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みんなを幸せにする武士になりたいだけなのに!(権力闘争がひどい)  作者: ワタツミ


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第9話「敗走」

心機一転、沢山のストックを携えて書き始めました。

引き続き拙作ではございますが、何卒お付き合いいただけますと幸いです。



――平治元年(1159年)十二月 都・源義朝屋敷 源義朝――



 都は、既に不穏な空気に包まれていた。

信西を討ち、後白河上皇と二条天皇の身柄を確保したことで、我らは一時、この都の実権を握ったかに見えた。

だが、その支配は、肌で感じとれるほどに、脆いものだった。


 平清盛が熊野詣から戻ったという報せが届いた時、拭いがたい不安が兆した。

信頼は、清盛を味方だと信じて疑わない。信親という婚姻の縁があるからだという。

だが、その楽観がどうしても信じきれなかった。

清盛という男は、そこまで甘い人間には見えなかった。


 息子の義平が、儂のもとへ駆け込み、声を荒げていた。


「父上! 清盛が都へ戻る前に、道中で討ち果たすべきです!

何故、信頼殿はそれをお許しにならぬのですか!」


 義平の声には、若さゆえの苛立ちと、事の重大さを見抜く鋭さとが同居していた。


 息子の勢いに答えを返せなかった。義平の言い分は正しい。

清盛が都へ戻り、二条親政派と手を結んでしまえば、形勢は一気に不利になる。

それは、義朝自身も薄々気づいていたことだった。


「信頼殿は、清盛が味方になると信じておられる。信親殿との縁があるゆえに」


「甘い! それは甘すぎまする!

清盛のような男が、縁故だけで動くはずがございませぬ!」


 義平の怒声に目を伏せる。内心では同じ懸念を抱いていた。

だが、既に信頼と手を組んだ以上、その判断に異を唱えることは政権そのものの土台を揺るがしかねない。


(信頼殿の見通しの甘さは、俺も薄々気づいていた。だが、今更後戻りはできぬ)


 そう自分に言い聞かせながらも、胸の奥で、拭いがたい既視感を覚えていた。

保元の乱の折、勝利の後の処遇に浅慮があった。

信西に冷遇されるとは思っていなかったのだ。

今、信頼が清盛の裏切りを想定していないのと、根は同じ甘さなのかもしれない。


(俺も、信頼殿を笑えぬ立場よ。……だが、それを今、口にしたところで何になる)


 脇息にもたれながら、これまでの己の判断を、一つ一つ反芻していた。

信西との縁談を望んだこと。信頼の誘いに乗ったこと。そ

のどれもが、この乱世で報われたいという、ただそれだけの思いから出た選択だった。

だが、選択のたびに何かを失ってきたようにも思う。保元の乱では、実の父と兄弟を。

そして今、この乱では――まだ何を失うことになるのか、まだ見えていなかった。


「父上!」


 義平の苛立った声に、儂はようやく口を開いた。


「……分かっておる。だが、信頼殿を今説き伏せる術がない。

ならば、清盛が戻った後の備えを固めるしかあるまい」


 その返答に、義平は、なおも食い下がった。


「父上らしくもない。

……いつもの父上なら、こうした甘さを、決してお許しにならなかったはずです」


 その指摘には言葉が詰まる。


「……儂とて、思うところはある。だが、事ここに至っては、信頼殿と袂を分かつことも、もはや叶わぬ。この賭けに乗った以上、最後まで付き合うしかあるまい」


 その返答に義平は不満げな顔を隠さなかったが、それ以上は食い下がらなかった。

息子が立ち去った後、一人残された部屋で、拳を握りしめた。

この沈黙こそが、後に取り返しのつかない結果を招くことになる。義平の予感は、正しかった。


 二条天皇が六波羅へ移され、後白河上皇が仁和寺へ逃れたという報せが届いた時

ようやく、信頼の見通しがどれほど甘かったかを骨身に染みて悟った。


「もはや、我らは逆賊にございます」


 郎党の一人が、震える声で告げた。目を閉じる。


(父を斬り、弟を斬り、それでも報われず、次は逆賊として追われる身か)


 乾いた笑いが、喉の奥から漏れそうになった。

だが、笑っている場合ではない。太刀を取り、迎撃の構えを取る。


「かかるならば、迎え撃つのみ」


 六波羅を挟んだ攻防は、激しいものとなった。

だが、清盛方の軍勢は、既に態勢を整え尽くしていた。

頼政をはじめとする追討の宣旨を受けた軍勢が、次々と合流していく。

 味方の兵は、次第に数を減らしていった。

矢が飛び交い、怒号が響き、味方の兵が一人、また一人と倒れていく様を馬上から見つめ続けた。


 義平は、猛然と敵陣に斬り込み、幾人もの敵兵を斬り伏せていった。

その勇猛さは、味方の士気をわずかに保たせはしたが、戦の大勢を覆すには至らなかった。

清盛方の軍勢は、都のあちこちから絶え間なく合流を続け

まるで潮が満ちてくるように、自軍を押し包んでいく。


「もはや、多勢に無勢にございます!」


 郎党の一人が、悲痛な声で叫んだ。

それでも太刀を振るい続けたが、味方の崩れは、もはや止めようがなかった。

都のあちこちで火の手が上がり、逃げ惑う兵と民の悲鳴が入り混じる。

あの保元の乱の夜、白河北殿を燃やした炎と

今、目の前で燃え広がる炎とが、脳裏で奇妙に重なり合う。


「父上、もはやこれまでにございます!お退きを!」


 義平が、血まみれの姿で駆け寄ってきた。

燃え盛る都の一角を見つめながら、静かに頷く。


「東国へ落ちる。……そこで態勢を立て直す」


 その決断を下した瞬間、ふと乙若丸の声が蘇った。

「あずまのくにに、こころをゆるせるおかたを、おひとり、つくっておかれませ」

――あの時は、幼子の戯言として聞き流した。

だが今、こうして東国へ落ち延びる道を選ぶこの局面で、あの一言の重みが、今さらのように胸に突き刺さった。


(あの子は、いったい何を見ていたのか。……いや、今は、それを考えている場合ではない)


 その予感を振り払うように、自らに問うた。

東国に、儂が本当に心を許せる者は、誰かいただろうか。

鎌倉から少し離れた尾張に、年来の家人・長田忠致がいる。

あの男なら、と思った。

だが、その考えが乙若丸の警告を正しく汲み取ったものだったのかどうか、まだ判じようがなかった。


 胸に去来したのは、絶望よりも、奇妙なほど乾いた諦観だった。

保元の乱で家族を切り捨て、平治の乱で信頼という賭けに敗れた。

この乱世で、積み上げてきたものは、今、音を立てて崩れ落ちていく。


 落ち延びるにあたり、苦渋の決断を下さねばならなかった。

一族が固まって動けば、追っ手に見つかった時、一度に全てを失う。

それゆえ、義平には別の道を、そして頼朝には、はぐれた際の落ち合い先だけを言い含め、それぞれ別々に東国を目指すよう命じた。


「父上、それがしは、必ずや東国で再起の兵を挙げてご覧に入れます」


 義平は、そう言い残すと、わずかな供回りだけを連れて、闇の中へ駆け去っていった。

その背中を見送りながら、これが今生の別れになるかもしれないという予感を、拭い去ることができなかった。


(それでも、生きねばならぬ。子らのためにも)


 幼い息子たちの顔が、儂の脳裏をよぎった。

乙若丸の、あの妙に大人びた目をした顔。

今若丸の、屈託のない笑顔。

頼朝の、まだあどけななさの残る面差し。

あの子らを、この乱世に一人残すわけにはいかない。

その一念だけを支えに、落ち延びる。



――同月 都・源義朝屋敷 乙若丸――



 戦場からの報せは断片的に、しかし着実に悪化の一途を辿っていた。


「殿方、お戦に敗れ、都を落ちられたとの由!」


 その報せに、屋敷は騒然となった。

母・常盤は、俺と今若丸を抱き寄せ、震える声で侍女に問うた。


「殿は、ご無事なのですか」


「東国へ落ちられたと聞いております。ですが、その先は……」


 言葉は濁された。

母は、それ以上を聞く勇気がないのか、それきり黙り込んでしまった。

俺は母の腕の中で、その沈黙の重さを受け止めるしかなかった。


「ははうえ」


「……なあに、乙若丸」


「ちちうえは、つよいひとだから、だいじょうぶ」


 その言葉が、慰めにならないことを、俺自身が一番よく分かっていた。

だが、母はその稚い言葉に、微かに口元を緩めた。


「そうね。……殿は、強いお方ですもの」


 その声には、信じたい思いと、信じきれない不安とが、綯い交ぜになっていた。

俺は、母のその複雑な表情を見つめながら、胸の奥が締め付けられるのを感じた。


 言葉は濁された。その沈黙の意味を、痛いほど正確に理解していた。


(父上は、この落ち延びる途中で、討たれる)


 史実の記憶が、冷たく、しかし揺るぎなく告げていた。

義朝は、東国へ向かう道中、匿われるはずだった先で裏切りに遭い、命を落とす。


(言えない。……止められない。それでも)


 俺は、母の腕の中で、小さな拳を握りしめた。

前世の俺なら、こういう時、きっと何もかもを諦めて、ただ運命を眺めていただけだろう。

だが今は違う。止められないことへの無力感の中にも、何か一つでも、自分にできることを見つけたいという焦りが、確かにあった。


(今、俺にできることは何もない。……でも、この先には)


 俺の脳裏に、これから起きる出来事の輪郭が、ぼんやりと浮かび上がっていた。

父の死。母の逃避行。そして、出家という名の助命。

その先の道のりを、俺はまだ正確には思い出せなかったが、確かなことが一つだけあった。


(生き延びる。まずは、それだけだ)


 俺は、屋敷の奥に安置された亡き祖父・為義の位牌を、ふと思い出していた。

あの時も、この家は勝者として振る舞いながら、実は多くのものを失っていた。

そして今、敗者としての立場に立たされて、また同じように多くを失おうとしている。

勝つことと、幸せであることとは、必ずしも同じではないのかもしれない。

その漠然とした気づきを、まだうまく言葉には出来ないが。


 その夜、眠れぬまま、闇の中で目を開けていた。

隣で不安げな表情をたたえている今若丸を眺め、静かに誓いを立てた。


(父上を救えないなら、せめて、この先に残される者たちだけは、俺が守る)


 その誓いは、まだあまりにも幼く、あまりにも漠然としていた。

だが、四つの子供の胸の内で、その決意だけは、確かな重みを持って根を張り始めていた。

屋敷の外では、都を追われた者たちの慌ただしい足音が、夜通し響いている。

その足音の一つ一つに、これから始まる長い試練の予兆を聞き取りながら

静かに夜が明けるのを待っていた。

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