第18話「調停」
心機一転、沢山のストックを携えて書き始めました。
引き続き拙作ではございますが、何卒お付き合いいただけますと幸いです。
――長寛元年(1163年)頃 上総国 千代丸――
広常のもとでの生活を始めて、既に三年が過ぎていた。
八つになった俺は、もう幼子とは呼べないほどに、体つきもしっかりとしてきている。
弓馬の腕は、まだ郎党の子弟たちの中では並程度だったが...
その分、所領の差配や郎党たちの遣り取りを観察することに、人一倍熱心だった。
日々の稽古の合間、広常の傍らに控え、所領経営の細部を一つ一つ吸収していった。
年貢の帳簿の付け方、境界の測り方に郎党たちへの褒賞の与え方。
――そのどれもが、生きた教材だった。
広常も、そんな俺の熱心さを、次第に頼もしく思うようになってきているらしい。
「千代丸、お前は武よりも、こういう差配ごとの方に、性が合っておるようだな」
広常のその言葉に、素直に頷いた。
「武もおろそかにはいたしませぬ。
……ですが、確かに、こうして人々の暮らしを整えることに、心惹かれるものがございます」
「良い心がけよ。武だけでは、坂東は治まらぬ。……お前のような者が一人おれば、この先も心強い」
その言葉と比例するように、日々の実務の中で、様々な小さな諍いをに気づく機会が増えていった。
年貢の取り立てを巡る郎党同士の言い争い、隣接する所領との境界を巡る小競り合い
――そのどれもが、坂東の日常に、絶えず起き続ける摩擦である。
その一つ一つを、興味深く観察しながら、自分なりの解決策を組み立てる。
(この乱世の統治というのは、大きな戦に起因するものだけじゃない。
……こういう小さな諍いの積み重ねを、いかに上手く抑えられるか)
その気づきを、胸に刻みつける。
ある日、広常の所領の一角で、小さな諍いが起きた。
上流の村・田上郷と、下流の村・葛間郷の百姓たちが、用水路の取り分を巡って言い争い、あわや闘争になりかけたという。
広常は、その報せを受け、面倒臭そうに顔をしかめた。
「またか。……毎年、この時期になると、必ずこの手の諍いが起きる」
「殿、いかがなさいますか」
「儂が出向いて、どちらか一方に肩入れすれば、角が立つ。
……かといって、放っておけば、いずれ争いになりかねん」
小次郎の父である金山将監も、渋い顔で口を挟む。
「毎年のことながら、根深い話にございます。
上流の田上郷は、水を堰き止めて自分たちの田に多く引き込もうとし
下流の葛間郷は、それでは自分たちの田が干上がると訴える。
……どちらの言い分も、分からぬではございませぬが」
その様子を見ていた俺は、思い切って口を挟んだ。
「広常様、僭越ながら、それがしに考えがございます」
広常は、意外そうな顔で俺を見た。
「ほう、其方に何ができると言うのだ」
「用水路の取り分を、刻限ごとに交代で使う定めにしてはいかがでしょうか。
……上流の村と下流の村、どちらが得をするかを、時によって入れ替えるのです。
そうすれば、どちらか一方だけが常に損をすることがなくなります」
その提案に、広常は、しばし黙り込んだ。傍らの郎党たちも、互いに顔を見合わせている。
「……それは、存外に理に適っておるな」
広常は、顎に手を当てながら、俺の提案を、頭の中で検討しているようだった。
「刻限ごとの交代か。……確かに、それなら、どちらの村にも言い分が立つ。角も立ちにくかろう」
広常は、その提案を、実際に両村の代表を呼んで試してみることにした。
田上郷の名主と、葛間郷の名主が、それぞれ広常の前に呼び出される。
「刻限ごとに、水の取り分を入れ替える、と申されるか」
田上郷の名主が、訝しげに問うた。俺は、広常に代わって、静かに説明を続けた。
「巳の刻までは上流の田上郷が多く引き、それ以降は下流の葛間郷が多く引く。
……そうすれば、日を通せば、双方の取り分はほぼ同じになります。
水が必要な田畑の手入れも定められた刻限で行えば、どちらか一方だけが、常に損をし続けることはございませぬ」
最初、両村の百姓たちは、この新しい取り決めに戸惑いを見せた。
「時によって取り分が変わるとは、聞いたこともない話だ」
「本当に、それで公平になるのか」
葛間郷の名主も、疑わしげに首を捻ったが、疑念には丁寧に向き合う。
「……これまでの不公平は、それがしも重々承知しております。
ですが、この取り決めは、双方が納得できるまで、いつでも見直しに応じる所存にございます。
まずは一月、お試しいただき、それでも公平さに欠けるようであれば、また改めて話し合いましょう」
その言葉に、両名主は、しばし考え込んだ後、渋々ながらも頷いた。
「……分かった。そこまで言うなら、試してみよう」
疑念の声も上がったが、広常が「まずは一月、試してみよ」と押し切ると、渋々ながらも、両村はこの取り決めを受け入れた。
一月後、広常のもとに、両村の代表から報告が届いた。
「殿、この取り決め、思いのほか上手くいっております。
水を使える時がわかるおかげで、互いに不満を溜め込まずに作業も出来ておると」
その報告に、広常は満足げに頷いた。
「うむ、良い話だ。……千代丸、其方の考えが功を奏したな」
その噂は、瞬く間に近隣の村々にまで広まった。
「上総介様のもとに、恐ろしく利発な若君がおられるそうな」
「まだ八つだというに、大人でも思いつかぬ知恵を出されたとか」
そうした噂話を、直接耳にすることはなかったが、広常の館を訪れる者たちの視線が
以前よりも少しだけ、畏敬の雰囲気を含ませたもの変わっていく。
(前世で読んだ、水利権を巡る紛争解決の知恵。……こんな形で役に立つとは思わなかった)
俺の提案は、決して高度な知識を要するものではなかった。
この時代にはまだ広く行われていなかった、考え付かぬ素朴で公平な仕組みを口にしただけである。
だが、確かに人々の暮らしを、少しだけ和らげることに繋がっている。
(微力だけど"民を幸せにする"小さな一歩は踏み出している)
まだ、この程度のことしかできないけれど、こうした小さな知恵の積み重ねが
いつか、もっと大きな仕組みを作る力に繋がっていくはずだ。
夜毎、広常は、郎党たちを前に珍しく俺を褒めそやす。
「千代丸のあの知恵、皆も見習うべきぞ。
……坊、お前は、いずれ大した男になるやもしれぬな」
その言葉に、静かに頭を下げる。
小次郎はそれを見てからかい半分に言うのだ。
「お前、すっかり広常様のお気に入りだな。
……俺も見習わなきゃな」
「……俺はただ、考えるのが好きなだけだ」
「考えるのが好き、か。……変な奴だな、お前は」
そんな軽口に、顔を見合わせて小さく笑った。
小次郎は続けて、ふと真面目な顔で尋ねてきた。
「なあ、千代丸。お前、本当にただ考えるのが好きなだけなのか。
……時々、お前の考えることは俺たちとは、まるで違う場所を見てるみたいに思えるんだよな」
その指摘に、俺は、内心で強い緊張を覚えた。
この友の観察眼は時折、俺の抱える秘密の輪郭を思いがけず正確に掠めていくことがある。
「……買い被りすぎだよ。ただ、色々な人の話を聞いて、覚えているだけさ」
「ふうん、まあ、そういうことにしといてやるよ」
小次郎はそれ以上深くは追及せず、あっけらかんと笑って、話題を変えた。
その気安さに胸を撫で下ろす。
(俺の"閃き"は、本当は閃きなんかじゃない。頭の中にある知恵を、ただ借りているだけだ。
……それでも、この土地の人々の暮らしが、少しでも良くなるなら、それでいい)
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