壁の向こう(1)
どうしてアルルがここにいるのか。
その理由は即座にマサカドから簡単に説明される。
「古い知り合いだからな。秘密裏に片付けるには適任だと思って、昨夜呼んでおいた。まさか、ここまで早く着くとは予想外だが」
伝書鳩だそうだ。
イスウ国では結構メジャーな手段らしく、マサカドはかなり優秀な伝書鳩を常に懐に忍ばしているそうだ。
「アルルが、イスウ国の元老院のとこに来てるって話は知っていたからな。イスウ国のどこかしらの権力のひも付きではない部外者で、なおかつある程度うちらの事情も知っている医師。この事件に関わらせるにはうってつけだ」
「久しぶりね、アルル」
ライカがどこかしら神妙な面持ちで声をかける。
「そーねー」
のんびりとした顔をしながらも、アルルもやはり少し含むものがある態度だ。
ふわふわとした髪をかきあげ、斜め上に目をやっている。
それも仕方がないか。状況が状況で、おまけにアルルとライカと俺が出会ったのは、決していい思い出になるような状況ではなかった。
「にしてもさー、本当なの? その、セキウンさんが死んだって。しかも、殺されたっぽいって」
あまりにもストレートな物言いに一瞬俺達は言葉を失うが、
「間違いないぜ」
床に胡坐で座っていたヘンヤが、置いてある武器の山を見つめながら答える。
「死んだよ、あの化け物みたいな師匠がな。俺が殺すつもりだったというのに」
「信じられないわねえ」
アルルが首を傾げる。
「老いて弱くなったんじゃない限り、あの人を殺せる人なんて存在しないはずだけど。というか、あなたたちを殺せる人自体、少ないんじゃないー?」
「確かに、この中でも比較的殺し易そうなのは、わしとダイゼン、それにそこのアオイ殿とヴァン殿くらいですな」
的確かつちょっと失礼な分析をするヒエイ。
「そうねえ。そう言えば、しばらくの間、脚見てないけど、調子はどう、ダイゼンさん? 治ったりしてるー?」
「え、この脚、治るのかあ? 三十年間近くこのままだけどよぉ」
引きずっている方の脚をダイゼンがぽんと叩く。
「いやあ、あたしの常識だとそういうことはないかなあ。でも、ひょっとしたらと思って」
医師とは思えない発言だ。
「ともかく、俺達なら分からないこともお前なら分かるかもしれん、調べてくれ」
直球なマサカドの頼みにアルルは肩をすくめる。
「正式なイスウの人達呼んだ方がいいんじゃない?」
「今呼べば、自殺か事故、下手すれば病死にされかねない。イスウ国の象徴だ。分かるだろう、意味が」
「まあねえ」
伸びをしたアルルが、ちらりと俺を見る。
「で、ヴァン君はもう犯人が分かったりしないの?」
「まさか」
「マサカドさんは?」
「俺は、今のところ何も考えていない。アオイ、どうだ?」
「そうっすね……あと、一押しってとこっす」
マジかよ。
思慮深げに顎に指を添えて考えに沈んでいるアオイの様子は、ブラフには見えない。本当に、もうすぐ犯人が分かるのか。凄いな。俺、全然なんだけど。
「それじゃあ、さっそくで悪いけど、セキウンの部屋に案内してもらえる?」
「ああ。だが、さっき行ったばかりだからな。全員でぞろぞろ行く必要もないか。俺は行くが、他に誰が行く?」
マサカドが立候補者を求めると、
「ちょっと、確かめたいことがあるんで自分も行くっす」
アオイが立ち上がる。元気一杯だな。
そして、いつの間にか全員の視線が俺に集中している。同じ探偵のアオイがもう一度調査しようというのに、お前は動かないのかと言う無言のプレッシャー。
けど、俺の方はもう一度確かめることなんて。
「あ」
あった。
「じゃあ、俺も行きます」
「そうなると、マサカドだけじゃあ不安だな。仕方ない、俺も行くか」
ヘンヤが立ち上がる。
「護身用に、竹刀くらいなら持ってもいいだろう?」
「ああ、好きにしろ」
マサカドの許可を得たヘンヤは、喜々として袋竹刀を片手に持つ。
こうして、俺、アオイ、マサカド、アルル、そしてヘンヤの五人で、またセキウンの部屋に向かうことになる。
護衛役としてヘンヤを付き添わせてアルルが死体を調べている間、アオイは再び部屋の内部をしらみつぶしに調査を始める。
だが、俺はどうもそんなことをする気になれず、マサカドと共に部屋を出る。
「どうした? 死体の近くにいるのが嫌になったか?」
揶揄するようなマサカドの言葉に肩をすくめて、
「否定はしませんけど、それよりも、こっちの方が気になりますね」
廊下を歩いてセキウンの部屋を離れて、ヒエイの部屋の前まで進んだところで足を止めて、振り返る。
廊下の片隅に立てかけてある大鏡には、セキウンの部屋の中で死体を調べているアルルの姿が映っている。
「あそこに鏡があれば、外から内部を伺うことは可能ですね」
「そりゃあ、戸が開いているって前提でだろ。戸が閉まっていたら何の意味もないぞ」
「確かに」
同意するしかない。そう、その通りだ。
「だから例えば、あの鏡はダミーだとしたらどうでしょうか?」
「ほう?」
「むしろ、本命はこの鏡の後ろに隠れていた壁の方にあったりして」
いいながら、鏡がかかっていた壁をざらりと撫でる。
「色が違うということか? ふん、日に当たっていないから当然だろう」
鼻を鳴らすマサカドから感じる、僅かな緊張。
まずいか。
不安になってくる。ひょっとして、藪蛇だったか。ここで、二人きりでこの話をするのは。
直感する。
マサカドは何か知っている。
いや、しかし、この状況で俺を殺せば、明らかに犯人が自分だと告白するようなものだ。もう少し、つついてみるか。
と考えながらも、万が一のために俺は強化魔法の準備をしておく。いざという時に、脚力を強化して逃げられるように。
「この壁の向こう、見取り図によれば柱でしたよね」
緊張感が増し、俺の全身がじっとりと濡れてくる。
「そうだ。この屋敷を支える大きな二つの柱のうちの一つだ。だから、滅多なことはしない方がいいぞ。その柱に何かあれば屋敷が倒れるかもしれない」
マサカドの目が鋭さを増す。
「この壁、色だけじゃあなくて、手触りも違うんですよ。ざらついているというか、他の部分の漆喰の壁とは明らかに違います。全体としてはすべらかに見えるのに、細かいところは雑。雑に作ったというより、丁寧にしながら、どうしても細かいところの調整が利かなかったみたいです。まるで」
「まるで?」
次の瞬間、マサカドは俺のすぐ横にすり寄っている。
「かなりの高精度の土の魔術で作り上げた壁、みたいに」
平静を装って、俺は言い切る。
そう、魔術はどうしても何かを作り上げることに向いていない。
だから、どれだけの技量の魔術師がどれほど丁寧に作ろうとも、魔術によって作り上げたものは細部が雑なはずだ。
俺が思い出すのは、かつてダンジョンの奥で見た合成壁。ディガーが石の粉と水、そして土の魔術で作り上げる合成壁だ。
あれは一流のディガーによるものだったが、この壁もどこかあの合成壁を思わせる。
ぬるり、とマサカドの手が伸びてくる。
まずい。
強化魔術と同時に、跳ぶ。一気に五メートル以上距離をとる。
「くく」
その俺の姿を見ながら笑うマサカドは、そのまま手を伸ばして、件の壁に触れる。
「確かに、そんな感じがするな。どうだ、管理人のヒエイの許可を得て、崩してみるか、この壁を?」
それから、汗に濡れた俺の顔にまるで今気づいたような顔をして、
「ところでどうした、そんなに汗をかいたり、飛び跳ねたり、少しおかしいぞ」
「いえ」
からからの喉から、それだけ言葉を絞り出す。
もう、いやだ。
こいつらの近くにいると寿命が縮む。
「ふん、もしも魔術で壁を作ったんだとしたら、材料が当然存在するわけだな」
何度も何度も、マサカドは壁を撫でる。
「当然、そうなりますね」
「だったら、その材料の残りかすか、これは」
視線を下げるマサカドにつられて、俺も壁の下に目をやると、床に細かい白い粉のようなものがぱらぱらと存在している。
そう、例えばあの白い粉のようなものを大量に集めて固めれば、こんな壁を作れるかもしれない。
「マサカドさん」
「ああ、よし、調査が終わったら遊戯室に戻って、ヒエイと打ち合わせをしよう。この壁の奥に、何かあるようだ」
そこで、マサカドはにやりと笑い、
「何かあるようだ、か。俺が言うには、不誠実に過ぎるな」
よく意味の分からないことを言う。
ヒエイ、アオイ、そして未だにセキウンの死を信じられないのか首を捻っているアルルと合流して、俺達はいったん遊戯室に戻る。
「結論から言うと、死んでいたわねー。確実に。で、喉を鋭利な刃物で斬りつけられたのが致命傷ね。ほぼ即死。握っていた刀には血痕がないことから、凶器は別、となると、まあー、自殺っていうのは考えにくいかなー」
「やはり殺されたのか」
ウーヘイがぽつりと呟くが、
「うーん」
アルルは首を捻って唸る。
「どうも信じられないのよねー。あのセキウンが殺されるなんて、相手は一体どんな化け物なのよー」
その言葉に、誰もが無言の同意を示す。
しばしの沈黙の後、
「他に気付いたことはないっすか」
アオイに促されて、
「そうねえー、何と言うか、違和感はある、気がするんだけど」
何度もアルルは首を捻る。
「そりゃあ、そうだろう。あのセキウンが死んでいるんだ。違和感の塊だ」
ヘンヤが言うが、アルルは微妙な顔のまままた首を捻る。
「とりあえず、話を先に進めていいか? 鏡の話だ」
マサカドが口火を切って、全員の視線が集まる。
「ヴァンが、鏡がかかっていた部分の壁が、どうも妙だと言い出した。そう、まるで優れた魔術で作り出したようだとな」
全員の顔が固まり、
「それは」
しわがれた声で、ヒエイが言う。
「現に、そこの床に白い粉のようなものが落ちていた。鏡が外される前、そんなものはなかったはずだ。いつも掃除しているヒエイなら分かるだろう。少なくとも、今回の秘剣伝授の儀が行われる前には、絶対になかったはずだ」
「た、確かに。ですが」
「ヒエイ」
何故か、マサカドが優しく微笑む。
「あの壁、崩してみていいか?」
「マサカド様」
ヒエイは一度、唾を飲み込んでから、
「よろしいのですか?」
何だ、このやりとりは?
やりとりの意味が分からず、俺達は二人の顔を見比べることしかできない。
「もちろんだ」
「そうですか。分かりました」
ヒエイは一度だけ目を閉じて、すぐに開くと俺達を見回し、
「それでは、全員で行きましょう。あの壁を崩しに」
「ちょ、ちょっと」
慌ててライカが抗議する。
「何のことよ。大体、そこの壁って柱の裏でしょう? 大丈夫なの、そんなところの壁を崩して」
「大丈夫ってこと、なんだろうなあ」
神妙な面持ちで、ダイゼンがそれに答える。
「管理人のヒエイが提案するってことはよお。なあ、ヒエイ、おいら達が知らない何かが、この道場にはあるのか?」
「一言で説明するのは難しいんだ、ダイゼン」
そして、ヒエイは遊戯室の出口へと向かう。
「実際に見てもらわなければ。それに、これでいいのかもしれない。セキウン様が死に、そして公の手が伸びる前のこの時にしか、あの壁を崩すべきではないのかもしれない」
自分に言い聞かせるようにヒエイは静かに言う。
意味が分からない。
だが、意味が分からないながらも、俺達はヒエイに付いて行くしかなかった。
唯一、不敵な笑みを浮かべているのは、マサカドだった。




