第40話「渡河」
北方謙三先生の大水滸シリーズが大好きです。
あのレベルの臨場感ある戦闘シーンを描けるようになりたいです。
お好きな方は一緒に語りましょう。
引き続き拙作ではございますが、何卒お付き合いいただけますと幸いです。
――治承4年(1180年)九月 那珂川防塁 多気義幹――
夜明け前、行方景幹が血相を変えて駆け込んできた。
「義幹様……!
川の水位がみるみる下がっておりますぞ!」
寝間着のまま跳ね起きる。
具足を身につける間も惜しい。
「まことか!」
「はっ……!
短き間にこれほど急激に。
上流で何者かの手により堰き止められているとしか思えませぬ」
その報告に拳を握る。
思わず、爪が掌に食い込む。
(小僧……、 川そのものを謀の道具にしたか)
あらかじめの懸念が、これほど早く現実になろうとは想定を越えていた。
だが狼狽えている暇はない。頭を冷やせ。
「景幹、河を遡り探れる者はいるか」
「山に入る猟師ならば幾人か」
「今すぐ放て。
……堰を見つけ次第破壊させよ。
だが、その前に眼前の敵が攻めてまいろうな...」
「では」
「兵を川べりに寄せよ。
敵が渡り始めた瞬間を叩く!
水位が戻れば、渡り切れなんだ敵は川の中で孤立する。
焦って深追いはするな。まずは、渡ってくる先鋒を、確実に討ち取れ!」
兵たちが、慌ただしく駆けていく。
その背を見送りながら、自分の中に微かによぎる不安を振り払う。
一軍を率いるのは自分も初めてなのだ。
この一戦こそが、俺の武将としての値打ちを決めることになる。
――同時期 那珂川対岸 義円――
「水位、確かに下がっておりまするな」
その報せに、頷きながら支持を出す。
「将家、ゆけ!」
「おうっ!」
将家率いる騎馬五〇〇が、水位が下がり、流れが緩やかになった川へと雪崩れ込んでいく。
呼応するように矢が対岸から降り注ぐ。
しかし、水嵩が浅くなった分だけ、兵たちの足取りは通常の渡河に比べ遥かに速かった。
矢を受け、倒れる兵は幾人も出る。
それでも将家の隊は止まらない。
先頭を切る将家の姿が、水飛沫の向こうに見え隠れする。
「怯むな! 進め!」
将家の声が水音に混じって届いてきた。
その光景を、本陣から見つめる。手が震えていた。
(兵の命を、俺は今この采配一つで動かしている)
その重みに押し潰されそうになる。
だが、目を逸らしてはならなかった。ここで目を背ければ、その先には進めない。
「対岸の敵陣、一部崩れかけております!」
将家の五〇〇は、既に対岸の一角に取り付いていた。
敵陣の兵たちは、この予期せぬ迅速な渡河に明らかに混乱していた。
だが、その混乱も長くは続かなかった。
「敵陣、川べりに兵を寄せて参ります。それもかなりの数にございます!」
その報告に、深く息を吸った。
(多気……。話を聞けば俺と同じ初陣のはずだが。
こちらの動きに応じて、これほど冷静な下知を下せるとは)
この不意打ちの中でも、敵の采配は確かな判断力を保っていた。
想定していたより、遥かに手強い相手である。
対岸では既に、白兵の斬り合いが始まっていた。
将家の兵と、防塁を守る常陸勢とが川べりの浅瀬で入り乱れている。
水飛沫が、赤く染まっていくのが遠目にも見て取れた。
(将家……!持ちこたえろ……)
大将が取り乱すわけにはいかない。
声に出すわけにはいかないが、心の中で念じる。
対岸から、一際大きな喊声が上がる。
将家が、防塁の一角を突き崩したのだ。
「敵陣、崩れましてございます!」
その報せに拳を振り上げて叫ぶ。
「右翼、匝瑳常成!将家隊に続け!
将家の隊を孤立させるな!」
号令と共に、後続の兵たちが次々と浅瀬へと踏み込んでいった。
状況は兵数も含めて優勢である。
紛れもなく興奮しているが、どこか頭の芯は冷え切っていた。
幾度も反芻していた敵陣の全体図を、改めて見渡す。
「全軍、突撃!押して押して、押しまくれ!」
兵たちは雄叫びを上げ、水を蹴立てて対岸へと殺到していった。
敵兵の動きが速いということは、こちらの策が読まれている可能性はある。
堰が崩れれば水嵩は瞬く間に元に戻り、攻め手である自軍は窮地に立たされるだろう。
この一瞬に、全てを賭けるしかなかった。
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