故郷(1)
どちらにしろ、宮廷探偵団に所属してからこれまで激務続きだったし、どこかで長期休暇を取らせなければならないとは思っていた。
そう、ゲラルトは言った。本当かどうかは分からない。俺を遠慮させないための方便かもしれない。
ともかく、不死公と会ってからの俺は明らかにおかしかったらしい。そうして、よりによって王妃を追い詰めている最中に気絶して倒れてしまったわけだ。
無理矢理に休暇を取らされても、文句が言えるはずもない。
宮廷内の病室から、そのまま半ば強制的に馬車に乗せられ、運ばれた。
俺の懐かしの故郷、モットへ。
「おはよう」
俺が自室から食卓へ着く時には、既に俺以外は全員集合している。
父、母、そして妹。
「ああ、おはよう、ヴァン」
多少老けて貫禄のでてきた父が軽く手を挙げて挨拶に答えてくれる。
「ほら、朝ご飯よ。貴族様の口には合わないかもしれないけど」
どん、と母が食卓の中央に大きな鍋を置く。
中身は雑穀を煮た粥のようなものだ。青白い顔をしていたらしい俺が運び込まれるようにして実家に戻った七日前から、ずっと朝はこれだ。
どうやら、俺の体調を心配して、朝はこれらしい。皆には少し申し訳ない。
「ありがとう。いや、母さんの手料理が何よりも一番美味しいよ」
「あんた、お世辞下手ね」
苦笑しつつ、更に粥をとって、それをすする。薄い塩味。体に染みいる。
「それにしても、まだこの家に住んでるんだね。俺が出て行った時と大して変わってないし。都会の方で大きな屋敷に住むことだってできるのに」
何せ、俺は今や貴族だ。父も母も元のシュタインとヴィトナではない。シュタイン・ホームズとヴィトナ・ホームズだ。
そして。
「全くですわ、お兄様。わたくし達のような貴族が田舎のただの家に住んでいるなんてナンセンス。いえ、わたくしもこの村やこの家は大好きですけれど、やはり貴族には貴族なりの」
ぺちゃくちゃと喋る、明らかに周囲の調度品や内装からは浮き上がっている純白のドレスを身に着けた生意気そうな少女、この妹もリーナ・ホームズ。本人が言うように、確かに貴族の令嬢ではあるのだ。
「妹よ。貴族だからって、別に普段からそんなドレスを身に着けているわけじゃないんだぞ」
「またまた。お兄様ったら、わたくしを騙そうとしても無駄ですわよ」
ふぁさっと、レースの白い手袋をはめた細い指で金色の髪をかきあげる。何故か自信に満ち溢れた顔だ。
幼い頃に帰省して会う時には、きっと子どもだから背伸びしたがってこんなのだろうと思っていたが、どうもそのまま成長してしまったようだ。
「そうそう。もうすぐ、リーナも士官学校の試験を受けるんだ」
そんなリーナを微笑ましく見守っている父。
「あ、そうなの?」
もうそんな時期か。
「うん。リーナは勉強がよく出来るし、魔術の練習にも熱心だからね。実は運動だって得意なんだ。総合的な才能なら、ヴァンを超えるかもしれないくらいだよ。だから、きっと合格できるよ」
「合格なんて当然ですわ。狙うのは、特待生合格のみです」
びし、を指を一本立てる。
「別に、今のうちならリーナの学費くらい出せるだろ。というか、まずお前の衣装が結構かかってる気がするけど」
俺の貴族としての収入の数割がひょっとして妹の身だしなみに消えているのではないだろうかと心配になる。
「そういうことではありませんわ。貴族のホームズ家の一員たるもの、頂点であることを目指さないと」
「リーナはヴァンに憧れてるから、なるべく同じ道を歩きたいのよ。手間とお金をかけて身だしなみをしているのだって、ヴァンの妹として周囲に恥ずかしく見られないためにだし」
「ちょっと、お母様!」
顔を真っ赤にして立ち上がったリーナがヴィトナをぽかぽかと殴るが、たくましい母は全く意に介さない。
「そりゃあ、光栄だけどさ。ああ、ご馳走さま」
皿を置いて、
「さあて、それじゃあ、ちょっと行ってくるよ」
「また今日も? 俺がやるのに。というか、体調を崩してここに戻ってきたって話なんだから、無理はよくないよ」
「ああ、いいのいいの。これだけ長い間実家にいることなんて滅多にないんだから、親孝行させてよ。それに、気分が落ち着くんだ。体動かしていると」
そう言って、俺は家を出て裏にある畑に向かう。
「さて、と」
魔術を使えば簡単に作業できるのだろうが、あまりそんな気にはなれない。俺は鍬を握ると、息を吸い込む。
「いっちょ、やるか」
自分の中で決めていた今日のノルマの分だけ畑を耕しきる頃には、全身が汗で濡れている。途中、傍を通りかかった村人と挨拶を何度もした。村を出る前から世話になっていたおじさん、おばさんとも会った。ちょっとした世間話と共に、おすそわけでもらった林檎を齧る。
農作業をしているうちは、頭が真っ白になる。何も考える必要がない。これは幸せなことだ。
例えば、家族に対する違和感。いや、この世界全体に対して俺は違和感を持っていたのかもしれない。ただ、ここに来て、家族とずっと過ごしているうちにその違和感が明白になってきた。
皆にペテンをしかけているような感覚だ。
父と母は俺を息子扱いするが、転生前の記憶を引き継いでいる俺の精神年齢からすると、父と同じくらいになる。妹のリーナにしても、兄として接してくれているが、実は俺は兄というより父のような年齢だ。
士官学校の同級生達。けれど、本当は違う気がする。彼らは、本当の俺を知らない。本当は、俺は、酷い詐欺をしている。一度学校も出て、社会人になって、探偵になって、そして死んで、それからさも普通の学生のような振りをして、士官学校に潜り込んだんだ。向こうの知識を、自分だけの持つ武器として、才能として。
本当の家族も、本当の友人も出来ない気がする。永遠に。
レオ。
もしかして、お前なら。そう思っていたけど。
「まずい」
また、思考がよくないところに入り込んでいる。林檎を全て平らげると、また鍬を持つ。ノルマは終わったが、引き続き耕そう。何も考えず、体を酷使して、泥のように眠ればいい。そうしたい。
「おーい、ヴァン」
間延びした声がした方を向くと、シュタインが何か木箱を持ってこちらに近づいてきている。
「父さん、何?」
「これ、お前宛に。さっき、急ぎってことで届けられたんだよ」
俺はその木箱を受け取ると、自分の部屋に戻る。
何となく、俺にはその木箱の中身が分かる。木箱自体に、見覚えがある気がする。
部屋のベッドに腰掛け、木箱を開ける。中には、三枚の折りたたまれた紙と、そして包装紙に包まれた細長い物体。
まず、包装紙につつまれたそれを確認する。そこにあったのはナイフだ。柄までが金属でできたナイフ。緑に光る刃。
アイスに渡された、あの小刀だ。
宮廷内の病室から、ゲラルトに頼んで送ってもらっていた、あのナイフだ。
次に、紙を広げてみる。一枚目。
それは、シャーク国宮廷魔術師であり、参謀でもあるマーリンからのものだ。
内容は、このナイフについて。実験の結果、このナイフで切られた傷は回復魔術を使ったとしても回復が極めて遅くなると書いてあった。おそらくは聖遺物であり、回復阻害のような能力を持っているに違いないこと、これ以上は自分では調査できないことが書いてあった。そして、追伸として、
『ここ数日、急に国内がきな臭くなっている。ゲラルトが暗躍しているとも聞く。何が起こるかは分からないが、ヴァンも気をつけるように』
そんなことが書いてあった。
二枚目は、レイ・コルトからの手紙だ。
一言、
『ペース国聖遺物判定人レイ・コルトはこのナイフを聖遺物と認める』
そんなことが書いてあった。
そして、最後の三枚目は、署名に不死公と記してある。
『不死殺しの短剣に違いない。この能力はドラゴンイーターの作品としては最も基本的なものと言ってもいい。我が国にもドラゴンイーターを殺すための能力を持つ作品は百近く存在する』
読み終わり、息を吐く、
やはり、か。
なら、やはりレオは。
重力が消失したような感覚。足元がふらつく。
ノックの音で、重力が引き戻される。
「もしもし、お兄様?」
「ああ、どうぞ」
「ああ、やっぱり」
ドアを開けて部屋の中の俺を見たとたん、リーナが眉をひそめる。
「お兄様、湯水を浴びないまま部屋に戻られたと聞いて」
「ああ、そうか」
そういえばそうだ。あそこまで汗をかいていたのに。
「準備をしてきましたから、どうぞ汗を流してください。貴族として恥ずかしいですわ」
「ああ、悪い悪い」
苦笑して、俺は立ち上がる。
「助かったよ、リーナ」
色々な意味を込めてそう言うと、
「当然です」
ぷいと顔を逸らして、リーナは去っていく。
その去り際、
「お兄様」
「ん?」
「もしも、わたくしが」
そこで、一度言いよどんでから、
「わたくしが、例えばリーナ・ホームズではなかったとしたら、お兄様はどうします?」
「は? どういう意味?」
「つまり」
リーナは目を一度閉じてから、すぐに開き、
「何でもありません。忘れてください。ああ、でも」
妹のものとは思えない、妖しい笑みを浮かべる。
「お兄様は探偵なのですから、隠されていたものは調べるでしょう? なら、それでいいですわ」
そんなことを言って、去っていく。
「何だ、ありゃ?」
よく分からない。
ともかく、風呂に入ろう。色々なことを考えたくないし、体も疲れきっている。寝よう。もう、寝てしまうんだ。ナイフのことも忘れて。レオのことも忘れて。不死公や怨公のことなんて、当然忘れてしまうんだ。
風呂に入り、全身の汗を流す。
手早く体を拭いて、リーナが用意してくれていた着替えに袖を通す。
ありがたいことに、着替えはリーナの趣味の華美なものではなく、シンプルな木綿の上下だ。
「ふう」
温まったら眠くなってきた。いい具合に頭の働きも鈍くなって、余計なことを考えないでいい。
自分の部屋に戻ろうと歩くと、どうも違和感がある。
「これ、何だ?」
すぐにその正体は分かる。何か妙に重いものがポケットに入っている。取り出して見れば、それは古びた鉄製の鍵だ。
ただの鍵ではない。よく見れば、何やら紋様が刻まれている。かなり型は古いが、これは魔術錠の鍵だ。
どうして、その鍵がこんなところに。
「ああ」
そうして、思い出す。
そうだ。確か、魔術錠がこの家にあった。シュタインが行商人の時代に扱っていた商品の一部が、今もこの家の物置に置かれている。その中に、古い魔術錠式の小さな金庫があった。
その金庫は仕入れ値が高かった割に売れず、重いので行商にも不便で難儀をしたとシュタインは言っていた。必死に売り切ろうとしたが、結局行商人を辞めるまでに一個残ってしまったという話だった。
これを用意しておいたのは、リーナか?
だが、どういうつもりだ。
分からない。頭を振る。
どうでもいい。何も考えたくない。眠い。寝てしまおう。鍵なんて、知るものか。
部屋に戻ろうとしたところで、
「あら、ヴァン」
「ああ、母さん。とても眠いんだ。悪いけど、夕食はいらないよ。寝る」
それだけヴィトナに言って、俺は部屋に戻ると、鍵をテーブルに出して、そのままベッドに転がる。すぐに眠る。泥のように。




