第39話「初陣」
引き続き拙作ではございますが、何卒お付き合いいただけますと幸いです。
――治承4年(1180年)九月 常陸国・多気館 多気義幹――
上総介の陪臣風情が、義朝の遺児を騙り兵を挙げたという。
その報せを聞いた時、思わず鼻で笑った。
いかに、源氏の貴種といえど世は平家の権勢が轟いている。
佐竹は親交があるらしいが、たかが坂東の豪族をいくつか束ねたところで
平家打倒の旗を立てることは浅慮であると言わざるをえない。
そして、立場を明確にしない我らに兵を差し向けている。
「父上。……いかがなさいます」
問うたのは、傍に座していた元服したばかりの弟だった。
父・直幹は、老いた体を脇息に預けたまま、なかなか返答をしない。
「兵を向けておるのであれば、迎え撃つしかなかろう。しかし儂は老いた。
……義幹、儂の名代として兵を率いよ」
「承知いたしました」
頭を下げる。
この一戦は儂にとっても、初めて大軍を率いる戦になる。
北に領地を持つ佐竹とは代々、那珂川を境に睨み合ってきた。
しかし所詮は小競り合い程度で、滅ぼし滅ぼされの諍いには至っていない。
(血筋もしかとしれぬ小僧に、この常陸の地を好きにさせてなるものか)
若年の敵将に侮りはある。しかし気は引き締めなければなるまい。
義円自身は未だ槍働きの噂を聞かないが、上総という坂東の片田舎に過ぎなかった一国を
わずか数年で、見違えるほど豊かにした手腕は伝え聞いていた。
ただの血筋を頼む神輿ではないことは明らかである。
それを補佐するのは、歴戦の将である上総介と千葉一族なのだ。
父の代から仕える家老――行方景幹を呼び寄せた。
「景幹……。この戦、油断はできぬ。
源氏を名乗る義円、領内の差配は見事なものと聞いておるが、其方はどうみる。」
「領内の差配に関してはご存じの通り目を見張るものがございますな。
いずれも、聞いたこともない新たな試みにて。
それだけに此度の戦においても、合戦の常道からは外れたものになるやもしれませぬ」
「常道から外れる、か。
……ならば、こちらもただ伍するわけにもいくまいな」
即座に三千の兵に指示を出し、那珂川沿いの防塁を配置していった。
この川さえ押さえておけば、いかなる大軍も容易くは領内に侵入できない。
しかし、こちらの頼みが川であるが故に、懸念はいくつも考えられる。
「景幹……。この川の様子を常に見張らせよ。
……水位、周辺の民の動き、いかなる些細な変化も見逃すな」
「敵軍は未だ姿を見せませぬが」
「義円が誠に優れたる将であれば、この川を頼みとする我らを、正面から力尽くで攻めるとは考えにくい。
何かしらの策は用いるはずである。」
――同刻 常陸国境 義円――
上総、下総を進発した一軍は一万を越えた。
手足のように動かせる直轄軍は、半数の五〇〇〇。
内訳は弓が一〇〇〇、長槍二〇〇〇、騎馬二〇〇〇である。
数では坂東随一のこの兵も、実戦を戦経験したことはない。
俺自身も郡境の小競り合いを長槍隊の壁で鎮めたことはあるが、野盗まがいの傭兵や武装した農民である。
真正面から武装した一軍と向かい合う戦は、これが初めてだった。
出陣の刻。並んだ将兵を前にして掌には汗が滲んでいた。
誰にも悟られぬよう大きく息を吸い込む。
「これより、我らに呼応しない常陸大掾を討つ!
日頃の調練の成果を存分に発揮せよ!」
呼応する兵たちの声を浴びながら
内心で胸を撫で下ろしていると、物見の兵の一人が前に進み出る。
「義円様!
常陸大掾家、当主・直幹殿の子、義幹が兵を率い那珂川沿いに布陣しております。
率いる兵は、およそ三千。」
物見の報告に、主だった将だけを残し地図を広げた。
千葉常胤に視線を投げながら問う。
「兵数だけであればこちらが優勢だ……。
しかし、常陸大掾は佐竹殿とは、血の繋がりがあるとも聞き及んでいるが。」
「吉田清幹の娘が、佐竹の祖・昌義様の母君にあたるとか。
……とはいえ、今では遠縁にございましょう」
「遠かろうと、血縁を重視するのは武家の習い。
……この戦、力尽くで押し潰すだけでは後々の禍根を残す」
時田為常が、俺の言葉を引き取る。
「義円様……。
三千の兵が防塁に拠っております。
正面から攻めれば、こちらの被害も決して小さくはございませぬぞ」
「その通りだ。……だからこそ、正面からは攻めぬ」
「では、いかがなさいますので。」
地図の那珂川の流れを指でなぞった。
上流は山間の狭窄部。そこを抜けると、川幅は一気に広がる。
防塁は広がった川筋に沿って築かれている。
思案する俺の隣で広常が口を開く。
「上流、狭窄部の少し先に浅瀬があるはずだ。
……水の流れは、そこだけ緩やかになっていよう」
「上総介、その場の見当はついているか。
もし見つけることが出来れば、一隊を率い上流で、堰を築く。
一時的に、川を堰き止めるれば……水嵩は下流で目に見えて下がるはずだ」
「まさか、川を渡るためにそこまで……」
「防塁の兵は川の深さを頼みにしている。
その深さが失われ、自由に渡河が出来るののであれば攻め様もあろう。」
匝瑳常成が、深く頷いた。
「およそ初陣とは思えぬ見事な策。
……ですが、堰を築くには相応の人手と時が要りましょう。敵に悟られはしませぬか」
「差し向ける一隊は二〇〇〇。しかし旗は残していけ。
こちらの兵が動いていることを悟らせてはならぬ。」
その夜、一隊を密かに上流へと向かわせた。
土嚢と丸太で、急ごしらえの堰を組ませる。
続いて将家を呼ぶ。
「其方は五〇〇を率いて、水位が下がった隙に真っ先に川を渡ってもらう。
……対岸に、橋頭堡を築いてくれ」
「俺が、先陣か」
「お前しか頼めない」
「分かった。」
その表情に迷いはなかった。
夜明け前、上流の堰が組み上がったという報せが届いた。
「義円様……。水位下がり始めましてございます!」
(この策が外れれば、将家の五〇〇は川の中で孤立する)
その恐れを頭に片隅に抱いている。だが、迷えばその迷いこそが最大の敵になる。
(呉子に曰く、用兵の害は猶予、最も大なり)
「全軍、渡河の構えを取れ。……かかれ!」
号令と共に、夜明けの那珂川で初陣が幕を開けようとしていた。
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