壁の向こう(2)
ハンマーでもあれば話は早いんだろうが、あいにくそんなものはない。だが、ウーヘイがマントの下に隠し持っていた武器のうちの一つである鉄製の杖のようなものが、その代わりになってくれた。
全員が例の壁の前に集まり、その中でウーヘイが一歩前に出る、というか出される。
「これは、こういう使い方をするものじゃあないんだが」
しぶるウーヘイに、
「どうせ人を殴るものでしょう。壁を殴っても大した違いはありません」
トウコが乱暴な意見を言う。
しぶしぶウーヘイはその鉄製の杖を構える。その構えは堂に入っている。
「ほほう」
ヘンヤの目が光る。
「明らかに杖術の心得があるな。ひひ、なるほど、隠された武器と引き出しの多さがお前の強みか」
それには答えず、ウーヘイが杖で壁を殴りつける。
ずん、と重い音がして杖が突き刺さるようにめり込み、それから少し間を置いてから杖の当たった周辺がざらざらと崩れていく。
「見た目よりももろいな、この分ならそんなに時間はかからないか」
呟いてからウーヘイは振り返り、
「しかし、本当に大丈夫なのか? この奥にあるのは、屋敷を支える柱だろう?」
ヒエイに確認をとる。
「問題ない、思い切りやってくれ」
「そうか、では」
とウーヘイは再び殴り始める。
最初は、俺が魔術で崩そうとしたのだが、マサカドとアオイに止められた。その理由は単純で、魔術という細かい操作が難しい技術で壁を崩すと、壁の周りとは様子が違う部分だけでなく広範囲で破壊する可能性があるからだそうだ。
崩す必要がある部分だけを崩して、破壊面積を最小限にしたいというのは当然の話なので、俺は黙ってウーヘイが殴っているのを見ている。
さすがはプロといったところか、次々と壁を打ち崩しながらも、ウーヘイは壁の妙な部分、明らかに他とは違う部分だけに杖を打ち込んでいき、決して普通の部分には当てていない。
かかっていた大鏡よりも少し小さいくらいのスペースに、見る見るうちに壁がへこんでいく。
「おっお?」
と、杖を振るっていたウーヘイが素っ頓狂な声を出す。
それは、杖での一撃が、へこんでいた壁をとうとう突き抜けてしまったからだ。
ぼごりと杖がめり込んで、明らかに今までとは違う。杖が向こう側に貫通してしまっているようだ。
だが、貫通?
そんな馬鹿な。だって、まだ柱にぶち当たっていないのに。
「やはりか」
マサカドが呟く。
振り返ったウーヘイとヒエイの目が合う。ヒエイは黙って、ただ頷く。
再びウーヘイが打ち崩していく。
誰もが言葉を失う。
その異様な展開に。
壁には人が通れるくらいの穴が開いており、その向こうには黒い空間が広がっている。そう、真っ暗い空間だ。明らかに、向こう側の食卓のある部屋に突き抜けたのとも違う。
「これは、一体」
息を呑むのはライカ。
つまり、柱があるべき場所が、まるまるスペースになっているわけだ。壁の中で。
部屋と部屋の間、壁の中に、狭い、本当に狭いスペースがある。
ウーヘイは大胆にもその空間に近づき、首を突っ込む。
「下か」
その呟きと共に、ウーヘイの姿が掻き消える。
「えっ」
驚く俺達の中で、ヒエイが冷静に、
「下に潜っただけですじゃ」
「潜った?」
「そう、これは入り口。地下への入り口なのです」
そう言うヒエイもまた、その空間に近づくと、
「ここです。下に、穴が開いておるのです」
と言って、地面に沈むようにして消える。
そうして、無言でマサカドが続く。無言のまま消える。
しばらくの躊躇の後、俺達は顔を見合わせて、全員でゆっくりとその壁に開いた穴に近づく。
「ああ、なるほど」
確かに、壁の中の空間には、床というよりも地面に穴が開いており、その下に真っ暗な空間が広がっている。
「ヴァン、降りて来い。魔術で灯りをつけてくれ」
マサカドの声がする。
俺は、意を決して飛び降りる。
「うわっ」
思ったよりも下の地面が近くてバランスが崩れる。俺の背丈とちょっとくらいしか離れていない。
冷たく、湿った、狭い闇。
「ランプならここにあります」
と暗闇の中でヒエイがランプを手渡してくる。
「はい」
さっさと火をつけようとして、気付く。
「いや、暗すぎて無理です。魔術が上手く使用できない」
見えなければ魔術は使えない。
「ああ、そうだった。ったく、どうして何も考えずに降りてくるんだよ」
闇の中でも相変わらず尊大なマサカドの文句。
どうして何も考えずに降りてきたか。
あまりの展開のために混乱していたからに決まっている。
「おい、アオイ、お前は魔術を使えたよな? 携帯用のランプに火をつけてきてから降りてきてくれ」
「はいっ」
元気な声がしてから数秒で、アオイが降りてくると同時に辺りが照らされる。
「うっ」
そして、俺とアオイが同時に呻く。
何だ、こりゃ。
俺達がいたのは、地下道だった。身を屈めていなければ頭を打ちそうなくらいのサイズの、周囲を木材で補強してあるだけの、いつ崩れてもおかしくなさそうな、そう、まるで手掘りの地下トンネルだ。
一方はすぐに行き止まりになっており、もう一方は暗い上にゆるやかに曲がっているから先がどうなっているのか分からない。
つまり、さっきの壁の中のスペースから、どこかへと繋がる地下道だ。
「ここが、お前の兄貴分の死に場所か、ヒエイ」
マサカドの言葉に、
「はい」
ヒエイは表情を変えずに答える。
「こちらです」
そうして、ヒエイは歩き出す。
「お、おい」
戸惑うウーヘイだが、マサカドは当然のように巨体を縮ませながらそれに続き、
「行くぞ」
と振り返って声をかけてくる。
仕方なく、俺たちもそれについていく。後ろで、今度はライカが降りてきて驚きの声をあげている。どうやら残りのメンバーも全員付いてくる流れらしい。
しかし、どうなってるんだ、これは?
やがて、袋小路のような場所に出る。
木材で造られた数段の階段を降りて辿り着いたその場所は、これまでの地下トンネルよりは天井も高く、広々としている。
狭い部屋、安宿の一室くらいの広さの部屋だ。
「うっ」
思わず呻く。
臭いがする。乾いた、死臭。
俺以外も皆、顔を歪める。
「ひっ」
と、ランプで辺りを照らしていたアオイが息を呑む。
部屋の片隅、ランプで照らされた場所に、それがあった。死臭の源が。
粗末な木製の小さなテーブルがある。
ぼろぼろのそのテーブルには、赤く錆びた錐や鋸が転がっている。
そして、その片隅、土壁にもたれかかるようにして、ボロ布を纏った、黒く汚れた屍が転がっている。屍というよりも、骨だ。
「これが、そうか」
あまりの状況に言葉を失う俺達の中で、マサカドが呟いて、目を閉じる。
「はい」
ヒエイは頷く。
「これが、トキタダ様の亡骸です」
ざわつきがおさまってから、ヒエイの説明が始まる。
「シジマ様が病床についた当時から、噂はありました。当時、勢力を拡大していくシジマ流の当主の座を奪うための毒殺ではないか、と。その噂では、毒を盛ったのはセキウン様という話でした。それも当然の流れでした。後継者になるのはどう考えてもトキタダ様かセキウン様。そして豪快なトキタダ様には毒のイメージはなく、セキウン様は超然とされていて、得体が知れませんでしたからのお」
「おいらも、当時のことは噂には聞いたよ。そん時は、まだセキウン様と会ってもなかったけどなあ、それでも伝わってた。都市伝説みたいなもんだと思っていたけどなぁ」
「実際、そうだった。根も葉もない噂だったのだ。セキウン様に関してはな」
「じゃあ」
ライカが顔を歪める。
「ええ。実際はトキタダ様によるものでした」
遠い目をするヒエイの指先が痙攣している。
「近い将来、御家流になる可能性のある流派です。当然、醜聞を外に漏らさぬよう捜査は慎重になりました。しかし、同時に苛烈にもなりました。理由はお分かりですか?」
「どういうことですか?」
込み入った話は苦手なのか、トウコが眉を寄せる。
その横でスライスが、
「本当に自分の利益だけを動機とした単独犯ならばいいが、といったところか」
「なるほどね、ひひ」
多少顔色は悪いながらも、ヘンヤがこの状況にも関わらず笑う。
「あれだ、他国やら、反体制やらの差し金ってことも考えられたわけか」
「そうです。この国では剣術の流派というものが他国では考えられない影響力を持っている。ましてや当時の御家流であったホウオウ流を凌ぐ勢力を持ち、次期の御家流の可能性もあったシジマ流であれば、なおさらですのお。じゃから、たとえばトキタダ様を煽って後継者にさせて、傀儡として操ろうとしていた黒幕がいたとしてもおかしくはなかったのです」
「その結果が」
顔をしかめて、ウーヘイがボロ布に包まれた骨に向けて顎をしゃくる。
「これか。拷問でもしたのか?」
「最初は、そうするつもりはなかったようです。影、そして探偵があくまでも静かに、しかしできるだけ早く事件の真相を暴こうとしておりました。セキウン様、そして当時のシジマ様の弟子は皆、協力しました。わしもです。わしは、トキタダ様が毒を盛ったなどと夢にも思っておりませんでしたからな。あの豪快な御仁が。毒殺説など、根も葉もない噂だと思っておりました」
「それで?」
古くからの知り合いではあるが今まで全く知らなかったらしく、ダイゼンが先を促す。
「ある夜。捜査に携わる人間と、わし、セキウン様、そしてトキタダ様しか道場にいなくなった時のことです。緊張に耐え切れなくなったのか、それとも勝算があったのか。ともかく、あの夜」
一度、ヒエイが大きく震える。
「トキタダ様が爆発しました。剣を手に取り、手当たり次第に斬りつけだしたのです。地獄のような光景でした。探偵や影が次々と斬り殺されていき、そうして、わしにも刃が迫りました。無我夢中で抵抗している時、セキウン様が一太刀でトキタダ様を倒しました。トキタダ様は重傷、そして捜査に携わっていた方々は、影も探偵も、一人を残して全員絶命しておりました」
「そんな」
顔を真っ青にしてアオイが呻く。
「運よく生き残ったのは、平民出身の影、言い方は悪いですが、一番下っ端だった影でしたのお」
「それが、俺の親父だな」
いきなり、マサカドが口を挟む。
「そうです。スミトモ様と仰る方でした。スミトモ様は、事態を即座に当時の探偵団長に報告、あまりのことに探偵団長は事態の隠蔽を指示したそうです。そして、この事態を知る者を一人でも少なくするため、追加の人員は必要最小限にし、指揮は異例のことですがそのスミトモ様がとることとなったのです。おそらく、指示を出した探偵団側も混乱しておったのでしょうのお」
「そして、これか」
どこか懐かしむような顔をして、マサカドは骨の前に立つ。
「影ですからな、やることは決まっておりました。死なないように手当てをした後、拘束してからの尋問、あるいは拷問。それがトキタダ様に待っておった末路でした」
静かな口調ながら、ヒエイは瞳を暗くする。
「当然、ヒエイさんも手伝わされたんだろ?」
「人手がありませんでしたからな。トキタダ様の手足を縛った後、手当てをしたのはわしですじゃ」
まるで恐ろしいものでも見るかのように、ヒエイが己の両手を差し出して見つめる。
「この地下室は?」
トウコが見回す。
「親父だろ、どうせ。元ディガーだからな」
答えるのはマサカド。
「そうですな。朝になれば他の弟子が戻ってくる状況で、トキタダ殿と大量の死体を取りあえず隠す場所が必要でした。そこで、スミトモ殿は地面を掘ったのです。どうも、それが得意だったらしいですじゃ」
「じゃあ、ここ、もっと沢山の死体があるわけ?」
ライカが吐き気を堪えるように手で口を押さえるが、
「いえ、トキタダ様以外に関しては、ちゃんとご遺族の元に遺体を届けたはずですがの。事件を隠蔽するために、相当強引に誤魔化したらしいですがね。金をばら撒いて事故として処理したり、失踪してから半年後に死体が発見されたという筋書きにしたり。ここに死体を隠したのは、一時的なものです。トキタダ様を除いては、ですがの」
部屋に満ち満ちた死臭が、一層濃くなった気がする。
「あそこの器具を使って、結局トキタダを殺したのは親父か?」
「ええ、そうです。わしは、ただ、見ておりました」
見ていた、という言葉が、むしろおぞましい。
「しかし、妙ねえ」
ずっと黙っていたアルルが、そこで首を傾げて間延びした声を出す。
「地下室を作るのまでは分かるんだけどおー、どうして壁の間に地下室への出入り口があるような造りになるわけー?」
そう言えば、そうだ。
こんな妙な構造にする必要がない。切羽詰った状況で、即席で作ったのならばなおさらだ。




