香水瓶の調査結果
「北の貴族様、香水瓶の調査結果をお聞かせ願えますか?」
芙蓉は北清に問いかけた。
「はい。ご報告いたします。」
北清は先程よりは肩の力が抜けたのか声が大きくなっている。
「調査の結果、毒物は見つかりませんでした。ただ、中濃度のアモード花の成分が検出されました。アモード花のアレルギーに詳しい医者によれば、アレルギー患者が数滴の香水を使用しても致死量には至らないものの、皮膚の薄い箇所に吹き掛ければ、赤い発疹や腫れができて痛みや痒みが生じ、仮に喉に塗れば発疹と腫れにより呼吸に支障が出る危険はあるそうです。」
「え!?」
「なんだと!?」
芙蓉と龍希は驚いているが、巴衛も初めて聞いた時には驚いた。
「どこで混入された?」
「お預かりした香水瓶のいずれにも開封された形跡はありませんでしたので、製造場所と思われます。
ただ、熊族ではアモード花の規制を行っておりますので、何者かが混入した可能性はあるかと。
・・・いえ、これは私の推測です。喋りすぎました。」
北清は慌てるが龍希たちは気にしないだろう。
誰もが北清と同じ結論に至るはずだ。
「いいえ。ありがとうございました。
北の貴族様、もしも今後また同じような依頼をしたら、お請けくださいますか?」
芙蓉は穏やかに問いかけたが、北清は居ずまいをただし、その場に片ひざをつき、芙蓉をまっすぐに見た。
「同じ過ちは繰り返しません。北の貴族として、奥様からのご依頼は責任をもって取り組んで参ります。」
龍希の反応を見るまでもない。
北清の言葉に、覚悟に偽りはなかった。
彼女は死ぬために北の貴族になっただけだったはずなのに。
貴族になれるのは、成人した男の血族だけというのが貴族のルールだ。
だけど、先代北の貴族の息子も男孫も逃亡して行方不明で、成人した血族は北清しか居なかった。
今回の後始末のためにルールを無理やり変えて北清を北の貴族に据える。
そうすれば、少なくとも息子の北才は出てくるはずだ。
北清は紫竜への報告を終えて、北の貴族としての責任をとって殺され、その後のことは北才に任せればよい。
豊はそう説得して北清に北の貴族就任を承諾させたのだ。
銃を突きつけながら、ほぼ強制的に。
北清は息子さえ逃がせれば、自分は死んでもいい程度の覚悟はあったので、今回の協力者に選んだけど、どうやら心境の変化があったらしい。
彼女の覚悟を変えたのは、間違いなく芙蓉だ。
芙蓉もまた人の心を動かす力を持っている。
北清の年齢的にも彼女の治世はそう長くは続くかないだろうけど、息子の北才は母の貴族就任を聞くなり、すぐに名乗り出てきたので、この母子が芙蓉との縁を繋いでくれることを祈るほかない。
~狼族軍基地 シーヨの私室~
「・・・」
シーヨが目を覚ますと、自分のベッドの中にいた。
どのくらい眠っていたのだろう?
身体が重く、頭はガンガンして痛い。
『なんで私がこんな目に!?』
シーヨは思い出した。
司令官たちと豊の思い付いた作戦をつめ、司令官を迎えに紫竜の補佐官たちが来た。
龍緑は司令官と北清を連れて行ったが、なんと龍算と竜礼は残って、豊とシーヨの尋問を始めたのだ。
こんなこと前代未聞だけど、司令官は人族の族長ではないどころか、最近まで紫竜に喧嘩を売っていると噂の解放軍だから、龍希が慎重になっていても、まあ仕方ないのかもしれない。
とはいえ、なんでシーヨまで!?
豊だけでいいと思ったけど、補佐官である龍算に指名されては拒否はできない。
龍算はまだ再婚していないので、元妻であるシーヨのことを覚えているかもしれないが、龍算からの離婚希望だったので、シーヨに対して情け容赦があるはずもなく、シーヨは必死で嘘はつかないように、豊に話を合わせるしかなかった。
北学の独断による担当者変更についてはかなり問い詰められ、豊は
そんな大切なことなら、補佐官が殺す前に問いただしてないのか?
なんて露骨に龍算を挑発した時には、シーヨも死を覚悟したけど、龍算のキレた顔は怖かったなんてものではなかったけど、
どうにか豊とシーヨは生きたまま解放されたのだ。
というか、ブラコンのはずの竜礼はやたらと豊の肩をもっていた気がしたけど、どういう関係?
シーヨは解放されてから、自室に戻ったところで記憶が途切れているので、気絶するように眠ったのだろう。
疲れがひどく残っているけど、やることは沢山残ってる。
狼族長は無事に狼族領に帰っただろうか?
司令官たちは北都を守った?
香水瓶の調査結果は族長妻に届いたかな?
シーヨはノロノロと起き上がると、顔を洗い、着替えて私室から出た。
すぐに部下が気付いてやって来たけど、
「狼族長が来てるの!?」
予想外の報告に、シーヨはすぐに族長の元に向かった。
~応接室~
「族長!どうしてこちらに!?」
シーヨは族長が来ているという部屋にノックもせずに駆け込んだけど、
「あら、おはよう、シーヨ。一緒に食べましょ」
狼族長は紅茶を片手に微笑んできた。
族長と同じテーブルには人族が2人
豊は狼族長が喋っているにもかかわらず、ソーセージを挟んだパンを食べており、その反対側では北才が警戒した顔で座っている。
「何をしてるんですか?」
シーヨは状況が飲み込めない。
「お茶会。豊もさっき起きたところなの。今回はご苦労様。よくやってくれたわ。」
「どこまでお聞きに?」
あんなリスクの高い悪巧みに狼族長を巻き込まないためにシーヨは独断で動いたのに、寝ている間に人族たちが報告したのだろうか?
「報告は補佐官の仕事だと言って何も教えてくれないのよ。でも龍算たちがシーヨの尋問までしたなら、狼族長が知らぬ存ぜぬとはいかないでしょ?
報告してちょうだい。」
「私が独断でしたことです。」
「紫竜から狼族を守ってくれたのでしょう?ならば、後始末は族長である私の仕事よ。」
狼族長はそう言いながら微笑んだままだけど、シーヨは不覚にも涙が出そうになった。
この責任感と気高さはどの狼も敵わない。
唯一無二のシーヨの上司で親友だ。
「はい、族長」
シーヨは今回の出来事を洗いざらい報告した。
「・・・あそこの北の貴族だけは姿を見せないから不思議に思ってたけど、そういうこと。
新しい北の貴族は紫竜に殺されるかしら?」
最後まで静かに報告を聞いていた狼族長の最初の質問はこれだった。
「生きて帰ってくると思います。」
シーヨは確信している。
「どうして?龍希が生かす価値がある?」
「今回は族長妻の依頼との建前ですから。」
「族長妻の情けをもらえるってこと?」
「人族初の女族長ですから、利用価値は高いでしょう。他の貴族では妻との面会すら叶わない。」
「今回の件で人族が紫竜の正式な取引先に昇格するのは遠退いたと思うけど?」
狼族長の言うとおり、北学たちはおろかにも千載一遇のチャンスを自ら捨ててしまった。
「族長妻はまだ30代です。また時間をかけて次のチャンスを待ちますよ。」
「ふふ。シーヨがそう言うならそうなのでしょうね。」
狼族長は否定しなかった。
「・・・質問してもよろしいですか?」
問いかけてきたのは豊だ。
北才と違い、狼族長の前でも怖じ気付いた様子はないけど、まあ、あの龍算と対峙した後なので、不思議はない。
「どうぞ。あなた方は大切な客人だもの。遠慮は要らないわ。」
「そちらの補佐官はなぜ族長妻にお詳しいのですか?」
「あら?知らずに協力したの?彼女は最近、紫竜から出戻ってきたのよ。」
狼族長は楽しそうに答えている。
「紫竜の妻同士は仲が悪いと聞いておりました。ましてや狼族の元妻といえば、兄が・・・」
「族長妻と喧嘩するバカ妻は残らず紫竜に排除されてるわ。」
狼族長は豊の話を遮ったが、シーヨの兄の裏切り事件はもう有名な話なのに、どうしたのだろうか?
「・・・狼族はこれからどんな後始末をされるつもりですか?」
豊は話題を変えた。
「北の貴族からの要請があれば、助力しましょう。わが一族の取引先でもあるからね。」
「つまり新しい北の貴族を認めると?」
豊が北清を脅して北の貴族に据えたくせにこんな質問をしている。
どうやら北清は紫竜に殺されると本気で信じていたらしい。
「認めない選択肢があるの?」
狼族長は楽しそうだ。
豊みたいな生意気な雄が好みなのは相変わらずらしい。
「北清は紫竜に殺されるために北の貴族になったにすぎないので・・・他の貴族からの反発はあるでしょうし。まあ、僕がこれ以上介入できることではありませんが。」
「そう?解放軍にしては随分貴族の事情に明るいように見えるけど・・・?」
「あーー!?」
突然叫んだのは北才だ。
「何?ついに頭がイカれた?」
シーヨは思い切り北才に睨んだ。
元凶はこいつらの兄弟喧嘩なのだ。
なのに、族長筋の責任を放棄して逃げるなんて!?
北才を殺してもまだ怒りはおさまらないが、利用価値があるのでそれもできない。
「まあまあ、落ち着いて下さいな。」
狼族長は気にせず北才をなだめている。
「は!し、失礼しました。お前・・・最近まで紫竜に居たか?」
北才は座り直すとよく分からない質問をし始めた。
「僕は紫竜の手先ではありません。」
豊は警戒した顔になっている。
「紫竜の匂いはかなりついているから、ワニ族領で紫竜に協力した人族かもね。」
狼族長は興味があるのか、最近カラス族から買った機密情報を漏らしている。
「ワニ・・・やっぱり、お前が央豊か?」
「誰ですか?僕の名前は豊です。」
豊は無表情で否定したが、さっきまでとは雰囲気が違うので何かあるらしい。
「オウホウとは誰?狼族が力になりますよ。」
狼族長も豊の変化を察したのか興味津々だ。
「つい最近、紫竜から今は亡き貴族の隠し子を保護したと問合せがありまして、なんでも過去にワニに拐われた貴族の子息らしく、首都の貴族が央豊じゃないか?と。
そうだ。生きてれば30代半ばのはずだ!」
「そんな高貴な生まれに見えます?それに僕はまだ20代です。」
豊は薄ら笑いを浮かべて否定し続けている。
人族の年齢はシーヨには分からない。
「貴族の情報網をなめるなよ。首都の第四家自体は滅びても、各地の貴族に嫁いだ娘や傍系はいるんだ。首都には若い頃の央豊を知ってる人間は何人もいる。」
「人違いですよ。僕は商人の出です。こんな僕を連れて行ったら笑い者になるのは北才様ですよ。」
「まあまあ。ここでの喧嘩は勘弁して下さいな。」
楽しそうに見物していた狼族長が仲裁に入ったけど、これから北才に協力して豊の素性を探るに違いない。
コンコン
「失礼します!北の貴族が帰ってきました!」
シーヨの部下が知らせに来た。
「あら、ではご子息と出迎えましょうか。狼族長としてご挨拶したいわ。」
狼族長の提案に北才は頷いた。
豊よりも今は母親に関心が向いたようだ。
「僕はここにいてもいいですか?」
豊はもう北の貴族に興味はないらしい。
「構わないわ。シーヨ、お相手しなさい。」
狼族長はシーヨに命じると、北才とともに出ていった。
豊はシーヨと会話をする気はないようで、食事を再開している。
シーヨもお腹が空いているけど、狼族長を前に食べながら報告なんてできないので、我慢していたのだ。
テーブルには狼族の食事とともに人族の食事やデザートが用意されている。
いつもなら肉のパイを手に取るけど、シーヨは
人族の白いまんじゅう
を手に取って、一口で食べた。
『やっぱりマズい』
食べられなくはないけど、中に入っているあんことかいう甘い煮豆はシーヨの口には合わない。
だけど、彼女は美味しそうに食べていた。
いつも完璧な作り笑顔を張り付けていた彼女がほんの一瞬ほころんだ顔になっていて、
孤高の妻と呼ばれていても、故郷や自分の種族が懐かしいのだと
シーヨは思ったものだ。
「ふん。」
シーヨはもう一つまんじゅうを口に放り込んだ。




