかった。不死公から止められていたし、奴と争ってどうにかなるとは思えなかったからな。ましてや、その不死公が恐れる怨公となんて。
俺は負け犬だった。だが、それでも諦めきれずに、調査というほどではないが、人づてにバアル家のレオについての情報は集めていた。
結局、それが決定打になった。あの化け物じみた子どもは、そこから逆に俺に辿り着いた。そして、会いたいと言ってきたんだ。俺に。
俺は了承した。ひょっとしたら、何かが起こるんじゃないかと、そう思ったんだ。
こうして、レオ・バアルと、俺との付き合いが始まった。
俺の持っていた不死公からの知識と、奴が持っている知識――調べたり、幼馴染だというヴィクティーから得た断片的な知識をつなぎ合わせたもの――は、ちょうど互いを補完していった。全容が知れたわけだ。
元々、レオは両親の死の真相を調べていたらしい。その過程で、自分と両親の血が繋がっていないんじゃないかと疑いだし、そこから幼いながらナムト国、不死公、そして青い狼の繋がりにまで辿り着いた。
そうして、俺とレオは計画を企てた。
俺は、負け犬から抜け出すために。レオは、ヴィクティーのために。
そこまで話して、マサカドはコーヒーを一気に飲み干す。
「ということは、元々マサカドさんは不死公と結構親しかったわけですか?」
「親しい、というほどじゃないな。手紙も本当にたまに、だった。向こうとしては、俺とつながりがあることは秘密にしていたみたいだ。それこそ、怨公すら知らなかった。だから」
マサカドはにやりと笑う。
「最初に、不死公に探偵が呼び集められた時があっただろう? あの時、既に俺はあの不死公が不死公じゃないとは気づいていたんだ。直感的にな」
「なるほど……それで、計画とは?」
「ああ、計画な。あの、ヴィクティーが入れ替わりを予定されていたって話は、知っているか?」
「アイスに聞きましたよ」
胸の悪くなるような話だ。
「ヴィクティー姫が限界が来ていたから、スペアと入れ替えようと言う話ですよね」
「ああ、そうだ。そしてそれは怨公の意向でもあったわけだ。それを止めようというのが計画だ。この計画の参加者は、俺、レオ、ヴィクティー、そしてアイス」
「アイス?」
驚いて立ち上がりかけた拍子に、テーブルをがたりと鳴らしてしまい慌てて座り直す。
「そんな妙なことか? 当然だろ、当初は道具とはいえ、自分が腹を痛めて生んだ娘で、しかもずっと育ててきたんだ。そりゃあ、情もうつるってもんだ」
「いや、しかし」
混乱して、頭を振る。
「ヴィクティーも、レオと付き合うようになってからどんどん人間らしくなっていったらしくてな、利用されたまま死にたくないと、そう思うようになったって話だ。で、だからこそ怨公としては邪魔になって、スペア、完全な自分の信奉者であるスペアと入れ替えようとした。それをどうにかしようという計画だ。とはいえ、真正面から怨公と戦うことはできない。特にアイスには負い目もあるわけだしな。そこで、ヴィクティーを死んだことにして逃がす、という計画が持ち上がった」
「まさか」
ごくり、と唾を飲む。
「それがあの事件だ。もっとも、かなり厳重に事件の内容は隠ぺいされたが、それでも関わった人間が多いから漏れていく。それでいい。大っぴらに発表したら、それこそ嘘くさいからな」
「じゃあ」
ある意味で、不死公が怨公だと気付いた時以上の衝撃だ。
「あの事件で、ヴィクティーは死んでいなかったんですか?」
「そうだ。あの事件で死んだのは、スペアの方だ。計画としては簡単でな、まず理由をつけて急きょ、ヴィクティーが参加しなければいけない行事をスペアと入れ替えさせる。怨公に報告がいかないくらいに急きょにな。そして、スペアに死んでもらう。これで、ヴィクティーが死んだことになる。簡単だろう?」
「いや、あの事件で死んだのはスペアのはずがない。だって、アイスが……」
「だから、アイスはあの事件の協力者なんだよ、ヴァン。とはいえ、それだけだ。彼女は特に怨公に逆らうつもりも、俺達の仲間になるつもりもなかった。ただ、ヴィクティーを助けたかっただけ。だから、お前にも嘘の情報を与えた。ヴィクティーが生きていることを誰にも教えたくないわけだからな。何が嘘か、分かるか?」
「ああ、そうか」
爪を噛む。
「スペアが、信奉者の少女というのが、嘘なのか。体つきまで一緒ということは、スペアは」
「そう、複製だよ。あの当時から、既にその技術はあった。実験がてら作られたヴィクティーの複製。それがスペアだ。しかし、性格は育った環境のせいでまるで違うがな。怨公の命令なら誰でも殺すし、自分の命も捨てる。入れ替わりにも積極的で、ヴィクティーを殺して入れ替わることを待ち望んでいた」
そうして、遠い目をして、マサカドはもう一口コーヒーを口に含む。
「怨公にそういう風に育てられたからだろうな。哀れなものだ。本当は、彼女も救えれば一番よかったんだろうが、とにかく時間がなかった。いつ、怨公が入れ替わりの命令を出すか分からなかったし、それがなくともスペアはヴィクティーを殺しかねない勢いだった。よほど、怨公のためになりたかったんだろう」
「それで、殺した? けど、本物のヴィクティーはどうなったんですか?」
「当然、事前に逃げてもらった。怨公の目すら届かない場所に」
「どうやって?」
怨公の根は深く広い。どこに逃げるというのか。
「インコグニートにかくまってもらっていたよ」
一瞬の沈黙。
どうして、そこで都市伝説の探偵が出てくるのか分からない。
「インコグニート、ですか?」
「あれはな、実在するんだ。個人ではなく組織でな。トカレフも知らないだろうが、実在する。ペースの奥深くに。何で知っているかというとな、インコグニートは元々、確かにペースの組織ではあったんだが、途中から不死公の力を得ていたんだ」
「え?」
「つまり、怨公の根に対抗する手段として作り上げた、というか元々あったものを利用したのがインコグニートなんだよ。最初に俺の所に来た協力依頼というのも、つまりインコグニートの一員にならないか、というものだったんだ。その縁で、一応、俺からインコグニートに連絡を取ることは可能だったわけだ」
「そのインコグニートにかくまってもらって、ヴィクティーは逃げ延びた、と?」
「そういうことだな。で、怨公には、アイスから、ヴィクティーが死んだことがある程度広まっている以上、ここでスペアに入れ替えることはできないからスペアはこちらで処分した、と説明したわけだ。酷い話だが」
「怨公は納得したんですか?」
「何か妙だ、とは思ったんじゃないか? アルルやマクガフはある程度勘付いていたようだしな。アイスを恐れて怨公に報告しなかったらしいが。ともかく、相手はアイスだ。決定的な何かがなければ怨公としてもそこまで強硬な手段に出れない。特に、こっちとしては知る由もないが、その時怨公は不死公に入れ替わっていて目立った動きが取れなかったわけだしな」
まだ混乱していて、頭がうまくまとまらない。
「えーと、じゃあ」
次の質問が出てこない。
そこで、不意に気づいたことがある。アイスが、どうしてヴィクティー姫の代役を表に出さず、かといって死を発表することもしないのか。
娘に、帰る場所を残しているのか。正直、帰るとは思えないし、アイスもそれは理解しているだろう。それでも、帰る場所を残しておきたかったのだ、多分。
母として。
「まあ、お前のプロデュースや、自分を死んだことにして裏から怨公のことを探るって別の目的もレオにはあったらしい。ともかく、あの事件で死刑になったはずのレオは、インコグニートの一員となった」
「ちょっと待ってください。インコグニートは不死公と協力していたんでしょう? だったら、それは入れ替わった後では怨公の協力者ってことにならないんですか?」
「インコグニートは不死公にとって最後の懐刀だった。だから、繋がりはおろか存在自体を隠ぺいしていた。対怨公のためのものだしなあ。だから、怨公は入れ替わった後もインコグニートについては一切知らなかったわけだ。一方、インコグニート側からすれば不死公からの命令が一切なくなっても不思議に思わなかった。元々、ただひたすらに情報を集め続けるのが本来の役目の組織だ。命令系統もはっきりしていない。というより、所属している奴らも誰が上司かすら分かっていないような組織だ。尾を飲み込んだ蛇と同じだ。誰もが、誰かからの命令で動いている組織。だから、不死公からの命令が来ていないこと自体、しばらくの間組織は気づいていなかったんだな。間抜けなことだが」
逆に言うと、そこまで徹底して秘密主義の組織だからこそ、怨公も存在に気付かなかったわけか。
「そうして、レオが加わったインコグニートは怨公の調査を続けた。そうしてようやく、怨公が逃げ出していること、更に言うと、不死公と入れ替わっているかもしれないことに辿り着くわけだ。まあ、インコグニートというよりレオの推理だが、結果としてそれは大当たりだったわけだ」
チョコレートケーキの残りを一口に放り込み、コーヒーを飲み干すと、
「そして、始まったのが、今回の事件の計画だ」
マサカドの話が、ようやくそこに辿り着く。




