第36話「決断の刻」
引き続き拙作ではございますが、何卒お付き合いいただけますと幸いです。
――治承4年(1180年)八月 上総国 義円――
以仁王の令旨が届いてから、既に四月あまりが過ぎていた。
その間、上総介をはじめとして協議を続けているが、意見を決めあぐねていた。
周辺豪族たちが目立った動きがないことも理由の一つであったが
以仁王自身が、既に宇治にて平家方に討たれたという報せも届いており、大義名分を失ったことも大きい。
最もここまでは史実の通りであり、今後各地の源氏が決起することは俺の計算には入っている。
四月の間、決起を見越した軍備を整えることに力を注いでいた。
長槍隊、弓隊――新たに編成したそれぞれの部隊は
いつでも動員できるよう、常に実戦に近い訓練を重ね続けている。
「義円様……!
伊豆国にて、頼朝様が挙兵なされたとの由!」
そろそろかと思いつつも、この報せにはやはり緊張が走る。
(ついに、この時が来た……。これを皮切りに各地の反平氏勢力が立ち上がる。)
その報せは、すぐさま広常のもとへと届ける。
「広常様……。兄が、伊豆にて挙兵なされました。」
広常の表情は変わらない。
ただ静かに、呟くように語りかける。
その目には決意の色を伺うことが出来た。
「……義円。ついに刻はきたか。」
「はっ……!」
「して、頼朝殿の挙兵の様子はいかなるものか」
「まず、伊豆目代・山木兼隆殿を討ち、緒戦は勝利を収められたとのことにございます。
……ですが、その後の詳しい戦況は、まだこちらには届いておりませぬ」
「……頼朝殿の手勢は決して多くはないはずだ。
我らがすぐさま合流すれば、頼朝殿の勢力を大きく後押しすることになろう。」
「見立ての通りかと。……しかし、一つ拭いがたい懸念がございます。」
「懸念とは」
「これまでの見立てにある通りなら、兄は苦戦を強いられるかと思っておりまする。」
「……お前は、頼朝殿が敗れるというのか。流人とはいえ、亡き義朝様の嫡子。
これから周辺の者どもは、集ってくるのではないか?」
「断言はできませぬ。
……ですが、破れる可能性を、それがしは決して低くは見ておりませぬ。
伊豆近隣には、大庭景親殿をはじめとする平家に与する豪族が多くございますれば
兄は我らが合流するより早く、その者たちと対峙することになるはずです。」
「其方は近頃、情報を集めることに執心しておった……。
そこまで言うのであれば、間違いはあるまい」
真っ直ぐに俺の目を見つめ、広常は続ける。
「……義円。
それならば、儂らは今すぐには動かぬ。
頼朝殿の緒戦の行方を慎重に見極める。
……もしお前の見立て通り、頼朝殿が窮地に陥られるようなことがあれば
その時こそ、この当家の全力を挙げて頼朝殿をお救いする」
「はっ!」
「だが、義円。
……もし頼朝殿が、真に頼るべき将となり得ぬと儂が判じた時には」
その言葉を、広常はあえて最後まで語らなかった。。
(もし、頼朝は坂東の武士団を率いるに、相応しくないと判じられれば……。
広常様は、源氏と袂を分つ道を選ばれるかもしれない)
上総国の空に、夏の終わりを告げる、涼やかな風が、静かに吹き抜けていた。
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――治承4年(1180年)八月 上総国 義円――
頼朝挙兵の報せから幾日も経たぬうちに、次なる報せが届いた。
「源頼朝殿、相模国石橋山にて、大庭景親殿率いる平家方の大軍に大敗を喫せられたとの由。」
史実を知る身からすれば、想定の内であったが
源氏としては、一族の趨勢を占う一報である。周辺に人を遣わし詳細を、丹念に確かめていった。
頼朝方の手勢はわずか三百。対する大庭景親率いる平家方は、四千という大軍だったという。
圧倒的な兵力差の前に、頼朝方は瞬く間に総崩れとなった。
「頼朝殿の御行方、未だしかとは分かっておりませぬ」
(史実にある通りなら、頼朝は箱根の山中を彷徨いながらも、安房国へと落ち延びられるはずだ。
……だが、この惨敗が坂東の武士たちの目にどう映るか)
俺が知らせるよりも早く、広常からお呼びがかかる。
「……義円。お前の見立て通りになったな」
「はい。……ですが、兄は討たれたわけではございませぬ。
必ず生き延び、坂東の武士たちのもとへ助けを求められるはずです」
「……して、当家はいかにする。頼朝殿から助けを求める使者を待つのか」
広常は問いかけながらも、真っ直ぐに視線を外さない。
その眼差しは、腹を決めかねている俺を叱咤しているようにも映った。
覚悟を決める。軽々しく口にするべきでないことも理解はしている。
それでも、幾夜も考え抜いてきた結論は躊躇いなく口にできた。
「広常様……。それがしは、もう待つ時ではないと思っております。」
「……申せ」
「兄には平家を打倒するという揺るぎない意志がございます。
……ですが、先立って蛭ヶ小島に訪いを入れた折、兄には平家打倒後の構想はなかったのでございます。」
「お前を蛭ヶ小島へ送り出したのは儂だ。
だが、頼朝殿の元より戻った折にはそのようなこともうしておらんかったではないか。」
「申し訳ございませぬ。
……軽々しくはお伝えできず、これまで胸に留めておりました」
「……よい。して、其方は頼朝殿をいかにみた。」
「兄は、豪族たちに所領の安堵を約束することこそ、部門の棟梁の務めであると申しておりました。
……ですが、それだけでは源氏が平家に取って代わるだけになるというのが、それがしの考え。
栄える家に妬みを生み、権力を握る家は専横を極め、また同じ理不尽を繰り返すだけにございます。
――豪族の所領の安堵は前提の上、いかに国を富ませ、民を豊かに出来るか。
その考えを兄はお持ちになりませんでした。」
「……義円。其方は頼朝殿は担ぐに値せぬと、そう申しておるのだな」
「はい。
決して兄と争うためではございませぬ。
兄の持つ平家打倒の宿願は、父の仇としてそれがしも望むところ。
しかし、もはや独力で平家と組みする力を持つ当家が麾下にくだり、宿願を成し遂げたとて
兄の知らぬところで民を豊かにしておれば、兄は快くは思わないでしょう。」
「……義円。お前がそこまで確信を持って言うのなら、儂も、腹を括ろう。」
「お心忝く。」
「しかし、当家が独力にて立つというのであれば、坂東の他の武士たちを惹きつける"大義"が要る。
その大義は、どこに見出すつもりだ。」
ここまで言ってしまえば、答えは一つであることは広常も知るところだろう。
だが、自分ではそれを口にしてはならない気がした。
「自らの口では言いにくいか。では儂が代わりに言葉にしてやろう。
当家は亡き義朝様の実子、乙若丸を担いで反平家の旗を立てる。
頼朝殿は義朝様の御嫡男。源氏の正統な血筋をお持ちではある。
だが、器量では其方に及ぶまい。
坂東の武士たちが真に頼るべき"源氏の総領"として、儂は其方に賭ける。」
迷いを見せてはいけない。
俺は真っ直ぐに広常の目を見据え、決意を込めて頷いた。
「この上総介広常、これより義円
――いや義円様を棟梁として仰ぎ、共に平家立ち向かう所存にございまする。」
その言葉と共に、居住まいをただした広常は、その場で深く頭を垂れた。
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