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みんなを幸せにする武士になりたいだけなのに!(権力闘争がひどい)  作者: ワタツミ


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第4話「武門」

心機一転、沢山のストックを携えて書き始めました。

引き続き拙作ではございますが、何卒お付き合いいただけますと幸いです。

 


 ――保元元年(1156年)八月中旬 都・源義朝屋敷 常盤御前――



 都の屋敷に、義朝が戻ってきたのは、処断から半月ほど経った頃だった。

 常盤は、その顔を見た瞬間、何も問わずにいようと決めていた。


 義朝の顔つきは、以前と変わらぬように見える。

 だが、何かが、確かに変わってしまっている。

 目の奥に、以前にはなかった深い影が差している。

 それは怒りでも悲しみでもなく、もっと静かで、もっと取り返しのつかない何かだった。

 私はその影の正体を知りたいとは思わなかった。

 知ってしまえば、自分もまたこの家の理に、後戻りできぬ形で組み込まれてしまう気がする。


「殿。お疲れにございましょう」


 そう声をかけると、義朝は珍しく、しばらく黙って庭を眺めていた。

 蝉の声だけが、二人の間の沈黙を埋めていた。


「常盤。……我が子たちは息災か」


「はい。近頃はよく笑うようになりました」


「そうか」


 目の前の夫はそれだけ言うと、また庭に視線を戻す。

 その横顔に、これ以上何も聞いてはいけないと悟った。

 武門棟梁の妻として生きるということは、夫が背負っているものの全てを知ろうとしないことでもある。

 都に上がってからまだ日の浅い常盤にとって、この家の空気はあまりに重く、それでいて逃れようのないものだった。

 それでもこの重さの中で生きていくしかないのだと、静かに自分に言い聞かせる。


 女房として、この屋敷で交わされる噂話までは避けようがなかった。

 侍女たちの間では、既に都中に広まった話が、囁くように語られていた。


「御館様が、実の父君と、御兄弟がたを……」


「滅多なことを口にするでない。誰が聞いているとも知れぬ」


 そう窘める声にも、隠しきれない怯えが滲んでいた。

 この乱世において、武士の家に仕えるということは、いつか自分たちも、同じ理不尽の渦に巻き込まれるかもしれないという不安と、常に隣り合わせだった。



 廊下の隅で交わされるそうした囁きは、乳母の耳にも届いていたが、乳母はそれを聞かなかったふりをして、乙若丸をあやし続けていた。



 ――同時期 都・平清盛邸 平清盛――



 同じ頃、――平清盛もまた、己の行く末について思いを巡らせていた。


「義朝は、実の父を手にかけたか」


 報せを聞いて、独り言のように呟く。

 傍らに控えていた郎党が、恐る恐るの様子で問いを投げかけた。


「殿は、義朝殿をどうご覧になりますか」


「どう見るも何も、あれが正しいのだ」


 静かに、しかし自分に言い聞かせるように、はっきりとそう言い切った。

 庭先の池に映る己の影を見つめながら、言葉を継ぐ。


「生き残るというのは、そういうことだ。それ以上論じることはできん」


「では、殿もいずれ同じことを」


 答えなかった。ただ、口元にわずかな笑みを浮かべる。

 この、明日いかなる諍いが起き、誰が勝者で誰が敗者になるかなど、誰にも分からん。

 此度は義朝が父を斬ったかもしれないが、明日は清盛自身の身内が同じ運命を辿るかもしれない。

 それが、この時代の理というものだった。自分は、その理を恐れてはいない。

 むしろ、その理を誰よりも早く見切り、誰よりも徹底して従う者だけが、この乱世で長く生き延びるのだと、確信すら抱いている。


 だが清盛の脳裏には、ある種の計算も同時に働いていた。

 義朝という男が、これほどまでに徹底して武門の棟梁として立ち回るのであれば、いずれ自分にとって最大の対抗馬になるやもしれぬ、という警戒である。


(お主がどこまでの器か、見せてもらおう)


 池の水面に、蜻蛉が一匹止まっては飛び立つのをしばらく眺めていた。



 ――同時期 鎌倉の館 乙若丸――



 俺は少しずつ、寝返りを打てるようになっている。

 乳母たちは、急にじっと大人たちの顔を見つめ出した俺を奇妙には思っているようだが

気に留める者は誰もいなさそうである。

 ただ、利発な赤子に育ちそうだと親バカさながらの期待の眼差しはかけられている。


「乙若丸様は、賢そうな目をしておられますなあ」


 時折そう言って笑う古参の女房もいたが

 その言葉の本当の意味を知る者は、この館の中に誰一人いなかった。


 だが、乙若丸の中に芽生えた俺の意識は、この数ヶ月で確かに何かを学んでいた。


(負ければ、すべてを失い、勝っても身内すら手にかけないといけなくなるんだよなあ)


 それは、前世で生きてきた世界とはまるで違う常識だった。

 仮に周囲に見栄を張って借金を重ねても、命まで取られる心配はない。

 だが、この時代には、そんな甘さは微塵も存在しない。

 生きようと、必死にもがかなければ、文字通り死ぬ。

 その事実は、恐怖であると同時に、どこか奇妙な興奮も覚えている。

 逃げ道がないということは、逃げてしまう自分を許す余地もないということなんだ。


(俺は、この家に生まれた以上、この理の中で生きていかなきゃならない)

 ――だったら、いっそのこと)


 小さな手で、乳母の指をぎゅっと握りしめた。

 乳母は、それを無邪気な仕草だと思い、目を細めて微笑んだ。


「まあ、乙若丸様。力の強いこと」


 その言葉を聞きながら、まだ言葉にならない一つの決意が固めていた。


(この乱世の理が、勝つか負けるか、殺すか殺されるかしかないというのなら

 ――俺は、その先を作ってみるか。

 誰も降らない理由で人を斬らなくていい、

 みんなが、もう少しだけ幸せに生きられる、そんな国を)


 その決意は、まだあまりにも幼く、あまりにも漠然としていた。

 乙若丸は、まだ寝返りを打つのがやっとの赤子でしかない。

 だが、乙若丸の中で、その決意の種だけは、確かに根を張り始めていた。


 俺は今、前世で一度も本気で欲しがらなかったものを、今度こそ、心の底から欲しいと思えている。

 その事実だけで、自分がもう、前世の自分とは違う何かになりかけているのを感じていた。


 都では、崇徳上皇が讃岐へと配流される支度が進められているらしい。

 乱の後始末は、まだしばらく続くだろう。

 そして、この乱で武士の力が朝廷の争いを左右したという事実は、静かに、しかし確実に、時代を次の段階へと押し進めようとしていた。


 慈円という僧が、後にこの乱をこう評することになる。「武者の世」の始まりであった、と。


 俺はまだ何も知らぬ赤子の顔をしたまま、しかしその内側では

 誰よりも早く、この時代の理を理解し始めている。


 窓の外では、夏の陽射しが強くなり始めていた。

 蝉の声が、館の庭に途切れることなく響いている。

 母の腕の中で、その音を聞くともなしに聞きながら、静かに目を閉じた。


 この平穏が、あと何年続くのか

 ――それを知っているのは、この館の中でただ一人、俺だけなのだ。

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