第33話「棟梁の器」
引き続き拙作ではございますが、何卒お付き合いいただけますと幸いです。
――治承4年(1180年)正月 伊豆国 義円――
内心の反芻を抑え、眼前の兄に問う。
「兄上……それがしが、真に伺いたいのはその先。
――兄上が決起の果てに、何を成し遂げようとお考えなのか、ということにございます」
すでに硬い表情であることを隠さない頼朝は、声色を落とし毅然と言葉を発した。
「……義円殿。そなたには正直に話しておこう。儂の目指すものは二つである。」
自然と俺も居住いを正す。
「一つは、源氏をこの日ノ本における武士の"棟梁"に押し上げることよ。
……平氏、源氏、藤原の傍流。数多の武家があれど。その頂に立つべきは八幡太郎以来、在地の武士たちに押し上げられてきた我ら源氏でなければならぬ。」
「して、いま一つは」
「都から、独り立ちすることだ。
武士は、その成り立ちより百年もの間、朝廷の"番犬"に過ぎなんだ。
……都で帝や上皇、摂関家がそれぞれの権勢を競い合うたび、その争いの"駒"として命を賭けて戦わされてきたのは、我ら武士であった。
貴族からは蔑まれながら、ことが起これば都合よく使われる。
平家のようにいざ力を持てば、今度は目障りだと切り捨てられようとしておる。
先の鹿ヶ谷の謀のようにな。」
頼朝の声には、これまでのどの言葉より深く、静かな怒りが滲んでいた。
「其方も存じておろう。
祖父・為義は保元の乱で、身内同士が敵味方に分かれて争わされた挙句、父・義朝の手で処断された。
……その父もまた、平治の乱の後、都を追われ非業の最期を遂げられた。
……その全ては武士自身が望んだ争いではない。帝や上皇の権勢争いに巻き込まれた結果に過ぎぬ」
無言で耳を傾ける俺を一瞥し、頼朝は言葉を続ける。
「儂はこの二十年、この地で考え続けてきた。
……武士が都の顔色を窺い、都の権勢争いの道具として使われ続ける限りこの理不尽は決して終わらぬ。
……ならば、儂自身の手で、都から独立した武士の為の政を、この坂東に執り行う他はない。」
「兄上……。それは、朝廷そのものに弓を引くということにございますか」
「いや。……帝を廃するつもりはない。
ただ、武士の所領、武士への裁き、武士の軍役
――それらを、都の思惑から切り離す。
朝廷は都とそこに住まう貴族を治めればよい。
だが坂東は、坂東の武士が、坂東の道理で治める。
……そうして初めて、武士は貴族と肩を並べる、確かな身分としてこの日ノ本に認められることになる」
(これは……。史実にある、鎌倉幕府という武家政権の原型そのものだ。
……頼朝は坂東武者に担ぎ上げられた神輿の印象が強いが、為政者としてのビジョンも抱えていたのか)
その衝撃の裏で、脳裏には次々と、これまで蓄えてきた史実の記憶が堰を切ったように溢れ出していた。
(頼朝はこの構想を成し遂げる。
……侍所を置き、御家人の軍事と警察を束ね、
公文所――後の政所で、所領と財政を差配、問注所では御家人同士の所領争いを裁く。
全国の警察権を得た地頭にせよ、確かに武家を一定の地位に引き上げることに成功はする。)
静かな敬意を払いながら思う。
(それでも史実の鎌倉幕府の統治機構には大きな"綻び"がある。
御家人たちは代を重ねるごとに、所領を分割相続させていく。
……この時代の一人の武士が得た所領は、代を経るたびに細分化され、三代、四代と下れば
かつて一つの郷を治めていた家が、その十分の一の土地しか持たなくなる。
……それでも、軍役の負担だけは変わらぬまま御家人にのしかかり続ける)
その先に待つ御家人たちの窮乏。
そして、それが遠い将来、武家政権そのものを内側から蝕んでいくことになる。
(頼朝兄上の構想は"武士"を、都から解き放つことには成功する。
……だが、それは形式的なものであり豊かにする仕組みにまでは届いていない。)
「兄上の目指す道、まことにこの乱世の理不尽の根に届くものにございます。
……ですが、重ねて伺いたきことがございます」
「申せ」
「源氏を武士の頂に立たせ、武士を都から独立させる。
……その先で、兄上は坂東に生きる"名もなき民のの暮らし"を、どう豊かにしていかれるおつもりでしょうか」
「其方の問いは、都の理不尽から、武士という"身分"そのものを解き放ってこそ、初めて成し得ることだ。
武士が確かな身分を得て初めて、その所領を腰を据えて治められるようになる」
「兄上のお考えはそれがし、しかと受け止めました。
……ですが、それがしの目指す道は、兄上とは少し順序が逆にございます」
俺は、これまで脳裏に描き続けてきた構想を、一つ一つ言葉にしていくことにした。
この対話こそが、転生してより考えていた自身の統治構想を、初めて他者に正面から語る機会だった。
「それがしは、この十数年。上総にて、まずは土地の実りそのものを増やすことから始めて参りました。
田の収穫を正確に把握し、水を治め新田を拓く。
……そうして得た実りを"禄"という形で、働きに応じて正しく分かち合う。
年貢を取り立てる者と、それを裁く者とを分けることで、一人の権力者の気まぐれに頼らずとも済む仕組みを、少しずつ築いてきたのです」
「ほう……。年貢の取り立てと、裁きを分けるとは」
「はい。兄上の申されることは――それがしも大いに賛同いたします。
しかし、この日の本の土地には限りがあり、田にも限りがありまする。
故に、土地そのものを豊かにせねばいずれ人は飢えるのです。」
その指摘に頼朝は、鋭く俺の顔に視線を移す。
「……それはどういうことだ」
「仮に兄上が武士たちにご所領を安堵されたとしても。一人の武士に、三人の子がいればその所領は三つに分かれます。その者の子供の時には更に三つ。
……武士の身分と、所領とが分かちがたく結びついている限り、この"目減り"は決して止まりませぬ。
まさか、子を産むなとは申せますまいて。」
「……それを防ぐにはいかがすればよい」
「所領という"土地そのもの"だけを、武士の身分と暮らしとに結びつけないことにございます。
……それがしが上総で始めた"禄"は、まさにその第一歩。
土地の実りをいったんは当家に集め、それを、働きと忠義とに応じて"銭"や"米"という分かちやすい形で配り直す。
……そうすれば、所領そのものを際限なく分割し続ける必要がなくなります」
「銭、か……。だが、この国には銭の流れなど根付いておらぬのではないか」
「はい。……ですがそれがしは既に、上総で宋銭による交易を試み始めております。
米という財は、豊作の年には値が下がり、不作の年には値が上がる。
……その振れ幅の大きさが武士の暮らしを、不安定なものにしております。
銭であれば、その目減りを大きく抑えることができます」
「……義円殿。そなたの言うことは理には適っておる。だが儂には一つ、腑に落ちぬことがある」
「何なりと」
「そなたの申す、"禄"にせよ、"銭"にせよ、それを束ね、正しく分かち合うのは
結局、そなた自身の裁量であろう。
……そなたが、いかに公正であろうと、それは、"一人の善き主"に武士たちの暮らしを委ねているに過ぎぬのではないか。
ここまでの話を聞く限り、其方自身の器量は稀有なものだ。
だが、その力がいずれ、そなた以外の者の手に渡った時
――その者が、私腹を肥やすために、其方が作った仕組みを使えばどうなる」
「兄上……。それがしとて、その危うさを承知しておらぬわけではございませぬ。
……ですが、それはいずれも避けられぬこと。
仮に武士に所領の統治を任せたとしても、その武士の下にある民の暮らしは、武士の"善意"だけに委ねられることになります。」
「……儂はこの乱世で、武士が、二度と都の駒にされぬ世を作りたい。
そのためなら、多少民への恵みが後回しになろうとも致し方ないと思うておる」
「それがしは、逆にございます。
……民の暮らしを、後回しにしたまま武士だけが身分を得た世が、真にこの乱世の理不尽を終わらせたことになるとは、到底思えませぬ」
明確になった平行線を、これ以上埋めようとはしなかった。
「兄上……。それがしは、兄上の目指す道が間違っているとは思いませぬ。
ただ、それがしの信じる道とは、いささか道が異なる。」
「……義円殿。
そなたの言うことは正しい。だが、それを成し遂げるには、あまりに多くの年月が要るではないか」
「既にこの十数年で、その一端を確かに形にして参りました。
わずかではございますが、我が領内は民草も豊かになりつつある。
時は要せど、不可能とは思いませぬ。」
一通り議論を交わした後、結論の出ぬまま蛭ヶ小島を辞した。
(頼朝は、決して思慮が浅い男ではない。
己の原体験からくる理想は、この時代では高い壁だろう。
しかし、この時代ゆえの価値観は俺と異なる部分も少なからず多い。)
武士という身分を都とから解き放つという理想は立派な者であった。
しかしそれは手段であり、目的であってはならない。
それを理解しない以上、いずれ食い違いは現れるだろう。
下手に近づきすぎず、頼朝に頼らず自分で事を起こすしかないのではないか。
その決意を胸に、上総国への帰路に足を進ませた。
この邂逅は上総家の行く末を、必然的に大きく左右することになる。
面白いと感じていただけましたら
評価、ブックマーク、リアクション、コメント。
更新の励みになりますので、どんな内容でもいただけると嬉しいです。
特に日間ランキングに載っていると、ブクマいただけていない皆様にも
更新が知っていただきやすいんじゃないかと思ってます。
少しでも次話を読んで良いかなと思っていただけましたら
他の方にも届けるため、次回見つけやすくしていただくために、ぜひ「評価☆」をいただけますと幸いです。




