第20話「元服」
心機一転、沢山のストックを携えて書き始めました。
引き続き拙作ではございますが、何卒お付き合いいただけますと幸いです。
――嘉応元年(1169年)頃 上総国 千代丸――
俺が十四になった年、広常は館の主だった郎党たちを集め、元服の儀を執り行うことを決めた。
この十年近く、坂東での鍛錬と実務の学びを積み重ね、もはや子どもと呼べる面影は
体つきにも立ち居振る舞いにも、ほとんど残っていなかった。
「もう随分と背も伸びた。……そろそろ、童形のままというわけにもいくまい」
広常のその言葉に、身の引き締まる思いがした。
元服は、この時代における、子供から大人への正式な通過儀礼である。
烏帽子をかぶり、幼名を捨て、新たな名を得る。
(元服……。史実の義円には記録がなかったな)
史実の乙若丸は、出家していたため、こうした形での元服を経験することはなかったはずだ。
坂東の武家の子として生きる今世には、この儀式が用意されていた。
それは乙若丸としての運命から、確実に歴史が逸れ始めているという実感を、改めて突きつけるものでもあった。
元服の儀は、館の広間で、簡素ながらも厳かに執り行われた。
烏帽子親を務めたのは、広常自身。
広間には、上総家の主だった郎党たちだけでなく、隣国からの祝いの使者として
千葉常胤の名代――胤正と名を改めた新介の姿もある。
この日のために、常胤は先に元服を済ませた息子を遣わしたのだという。
「常胤殿からの祝いの品にございます」
胤正がそう言って差し出した太刀を、俺は恭しく受け取った。
かつて共に父親たちの話を聞いた、あの日のことを、俺はふと思い出していた。
「わざわざのお越し、痛み入ります」
「父も、千代丸殿の元服を、心待ちにしておりました。
……いえ、これからは、新しいお名で呼ばねばなりませぬな」
胤正の気遣いに、小さく笑みを返す。
この坂東の地に築かれてきた繋がりが、こうした形で確かめられることに感慨を覚える。
「今日より、お前は童形を離れ、一人の武士となる。……新たな名を授けよう」
広常は、しばし思案した後、静かに告げた。
館に集まった郎党たちも、固唾を呑んでその言葉を待っていた。
「一門に連なる者として、上総の家名を名乗るがよい。
……名は、義円といたす。義の一字は、源氏の総領たる"義"に連なる響き。
円は、この乱世を円く治める器量を持てという儂の願いよ」
その名を聞いた瞬間、俺の中で、複雑な感慨が渦巻いた。
(義円……か)。
史実の乙若丸もまた、出家した後に「義円」という字を、僧としての名に選んでいる。。
(同じ字を持ちながら、まるで違う人生を歩む名か……。
皮肉なようで、これ以上ないほど、俺に相応しい名なのかもしれない)
巡り合わせに内心で乾いた笑いを漏らした。
上総の家は、桓武平氏の流れを汲む一族だ。
源氏の忘れ形見が、よりによって平の名の下に匿われる
――この乱世の複雑さを、これほど如実に物語る巡り合わせもないだろう。
「それがし、これより上総義円として生きて参りまする。」
俺は、静かに頭を垂れ、新たな名を受け入れた。
広常は、その様子に、満足げに頷いた。
「うむ、良い返事だ。
……これからは、この上総家の一員として、儂を助けてくれ」
「はい。この身命を賭して」
その誓いは、決して口先だけのものではなかった。
広常への恩義、そしてこの坂東の地で育まれた絆――それらすべてに報いたいという思いが、俺の中には、確かにあった。
同時に、心の奥底では、いつかこの仮初めの名を脱ぎ捨て、源氏の血筋として名乗り出る日が来ることも静かに見据えていた。
儀式の後には、ささやかな祝宴が催された。
郎党たちが代わる代わる、俺に祝いの言葉をかけていく。
「義円様、これからも上総家をよろしくお願いいたします」
「随分と頼もしい若武者になられましたな」
そうした言葉の一つ一つに、俺は丁寧に礼を返しながら傍に目をやると
胤正もまた、宴の席で杯を傾けながら、俺に声をかけてきた。
「義円殿は、いずれ広常殿の片腕となられましょうな。……我が父も、そう申しておりました」
「買い被りが過ぎましょう。……まだまだ学ぶべきことばかりにございます」
「その謙虚さもまた、得難い美点にござる」
面映ゆさを覚えながらも、友の屈託ない賞賛に素直に頭を下げる。
胤正は、続けて、静かな声で言った。
「義円殿。……いずれ、この坂東の地に、大きな動きが起きる時が来ましょう。
その時は、我が千葉家と、上総家とで、しかと手を取り合っていければと存じます」
その言葉には、単なる社交辞令を超えた、確かな見通しが滲んでいるように感じられた。
この胤正もまた、父・常胤譲りの慧眼を、既に身につけつつあるのだろう。
「胤正殿のお言葉、しかと胸に刻んでおきます。
……その時が来た暁には、共に、坂東の行く末を支えて参りましょう」
元服の儀の後、小次郎もまた、少し遅れて元服を済ませていた。
その烏帽子親は同じく広常が務める。
「小次郎……。これからも義円の傍らにて上総家を隆盛に尽力せよ。その願いを込めて、名を選んだ」
小次郎の父・金山将監の一字と、これからの武運を願う一字とを合わせ
「金山小次郎将家」という名を授けられた。
「金山将家、謹んで頂戴いたします」
珍しく慇懃に振る舞う友を誇らしく眺めた。
儀式の後、館の裏庭で、しばし顔を突き合わせる。
星明かりの下、宴の喧騒から少し離れたその場所はいつもの気安い語らいの場所に戻る。
「これで俺らも、一人前の武士か。……なんだか、実感が湧かねえな」
「そうだな。……だが、いつまでも子供扱いされないことは分かっていたことだろう」
「お前は、いつも先のことばかり考えてるよな。儂なんか、今日のことで頭がいっぱいだってのに」
その指摘に、俺は、内心で苦笑した。
この友の言う通り、俺の頭の中には常に、この先の乱世をどう生き抜くかという計算が片時も離れることなくある。
だが、それを表には出さず、俺はただ、穏やかな笑みを返した。
「先のことを考えるのも、悪くないさ。……お前のその屈託のなさに、儂はいつも救われてる」
「なんだよ、急に真面目くさって」
小次郎は、照れ隠しのように、俺の肩を小突いた。二人は、しばし笑い合った。
この坂東で育まれた友情だけは、名前がいくつ重なろうとも
変わらぬ確かなものとして、俺の心の支えであり続けるだろう。
(乙若丸としての運命からは、もう随分と離れてしまった。……
これからどう歴史が変わっていくかは分からないが
今は来たるべき時に向けこの坂東で力を蓄え続けるしかない)
新しい名と共に迎えた夜は、これから始まる長い雌伏の時の、確かな出発点である。
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