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みんなを幸せにする武士になりたいだけなのに!(権力闘争がひどい)  作者: ワタツミ


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第16話「坂東の作法」

心機一転、沢山のストックを携えて書き始めました。

引き続き拙作ではございますが、何卒お付き合いいただけますと幸いです。

 


 ――永暦元年(1160年)夏 上総国 千代丸――



 広常の館での暮らしは、想像していた以上に、目まぐるしいものだった。


 朝は、日の出と共に叩き起こされ、郎党の子弟たちに混じって、弓馬の稽古。

 まだ五つの体では、満足に弓を引くことすらできなかったが、広常は、それでも容赦なく稽古をつけた。

 木刀を握らされ、転び、砂を噛むような日々が続いた。それでも、泣き言は一切口にしなかった。


「千代丸、まだまだ甘いぞ。坂東の武士は、三つの頃から馬に乗ると心得よ」


 広常の叱咤に、何度も転び、何度も泣きそうになりながらも、歯を食いしばって稽古を続けた。

 手のひらには、幾つもの豆ができ、潰れては血が滲んだ。

 それでも、稽古は休まない。


(体を鍛えることは、この時代に最優先だ。……いつか、必ず必要になる)


 この鍛錬の一つ一つが、俺のこれからの人生を支える確かな土台になっていく。

 その実感が、痛みを超える充実感を与えていた。


 郎党の古参の一人が、そんな様子を見て、広常にこっそりと耳打ちしたことがあった。


「あの若君、五つにしては、随分と根性がおありのようで」


「うむ。……ただ者ではないかもしれんな」


 広常のその言葉に、耳打ちした郎党は、深く頷いた。

 俺自身は、当時その遣り取りを知る由もなかったが

 この地道な鍛錬の積み重ねが、周囲の評価を、少しずつ変え始めていた。


 郎党の一人、金山将監の息子には、俺と同い年ほどの少年がいた。

 名を小次郎という。

 広常の館で共に育つ中で、俺にとって、最も気の置けない相手である。


「千代丸、お前、また稽古で一等か。

 ……ずるいぞ、そんなに根を詰めなくてもいいではないか」


 稽古の合間、そう言って口を尖らせる。その声には嫌味がなく、むしろ親しみが込められていた。


「お前こそ、弓は俺よりずっと上手いじゃないか」


「そりゃそうだ。俺は、生まれた時から弓を持たされてたからな。

 ……お前は、何というか、要領がいいんだよな。同じ稽古をしても、覚えが早い」


 その言葉には内心で少し複雑な思いを抱いた。

 誰にも明かせない秘密が、この「要領の良さ」の正体なのだ。


「なあ、小次郎。今度、一緒に川に行かないか」


「おう、行こう行こう。……お前と一緒だと、退屈しなくていいや」


 そんな子供らしいやり取りが、この坂東での日々を、少しずつ、生きやすいものに変えていく。


 ----


 夕刻になると、広常は、館に出入りする郎党たちを集め

 所領の差配について話し合う場を持つことがある。

 俺は、まだ幼いながらも、その席に同席することを許されていた。

 広常は、俺がいることを気にする様子もなく、むしろ将の務めと、あえて同席させているようだった。


「今年の年貢は、去年より実入りが良さそうだ。

 だが、隣の郡司との境目争いは、まだ片付いておらぬ」


 広常のその言葉に、郎党の一人が応じる。


「侮られてはなりませぬ、私が一隊を率いて目にモノを見せてやります」


「馬鹿を申すな。力尽くで奪えば、また別の恨みを買うだけよ。

 ……こういう時は、道理を尽くして話をつけるのよ」


 別の郎党が、頷きながら付け加えた。


「隣の郡司殿とは、先代からの付き合いもございます。

 ここは、贈答の品を工夫して、まずは誼を通じるのが良いかと」


「うむ、それも良かろう。

 ……千代丸、聞いておるか。土地を治めるとは、こういう地道な駆け引きの積み重ねよ」


 急に話を振られ、慌てて姿勢を正す。


「はい……。万事を治むるは道理に沿うべきものと」


 その受け答えに、広常は満足げに頷いた。


「筋がいいな、坊。

 ……よし、その調子で覚えていけ」


 その様子を、傍らで聞いていた古参の郎党が、感心したように呟いた。


「千代丸様は、まだ幼子でいらっしゃるのに、大人顔負けの物分かりの良さにございますな」


「うむ。……あれは、只者ではないぞ」


 ある日の話し合いの終わり際、誰に促されるでもなく、静かに口を開いてみた。


「広常様。……境目の争いは、今年だけの話ではございませぬ。

 来年も、再来年も、同じ時期に、同じ諍いが起きましょう。

 ……いっそ、毎年この時期に、双方の名主を呼んで話し合う場を、あらかじめ定めてしまわれてはいかがでしょうか」


 その場にいた郎党たちが、一斉に視線を投げかけてくる。

 広常もまた、しばし言葉を失ったように、俺の顔を見つめた。


「……揉め事が起きてから収めるのではなく、起きる前に手を打つ、ということか」


「はい。……火種は、燻り始めてからでは遅うございます。

 燻る前に、分け合う取り決めさえあれば、諍いそのものが生まれませぬ」


 広常は、しばし黙り込んだ後、低く唸った。


「五つや六つの童が、口にすることではないな……」


 その呟きに、居並ぶ郎党たちの間にも、微かなどよめきが広がった。

 俺は、その様子に、面映ゆさを覚えながらも、内心で密かに手応えを感じていた。


 都の朝廷では、血縁だけが物を言う。

 だが、この坂東の在地領主たちの世界には、また違う理屈

 ――力と道理との、絶妙な均衡が働いているようだ。



 在地領主論、職能論、国衙軍制論

 ――かつて頭の中では武士の成り立ちをいかようにか組み立てていた、

 武士の生活、生きた統治の営みの前では、いくつかの学説も

 後世ほんの一面を切り取ったものに過ぎないのだと、今は思う。


 ある日、小次郎、広常の郎党たちの子供数人と共に川辺で遊んでいた。

 坂東の子供たちは、都の子供たちとは違い、皆一様に逞しく、野生味に溢れていた。

 素足で川に入り、魚を追いかけ、木に登っては互いに競い合う。

 その活力に、最初は戸惑いも大きかったが、今では心惹かれている。


「千代丸、お前は変わった喋り方をするな」


 小次郎はそういったことを無邪気に口にする。

 都育ちの片鱗が残る自分の言葉遣いを、密かに気にしていたところだったので、内心どきりとした。


「……そうかな。坂東の言葉に、早く慣れなくちゃな」


 その返答に、子供たちは屈託なく笑った。


「別に、悪いって言ってるんじゃないぞ。ただ、面白いってだけだ」


 別の子供が、興味深そうに続けた。


「千代丸って、時々、俺たちが知らないことを、たくさん知ってるよな。

 この間だって、川の水嵩が増える時期を、ぴたりと言い当ててたし」


 その指摘に、また内心でどきりとする。

 季節ごとの降雨の傾向や、地形から読み取れる水の流れなど、この時代の子供が知るはずのない知識を

 時折、うっかり口にしてしまうことがあるのだ。


「……ただの勘だよ。爺様たちの話を、よく覚えてるだけさ」


 俺は、慌てて誤魔化した。

 子供たちは、それ以上深くは追及せず、また川遊びに興じ始めた。

 その様子を見ながら、密かに胸を撫で下ろす。


(気をつけないと。……こういう小さな綻びが、いつか、大きな疑いに繋がりかねない)


 その警戒を、俺は、改めて胸に刻みつけた。

 小次郎が、川の水を撥ねかけながら、続けて言う。


「それより、千代丸、お前、稽古の飲み込みが早いって、大人たちが噂してたぞ」


 その言葉に、照れ臭さと誇らしさを同時に込み上げてくる。

 その称賛を、素直に嬉しいと感じられる自分に、俺自身、密かに驚いていた。


 少しだけ肩の力が抜ける。

 この坂東の子供たちは、俺の出自や事情など知らぬまま、ただ純粋に、一人の仲間として接してくれている。そ

 れは、都の複雑な人間関係とは違う、ある種の心地よさだった。


 小次郎が川から上がりながら、ふと尋ねる。


「千代丸、お前、いつも夜になると、何か考え込んでるだろ。……何を悩んでるんだ」


「……別に、大したことじゃないよ。ただ、色々考えることがあるだけだ」


「ふうん。……まあ、お前がそう言うなら、それでいいけどよ」


 小次郎との関係だけは、余計な計算も、隠し事の重みも忘れていられる、数少ない場所だった。


(ここでなら、少しは、普通の子供として過ごせるのかもしれない)


 -----


 夜、寝床に入る前、いつものように遠く離れた母のことを想う。


(母上は、今頃、俺の死を悼んで、まだ悲しんでおられるだろうか)


 その想像は、いつも俺の胸を、鋭く締め付けた。

 日中、坂東の暮らしに心を弾ませている自分がいることに、時折、後ろめたさすら覚える。

 母を欺いて得た安らぎを、素直に享受してよいものか、と。

 だが、その痛みこそが、の嘘に見合うだけの何かを成し遂げなければならないという、決意の火種であり続けている。


 隣の褥では、小次郎が既に寝息を立てていた。

 何の屈託もなく眠るその横顔を見つめながら、自分だけが背負う秘密の重さを、改めて噛みしめる。

 それでも、小次郎の存在があるだけで、俺の孤独は、いくらか和らげられていた。


 坂東の夜の静けさの中で、静かに眠りについた。

 窓の外では、都とは違う、虫の声と、遠くから聞こえる馬の嘶きが響いていた。

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