第38話「安房」
頼朝が当時、どこまでのビジョンを描いていたのかは筆者としても気になるところ。
もし有識者の方がいらっしゃいましたら、考察をご教示ください。
引き続き拙作ではございますが、何卒お付き合いいただけますと幸いです。
――治承4年(1180年)九月 安房国 源頼朝――
石橋山から幾日が過ぎたか。
ようやく、安房の地で息をつくことができてた。
箱根の山中、幾度も死を覚悟した。
土肥実平の手引きがなければ、儂の首は大庭景親の前に晒されていたはずだ。
数えるほどの供と共に、雨露を凌いだ夜。
空腹に、幾度も意識が遠のいた。
それでも、生きて、この地に辿り着いた。
天が儂を生かしたのだ。
身を潜めていた洞窟では追手の足音が、すぐ頭上を通り過ぎていった。
梶原景時――大庭に従う豪族であるはずだが、洞窟の奥まで踏み込み、儂の姿を認めた上で見逃した。
「ここには誰もおらぬ。他を探せ!」
率いてきた手勢を振り返り、そう叫んで背を見せた。
安房の浜辺に立ち、来し方を思い返す。
二十年の流人暮らし。
この一月足らずの地獄のような逃避行。だが、儂はまだ生きている。
「殿……。上総国より報せが」
義父である北条時政の声に顔を上げた。
「申せ」
「上総介広常、義朝様の御子
――乙若丸を擁し挙兵いたしましてございます」
しばし言葉を失った。
「……義円が、自ら乙若丸を名乗ったか」
「はい。……名乗りを改め、源義円と。
周辺豪族へ盛んに参陣を要請しておりまする。」
源義円。
その名を、口の中で繰り返した。
怒りが、腹の底から込み上げる。
(何故だ)
あの蛭ヶ小島での対話を思い返す。
弟と名乗ったあの男は不思議な男であった。
その目に肉親の情や辛い日々を送った互いの境遇を憐れむ感情はなく
儂の器を値踏みするような眼差しを投げかけてきた。
当然、儂の挙兵と敗戦の報は得ているはずであるが、独力での挙兵という形で
あの時の邂逅で下した儂への評価を突きつけてきているのだろう。
源氏の嫡流は儂だ。亡き父義朝の嫡男は、紛れもなく儂である。
二十年、この身を伊豆の流人として堪え忍んできたのは
いずれ源氏の棟梁として、平家を打倒する宿願を果たすためである。
それを、腹違いの弟が。それも存在を秘匿され
力ある豪族の元でぬくぬくと養育された男が、儂と並び立つ旗を掲げるだと。
(儂に従わぬというのか。……この儂に)
「殿……。いかがなさいます。
上総介の軍勢、既に一万を超えるとの噂もございます。
……このまま義円殿に合流され、助力を願い出るという手もございます。」
義父の無神経な一言には、流石に視線を鋭くする。
「儂に、あやつの元へ赴き、頭を下げろというのか」
「……いえ、そうは」
「儂は源氏の嫡流。義朝の嫡男である。
坂東の武士たちを束ねるべきは、この儂よりほかにおらぬ」
想定外の強い語気に、時政は口をつぐんだ。
「あやつは、儂と目指す先が違うと申すつもりだろう。
……いかに優れた器量であろうと、崇高な志があろうと、あやつに従う理由にはならぬ」
葉を吐きながら、自らの声に拭いがたい苛立ちが滲んでいることに気づいていた。
あの男は、儂にこう言った。
所領の安堵だけではこの乱世は治まらぬ。
土地を富ませ、その実りを武士から民まで分かち合う仕組みを作るべきであると。
(そんな綺麗事で、この乱世の理不尽が絶えると思うか)
祖父は都の権勢争いに巻き込まれ、――父の手で処断された。
父もまた、都を追われ非業の死を遂げた。
武士は、いつの世も朝廷や上皇の都合の良い駒に過ぎん。
力を持てば使われ、力が過ぎれば切り捨てられる。
(民を富ませたところで、富ませるために土地を庇護する武士自身が
いつまでも踏みにじられ続けるならば、民を豊かにすることに何の意味がある)
義円……。お前の言う民の豊かさ。それもまた正しいのだろう。
だが、その豊かさを、誰からも脅かされずに守り抜く力。
――武士という盾がなければ、それもまた儚い夢に過ぎぬ)
「時政殿……。
三浦、和田に触れを出していただきたい。
……この安房、上総の広常に従わぬ豪族を儂の手で束ね、鎌倉へ向かう」
-----
義澄の父・三浦義明は石橋山への合流を試みる途上、平家方の畠山重忠と
衣笠城にて激しく干戈を交え、討死したという報が届いていた。
参陣した三浦、和田を前に語りかける。
「義明殿の御最期、儂も聞き及んでおる。……その犠牲、決して、無駄にはせぬ」
「お心遣い忝く。
これよりは我ら義澄、義村の親子をもって頼朝殿をお支え致す。」
「我ら和田一族も同様、御下知のままに!」
北条、土肥、三浦、和田。
他にも集ってきた豪族たちを集め、総数は三〇〇〇。
義円には及ばないが、大庭とは互角に伍する数ではある。
思い思いに立つ、兵たちの前で声を張り上げる、
「我らはこれより三浦庄へ向かい、鎌倉を目指す!
相模に跋扈する大庭勢を打ち破る!心あるものは付いてまいれ!」
-----
熱気を発する行軍の合間、馬を並べる義父に声をかける。
「時政殿……。
何故、儂が鎌倉を目指すか、お分かりかな。」
「源氏ゆかりの地、と伺っておりますが。」
「左様。
曽祖父・頼義公が前九年の役の折、鎌倉の由比郷に八幡神を勧請された。
その子義家公――八幡太郎がこれを修復し、以来源氏の氏神として、代々受け継がれておる。」
言葉を続けながら、拳を握りしめる。
「儂は、源氏の氏神のもとに坂東の武士たちを集める。
……武士が、都に頼らず武士自身の力で、その身を守れる世を、この地から打ち立てる」
(まず、平家打倒の宿願を果たす。
その上で、武士の頂に立ち、武士という盾をなんびとにも崩されぬものにする。)
坂東の地図を広げる。
東に義円。
鎌倉に入る前に、武蔵や相模の武士団と対峙するだろう。
今の手勢では厳しい戦いになるが、時をかけていては多くが義円に靡きかねない。
「時政殿……。急がねばならぬ」
鎌倉への進軍の足を早めた。
面白いと感じていただけましたら
評価、ブックマーク、リアクション、コメント。
更新の励みになりますので、どんな内容でもいただけると嬉しいです。
特に日間ランキングに載っていると、ブクマいただけていない皆様にも
更新が知っていただきやすいんじゃないかと思ってます。
少しでも次話を読んで良いかなと思っていただけましたら
他の方にも届けるため、次回見つけやすくしていただくために、ぜひ「評価☆」をいただけますと幸いです。




