故郷(2)
月明かりで照らされている自分の部屋の壁を眺めながら、やはり変な時間に寝るものじゃあなかったと後悔する。
俺は目が覚めてしまっている。まだ日が昇っていないというのに。早く眠りすぎた。
どうしようもない。上半身を起こすと、月の光を浴びて鈍く光る鍵が目に入る。
きっと、家族は全員寝ているのだろう。
どうしようもない衝動に突き動かされて、ほとんど何も考えず俺はその鍵を握ると部屋を忍び足で出る。
何の障害もなく、物置に辿り着く。田舎の夜は、完全な無音だ。
物置の中に入ると、月明かりも無くなり、完全な闇になる。舌打ちをしてから、一度外に出て、適当な小枝を拾うと、それに魔術で火をつけて簡易松明にする。
もう一度物置に入って、金庫を探す。
すぐに見つかる。金属製の、小型の金庫。きっと、元々は持ち運び用の金庫だったのだろう。
鍵穴に顔を近づける。間違いない。魔術錠だ。
ずっと握ったままにしている、少し汗で濡れた鍵を鍵穴に差し込む。かちりと音がして、錠が外れる。
開く。
一体、中には何があるのか。
このサイズからして、かなり小型なものしか入らないはずだが。
だが、中を見て納得する。
そこに入っていたのは十枚程度の古びた紙。
なるほど、確かに書類を入れるというのはこのサイズの金庫の使い道として一番当たり前のものだ。
紙を掴み、物置を出る。小枝を捨て、辺りを見回して誰もいないことを確認してから、月明かりの下でその紙を読む。
それは手紙だった。十枚程度ある短い文面の手紙を、上から順番に読んでいく。
『名前を悩んでいるということだが、リーナというのはどうだろうか。それにしても貴殿の細君について杞憂でよかった。小生も我がことのように嬉しい』
『あの子が才能豊かであることは、貴殿にとっても私にとっても喜ばしい。おそらく師にとっても。それはおそらく、実験の成果のひとつだ』
『いずれ士官学校を受けるつもりとのこと、非常に驚きだ。師も喜び驚いておられた。いずれ会うこともあるかもしれない』
『こちらの実験は良好。そちらの細君の調子もいいとのことで何より』
『家畜に対しては、同じものを作ろうという発想は昔からあった。どうしてこれまで人間を対象としなかったのか。師によって目を開かれた思いだ。私は私の実験に取り掛かろうと思う』
『自らの子の様子を定期的に小生に報告することに抵抗があるのは理解できる。それでも、その子は普通の子ではない。何かあった時に対処するためには、小生に詳しく情報を教えてもらわなければならない。その子に兄のような不幸が訪れないためにも』
『師の発想は異常だ。私は違う。もっとも、私の発想も師の影響を受けたものではあるが。情報というものについて、師は異常な興味を示している』
『今更の礼ではあるが、何もいわず、あの子を預かってくれてありがたい。小生としては、貴殿の弱みに付け込んだようで心苦しかったのだ』
『薬がなくなったが取りにいくことができないという貴殿からの手紙を頂き、どうしてそんなことに気付かなかったかと自省するばかり。一緒に同封した薬が追加分となる。必ず、毎日それを飲ませるように』
『願いを聞き届けていただいて感謝する。貴殿には世話になった。手に入れたいものは全て手に入った。この借りは必ず返す。しかし、その前に、小生はこれから怨公と会わなければならない。いずれまた、シュタイン殿』
なんだ、これは。
そうして、全ての手紙にはマクガフという署名が入っている。
気分が悪い。風呂に入る前の、リーナの声が蘇る。
くそ、何だ、どうなってる、滅茶苦茶だ。
手紙を掴んでいる両手は震えて止まらない。
それからの記憶は曖昧だ。何とか、手紙を戻し、金庫を閉めてから、逃げるように自室に戻ったような気がする。
ともかく、俺はいつの間にか寝ていた。鍵をしっかりと握り締めていたまま。
「ヴァン」
俺を起こしたのは、ヴィトナだ。
「ああ、母さん、どうしたの?」
「お客さんよ」
「分かった」
寝る前の記憶がはっきりと焼きついたまま、まるで夢遊病のように俺は答え、手早く着替えると、部屋を出る。
途中、相変わらずの白いドレス姿のリーナとすれ違う。
「おはようございます、お兄様」
「ああ、おはよう」
「隠されていたことは、調べましたの?」
リーナの目が細まり、横目で俺を舐めるように見つめる。
「ああ、調べたよ」
かすれた声で、ほとんど無意識に答える。
「そう。それで、わたくしをどう思います?」
どう答えていいか分からない。あれは何なんだ。お前は、どういうつもりなんだ。
けれど、答えが出ない。
「悪いけど、客を待たせているんだ」
「そうでしたわね。お客様を待たせるなんて貴族のすることではありませんわ。それでは、お兄様。別に返事は今すぐでなくともよろしいので、わたくしはゆっくり待たせてもらいますわ」
微笑むと、軽やかなステップでリーナは俺の横を通り過ぎていく。
俺は、自分がリーナに怯えていることにリーナの姿が消えてから気付く。
もう、いやだ。
そうして、居間に入った俺の目に入ったのは、
「団長」
ゲラルトが、憔悴しきった顔でそこに立っている。微笑みを浮かべてはいるが、疲れ果てていることを隠し切れない。
「やあ」
燕尾服で、椅子に腰掛けてヴィトナ特製のお茶を優雅に飲んでいる。
「団長、どうしてここに」
「悪いね、休暇中に」
「いえ」
「でも、どうしても君に来てもらわなくちゃいけない用があってね」
「いいんですよお、うちの馬鹿息子、もうサボってるだけですから」
けらけらとヴィトナが笑う。
「ああ、そうだね。帰ってきた頃には顔色が酷かったけど、最近は大分マシになった。あれ、でも今朝はちょっと顔色が悪いね」
心配そうに声をかけてくれるシュタイン。俺の、父親。けれど。
あの手紙を見た今では、気弱そうなこの男が、段々と不気味に見えてくる。
「一体、何があったんです?」
正直なところ、今すぐにこの家を出たい。逃げ出して、気持ちを整理したいという気分だ。連れ出してくれるなら大歓迎だった。
しかし、俺に長期休暇をくれた本人であるゲラルトが、そしてどうやら混乱中らしいシャーク国で忙しいはずのゲラルトが直接俺を呼びにくるとは、何が起こったというのか。
「耳を貸してくれるかい」
言葉に従い、近づいた俺にゲラルトは囁く。
「怨公が捕まった」
これで、話が猛烈な勢いで転がっていくのだと予感する。転がった先が、地獄か天国かは知らないが。
胎動編終了です。
次回より、問題編に入ります。




