アイスの話(2)
「その話をするためには、昔、私が王家に嫁いだ頃の情勢から説明せねばならない。あの頃、シャーク国は腐りつつあった。そのままでいけば、ペース国の傀儡へと成り果てかねなかった。国が腐りきり、全ての国民が不幸になる瀬戸際にあった」
アイスの目が、ここではないどこか遠くを見る。
「人はいいがとても辣腕とはいえないウラエヌスが即位した当初、この国の王家の権威は今にも崩れ落ちそうだった。大きな理由は、それまでの王家の失策の積み重ねと教会や貴族勢力の台頭だ。王族ではなく大司教や大貴族を敬っていた方が生きやすい国、そうなりつつあった。当時はまだ弱小貴族の小娘に過ぎなかった私が王家に嫁ぐことになった理由は、王家に嫁ぐ価値自体が下がっていたから、そして、私がその状況を打破することを期待されていたからだ」
レオほどではないが、当時のアイスも世に騒がれた怪物であったらしい。弱小貴族の三女でありながら、自らが指揮を執って政敵を潰していく女傑。それを取り込むことを狙っての婚姻だったことは、既に国内外で有名な話だ。
「いずれ、王の権威を復活させ、この国を支配し、強いシャーク国へ建て直す。その自信はあった。だが、私が嫁いだ時に必要としていたのは、特効薬だ。今、その瞬間、教会や他の貴族連中に食い物にされているシャーク国の状況を好転させる手段だ。すぐにでも取り返しようもなく腐ろうとしていた国で、それを必要としていたんだ」
そこで、アイスは不思議な物でも見るような目つきで、自分の手に目を向ける。
「教会と手を組むことが、その特効薬となった。教会が王家を尊び、王家もまた教会を保護する。不可分なほどに教会と王家で手を結ぶことによって、強力な権威を確立しようとした。ただし、教会に吸収されるのではなく、王家が王家として独立したままで。当然、教会からすればそのような形で王家と組むことにメリットはない。だから、メリットを作り出さなければならなかった」
「姫ですか」
話の辿り着く先を予想して、俺は暗澹たる気分になる。
「そうだ。私とウラエヌスの子が聖女の生まれ変わり。これほど、教会の力を取り込むのに都合のいいことはない。もちろん、聖女の生まれ変わりなどと教会は決して認めないだろう。ぐうの音も出ないほどの証拠でもない限り。だから、私は証拠を作ることにした」
作る、という言い方がこれほどおぞましく聞こえることも珍しい。
「自慢できることではないが、私は元々怪しげな輩達とコネクションがあった。弱小貴族が生き残るためには手を綺麗なままにはできなかった。だから、私はそのコネクションを使って、生まれ変わりを買い取ることを考えた」
「人身売買か、くく。一国の王妃がそんなものにまで手を出すか」
嘲笑うマサカドに、アイスは焦点の合っていない目を向ける。
「あの当時の王族など、精々が中級貴族程度の力しかなかったさ。最初は、人身売買で手に入る子どもに、あのファタの像に似た子がいないかを捜していた。だが、あの男が向こうから寄ってきたよ。ペース国の医師を名乗る男だった。青い狼とも取引をしているというあの男。マクガフだ。あの男は、買うのではなく、子を作ることを提案してきた。研究中の技術だと言っていた。私の腹を借りて、子を生み出すのだと。実験台になってやったよ」
無意識にか、アイスは腹に手をやる。
人工授精か? ひょっとして。
「よくそんな実験を受けてみる気になりましたね」
「具体的にどんな技術を使ったのかは私には分からない。だが、マクガフは信用されるために代償を払った。青い狼についての情報をリークし、聖遺物を私に差し出した。私はその男がただの頭のおかしな科学者もどきではなく、大きな力を持っている人間だと認定した。だから実験を受ける気になった。表向きは宮廷医師として迎え入れて、実験を受けた。驚いたよ、半信半疑ではあったが、生まれた子には確かに、ファタの像の面影があった」
「旦那はどうだったんだよ」
マサカドが聞きにくいが知りたいことをあっさりと質問する。
「ウラエヌスは何も知らない。真実、私と自分の子だと思っているだろう。彼は娘に情はあるが、それに反して詳しいことは知らない。いや、知れないように私がした。ともかく、そうやってできた子どもがヴィクティーだ。もっとも、実験はあくまで実験。完全ではなかった。あの像にそっくりとまではいかなかったし、成長するに従ってだんだんとずれもでてきた。だから、途中で何度か改造したが」
「顔を変えたんですか、ヴィクティーの」
まだ、幼い子どもに整形手術を施したのか。
「ああ、例の。侍女にやったのと同じか」
納得したようにゲラルトが呟く。
「そういうことだ。『完成』したのは彼女が七歳の頃。正式に教会に生まれ変わりだと申請し、許可を得たのもその頃だ。もっとも、それ以前からヴィクティーを聖女の生まれ変わりとする計画は私と教会の一部の間で進んではいたが。誰から見ても疑問の余地のないほどにファタの生き写しとして完成したのがその歳だったということだ」
「気分の悪い話だ、ひひ。人間の所業じゃねえな」
ようやく、ヘンヤが喋る。そして内容はまさに俺の今の気分を見事に言い表している。
「そう、私は人間ではない。今も昔も、強いシャークの象徴だ」
「いるんだよな、こういう奴。自分自身に自信持てないから、何者かになろうとして張り切る馬鹿。どうせ器じゃないんだから周りに迷惑なんだよ」
やれやれ、と一国の王妃に言うとは思えない失礼な言葉をぶつけるマサカドに恐怖を覚えて一歩離れる。
今の暴言、いるか?
「特に反論もない。女傑、怪物。そういった嫁ぐ前からの私のイメージが私そのものだ。だから、私はそのように動く。実際、教会の後ろ盾を得て、私は王家を立て直した。この国を再生させた。その自負はある。私の所業とそれが釣り合うのかどうかは別にして。それに、傷も負った。王家に、宮廷に異物を抱き込んでしまった」
「宮廷医師にしたマクガフ博士ですね。当然、秘密を知る彼とは運命共同体になったわけだ」
「異物は異物を産む。宮廷医師として後進の指導にあたるうち、優秀な者が数人、奴のシンパとなった。アルルもその一人だ。私の急所を掴んでいる奴は、この国で力を増していく。そうして、また奴は私に色々な話をしてくれた。自分の技術がどこから来たのか。ドラゴンイーターの話。不死公の話。怨公の話。奴のあまりにも常識離れした話は、あまりにも常識離れした技術によって裏付けられた。奴は怨公の弟子にして信奉者の一人だった。そして、いつの間にか私も怨公のために動く歯車のうちの一つに成り果てていた」
「アイス王妃。我々が知りたいのは、その怨公についてです。あなたは、怨公と会ったことは?」
ゲラルトの質問に、
「ない。マクガフから話を聞いていただけだ。そして、あの事件の後、マクガフはその怨公に指示を仰ぐために会うと言って、数日後に死体で見つかった。殺された、のだと思う。おそらく怨公に」
「どうして怨公がマクガフ殺すんだよ?」
「さて。マクガフの話では、怨公は冗談で人を殺すような男らしい。特に理由もなく殺されたのかもしれない。あるいは、計画が狂ったことで怒ったのか」
「計画? 怨公が何か計画していたんですか?」
それが、あの事件で狂った?
あの事件、当然、ヴィクティー姫が殺された事件のことだ。
「幼い頃から洗脳に近い形で教育し続けてきたヴィクティーは、正にシャーク国のための駒だった。だが、あの娘も定期的なマクガフとアルルの調整にも関わらず、綻びつつあった。人は、完全な人形にはなれない」
「当然だろ」
呆れた声でマサカドが突っ込む。
「特にヴィクティーの場合は、幼馴染でもあったレオの影響が大きかった」
レオの名が出て、思わず体が震えてしまう。
「そもそも私は娘を極力他の人間と触れ合わせないつもりだったが、レオ・バアルは子どもの頃から化け物じみていた。いずれ、時が来れば私の陣営に引き入れるつもりで、もしできるのであればヴィクティーと契らせるつもりで付き合っていたが、それが裏目に出た」
そこで初めて、アイスは眉を寄せて歯を噛み締める。痛みに耐えるかのような顔をする。
「あの男ならば、いずれ私の後を継ぎ、この国の強さをそのままに、私の負の遺産を、怨公の影響を、青い狼の影を、全ての悪しきものを取り去ってくれると期待していた。それほどの器だと思っていたのに」
「ふうん、噂には聞いていたけど、それほどの男か」
これまでで一番、マサカドが興味を示して目を光らせる。
「ともかく、娘をこのまま駒にしていくことには不安があった。いつ何時、感情を爆発させたり、想定外の行動をとるとも分からない。だから、スペアを用意することにした」
スペア。
また、何か嫌な予感のする言葉だ。
「そのスペアと入れ替えるということですか?」
「ああ。顔を恒久的に変える技術は研究の結果、相当なレベルにまで上がったということだった。だから、ヴィクティーに似た年恰好で、怨公の信奉者の女の顔をヴィクティーに似せて変えれば、その女と娘を入れ替えることができる。そういう計画だった。あの表彰式が終わってから数日で、それを行う計画だった」
ところが、入れ替わる前にレオに殺された、と。
いや、待てよ。
「あの、その殺された方が実はスペアで、本物のヴィクティー姫は生きてるってことは?」
「ない」
ばっさりと一言で斬られる。
「そもそも、あの時、死体には首がなかった。だからこそ、私やアルルは体の特徴を見てヴィクティーだと判断したのだ」
「そこの考えすぎの推理マニアは置いといてだな」
と、マサカドに酷い扱いをされる。
「その後、あんたと怨公はコンタクトがあったのか?」
「あるかと思っていたが、なかった。マクガフが死んで、私やアルルを筆頭にした宮廷内のマクガフ派の連中は戦々恐々としていた。だが、何もなかった。ドラゴンイーターや不死公、怨公の話はマクガフの妄想ではないかと思ったほどだ。だが、ともかく私は、その機会を逃さずこの国の中枢から怨公の影響を消し去った。マクガフに関するものを全て捨て去り、処分した。マクガフ派の連中は口止めしてから全員中枢から追い出した」
なるほど。内部的にはそうなっていたのか。
「何だよ、じゃあ、結局怨公のことはお前知らないのかよ」
がっかりしたことを隠さず、マサカドは思い切り肩を落とす。
「期待させて済まないが、そういうことだ」
そうして、アイスは目を閉じる。
「ああ、ちょっと待ってください。レオは?」
話が終わりそうな雰囲気になったので、慌てる。
レオがドラゴンイーターじゃないのか。あるいは、レオに怨公が接触していないのか。俺にとっては、本題はそっちだ。
「レオ・バアルか。惜しかったが、処刑したよ。それだけの話だ」
「いや、あいつ、ドラゴンイーターだったんじゃないですか?」
「確かに、かもしれない。どういう運命の悪戯なのか、バアル家からドラゴンイーターが生まれたのかもしれない。確かに人間とは思えないような能力の持ち主ではあるし、話に聞いたドラゴンイーターの特徴を持っていた」
「だったら、処刑なんて」
そう。意味がない。レオは死んでいない。首を落とされ、一度は墓に入れられても、やがて首が繋がり、墓から這い出るのだ。
あの自信に満ちた表情で。
レオは死なない。
「これだ」
アイスが取り出し、そして投げてきたのは細長い木箱だ。慌ててキャッチして、中を開くと、そこには飾り気のない、何故かかすかに鈍く緑に輝いている、柄まで金属でできている小振りのナイフが入っている。
「これは?」
「マクガフから手土産に渡された聖遺物の一つ。聖遺物としては典型的なものらしいな。不死殺しの短剣だそうだ」
世界がずれるような感覚。
「処刑の際に、それで息の根を止めてから首を落とした。だから、奴がドラゴンイーターだろうがなかろうが同じだ。奴は能力があった。ありすぎた。だからこそ、あの時には危険物でしかなかった。確実に消してしまわなければならない。ドラゴンイーターかどうかの実験も、尋問も拷問もしていない。それをしているうちに向こうのペースになって場を覆させられないとも限らない。私はそう判断して、だからこそ問答無用で確実に殺した。死体も焼き尽くして、その灰を海に捨てた。それはくれてやろう。疑うなら不死公とやらにでも、レイ・コルトあたりの聖遺物判定人にでも見せてみるがいい。それは間違いなく、不死殺しの聖遺物だ」
レオが、死んでいる。
「残念だったな」
声がする。
後ろから。振り返る必要もない。あの二人組だ。
足元が崩れているような感覚。
あれ?
俺は、こんなにレオが死んでいるという事実に衝撃を受けているのか? そんなに、レオが死んでいないと信じていたのか?
いつから?
ドラゴンイーターの話を聞いてからか、不死公の腕が斬られた後で動いているのを見てからか。
きっと、最初からだ。納得していなかった。あのレオが死ぬなんて。あいつは、人間じゃあないと、死ぬことも弱ることも負けることもないと、そう思っていた。ずっと。出会った時から。あいつを俺が推理で追い詰めてからも、ずっと。
やっぱり死んでいるのか、レオ。
「当然だろ。どうしてあんなことをして俺が生きてられる?」
声。
辺りが暗い。
「おい、どうした、顔色が悪いぞ」
マサカドの声が聞こえるが、もうその姿も見えない。
頭が重い。
「いやあ、実は、数日寝不足で。暗号解読に時間をかけてしまって」
出来るだけ軽い口調でそう言おうとしたが、舌が回らず、うまく言えたかどうかは分からない。
だるい。
少し、座ってもいいか。
そう思ってふっと体の力を抜いた瞬間、俺は闇に落ちていく。




