龍緑の憂うつ
~本家 客間~
「はあ~」
龍緑はため息をつきながら一人で着替えをしていた。
鳳雁が本家に泊まっているせいで、補佐官のうち龍算と龍緑は本家勤務を命じられたのだ。
明日には藍亀も来るらしいし、龍栄の象妻の治療が終わって鳳雁が帰るまでは龍緑は自分の巣に帰れないだろう。
なんで俺が・・・という理由はわかっている。
補佐官のうち龍灯と龍景にはまだ子が一人しかいないからだ。
特に40歳を超えても娘しかいない龍灯には子作りの時間を確保させなければならない。
筆頭補佐官の父は族長たちの公式訪問中、ずっと本家で族長代理を務めていたので夜くらいは自分の巣に帰れと族長が気遣ったのだ。
とはいえ、龍緑だって自分の巣で妻子と暮らしたい思いは同じなのに!
先週、妻の月のものが終わって、妻の機嫌のいいタイミングになった時だったのに!
それもこれもワニのせいだ。
龍緑はかつてないほどイライラしていたのだが、
「わ!」
突然、族長の怒気を感じて龍緑は悲鳴をあげた。
すぐに廊下が騒がしくなる。
また何か良からぬことが起きたらしい。
怒気の方向からして執務室だろう。
「・・・」
龍緑はそっと扉を開けて廊下を覗き、周囲に誰もいないことを確認して裏庭に避難した。
怒った龍希様は特別怖いのだ。
なのにどいつもこいつも、補佐官なんだからなんとかしろとまた無理難題を言ってくるに違いない。
今は父も龍灯も龍景も居ないのだ。
龍算と龍緑ではどうにもならない。
というか龍緑を他の補佐官と同じようには期待しないでほしい。
龍緑は族長に選ばれた補佐官ではないのだ。
派閥のバランスをとるために他の補佐官が推薦し、補佐官の仕事が増えてきたことを気にした族長が許したにすぎない。
族長からすれば誰でもよかったはずだ。
とはいえ族長は細かいことは気にしない性格なので、龍緑を他の補佐官と区別することもなく、容赦なく仕事を振ってくる。
それどころか族長妻の同族だからと、龍緑の妻まで度々働かされているのだ。
妻が嫌がらないから、龍緑は渋々応じているけど、そのせいで妻が危険な目に遇ったのは一度や二度じゃない。
補佐官なんてデメリットしかない。
力の強い元後継候補たちだって龍栄以外は怒った族長を前に腰をぬかすのだから龍緑に何ができるというのだ!?
龍景は昔から龍希様に気に入られて、殴られ慣れているから補佐官は適任だ。
だから補佐官の仕事が落ち着いたら龍緑は辞職したいと最初から思っているのに、落ち着くどころか今度はワニによる族長妻の誘拐に、龍栄の妻は瀕死とは・・・龍栄がまた放心状態になったらますます忙しくなる。
~裏庭~
「は~」
龍緑は深呼吸した。
幸い、今日も裏庭には使用人はいない。
ここは本家の中でも穴場なのだ。
龍緑は昔から一人になりたい時はよくここに来ていた。
粗末なベンチに座ると温室が見えた。
あの温室は、記憶を失った妻を治すために必要だった小瓶が見つかった場所だけど、いまだにあの小瓶の正体は分からない。
龍緑も妻も見覚えがないのだ。
まあ、妻は治ったのでもうどうでもいいけど、あの小瓶はまだ龍緑の執務室に置いている。
妻の大切な記憶の中に、ここで龍緑と出会った思い出も入っていた。
そのことを思い出す度に龍緑は嬉しくてにやけてしまう。
龍緑は目をつむってあの日の出来事を思い出していた。
「う・・・」
裏庭に来てまだ数10分くらいなのに、龍灯の匂いが近づいてきた。
鼻のいいあいつには龍緑の居場所がバレている。
せっかく現実逃避していたのに、族長の元に引っ張っていかれる。
「龍緑!?何してんだ!?こんなとこで!」
息を切らした龍灯が駆け寄ってきた。
「族長が怖いんで。」
「何言ってんだよ!?り、龍海様が大変なんだ!!」
「え!?」
父に何かあったらしい。
だからこんなに龍灯が狼狽えてるのか?
まさか族長の怒りは父が原因?
いや、それはない。
昨日の族長はすさまじく機嫌が悪かった。
幼いころから龍希様の扱いに慣れている父がこんなタイミングで怒らせるなんてないはすだ。
おおかた、怒り狂う族長を宥めるのに苦労しているのだろう。
龍緑は観念して龍灯に連れられて族長執務室に向かったのが・・・
~族長執務室~
「え!?」
部屋に入るなり、龍緑は驚いた。
同族の血の匂いがするのだ。
執務室の床には少なくない血が溢れており、いまだに恐ろしい顔をした族長の両手からも同じ血の匂いがするので、龍緑は背筋が凍った。
同族同士で血を流すほどの決闘はよほどの理由がない限り、ご法度だ。
というか状況的に決闘ではない。
族長が一族の誰かに制裁を加えたのだろう。
何があった!?
族長は短気だけど、よほどの理由がなければ流血するほどの制裁なんて加えない。
というか族長になる前から、そのレベルの制裁を加えたことなんてない。
龍緑は父を探したが、他の補佐官は揃って龍賢もいるのに、父の姿がない。
怪我竜に付き添って医務室か?
「おい、龍緑?」
「は、はい!」
族長はなぜか龍緑にも怒気を向けてきたので、龍緑は怖くて仕方ない。
「お前は知ってたのか?」
「な、何をですか!?」
龍緑には族長がキレている理由が分からない。
「別荘の人族襲う計画だよ!」
「はあ!?し・・・し、し、知りましぇん!」
本当に心当たりがないのに、龍緑は恐怖で呂律が回らない。
「ほら!龍緑は無関係です!」
龍灯が族長との間に割って入ってきたけど、龍緑は察した。
信じられないことに父の悪事が族長にバレたらしい。
父は昔から龍希様に都合の悪い獣人を暗殺することはよくあった。
だけど、龍希様にバレたことはない。
良くも悪くも父には権力があるし、足がつくような暗殺なんてしないからだ。
なのに、なぜ?
その疑問は、龍算の説明で解明された。
なんと竜礼がチクったらしい。
あいつらしくない、普段なら暗殺をネタに父と取引するだろうに。
別荘の人族自身が反撃したこともあり、命に別状はないことから、父は半殺しで済んだらしい。
というか族長が父を半殺しにしたところで龍賢が止めに入ったそうだ。
もう老いた龍賢の力は族長に遠く及ばないどころか、父よりも弱っているのに、さすがの貫禄だ。
「族長、もう怒気をしまって下さいませ。奥様も若様方も本家におられるのですよ!」
龍賢は一人、族長を叱りつけている。
どの補佐官にも真似できない。
それにしてもまさか父の共犯と疑われるなんて、心外だ。
父が龍緑にこんな悪事を打ち明けるわけがない。
もし龍緑が打ち明けられたら、迷わず族長にチクるのだから。
我が身が一番大事だ。
「ああ!?芙蓉にバレたらどうすんだよ!?ただでさえ象妻が死にかけてて落ちこんでるのに、同族が殺されかけたなんて言えるか!」
やはり族長の怒りの原因はこれだ。
龍算によれば、別荘の人族は両手を骨折したらしいので治るには1月以上かかるだろう。
人族はとにかく傷の治りが遅いのだ。
奥様にバレるのは時間の問題だな。
「ちょうど鳳雁がおります。治療費は龍海に負担させれば良いです。」
「・・・連れてこい。」
龍賢の提案で族長はようやく溜飲を下げてくれた。
龍景が走って鳳雁を呼びに行った。
コンコン
「失礼します~」
龍景が戻るより先に竜礼がやって来た。
族長の怒気がおさまるのを待っていたのだろう。
「竜礼、別荘の人族の治療は鳳雁に依頼することにした。」
「あら~族長ったら太っ腹。」
竜礼は本当に驚いている。
「解放軍からの借り物で、妻の同族だからな。今回はご苦労だった。」
「族長、私にご褒美下さい。」
「何がほしいんだ?」
「別荘の人族と取引したいことがあるんです~」
竜礼は意外な要求をし始めた。
「は?何だ?」
「まだ考えがまとまってないというか、私の思い付きが実現できるのかは人族とお話してみないと分からないんですよね~」
「いや、何だよ?」
「ここじゃ説明できません~人族とお話しさせて下さい~」
「・・・」
族長は怪訝な顔でちらりと龍緑を見てきたので、龍緑は嫌な予感がする。
「その場に龍緑も同席させる。あの人族は元々、龍緑の担当だからな。」
『うわ~』
龍緑は嫌すぎる。
やりたくない。巻き込まれたくない。
のに、この空気で族長相手に嫌とは言えない。
父の失態は龍緑とは何の関係もないけど。
「分かりました~では、人族の治療が終わったら龍緑を呼びます~」
竜礼はご機嫌で出ていった。




