蕎麦屋の火災
~水連町~
11月のある夜、水連町の蕎麦屋が火事になった。
その日もかなりの雪が降っていたが、蕎麦屋の火事は異様なほど燃え上がり、火事発見から一時間もしないうちに建物は全焼したらしい。
~水連町 病院~
火事の翌日、解放軍のショウは水連町の病院に来ていた。
まだ開業していないが、病院の寮には数名の薬師と医療助手が寝泊まりしており、昨晩、蕎麦屋の火事の負傷者が運び込まれたらしい。
コンコン
「どうぞ。」
ショウが病室に入ると、白衣を着た老人が一人立っていた。
解放軍の協力者でこの町で薬屋を長く営んできた水人だ。
ベッドには意識のない女が寝ている。
身体は布団で見えないが、顔の半分は包帯で覆われている。
「カエデ姉さんの容態は?」
ショウの問いかけに水人は表情をくもらせた。
「かなり酷い。彼女は両足の怪我で逃げられなかった。燃え盛る建物にサンが飛び込んでカエデさんを抱えて連れ出したそうだけど、すでに意識がなかったそうだ。
煙を吸いすぎたんだろう。身体の火傷もひどい。できることはしたけど、今日明日が峠かもしれない。」
「そんな・・・」
ショウはショックで床に崩れ落ちた。
つい3日前、会議で一緒に豊の帰還を喜んだのに!?
「カエデさんの介助をしていたサクラさんもしばらく入院だよ。彼女もかなり無理をして火事の現場からカエデさんを連れ出そうとしてたみたいでね。顔にまで火傷を負ってる。」
仲間のサクラも負傷したらしい。
サクラは豊の作戦でジュウゴが探している女のふりをさせる予定だったのに、そんな状態ではもう無理だろう。
コンコン
ドアをノックして入ってきたのは解放軍のカグラとツツジだ。
「か、カエデ姉さん!?」
ツツジはカエデのベッドに駆け寄ると泣き始めた。
「なんてこと・・・」
カグラは涙目になったが、すぐに頭をブンブンと横にふっていつもの顔に戻った。
「ショウさん、A地点の見回りをお願いします。サクラからの聞き取りは私たちが。」
「・・・わかった。カエデ姉さんを頼みます。」
ショウは水人に一礼して病室を出ると、階段を上って2階の資料室に向かった。
資料室には鍵がかかっているので、ショウは近くの事務室の小窓を叩いた。
「はい?どちら様?」
事務員の男が小窓を開けて尋ねてきた。
「黒帯屋の使いです。A地点の見回りにきました。」
「・・・はい。鍵は返しにきてくれよ。」
事務員の男はショウに資料室の鍵を渡してくれたので、ショウは資料室に戻って鍵を開けて入った。
~資料室~
「来たか、ショウ」
資料室では陶矢が待っていた。
「カグラはサクラの聞き取りをするそうだ。」
「そうか。もうすぐ司令官が来る。」
「火事はジュウゴがらみか?」
「たぶんな。明らかに放火だ。たまたまカエデ姉さんが潜伏していた蕎麦屋が狙われたと思うか?」
「・・・内通者か?」
ショウは悔しくて歯軋りした。
両足を負傷したカエデの潜伏先は解放軍でも一握りしか知らないはずなのだ。
カエデは定期的に潜伏先を変えており、昨晩、蕎麦屋にいたことをショウは知らなかった。
そのせいで火事に駆けつけることができず、今朝になってから知らせを受けて慌てて病室に来たのだ。
コンコン
外から扉がノックされ、司令官が入ってきた。
「ショウ、陶矢、呼びつけてすまないわね。」
「とんでもないです、司令官。カエデのことはお聞きですか?」
「ええ。蕎麦屋の火事を聞いて、サンに頼んだの。カエデは一昨日蕎麦屋に移ったばかりだった。蕎麦屋の前の潜伏先を監視する獣人に護衛のサンが気付いてね。
今回の火事はカエデを狙った放火よ。あなたたち2人はカエデの潜伏先を知らなかったから信用できる。」
司令官も事件の真相に気づいたらしい。
そして内通者を警戒してショウと陶矢を相談相手に選んだようだ。
「カグラとサクラは容疑者ですか?」
陶矢の問いに司令官は無言で頷いた。
「サンは?」
「彼女はシロよ。蕎麦屋が潜伏先だと知らせてなかったの。・・・彼女をカエデのそばに残しておけばカエデは助かったのに、サンを疑って護衛の任を解いてしまった。」
司令官は悔しそうだ。
「カエデを狙ったのはジュウゴですか?」
「その可能性が高いと思ってる。カエデのそばに内通者がいるなら、豊の作戦はもうバレてるわ。だからサクラも狙われたのかもしれないし、サクラが内通者なら囮役から外れるためにわざと負傷したのかもしれないわ。」
「豊の作戦は中止ですか?」
「まだその判断は早いわ。サクラの代役はツツジに頼むつもりよ。少し若いけど化粧で誤魔化せる。」
「・・・司令官もジュウゴが探している女をご存知で?」
ショウは思わず尋ねた。
「ええ。だけど女の詮索は禁止よ。豊はギリギリ生きて帰れたけど、かなり運がよかった。」
司令官は険しい顔だ。
ジュウゴの探す女を探るのは命がけの任務だったらしい。
「我らは何をすればよいですか?」
陶矢が司令官に尋ねる。
「2人にはカエデと水人の警護を頼むわ。カエデが死んでいないことが分かれば今度はここが狙われる。」
「内通者探しは?」
「しばらく2人を泳がせるわ。私はツツジの警護にあたる。もしもジュウゴが囮役の女を狙うなら、今度はツツジが危険よ。」
「承知しました!」
ショウと陶矢は同時に返事をした。
~豊の隠れ家~
蕎麦屋の火事から2日後、司令官こと巴衛は豊に会いに水連町郊外の隠れ家にやって来た。
「し、司令官!?」
隠れ家で出迎えた豊は驚いている。
彼には紫竜の匂いがかなりついていることをアーストからの報告で聞いている。
「豊、事情が変わったの。水連町に来てちょうだい。」
巴衛は隠れ家の中に入るなり切り出した。
「何事ですか?」
「カエデの潜伏先が放火にあったの。その翌日には協力商人の洗濯屋と、寒のいる和菓子屋からも火が出たわ。」
「ジュウゴの仕業ですか?内通者もいるようですね。」
豊は理解が早い。
「カエデの件に内通者がいるなら容疑者はサクラかカグラ。だけどサクラは寒の和菓子屋のことは知らないはずなのよ。寒はあなたの作戦にはかかわってもいない。放火の目的と内通者の正体が分からない。」
「洗濯屋はなぜ狙われたんですか?」
「カグラの潜伏先よ。」
「カグラも負傷を?」
「いいえ。無事よ。協力商人の店主は出張で留守だった。だから狙われたのはカグラだと思われる。」
「サクラも無傷ですか?」
「いいえ。カエデとともに負傷して今も入院中よ。命に別状はないけど、サクラは顔から肩にかけて火傷を負ったから囮役は無理。代役をツツジに頼むことにしたの。」
「・・・ツツジはシロですか?」
「ええ。彼女はカエデの潜伏先も寒の店も知らないし、洗濯屋の主人の出張は知っていたわ。カエデの事件の後から監視してるけど怪しいところはないの。」
「・・・」
巴衛は豊には全てを話した。
今回の件は町の外に居た豊はシロだ。
それ以前に豊がジュウゴの内通者なら、龍希が豊を生きて帰すはずがない。
「カエデ、カグラが狙われたなら、その次の標的が寒というのは不可解ですね。犯人が違うのか、そもそも幹部の2人が狙われたという認識が間違いなのか・・・」
豊は一人呟きながら考え込んでいる。
「・・・寒が狙われた理由に心当たりはあるわ。寒の店には度々、芙蓉の娘が来てるの。」
巴衛の言葉に豊は驚いている。
「え?なんで?寒は何者ですか?」
「寒は関係ないわ。寒が戻る前から店に買い物に来てたらしいから。」
「なら、ジュウゴはそれを知って?いや、でも芙蓉さんの買い物先は他にもありますよね?」
「ええ。紫竜の執事が買い物に来ている店もいくつかあるけど、放火にあったのは寒の店だけよ。」
「洗濯屋は芙蓉さんとは関係ないですよね?」
「・・・解放軍では誰も知らないけど、ジーロたち獣人は気付いてるの。洗濯屋には紫竜の匂いがついた人間がいるのよ。」
「ユリの息子ですか?」
豊は意外な質問をしてきた。
「素性は知らない。芙蓉が獣人から保護した人間でね。人の世界に帰して欲しいと言われて預かったの。」
「そうでしたか。」
豊はまた考えこんでいる。
豊が龍希のところで見聞きしたことは詮索しないことが、お互いの安全だけど、
「元気だった?」
巴衛はユリの名前は出さずに尋ねてみた。
「はい。トラウマ乗り越えて夫とうまくやってました。」
豊は嬉しそうな、少し寂しそうな顔で教えてくれた。
「よかったわ。」
巴衛は安堵した。
ユリの居場所は知らなかったけど、ユリが芙蓉の近くにいるなら、結太は年齢的にもユリの息子なのかもしれない。
だけど、巴衛は知らないままでいい。
それが芙蓉とユリの願いなのだろうから。
「カエデ姉さんとサクラは俺の思い付いた囮作戦の妨害のために狙われた。洗濯屋と寒は紫竜の匂いがするから狙われたか、もしくは洗濯屋の人間と寒は芙蓉さんの顔を知っているから同じく囮作戦の妨害のために狙われたとか?」
豊も巴衛と同じ推測に行き着いたようだ。
「もしそうなら、次に狙われるのは豊よ。ここに一人でいるよりは町に来てちょうだい。」
「司令官も同じ結論に行き着いていたわけですね。でも、何か引っ掛かるからわざわざここまで相談しに来た。」
「流石ね。」
「この仮説が正しいなら俺はとっくに襲われてる。」
「そのとおりよ。」
豊の言う通り、ジュウゴの目的が囮作戦の妨害なら、豊を真っ先に始末するはずなのだ。
豊の潜伏場所は司令官とアーストしか知らないけど、先日、ここに物資を運んだ狸のジーロは近くまで来たら、豊についた紫竜の匂いに気づいたそうなので、ジュウゴの近くにいる獣人たちが町の周辺を探せば豊を見つけるのは難しくないはずだ。
「ジュウゴ側の獣人は襲いに来ていません。なぜでしょうか?」
「ジーロによれば、豊についた匂いは、紫竜の使用人と大差ないみたいよ。紫竜の使用人を攻撃することは紫竜に喧嘩を売るも同然だから、ジュウゴ側の獣人でも怖いんじゃないかと言ってるわ。」
豊はしばらく龍希の元に留めおかれていたけど、その間についた匂いは相当らしい。
「なるほど。なら・・・司令官、実は俺もご相談したいことがありまして・・・」
豊は予想外の提案をしてきたけど、巴衛は信頼して応じることにした。




