第21話「文武の狭間」
心機一転、沢山のストックを携えて書き始めました。
引き続き拙作ではございますが、何卒お付き合いいただけますと幸いです。
――嘉応2年(1170年)頃 上総国 義円――
元服を済ませてからの日々は、これまで以上に多忙なものになっていた。
武士として一人前に扱われるようになった以上、弓馬の鍛錬はもちろん
広常の代理として、所領の細々とした差配を任される機会も、格段に増えている。
朝は稽古に汗を流し、昼は所領の帳簿や訴えごとに目を通し、夜は都から届く僅かな文書に目を通す
――そんな充実した日々は十五という年齢に似つかわしくない大人びた落ち着きを与えていた。
広常もまた、そんな俺の変化を、日々の暮らしの中で確かに見て取っているようだ。
自身も歳を重ねたゆえであるのか、かつては時折粗暴に感じられた立ち居振る舞いも
今ではすっかり堂に入ったものになっている。
「義円、隣の郡司との年貢の取り決め、お前に任せる。
……儂の名代として行ってこい」
これまでも小さな使いを任されることはあったが、正式な交渉の場に
名代として一人で赴くのは今回が初めてだった。
「かしこまりました。……して、条件はどこまで譲ってよろしいでしょうか」
「そこは、お前の裁量に任せる。儂が細かく口を出しては、お前の遣わす意味がないだろう」
その突き放すような物言いの裏に、広常の信頼が滲んでいることを肌で感じ取っていた。
この十年余り、広常は俺を単なる庇護すべき子供としてではなく、一人の武士として育て上げようとしてくれた。
その積み重ねは、確かな形を結びつつある。
隣国の郡司との交渉は、思いのほか難航した。
相手方は、老獪な物言いで、こちらの譲歩を引き出そうとしてくる。
その駆け引きの一つ一つに、前世で読んだ交渉術の断片と、この坂東で肌で学んだ実務の勘とを同時に働かせながら応じていった。
「今年は、境の田で不作が続いておりましてな。
……年貢の割合、いま少しこちらに融通していただけませぬか」
郡司のその物言いに、内心で冷静に相手の意図を見極めていた。
不作という言葉には、幾分かの誇張が含まれているだろう。
だが、全くの偽りでもないはずだ。ここで強く出れば、この先の関係に、余計な禍根を残しかねない。
「年貢の割合については、去年の実入りを鑑みて、双方が納得できる形にいたしましょう。
ただし、境界の測量については、こちらの言い分を通させていただきたい」
俺の物言いに、相手方の郡司は、しばし考え込み渋々ながらも頷いた。
「……上総介殿の御代人殿は、なかなかに手強い交渉をなさる」
郡司は、そう言いながらも、なおも粘り強く食い下がってきた。
「では、せめて境目の小さな祠の周辺だけは、我が方の土地として認めていただけませぬか。
あの祠は、我が一族が、代々祀って参ったもの」
しばし思案する。土地そのものの実利には関わらぬが相手の面目に関わる願い。
無下に断るべきなのか。
「その祠については、御貴殿の一族が、これまで通り、お祀りいただいて構いませぬ。
……ただし、それより東の田畑については、当方の年貢の対象とさせていただきます」
その折衷案に、郡司は、ようやく安堵の表情を浮かべた。
「それならば、快諾いたそう。……いや、若いというに、大したものよ」
その遣り取りを終え、館へ戻った俺を、広常は満足げに迎えた。
「うまくやったようだな。……お前は、ますます頼もしくなっていく」
「広常様の教えあってのことにございます」
その謙遜に、広常は豪快に笑う。
「謙遜も過ぎれば嫌味になるぞ。
……お前の力は、お前自身のものよ。胸を張れ」
その日の夕餉の席で、広常は、居並ぶ郎党たちに向かって、俺の働きを改めて語った。
「義円が見事に話をまとめてきおってな。
……お前たちも、あれくらいの器量を身につけよ」
その言葉に、古参の郎党の一人が、感心したように頷いた。
「義円様は、まこと侮れませぬな。……歳の割に、肝が据わっておられる」
「なに、まだまだ青いところもある。だが、伸び代は誰よりもあろうな」
広常のその評には居心地の悪さと、確かな喜びとを同時に感じる。
人前で褒められることに、まだ完全には慣れていなかったが、その言葉の一つ一つは偽りなく自信になる。
後ろに控えて、面白そうに眺めているのは腹心となってる将家である。
武芸には優れていても、細かい交渉事や差配には不得手なこの友の性分をよく理解している分、此度は同伴していない。
「さすが義円様、広常様も鼻が高いところでしょうな。」
「太刀の腕は、お前の方がずっと上だろう。……人には向き不向きがあるってだけさ。」
その言葉にまんざらでもない様子で頷く。
「まあ、そうだな。俺は、戦場でお前を守る側に回るとするか」
「頼りにしてるよ」
本心で見つめる言葉に少し照れたように鼻を鳴らす。
(一人の力には限りがある。……でも、それぞれが得意なことを持ち寄れば、もっと大きなことができる)
その気づきは、まだ漠然としたものだったが、いつか、この坂東で培った関係性の網目を、もっと大きな規模で作り上げることができたなら
――それこそが、俺が目指す統治機構の、一つの原型になるはずである。
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その頃、都では、清盛が着々と権勢を固めつつあった。
太政大臣の職こそ、既に退いてはいたが、その実権は些かも揺らいでいない。
俺のもとにも、都の情勢を伝える文が、時折届くようになっていた。
娘を天皇家に嫁がせ、一族の者たちを次々と要職に就ける
――そうした平家の栄華を伝える報せを聞くたび、複雑な思いを抱かずにはいられなかった。
かつて伝え聞いた「太政大臣就任」の報せから、既に数年が経とうとしている。
その間にも、平家の権勢は、着実に、そして急速に膨れ上がり続けていた。
(史実では、あと数年で、鹿ケ谷の陰謀が起きる。……平家打倒を企てた貴族たちが処断される事件だ)
その記憶を反芻しながら、俺は、来るべき時代の転換点に向けて、静かに備えを進めていた。
武芸だけでなく、政の実務、そして人と人との繋がり。そのどれもが、いつか訪れる大きな嵐の中で
俺自身と、この坂東の人々を守るための、確かな力になる。
俺は、自室に戻ると、これまで書き溜めてきた覚書を改めて読み返した。
所領経営の要諦、坂東武士たちの気風、そして都の政の動き
――それらを、忘れぬうちにと書き留めてきたものだった。
前世の記憶という、いつか薄れてしまうかもしれない財産を確かな文字として残しておく。
それもまた、備えの一つだった。
――力と忍耐、知恵と義理。
この坂東で学んだすべてを、いつか、誰も犠牲にならない仕組みに変える。
その一文を見つめながら、俺は、静かに筆を置いた。
まだ言葉にするだけの、漠然とした願いに過ぎない。
だが、こうして文字にすることで、その願いは、確かな輪郭を持ち始めるように感じられた。
覚書を綴じた紐を、改めて結び直す。
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