エピローグあるいは喫茶店での話(1)
「退院おめでとう」
「お互いに」
病室から出て祝福された俺は、そう返す。
「お前はずっと入院していたから知らないだろうが、俺の方は結構早めに退院したんだよ。キリオさまさまだ」
そうして、マサカドはきょろきょろと周囲を見回し、
「そういや、お前の退院だから来てると思ったが、キリオの姿がないな」
「ああ、知らないんですか? あいつ、実家に強制送還ですよ」
「はあ、どうして?」
「ほら、今、貴族制度自体が揺らいでるでしょ。キリオの両親って超がつくほど権威主義者で、そのために一時期精神のバランス崩してたくらいなんですよ。それで、今の状況に混乱していて娘をとにかく呼び戻してこれから家がどうすべきか家族会議らしいです」
貴族制度の揺らぎは、王族制度の揺らぎから始まっている。そして、揺るがしているのはゲラルトだ。
「はあん、一人で実家に戻って大丈夫なのか?」
「昔のあいつならともかく、今のキリオならね。なかなか図太くなりましたし、俺の方がちょっとあいつを怖がっているくらいです。もう、両親がどう出ようとも大丈夫でしょう。本人も、ずばっと言ってやると息巻いていましたから」
「ああー、確かにあいつは少し恐ろしいところはあるな、うん」
頷いて、マサカドが歩き始めるので、俺もついて歩く。
「で、どうしてわざわざ忙しいだろうにマサカドさんがシャーク国まで? 今はどこの国も猫の手でも借りたいくらいでしょうに」
「だからサボりに来たんだ。まあ、それとゆっくりとお前と話がしたかったしな。結局あの事件、ゲラルト、ウーヘイ、トカレフ、そして俺の合意で、緘口令が敷かれて、うやむやのままで終わったが」
幾分か痩せたマサカドは、ちらりと俺を見て、
「現時点で全体像を一番把握しているのは俺だ。だから、まあ、一人で抱え込むのも健康に悪いし、一番迷惑をかけて、一番利用してしまったのはお前だからな。話してやってもいいかと、そう思ったわけだ」
「迷惑っていうなら、大怪我したジャンゴとヘンヤさんもじゃないですか?」
「いいんだよ、ジャンゴは口止め料と治療費ってことでそれぞれの国から個人には大きすぎる額がもらえて喜んでいたし、ヘンヤにいたっては、怨公との殺し合いで学ぶところが多かったみたいで、以前より鋭く、強くなっているくらいだ。もう、師を超えたかもな、あいつ。で、どこに行く?」
「場所、決めてないんですか?」
呆れる。
「どこか、いい場所あるか? シャーク国王都の地理なんぞ、俺は全く詳しくない」
「じゃあ、喫茶店で」
いきつけの喫茶店だ。キリオとよく一緒に行っている。
洒落た喫茶店に、おっさんと男二人で来ることになるとは思わなかった。
いつものオープンテラスではなく、一番奥のテーブル席に座ると、コーヒーを二つ頼む。
「ああ、しかし、あと一瞬でも帰還するのが遅れたら、命が危なかったらしいな」
「内側からボロボロにされていたらしいですね、怨公の魔術で。未だに、どんな魔術を使ったのかは不明らしいですよ。いや、生死の境を彷徨いました。マサカドさんもでしょうけど」
「俺のはなんだかんだ言って、結構すぐに意識を取り戻したしなあ。意識が戻ったら立って歩けるようになるまでそう時間はかからなかった。しかし、ヴァン、お前が消えて全員びっくりしたらしいぞ。一瞬、怨公の魔術で消滅させられたのかと誰もが思ったらしい」
「危ないところでしたね。さっさと帰還したんだと気付いて助けを二階までよこさなかったら、二階の空き部屋でそのまま死ぬところでしたよ」
話しているうちに、コーヒーが運ばれてくる。
「ああ、すまん、チョコレートケーキを頼んでもいいか?」
「いいですよ。じゃあ、俺はワッフルを」
追加注文をしてから、俺は一口、コーヒーに口をつけて、
「例の屋上から消えた親衛隊の人は、どうしてます?」
「どうって、普通に復帰してるみたいだ。元々、大した怪我をしているわけでもなかったからな。むしろ、軟禁状態とはいえゆっくり休んでたっぷり食べて、健康状態は城にいた連中よりよかったらしいぞ」
彼については、事件の直後に少し離れた山小屋で無事発見されたと聞いている。もちろん、親衛隊の全身鎧を奪われた状態でだ。
「ああ、きたきた、おお、うまそうじゃないか、このチョコレートケーキ」
やってきたケーキをマサカドは嬉しそうに頬張る。
「で、どうなんです?」
「ん、ああ。まあ、そうだな。そろそろ、いいか」
一応、周囲を見回してから、
「ああ、あとな、俺もお前に訊きたいことがあったんだ」
「でしょうね」
それは予想できた。
「事件の全体像を話す前に、まあ、ともかく長い話になるからな、その前に、お前の話を訊いてもいいか?」
「もちろん」
コーヒーで口を湿らせる。
「うちの家族のことでしょう?」
「ああ」
「じゃあ、お話しますよ」
もう、特に気負うような内容でもない。病室に見舞いに来てくれた家族と話し、一人でベッドでずっと考え、整理のついた問題だ。
「手紙とかに関する、俺の推理については知ってますか?」
「ああ、その時は意識がなかったら、後で人伝にだが。結局、お前が怨公に作られたって話だろう?」
普通なら気を使ってどう表現すべきか迷うところを、すっぱりと言ってくるマサカドに苦笑してしまう。逆に気持ちがいい。
「そうですそうです。後で両親に確認してみましたけど、ほぼ正解でしたよ。俺には、生まれてくる前に死んでしまった兄がいたようです」
「両親は、怨公のことは知ってはいなかったんだな」
「ええ、そうです。もっとも、多少事情のある子だ、と預かった子が幼い頃から才能を発揮したんで、薄々は何かがあるんじゃないかと思っていたらしいです。黙っていて済まないって両親に泣かれましたよ」
「と言ってもな、両親にとっては、単に養子をとったというだけの話だろう。それを養子自身に言うかどうかは、もうその両親の自由じゃないか? 別に断罪されるようなものでもない」
「まったく同意見です。別に、そこに引っかかったりはしませんよ」
「だから、むしろ引っかかっているのは、自分自身の問題についてか」
「本当に勘がいいですね」
笑ってしまう。
「その通りですよ。何せ、俺は異世界に転生してきたとばっかり思っていたわけですから。突然、それが記憶を植え付けられただけだと言われてもね。俺の中では、その記憶の元の持ち主は、やっぱり俺自身なんです」
「ナムト国との合同の調査が秘密裏にだが、少しずつ進んでいてな、お前を作り出した実験についても、本当に少しずつではあるが分かってきている。怨公は、少しずつ異世界の情報をこの世界に落とし込む技術を持っていたが、それでは効率が悪い。そこで、誰かの記憶を丸ごと投影することで異世界の常識、発想、感覚をそのまま取り込む方法を考え付いたらしい。が、その情報を受け取る器がない。そこで、まだ記憶のほとんど存在しない乳幼児にそれをぶち込むという実験に出たわけだ」
「なるほど。けど、それならその乳幼児を自分の傍で側近にでもしないと、結局異世界の知識を怨公が得ることができないんじゃないですか?」
「それ以前に、ちゃんとその子が成長できるのか、精神的に壊れないのかを知りたかったんだろう。そもそも生まれてすぐに人生をまるごと記憶として持っている子どもが自由にしていると果たしてどのように成長するのか、それにかなりの興味があったようだ。実験だよ、奴の実験だ。ドラゴンイーターの人生は長い。奴にとっては、今回の実験のデータを元にまた同じようなことをしていずれ知識を手に入れられればよかったんだろう」
何とも、スケールの大きな話だ。
「それで、どうなんだ、今の気分は?」
「ううん、お前は実はお前じゃなかったって言われているみたいで、どうにも気分が悪かったんですけど、もう開き直りましたよ。結局、実験だろうが何だろうが、死ぬ寸前の記憶を持って新しく生まれてきた以上、やっぱり転生したのと同じですよ。少なくとも、俺にとっては」
「なるほど」
「それに、それ以外の問題が色々と出てきたんで、それどころじゃなくなりましたよ」
「何だ、それは?」
「いや、それは家族間の問題なんで」
ははは、と笑ってコーヒーを口に含んで誤魔化す。
リーナに、あの日、どうして俺の服に金庫の鍵を入れたのか。あの言葉の意味は何だったのか。それを二人きりになった時に確かめた時のことを思い出す。
見舞いに来た家族のうち、両親が席を外した一時に、チャンスと思いそのことを切り出すと、リーナは優雅に笑い出した。
「最初は、あの倉庫に何かわたくし達のような貴族に相応しい何かがないかと探している時に、例の金庫が見つかりましたの」
そして、どうしても中が見たくてたまらなくなったらしい。そこの好奇心の部分は兄と似ているのかもしれない。ともかく、こっそりと家じゅうを探し、ついに父の書斎から鍵を発見して、その中身を読んだらしい。
内容について、詳しいことはよく分からなかったが、それでもどうやら兄と自分が血が繋がっていないらしいことは分かった。
そう、リーナは言った。
「それは分かった。けど、どうしてそれを俺に教えて、おまけにあんな意味深なセリフを言ったんだよ」
「だって、ぞくぞくしませんか?」
「は?」
「ほら、今まで妹だと思っていたわたくしが、実は妹ではなかったわけですわよ。わたくしのような美しく可憐で才色兼備な少女が」
「はあ」
「どうですの?」
「いや、だからどうって、何が?」
「上流社会に身を置く貴族の中で起こる、兄妹の禁断の愛、的なものは……」
「えええええええええ」
驚いた。いや、というより怯えてしまった。
途中まで、ボブみたいな妹だなと思っていたが、それどころではなくなってしまった。
ともかく話を打ち切って、その場はリーナに帰ってもらったものだ。
どういうつもりなのかは結局今でもいまいち把握できていないが、かなり危ない妹だということは認識できた。最後のセリフの時に、うっとりと頬を染めていたのがまた恐ろしい。
士官学校で暮らしている間にまともになってくれるよう期待するしかない。
「で、どうです?」
回想を打ち切り、コーヒーを喉に流してから、俺は背筋を正す。
「そろそろ、いいんじゃないですか?」
「ん、まあ、そうだな。まあ、そんなに、気合を入れて聞くような話じゃないんだ。もう少しリラックスしてくれ」
そして、マサカドは長い長いため息をついてから、
「あれは、凍りつくような寒い日だった」
話が始まる。




