第17話「千葉常胤」
心機一転、沢山のストックを携えて書き始めました。
引き続き拙作ではございますが、何卒お付き合いいただけますと幸いです。
――応保元年(1161年)頃 下総国 千代丸――
広常のもとで暮らし始めてから、既に一年あまりが過ぎていた。
俺は六つになり、坂東の暮らしにもすっかり馴染んでいる。
弓馬の稽古は、まだ本格的なものにはほど遠かったが
それでも同年代の郎党の子供たちに引けを取らないほどには、体も丈夫になっていた。
都育ちの片鱗も、今ではすっかり薄れ、言葉遣いも坂東の訛りに馴染んでいた。
その一方で、広常の館での日々の合間を縫って、考えを巡らせる時間を持つようにしていた。
統治機構、武士の発生、権力闘争の顛末
――頭の中にある、その知識を、ただ眠らせておくのではなく
目の前で見聞きする坂東の現実と、少しずつ照らし合わせていく。
それはこの乱世を生き抜くための、大切な鍛錬の一つである。
広常はしばしば、所領内の揉め事や、隣国との折衝について、俺を交えて話すことがあった。
それは、教育というよりも、広常自身の人柄――誰にでも分け隔てなく事情を語って聞かせる
素朴な気質の表れだったのかもしれない。だが俺にとっては、この上ない学びの場である。
ある日、隣国・下総の千葉常胤のもとへ、俺を伴って出向くことになった。
所領を巡るちょっとした相談事があるという。
「常胤は、儂と違って、随分と辛抱強い御仁でな。
……お前も、少し見習うと良い」
広常は、道中そう語りかける。
その言葉に、素直な好奇心を覚えた。
史実の記憶にある千葉常胤は――後に頼朝挙兵の折に馳せ参じ、房総平氏の代表として大成する人物である。
その人となりを、実際に目にで出来るのはまたとない機会だ。
(千葉常胤は、広常殿と違って、粛清されずに生き残る。
……その違いが、どこにあるのかも見ておきたい)
千葉常胤の館は、広常の館に比べると、幾分地味な佇まいだった。
だが、その隅々にまで行き届いた手入れの良さに、館の主の几帳面な性格を見て取った。
「広常殿、遠路よくおいでくだされた」
常胤は、広常とはまるで対照的な、落ち着いた物腰の男だった。
豪快さで場を圧する広常とは違い、常胤の佇まいには、静かだが揺るがない芯のようなものが感じられる。
「して、そちらの子は」
「亡き義朝様の御子でな。仔細あって、儂が預かっておる」
その紹介に、常胤は、しばし俺を見つめた。
値踏みするような視線ではなく、むしろ行く末を静かに気遣うような、穏やかな眼差しだった。
「そうか。……義朝様には、こちらも浅からぬ縁がある。大事に育てられよ」
その言葉には、多くを語らぬながらも、確かな重みがあった。丁寧に頭を下げた。
「よろしくお願いいたします」
「うむ。……賢そうな子だ」
常胤の傍らには、まだ幼い子が一人控えていた。
俺と歳の頃も近く、常胤に似て、落ち着いた雰囲気を醸し出している。
「父上、この方は?」
「亡き源氏の御方の御子でな。……新介、お前も挨拶をせよ」
胤正は、俺に向かって、丁寧に頭を下げた。
「千葉新介にございます。……以後、お見知りおきを」
俺も、それに応えて頭を下げた。
「千代丸にございます。よろしくお願いいたします」
その短い遣り取りの中にも、新介という少年の物腰に、父・常胤譲りの落ち着きを感じ取った。
広常の館で共に育つ小次郎のような屈託のなさとはまた違う、静かで芯の通った気質。
新介は、大人たちの話が続く間、そっと声をかけてきた。
「千代丸殿は、上総介様のもとで、お過ごしとのことですが……。窮屈ではございませぬか」
その気遣いに、俺は、少し驚きながら答えた。
「いえ、広常様には、よくしていただいております」
「それは何よりにございます。
……それがしの父は、いつも申しております。人を信じることも、疑うことも、どちらも大切な性分だと。
上総介様は、信じることに長けた御方。それがしの父は、疑うことにも長けた御方にございます」
その言葉に、内心で深く感心した。
まだ幼いこの少年が、既に人柄を分析しようとしている。
新介もまた、いずれ、坂東の重鎮として、確かな役割を果たすことになるのだろうか。
常胤と広常が交わす会話に意識を戻し、傍らで静かに聞いていた。
「例の相馬御厨の一件、まだ片付かぬのか」
広常の問いに、常胤は、小さく苦笑した。
「なかなかに、しぶとい相手でしてな。
……先の国司殿に横領されて以来、もう何年もかかっておる。
だが、儂は諦めぬ。何年かかろうと、必ず取り戻す所存。」
「気の長い話よな。儂なら、とうに痺れを切らしておるところよ」
「広常殿らしい物言いよ。……だが、これも儂の性分でな。」
常胤は、続けて、静かに語った。
「相馬御厨の一件も、証文を一枚一枚積み重ね、朝廷への訴えも幾度となく重ねて参った。
……力で奪えば、一時は取り戻せても、また別の者に、力で奪われかねん。
だが、朝廷のお墨付きを得れば、そう容易くは事も荒立つまい。」
「千代丸とやら、そなたは、儂の話をどのように聞いたかの」
突然、常胤に話を振られ、俺は、一瞬戸惑いながらも、慎重に答える。
「朝廷の権威をも、折り込んだお考え。見立ても全て、誠に正しきものと」
その答えに、常胤は意外そうな顔をした後、静かに微笑んだ。
「うむ。……六つの子供が理解出来ようとは驚きじゃが。よき答えじゃ。」
その言葉には単なる社交辞令を超えた、確かな評価が滲んでいるように感じられた。
この二人から学べることは確かにある。
帰り道、広常は、俺に問いかけた。
「常胤をどう見てとった」
「……広常様とは、また違うやり方で、物事を進める御方だと思いました」
「うむ、その通りよ。儂は、義理は尽くすが最後は力尽くで押し通す性分だ。
だが、常胤のような辛抱強さも、絶え間なく争う坂東の武士には欠かせぬ。
正しきは一つではないと心得よ。」
前世の記憶にある、後の権力闘争――梶原景時の変、比企能員の変、和田合戦。
この時代の武士は、力を押し通した者たちの多くが滅びていく。
一方で、常胤のような辛抱強さもまた、時に理不尽に踏みにじられることがある。
広常自身もまた、後年、この忠義深さは報われることなく頼朝の猜疑心に呑まれて命を落とすことになる
――その事実を、俺はまだ広常には告げられなかった。
「……どちらか一方だけでは、足りませぬな。
時には広常様のように力強く、時には常胤様のように辛抱強く。
……その両方を、使い分けられる者が、最後まで生き残るのではないでしょうか」
その答えに、広常は一瞬驚いたように目を見開いた。それから、豪快に笑った。
「六つの子供が言うにしては、大した答えよ。……お前は、本当に見どころがある」
その笑い声を聞きながら、内心で密かに手応えを感じていた。
頭の中にある知識と、この坂東で肌で学んだ実感とが、少しずつ、俺自身の言葉として形を成し始めている。
同時に胸には、小さな痛みも兆していた。
目の前で豪快に笑うこの男が、いつか報われぬ最期を迎えることを、俺だけが知っている。
(広常殿……。俺はいつかあなたも、その運命から救えるだろうか。
……いや、まだ早い。それを考えるのは、もっと力をつけてからだ)
馬の背に揺られながら、先ほど出会った胤正の顔を思い出していた。
常胤の辛抱強さを受け継ぐであろうあの少年もまた、これから激動の時代を生き抜いていくことになる。
史実の記憶にある限り、千葉一族は頼朝挙兵への参陣は評価されながら、幕府の要職に就くまでには至っていないはずであった。
この時代にどうすれば栄えるのか。
この問いを長い時間をかけて、自分なりに解き明かしていくことになるだろうと、漠然と感じていた。
忠義の深さは、広常も常胤も両者とも変わらない。
ただ、その示し方、そして周囲との関わり方に、決定的な違いがあるのかもしれない。
坂東の空は、どこまでも広く、澄み渡っていた。
馬上から見渡す田畑の緑が、風に揺れて波打っている。
この穏やかな景色の中で育まれる自分の考えが、いつか大きな仕組みへと結実する日を
静かに、しかし確かな期待をもって、思い描いていた。
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