第二宙 第十夢 祁翔の夢
祁翔は教室の窓辺から、どこまでも広がる青空をぼんやりと眺めていた。
周囲ではクラスメイトたちが笑顔で彼に話しかけてくる。
「今日の祁翔、いつもよりかっこいいね。」
「ぼーっとしてる顔まで素敵だよ。」
数人の生徒が楽しそうに声をかけていた。
しかし今日のクラスメイトたちは、いつもとはどこか違っていた。
普段なら祁翔をからかってくるはずなのに、今日は誰もそんなことをしない。
その違和感が、かえって彼を落ち着かなくさせていた。
授業終了のチャイムが鳴ると、さらに多くの生徒たちが彼の周りへ集まってくる。
「昨日のテレビ見た?」
「一緒に運動しようよ!」
「新しく買ったお菓子、一緒に食べない?」
祁翔は誰にも答えず、静かに席を立つ。
そのまま廊下の壁にもたれかかり、一人で外を眺めていた。
一日中、皆から好意を向けられるのは悪い気分ではない。
それでも胸の奥には、どうしても埋まらない空白があった。
この学校には、何かとても大切なものが欠けている。
そんな気がしてならない。
心の底からは、どうしても笑えなかった。
毎時間の休み時間になるたび、誰かが自分を訪ねてきていたような気がする。
その喪失感だけが、いつまでも胸に残っていた。
放課後――
「一緒に帰らない?」
「おいしいラーメン屋を知ってるんだけど、祁翔も来る?」
多くの生徒が帰り道や食事へ誘ってくれた。
しかし祁翔は、すべて丁寧に断った。
彼は一人、図書館のある方角へ歩き始める。
途中には運動場があり、その隣にはバスケットコートがあった。
そこを通り過ぎた瞬間、胸が締めつけられる。
コートを見つめると、ぼんやりと一人の人影が脳裏に浮かんだ。
軽やかなドリブル。
鮮やかな身のこなし。
そして、美しいフォームで放たれるスリーポイントシュート。
しかし、その顔だけがどうしても思い出せない。
祁翔は静かに歩き続けた。
校門を出ると、彼は立ち止まる。
誰かを待っているような気がした。
だが、その「誰か」が誰なのかは思い出せない。
再び歩き出した彼は、一軒の漫画専門店の前で足を止めた。
看板には大きく、
「漫漫長夜」
と書かれている。
店内を覗く。
ソファ。
本棚。
その瞬間、頭の中に浮かんでいた人影が再び現れた。
今度は少しずつ鮮明になっていく。
あの笑い声。
あの表情。
あの笑顔。
一緒にはしゃぎ回った日々。
すべてが一気によみがえった。
「……そうか。」
祁翔は静かに笑う。
「こんなに人気者になれるなんて、悪くない夢だった。」
「でも、莊洛がいないなら――」
「これは夢ですらない。」
その瞳には、揺るぎない意志が宿っていた。
その瞬間、胸元から淡い紫色の光があふれ出す。
紫色の五芒星魔法陣が描かれた首飾りが姿を現した。
祁翔は脳裏に浮かんだ言葉を静かに唱える。
『夢よ――
何が幻で、
何が真実なのか。
想像の翼で大空を翔け、
広大なる夢宙時空を越え、
我を真なる現実へ導きたまえ。』
首飾りは紫色の《宙之曆》へと姿を変える。
眩い光とともに、一振りの杖が現れた。
先端には水晶玉が輝いている。
『紫靈之杖』。
祁翔はその杖を握り、『紫燦之宙』を展開した。
景色が大きく歪み――
次の瞬間、無数の人面食夢蛛とともに、祁翔は再び迷宮へ戻っていた。
壁際で待機していた陸達と雁羽は、彼の姿を見るやすぐに立ち上がる。
壁にもたれていた狼子も、一瞬で祁翔のもとへ駆け寄った。
人面食夢蛛が悲鳴を上げながら襲いかかる。
祁翔は『紫靈之杖』を構え、
『紫靈之砲』!
紫色の魔力弾を立て続けに放った。
爆音が響き渡り、食夢蛛の群れは次々と吹き飛ばされ、残されたのは幾筋もの霧だけだった。
攻撃を終えた祁翔は息を切らし、前かがみになる。
狼子は彼の肩を軽く叩き、笑った。
「よくやった。お前ならできるって信じてた。」
陸達も静かに頷き、同意を示す。
すると雁羽が祁翔へ手を差し出した。
「猫は? 二尾猫が見たい。狐……名前は楓葉だったよね?」
普段は滅多に見せない、愛らしい笑顔だった。
祁翔は苦笑しながら立ち上がる。
「蔵物宙空間」を開き、
「楓葉、出てきて。」
一匹の二尾狐・楓葉が姿を現した。
雁羽は待っていましたと言わんばかりに抱き上げる。
楓葉は困ったような顔で祁翔を見る。
……またか。
そう心の中でため息をついた。
雁羽は周囲の視線など気にも留めず、夢中で楓葉へ頬ずりしている。
他の三人は、その光景にすっかり慣れている様子だった。
四人は周囲を見渡す。
全員が幻夢から脱出し、無事「蛛后迷宮」へ戻ってきたのだ。
祁翔が真剣な表情で口を開く。
「どうして僕たちは、全員そろって『美夢幻境』へ引き込まれたんだ?」
狼子は周囲を警戒しながら答えた。
「たぶん、気づかないうちに人面食夢蛛の糸で作られた罠に触れたんだろう。」
祁翔は、先ほど宝箱があった場所を見つめる。
しかしそこには、何もない空き地しか存在しない。
もしかして……。
あの宝箱を見つけた時点で、もう幻夢の中だったのか……。
祁翔がその場所を見つめたまま考え込んでいると、狼子が隣へ歩み寄る。
「どうした? さっきからそこばかり見て。」
祁翔は静かに首を横へ振った。
「……行こう。」
狼子は状況を理解できないまま、小さく頷く。
「ああ。」




