第三宙 第四夢 増幅効果、初体験
祁翔は、これまで誰かに《宙技》で強化してもらった経験が一度もなかった。
今、彼は手にしている《紫靈之杖》が、まるで羽のように軽くなったような感覚を覚えていた。
(これ……まさか、気のせいじゃないよな?)
祁翔は試しに、いくつか《紫靈炮》を発射してみることにした。
すると――
「えっ!?」
一瞬のうちに、三発の《紫靈炮》が連続して放たれた。
しかも、ほとんど間隔がない。
「うわっ!」
その反動で祁翔は何歩も後ろへ押し戻された。
「これが……増幅効果!?」
あまりにも予想外の強化に、祁翔自身が驚いてしまう。
一方、向かい側にいた伊幽は――
祁翔の《紫靈炮》を三発連続で受けていた。
伊幽は片膝を地面につき、怒りを露わにする。
「やってくれるじゃねえか……!」
「陰から攻撃するとはな。」
伊希が心配そうに尋ねる。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
伊幽は立ち上がりながら答えた。
「問題ない。」
伊無と伊盡もすぐに近づき、伊幽を支える。
伊幽は立ち上がると、再び妖しい笑みを浮かべた。
すると――
四方八方から大量の蜘蛛の糸が集まり始める。
無数の糸が伊幽の手元へ集まり、ゆっくりと一本の白い武器へ形を変えていく。
それはまるで、白い刀のようだった。
伊幽はその刀身を舌で軽く舐める。
その瞳には、明確な殺意が宿っていた。
祁翔は目の前の白い刀を見つめる。
(いやいや……さすがに凄すぎないか?)
(蜘蛛の糸が刀になるのかよ!)
狼子は伊幽を真剣に見据えた。
「気をつけろ。」
「あいつが作り出した刀には、何か特殊な能力があるかもしれない。」
祁翔は頷く。
「分かった。」
陸達も頷き、警戒を強めた。
伊幽は手にした白い刀を一振りする。
その瞬間――
刀から無数の白い蜘蛛の糸が一斉に放たれた。
「速い!」
祁翔は目の前を高速で飛んでくる糸を見た。
しかし、あまりにも速すぎて反応が間に合わない。
ところが――
祁翔と狼子へ届く直前。
無数の糸は、突然灰へと変わって消滅した。
陸達が展開した《蔚沁之罩》だった。
雁羽の《霧纓之宙》による増幅を受けたことで、《蔚沁之罩》の防御効果は大幅に強化されていた。
その防護範囲も、以前よりかなり広がっている。
祁翔は陸達を見る。
「助かった!」
「君がいなかったら、あの蜘蛛の糸攻撃……気持ち悪すぎる!」
陸達は笑いながら首を横に振る。
まるで、
――これくらい当然だ。
そう言っているようだった。
しかし、陸達は少し照れながら小さな声で言う。
「でも……本当に感謝すべきなのは、雁羽だよ。」
雁羽は陸達を見る。
何も言わなかった。
しかし――
彼女の頬が、ゆっくりと赤く染まっていく。
祁翔は二人の反応を見て、思わず小さく笑った。
そして雁羽へ言う。
「ありがとう、雁羽。」
雁羽は俯いた。
顔は真っ赤になり、まるで頭から煙が出そうなほどだった。
狼子はそんな三人のやり取りを見て、思わず微笑んだ。
(祁翔……。)
(だんだん、みんなとの距離が近くなってきたな。)
一方――
伊幽は祁翔たちを見つめながら、怒りをどんどん募らせていた。
隣を見ると――
伊無と伊盡も、完全に怒りを爆発させている。
伊希も何も言えないような表情で祁翔たちを見つめていた。
(こんなに簡単に、お兄ちゃんの《白幽刀》を避けられた人なんて……初めて。)
伊無が怒りを露わにする。
「お前たち、一体いつまで和やかな雰囲気でいるつもりだ?」
伊盡も鋭い目つきで続けた。
「どうやら、俺たちの存在なんて完全に眼中にないみたいだな。」
二人が言い終えると――
伊無の手元へ、無数の糸が集まり始める。
集まった糸は次第に形を変えていく。
伊無がそれを一振りした瞬間――
それが一本の白い鞭だと分かった。
蜘蛛の糸を何重にも束ねて作られた武器だった。
同時に――
伊盡の手にも大量の白い糸が集まり始める。
ゆっくりと形を変え、伊幽のものによく似た白い刀へと変化していった。
次の瞬間。
伊無が再び鞭を振るう。
すると――
四方八方から、無数の人面食夢蛛が一斉に現れた。
一体。
十体。
数十体。
さらに増えていく。
あまりにも多い。
祁翔は冷や汗を流し、全身に鳥肌が立っていくのを感じた。
「うわ……。」
その頃、伊希も再び両手で無数の白い糸を編み始める。
巨大な蜘蛛の網が次々と作られていく。
そして――
伊幽と伊盡が、まるで二刀流のように息を合わせ、一気に駆け出した。
その標的は――
狼子。
祁翔はそれを見た瞬間、すぐに《紫靈之杖》へ紫色のエネルギーを集め始める。
同時に《宙語》を唱え、足元へ《紫燦之宙》を展開する。
雁羽の増幅効果を受けた状態で――
「いけっ!」
祁翔は無数の《紫靈炮》を連続発射した。
しかし――
それでも伊幽と伊盡の急速な接近を、完全には止められなかった。
陸達はすぐに狼子の《蔚沁之罩》を強化する。
瞬間――
沁藍色の光が狼子を包み込む。
狼子は《蔚沁之罩》の内部で《宙語》を唱えた。
「《湛滅之宙》!」
瞬時に冷たい空気が周囲へ広がる。
伊幽と伊盡の動きが、わずかに鈍くなった。
――しかし、その時。
伊希が四人の背後から糸を吐き出した。
「えっ!?」
両手で白い蜘蛛の糸を操り、祁翔の身体を一瞬で絡め取る。
「うわっ!」
祁翔は空中へ吊り上げられた。
身体は完全に拘束され、身動き一つ取れない。
(しまった……!)
全員がそう思った、その瞬間――
楓葉が本来の二尾狐の姿へ戻った。
そして――
「ゴオオオオッ!」
先ほどよりも遥かに強力な炎を吐き出す。
しかも今回の炎は、一層ではない。
何重もの炎が重なり合い、伊希の蜘蛛の糸を少しずつ溶かしていく。
やがて――
プツンッ!
糸が切れた。
祁翔は空中から落下する。
「痛っ!」
お尻を押さえながら、祁翔は叫ぶ。
「楓葉、助かった!」
楓葉は二本の尻尾を振りながら頷いた。
「どういたしまして。気をつけて。」
雁羽は楓葉の本来の姿を見ると、目を輝かせた。
(大きくなったけど……可愛い。)
その一方――
伊幽と伊盡は二本の刀を振り回しながら、《蔚沁之罩》を強引に突破した。
陸達は驚いた表情を浮かべる。
「なっ……!」
その隙間から、一部の人面食夢蛛が呻き声を上げながら侵入してくる。
次々と祁翔たちへ近づいてくる。
祁翔はすぐに頭の中で《紫燃之隕》をイメージした。
その瞬間――
以前とは違う《紫燃之隕》が空中に現れる。
無数の隕石が分散し、それぞれ別々の人面食夢蛛を狙っていく。
ドォン!
ドォン!
激しい衝突音が何度も響き渡る。
そして――
すべての人面食夢蛛が一瞬で消滅した。
その場に残ったのは、無数の霧だけだった。
祁翔は自分の《紫靈之杖》を見つめる。
(僕……いつの間に、こんなに強くなったんだ?)
(雁羽の増幅効果……本当に凄い。)
一方――
伊幽と伊盡は狼子へ接近し、斬りかかろうとしていた。
狼子は《湛滅之劍》を振るい、二人の攻撃を受け止める。
キィン!
伊幽が素早く跳躍する。
そして上空から、下へ向かって斬り下ろした。
狼子は鋭い反応速度で剣を構え、伊幽の攻撃を受け止める。
剣と刀が激しく衝突する。
キィィン――!
同時に、《湛滅之劍》から湛藍色の光が放たれる。
剣気が伊幽を吹き飛ばした。
その隙に狼子は身体を反転させ――
伊盡の刀を再び受け止める。
その瞬間――
祁翔が狼子を援護するため、《紫靈炮》を二発放った。
「狼子!」
伊盡は祁翔の《紫靈炮》を避けるため、刀を引き、蜘蛛の糸を使って攻撃範囲から逃れようとする。
しかし――
わずかに遅かった。
《紫靈炮》が伊盡の身体をかすめる。
「ぐっ……!」
伊盡は片膝をつき、荒い息を吐いた。
狼子は祁翔を見る。
その目は、まるで礼を言っているようだった。
祁翔は少し首を傾ける。
それは、以前、莊洛と息がぴったり合っていた時によくしていた仕草だった。
(あっ……。)
(……狼子は莊洛じゃないじゃん。)
しかし――
狼子は特に何の反応も示さなかった。
そのまま振り返り、再び四伊衆への警戒を続ける。
一方、陸達は《蔚沁之罩》を必死に強化し続けていた。
次々と押し寄せてくる食夢蛛から、仲間たちを守るために。
伊無は鞭を手にしたまま、狼子を見つめる。
「どうやら、こいつら……簡単には倒せないようだな。」
「兄貴と三弟の《白幽刀》と《白盡刀》。」
「二人の連携攻撃に耐えた奴なんて、初めてだ。」
そう言うと、伊無は伊希の方を見る。
「まだなのか?」
その表情には、明らかな焦りと疑問が浮かんでいた。
祁翔、狼子、陸達、雁羽の四人は、伊無の言葉を聞いて互いに顔を見合わせる。
「まだって……何が?」
祁翔は狼子へ尋ねる。
「こいつ、何のことを言ってるんだ?」
陸達も珍しく疑問を口にした。
狼子は首を横に振る。
彼にも分からない。
雁羽も伊希の方を見つめ、困惑した表情を浮かべていた。
その時――
伊希は目を閉じ、全神経を集中させながら、手元の蜘蛛の糸を操っていた。
先ほどまでの伊幽と伊盡の戦闘によって、伊希には十分な時間が生まれていた。
その間に――
彼女の手元にある無数の糸が、祁翔、狼子、雁羽、陸達の目の前で、次第に白い霧へと変化していく。
白い霧が広がる。
視界が徐々に覆われていく。
そして――
四人は、その白い霧の中へ飲み込まれていった。
霧の中に、少しずつ人影が浮かび上がる。
しかし――
その人影を見ているのは、それぞれ自分自身だけだった。
祁翔は祁翔の目に映る人影しか見ることができない。
狼子も、雁羽も、陸達も同じだった。
彼らは互いに――
相手が一体、何を見ているのか知ることができなかった。




