278:大魔王の復活
「っ……何を……言っているだ?」
リリィンが口にした言葉の真意が分からず、いや、理解したくなかったのだろう。
ほとんど反射的にそんな言葉を発していた。
しかしリリィンの日色を見つめる眼差しは、まるで見知らぬ他人でも見るようなものである。
それはまるで初めて彼女と会った時のような。
「リリィン?」
「! 何を気安くワタシの名を……名を…………ワタシの名前?」
名を呼ばれた不快感を表したリリィンだったが、すぐに今度は困惑気味に顔を歪めた。
「ど、どうかしたのか? リリィン?」
「……リリ……ィン? それが…………ワタシの名前か?」
頭をガツンと殴られたような衝撃が走る。彼女は一体何を言っているのだろうか、と。
「そもそも何故ワタシはこんなところに? 母様は? ここはどこだ?」
頭を抱えながら悶え始めるリリィン。
彼女だけではない。戦っていた兵士たちも、同様に記憶が混濁しているかのように苦しみ始めている。
「――っ!? ワ、ワタ……シは…………誰だ?」
「しっかりしろっ、お前はリリィン・リ・レイシス・レッドローズだろっ!」
前のめりに倒れそうになったリリィンを抱えて仰向けに抱えながら日色は呼びかける。
だがリリィンは日色の言葉に一切反応をしなくなり、次第に全身が白く塗り潰されていく。まるで色を失っていくように。
「な、何だコレはっ!?」
他の生物たちもリリィンと同じ現象が起こっている。
そしてそれは生物だけに収まらず、大地や草木などにも広がっていた。
「くっ、一体何だってんだ!」
日色は空を見上げ、先程まで振っていた黒い雨が消失していることを確認すると、『飛翔』の文字でリリィンを抱えて飛ぶ。
リリィンは言葉にしたら悪いが、まるで植物状態にでもなったかのように動かない。
上空から大陸全土を確認するが、あちこちから白が侵食していき、世界中を覆うのも時間の問題だと知った。
魔法を使ってイヴェアムたちがいる場所へと向かう。
「――――っ!? ここもか……! イヴェアムッ!」
見知った連中たちも含め、イヴェアムもまたリリィンと同様に白に包まれ硬直していた。
「くっ、こうなったら!」
日色は両手で文字を起こす。
『世界全域』と『意思疎通』
かなりの魔力を消費するが、これでここにいながら日色の声は全世界へと届き、またそこにいる者たちの声を捉えることも可能になった。
「誰かっ、聞こえてるか! 聞こえてるなら返事をしろ!」
誰か一人でもいい、と声を荒らげるが……。
最初からこの世界には誰もいなかったような静寂だけが流れる。
「どういうことだ? まさか世界中の奴らが……コイツらみたいに?」
脳裏を過ぎったのは――〝死〟。
日色の顔色は真っ青になり心臓の鼓動が激しく高鳴っていく。
どうすればいい。どうすれば皆を救うことができる、と何度も何度も必死に思考を回転させる。
――だがその時だった。
「――そのような悲しみと怒りに彩られた顔をしてどうなさったのですか?」
不意に鼓膜を震わせた声にギョッとして、正体を見極めるつもりで顔を向けた。
そこには背中からオーロラ色に輝く羽を生やした人物が空に浮かんでいたのである。
――ペビン?
思わずそう口にしてしまいそうになるほど、その人物は雰囲気が彼とそっくりだった。
「……! そうか、お前が…………お前がオリザスだな?」
「ええ、初めまして――『金色の文字使い』さん」
この状況で平気で動きながら、日色に向けている敵意から彼こそ目標の人物だと察知した。
「これはお前の仕業か?」
「驚いた。僕以外の誰がこんな状況を作り出せるというんです?」
「今すぐ皆を……世界を元に戻せ」
「そこで了承するとは君も思っていないでしょう?」
「なら殺してでも元に戻す!」
だがオリザスは楽しそうに笑い、そして驚愕の真実を告げる。
「残念ながら、もう元には戻りませんよ」
「なっ!? ……今何て言った?」
「難聴ですか? 二度も同じことを言うのはセンスが悪いのですがね。仕方ありません。これはサービスですよ。この《白面世界》は二度と戻ることは叶いません。何故ならすべての記憶を、過去を、色を失い白紙に戻った世界なんですからね」
「記憶……だと?」
確かにリリィンたちは自分のことすら認識できずにいた。
あれはそういうことなのだろうか。
「先程の黒い雨。アレこそ僕が生み出した記憶を奪う雨。さて、奪われた記憶がどこにいったか分かりますか?」
「…………?」
「ココですよ、ココ」
そう言いつつオリザスは自分の頭を指差した。
「この世界の記憶はすべて、僕の叡智の糧となったわけです。どうです、愉快でしょう?」
「お前ぇぇぇっ!」
日色は『滅』という文字を彼にぶつけようと指を向けたところ、
「おっと、いいんですか? こっちには人質もいるんですがね」
オリザスが懐から水晶玉を取り出し見せつけてきた。
人質とは一体と思い目を凝らしてみると、その水晶玉の中には日色のよく知る者が囚われていた。
「イヴァライデアッ!?」
彼女が身動きを取れずに、目を閉じジッとしたままだった。
「そう。僕の望みを叶えるためにも、彼女の存在は必要不可欠なのでね」
「っ……お前、神の力を欲してたってわけか」
「いえいえ、あくまでもこのイヴァライデアさんの存在はいちプロセスに過ぎません。本当に欲している者は――――あなたなのですから」
「!? ……オレ、だと?」
「自分だけが生かされている時点で気づいてほしいですね」
確かにリリィンたちと一緒に黒い雨に打たれたはずなのに、日色だけは記憶を奪われていない。
それは自分だけが異世界人だからという理由も思いついたが……。
しかしそれだとシリウスもそうだし、彼から音沙汰がない以上、今の考えは間違っているのだろう。
(つまりオレをいつでも殺せるってことか)
奴の目的のために生かされているだけというわけだ。それが物凄く腹が立つ。
「まあ本来なら君もこの《白面世界》の一部になる予定ではあったんですがね。……恐らくはイヴァライデアさんと同じ、神の力を宿す者だからということなのかもしれません。実に興味深い」
どうやらさっきの考えはあながち間違ってはいなかったようだ。ただ彼もまた正確に助かった理由は把握できていない様子である。
「さて、では我が王国へとご招待しましょうか」
オリザスがパチンと指を鳴らした直後、視界が揺らぎ一瞬にして別の場所へ転移した。
「!? ここは……!」
驚いたのは、そこは《白面世界》ではなかったことだ。
そして見たこともない街並みが前方に広がり、その門構えに自分が立たされていたことに気づく。
「おかえりなさいませ、オリザス陛下」
日色と同じように、門の前にいたオリザスを出迎えたのは赤い衣を羽織った者たちだった。
外見から、以前アヴォロスが連れてきた『クピドゥス族』だと判断する。
しかし真っ先に喋ったのは、日色も見知った人物だったのだ。
「アンタ――――ティッチ!?」
そこにいたのは、前にレッカとともに火山調査に出掛けた時、ともに仕事をしたティッチその人だった。
「おや、これはこれはヒイロ王ではないですか。お久しぶりですぞい」
その『ぞい』という口癖は間違いない彼だった。
「どうしてお前が……いや、この状況……裏切ったというわけか」
彼はどこからどう見ても人間であり、他の物言わぬ『クピドゥス族』とは明らかに姿が異なる。
「まあ裏切ったというよりは見限ったといった方が正しいですぞい」
「見限った、だと?」
「そう。とはいってもあなた方ではなく、弱者である人という種族をですぞい」
コイツは一体何を言っているのだと理解が遠く及ばない。
「人には寿命があり、言葉ですら傷つくような弱い心を持っている。肉体も鍛えたところでいずれ衰えていく。それは何とも悲しいことですぞい」
「……何が言いたい?」
「なぁに。このティッチは、ただ人という枠から抜け出したいのですぞい」
「人という枠を抜け出す?」
「弱さや脆さは罪、いいや、すべての知識をこの手にしたいと願うワシにとっては、最早苦痛で絶望しか与えない檻そのもの」
「すべての知識だと? ずいぶんデカく出たな。強欲な奴め」
「ハッハッハ。ヒイロ王には言われたくないですぞい。ワシから見れば、あなたこそ強欲の塊。いや、かの七つの大罪の権化とも呼ぶに相応しい存在ではないですか」
そう言われてみるが、どことなくピンとくるものを感じて反論しにくくなった。
確かに憤怒、傲慢、強欲、怠惰、色欲、暴食、嫉妬は他の者より強いかもしれない。
「あなたは羨ましい。ワシもあなたのような存在になりたいのですぞい。そう、人を超越した――神という存在に」
「……は? オレが神だっていうのか?」
「神である証拠を……《文字魔法》という神の御業を宿しておるではないですか」
彼の言う通り、《文字魔法》はイヴァライデアという神が本来持つ力だ。
だが日色がこの力を使えるのは、イヴァライデアに与えられたからである。
故に日色は神に似て非なる存在というわけだ。
「ワシはあなたのその力に魅入られ、いつかワシも神の力を手にしたいと思ったのですぞい」
「……狂ってるな」
「そうですか? しかしワシは一応は忠告致しましたぞ」
「?」
「おや覚えてらっしゃらない? ワシは火山の麓であなたと別れる際、確かに言葉にしたと思いますが」
そこで記憶を振り返ってみて、彼が間違ったことを言っていないことに気づく。
『しかしお気をつけください。そのお力の魅力に引き寄せられるのは、何も善意ある者たちだけじゃありませんぞい。ヒイロ王を籠絡して、利用しようとする輩も中にはいるはずですぞい。人はそこまでキレイではありませんからなぁ』
……確かに言っていた。
「そうか、アレはお前自身のことを口にしていたわけだ」
つまりあの時からすでにオリザスの仲間だったのだろう。
「今のワシもまた人です。……キレイな存在ではないということですぞい」
「ふざけやがって! 人が弱く脆いだと! ああ、確かにそうだろうな!」
「! ……ほう」
「だがだからこそ人っていうのは必死で強くあろうとするんだろうが。人として、人であるプライドを貫くために! お前のそれはただ逃げてるだけだ!」
「ハッハッハ。偉そうに小童がワシに説教ですか? では神になれるとするなら、あなたは人を捨てないのですか? 寿命という縛りもなく、全知全能の存在。そのような存在になれるチャンスがあれば、そこに手を伸ばすのは弱き者として当然でしょう!」
なるほど。中にはティッチのように神という存在に幻想を抱き、その力を自分のものにしたいと思う輩もいるだろう。それは否定できない。
ただ――。
「確かにオレはイヴァライデアと同じ力を持っているが、それでも人としての誇りは失っていないし、これからも放り出したりはしない」
「…………フン。それは持たざる者の気持ちが分からないから言えることですぞい。まあいい、最初から他人に分かってもらおうなどとは思っていない。私は結果的に神の力を得られればそれでいいのですぞい」
ぞいぞい鬱陶しい奴だなと思いティッチを睨んでいると、これまで口を閉ざしていたオリザスが間に入ってくる。
「そろそろくだらない言い合いは終わりましたか?」
「く、くだらないとは少々キツイですぞい、オリザス様。こうしてイヴァライデアを捕縛できたのはワシの手柄だというのに」
イヴァライデアを捕らえたのがティッチだと、そこで初めて明らかになった。
「あなたに見初められてから数年、この時のために【アウルム】に属し、信頼を勝ち得てきたというのに……」
「フフフ、これは失言だったか。すみませんね」
「いえ、ワシはただ約束を果たして頂ければそれで。ワシとイヴァライデアを融合させ、神の力を得られるなら何でも致しましょう」
融合という言葉に度肝を抜かれたが、それがティッチが神の力を得るために人を捨てた選択だったらしい。
「……分かっていますよ。あなたが人の生に終着を与えたいということは」
ティッチの傍に寄り、彼の肩をポンと叩くオリザス。
だがその直後、オリザスから凶悪なまでの殺気を感じた。
「――ですから、叶えてあげますよ。あなたの愚劣な理想を、ね」
「へひ――っ!?」
突如としてティッチの胸を突き破って角のようなものが現れた。
それがティッチの背後にいた『クピドゥス族』の仕業だということはすぐに分かった。
額に生えた角がティッチの身体を貫いていたのである。
「がひぁっ……! な……何で……っ!?」
胸と口から大量の血液を噴き出すティッチの形相は愕然といった様子だ。
そんな彼に冷たい眼差しを向けながらオリザスが答える。
「神の力をあなた程度の存在に与えるわけないでしょう? いえ、そもそもあなたが扱えるような代物じゃあない」
「!?」
「《文字魔法》を得たところで、あなたはその力の重みに心が砕け廃人になるのがオチです。使いこなせるのは神に匹敵する精神力を持つ者だけ。そう、イヴァライデアはもちろんのこと、そこにいるヒイロ・オカムラだけ。あのサタンゾアでさえも、完全に《文字魔法》を使いこなせることができずに敗北した愚者。それほどまでに《文字魔法》が持つ魂のエネルギーはとてつもない。世界そのものに干渉し、創造と破壊すら可能な力なのですから」
まさしく神のみが振るうことを許されている能力というわけだ。
「うっ……ぐぅ……っ!?」
「おや、ずいぶんお辛そうですね」
角が刺さったままで倒れることすら許されず、全身を痙攣させながらもまだ意識を保っているティッチ。彼の命の灯火はもうすぐ消えるだろう。
「一応イヴァライデアさんを捕らえてくれたことには感謝しますよ。余計な手間が省けたということで、ね。ですがね……僕の国に感情を持つ他人なんて必要ないんですよ」
ティッチ以外の『クピドゥス族』が先程から無表情で何も感情を露わにしないのは、恐らく創造主であるオリザスによって感情を消失させられているからだろう。
まるで人形のようだ、と日色は顔をしかめた。
「それとあなたは言いましたよね。すべての知識を手に入れたいと。クク、そんなこと劣悪種であるあなたが可能なわけがない。人の脳に刻むことができる情報量は予め決定されているんですよ。すべての知識を得ることができるのは、僕のような頭脳と能力を持ち合わせている存在だけ」
そこで日色は気づいたことがあった。
オリザスは先程、世界中の記憶を奪い、それらをすべて自分の脳に収納したという仕草をしたのだ。
どんな頭脳の持ち主だとて、世界中のあらゆる記憶をたった一人の脳に記憶させるなど絶対に不可能だ。
そんなことをすれば情報量に圧し潰されパンクしてしまうだろう。
しかし彼は平然としたまま。
(コレが《叡智のクドラ》の力ってわけか……!)
万人の記憶を知識として保管することもできるとは、魔法とは違って本当に恐るべき能力である。
「まあよくやった、とだけ言っておきますよ。ではさようなら」
「っ…………ワシ…………の…………望…………」
最後に何を言いたかったかは分からないが、ティッチは憐れにも味方と思っていた者に見限られ、人として絶命してしまった。
(ティッチ……神に魅入られた傀儡だったってことか)
同情はしない。彼の行為は日色の中で許容できる範囲にはないものだったのだから。
「さて、ではそろそろ中に入りましょうか」
オリザスの意識が日色に向けられた瞬間、日色は咄嗟に身構えた。
警戒してか、『クピドゥス族』たちがすぐに日色を取り囲む。
「ククク、争いごとはあとにしましょう。君も知りたいでしょう? ココがどういう場所か」
知りたいのであればついてこいと言わんばかりに、一人門の奥へと入っていく。
周りにいる連中も、ただ監視しているだけのようで襲ってくるつもりはないようだ。
(奴の目的がこの奥にあるということか)
ならばその真意を掴み取ってやろうと、日色は黙ってオリザスのあとをついていくことにした。
そこは異様だった。
確かに街と呼べる場所ではある。
人が住める居宅が建ち並んでいるし、公園や港、商店街などもあり一つの街としての骨格を形成していた。
しかしココには誰もいない。
てっきり『クピドゥス族』を住まわせているのかとも思ったが、生活感というものがこの街からは一切感じられないのである。
まるでただ魅せるために造られた模型のような印象といえば少しは分かるだろうか。
命の気配が漂ってこないホラータウンだった。
そんな街を、ただただ真っ直ぐ北へと突き進んでいくオリザス。
(ちっ、隙がない……)
彼の背を睨みつけながら下唇を噛む。
イヴァライデアを彼の手から救い出そうと何度も試そうとしたが、その都度嫌な予感を覚えて結局手を出せずにいたのだ。
まるでいつでもかかってこいとでも言っているかのようで、イヴァライデアのことを案じるとおいそれと行動を起こすことは躊躇われた。
仕方なくそのまま彼を追っていくと、その先にはまた驚くべきものが存在した。
百段以上はあろうかと思われる階段が続く。
ここからはさらに異様な雰囲気に包まれていて、どこか厳かな様子が伝わってくる。
階段を上り切ると、突き当たりにはまさに特別な者だけに用意されたとしか思えないような玉座が整えられていた。
玉座の背後に在るものに対し、つい凝視してしまう。
そこにあるは金色の葉を輝かせる大樹。
見上げるほど大きく、生命力に満ち溢れ、風に揺れる度に金色の粒子を放っていた。
その存在感に圧倒され、日色は言葉を失ってしまう。
そんな大樹の下に用意された一つの椅子。
きっとオリザスが自分で座るためだけに、こんな大げさな玉座を作ったのだと思った日色だったが、オリザスは玉座の隣に立つが、そこには腰を下ろしはしなかったのである。
「ククク、まさか僕がココへ座るとでも思っていたんですか?」
見透かしたような言葉がオリザスから放たれる。
「ココに座るべき存在はたった一人だけ。そう………僕はただそのためだけにいるのだから」
そう言うオリザスの表情は、それまでの余裕を見せたものではなく、つい魅入られてしまうほどの寂寥感が漂っていた。
それはまるで誰か大切な人を失った時の……。
日色がミュアを死なせてしまった時や、両親を失った時に似た感情をオリザスから伝わってきた。
だがすぐにオリザスは一瞬見せたその心の緩みを取り去り、再び自信に満ちた顔を見せる。
「ようやく宿願が叶う。さあ、始めよう」
オリザスの言葉の直後、大樹の幹の中央部分がモゴモゴと動き始めた。そしてそこに亀裂が走り、中から何かが姿を見せる。
それは――人だった。
両手足が幹に埋もれたまま、上半身だけが前のめりに出ている。
だが人だったことよりも、日色が言葉にならないほど衝撃を受けた事実がそこにあった。
何故ならその人物こそ、以前日色も実物ではないが会ったことのある存在だったから。
日色は無意識的に、その人物の名を口にしてしまった。
「………………アダ……ムス?」
かつて【魔国・ハーオス】を建国し初代魔王として君臨した女王。
日色と同じこの世界の存在ではなく、ペビンやシリウス、そしてここにいるオリザスとともにこの【イデア】にやってきた異界人であり、イヴァライデアの無二の親友。
話題に事欠かない人物だが、以前日色は魔界の北海――【アシュタロト海】へ訪れたことがある。
その海底で古代迷宮を見つけ、そこで残留思念と化していたアダムスと邂逅を果たしていたのだ。
リリィンのような紅い髪を持ち、絶世の美女と断じても申し分ないほどの美しさを持つ《赤バラの大魔王》の名を持つ女性。
そんな一度見たら絶対に記憶から消えないほどに印章の強い女など日色は彼女しか知らない。
そして今、大樹から現れた人物こそ件の女性だと本能が理解していた。
「な、何故だ? 奴は死んだはずだ。まさか核を? いや、核はアヴォロスとの戦いで貫いたはずだ」
アヴォロス自身からも聞いたが、すでに《初代魔王の核》――すなわちアダムスの魂とも呼ぶべきソレは機能を完全に破壊され、アヴォロスの胸からも消失したとのこと。
故に核を使ってアダムスを再生することなどできるとは思えない。
「確かに彼女は死んだ。……死んでしまった。僕を置いて……」
またも見せる悲痛なオリザスの顔。
「! お前……」
死を悼み、嘆き苦しんでいるオリザスがそこにいた。少なくとも日色にはそう感じられた。
そこでピンとくるものがあった。
「ま、まさかお前……その玉座に座る存在ってのは……!」
「……クク、さすがとは言いませんよ。これだけのヒントを伝えたんです。これくらい理解してもらわないと話になりません」
「じゃあやはりアダムスの玉座、なんだな?」
「ええ、そうです。ココはアダムスの玉座。この国は、アダムスのためだけに用意した彼女の王国なんですよ」
前にアヴォロスの情報で、第四の大陸で街を見かけたようなことを言っていた。
アレはココのことだったのかもしれない。
恐らくその一部をたまたまアヴォロスが確認しただけなのだろう。
「……お前の目的は…………一体何だ?」
何のために皆の記憶を……これだけ大掛かりなことをしたのか、いまだに真意は見えない。
アダムスの復活? とも思ったが、それすら過程であるような気がしてならない。
日色の問いに対し、オリザスが冷淡に語り出す。
「この世界の記憶を奪ったことについては、単に余計な邪魔が入らないようにするため。それと趣味の一環ですね」
「趣味っ……だと!?」
「ええ。僕が知らない知識を他人が知っていると思うだけで腸が煮えくり返るのが普通でしょう?」
「それはお前だけだ!」
「まあ、君程度の小賢しい人間に僕の本質を理解してほしいなどとは思わないですがね」
いちいち言葉に棘をつけてくる奴だと苛立ちを覚える。
「僕にとって最重要課題は三つ。一つはイヴァライデアを捕獲すること。二つ、アダムスの復活」
やはりアダムスの復活を目論んでの行動でもあったらしい。
「そして最後――――この世界で僕とアダムスだけが幸せになること」
「!? ……どういう、ことだ?」
いまいち彼の言っている意味がハッキリと伝わってこない。
「アダムスは僕の光そのものでした。太陽のような人、そんな言葉が一番似合っていた」
それは日色もアダムスと会話をしたことがあるのでよく分かる。
人タラシというか、話しているだけでこの人のことをもっと知りたい、親しくなりたいと思わせてしまうのだ。
老若男女問わず、きっと彼女の魅力は心を射貫くことだろう。
「僕の光、僕の太陽……彼女さえいればその他には誰もいらなかった」
アダムスの魅力は多くの者を魅了したというが、オリザスもまたその魅力に憑りつかれた一人だということか……。
「だけどこの【イデア】に来たこと、それが間違いだった」
結果的にイヴァライデアの神の力を、【イデア】を欲したサタンゾアの暴走により、アダムスは死んでしまったのである。
「……アダムスは、ココへ来て余計な感情を持ち過ぎた。イヴァライデアという友を作り、フェニックスという愛人まで持つようになった」
アクウィナスのことだ。いや、正しくは彼の転生前の存在のことだが。
話からアダムスがフェニックスのことを愛していたことは分かっている。
「故郷にいた時は、アダムスは知的で冷徹で、利益にならない他人に興味など持つことはなかった」
「アイツが……?」
少なくとも日色が会ったアダムスが、かつてそんな輩だったことに軽いショックを受けた。
「ココへ来て何もかも変わった。故郷では僕だけが友であり、知識を共有し合える唯一の合わせ鏡みたいな存在だったのに」
アダムスもまた天才そのものだった。その知識や知恵に、オリザスは自分と同じニオイを感じ慕っていたのかもしれない。
「……ココにいるクズどもに心を奪われなければ、絶対に死ぬことなどなかったんです。僕の忠告を無視さえしなければ、きっと今も彼女は僕の隣に……」
オリザスは悔しそうに拳を震わせていた。
「彼女のような気高き存在が心を向ける相手は、同じ高みにある僕だけで良かった。下手な感情なんて彼女には要らなかったんですよ」
「ずいぶんと傲慢な考えだな。あのファンキー魔王が昔どうだったか知らないが、人は良くも悪くも変わっていくものだ。そして奴の変わり様は、称賛されるべきものであり、お前のように嘆くようなものじゃない」
「! …………君程度に何が分かるというんですか?」
怒気を込めた声音と殺意を帯びた眼差しが日色へと向けられる。どうやら地雷を踏んだようだ。
「たかが神の力を分け与えられただけの存在で、本当の天才というものの価値が理解できるわけがない。本物の天才を理解できるのは、同じ天才だけなんですから」
「フン。お前のその独りよがりの勝手な妄想を実現させるために、多くの者たちを巻き込みやがって。こうして会って分かった。オレはお前が大嫌いだ!」
アヴォロス相手にしてもそんなハッキリとは言葉にしなかった。
だがこのオリザスに対しては、心の底から許せないと感情が昂っている。
愛しい人を失った痛みは日色だって理解できるし、取り戻せるならば取り戻したいとも思うだろう。
しかしコイツは、勝手な思い込みで愛しい存在のあるべき姿を決め付け、あまつさえ彼女の意思に反した行動を正しいとさえ思っていることに腹が立つ。
(あのファンキー魔王が、こんな寂しい国の王を望むかよ)
彼女の過去の所業を見れば明らかだ。他人を犠牲にして掴める平和など決して望まない。
争いごとも、自分が真っ先に立って皆を引っ張っていくような女性だ。
友人や家族をとても大切にし過ぎてしまうような存在である。
だからこそ結果的に誰にも頼らず一人で背負い込み、無理がたたって死んでしまった。
(仲間を頼らなかったってのはマイナス点だがな)
イヴァライデアのことも、【イデア】のことも何もかも一人で背負い過ぎたことは褒められたことではない。
けれどそれだけ大切な者たちを作れる優しい人物で、決してこんな温もりの無い国を欲するような彼女ではないことは日色でも分かる。
「……大嫌い……ね」
日色を路傍の石を見るような無感情の瞳で見つめてくる。
「かつてアダムスにも言われましたよ。……サタンゾアが僕の有能ぶりに怯え、イヴァライデアの力を手に入れようと画策している事実を知った時。僕はすぐにでも二人で故郷へ帰ろうと提案しました。しかし彼女は…………【イデア】に残ると言った」
だろうなと、日色は心の中で納得する。
「無理矢理連れていこうにも、彼女の方が圧倒的に強いのでね。ならせめて彼女の力になれるように僕の最大限の能力を使ってサポートしようと思いました」
「……! まさかそれが街や兵器作りに繋がるというわけか?」
「ほう、そのことを知っているということはシリウスさんにでも聞きましたかね。まあ街というのはこの街のことで、いずれアダムスに捧げるつもりでしたがね」
本当はペビンの遺言状からだ。
「しかし兵器作りに恐怖を覚えたサタンゾアが、僕を殺そうと行動を起こし始めたのです」
彼自身、常軌を逸した頭脳を持ち合わせている代わりか、戦う力というものに恵まれていなかったようで、サタンゾアの放つ刺客たちに追い詰められていった。
「アダムスが僕を庇ってくれましたが、彼女が傷つくのは見たくなかった。だから……」
そこで驚くべき言葉を聞くことになる。
「だから…………僕は死を選ぶことにしました」
「お前が……死のうとしただと?」
「おかしいですか? 僕が生きていればアダムスが傷つく。僕のために彼女が傷つく道理がどこにあるというんです?」
コイツ……と、日色は思わず喉を鳴らした。
確かに今のオリザスの愛は歪みに歪み切ってしまっている。
だが間違いなく本物の愛情なのだ。
その人のために容易く命を捨てられる程度には。
「僕は自ら作った兵器――《エクヘトル》を改良したもので、サタンゾアが放った刺客もろとも自爆させました。そうして死んだ…………はずでした」
大きな溜め息とともに、暗雲立ち込める空を見ながらオリザスが続ける。
「どういうわけか僕は生きていました。ただし目が覚めた頃、すでに第四の大陸は海に沈み、アダムスもまた……【イデア】から消えていました」
彼は言う。恐らくだが、製作者でありマスターとして登録していたこともあって、《エクヘトル》がオリザスに向かう衝撃だけをできる限り緩和したのでは、と。
しかしそれでも瀕死の衝撃は、オリザスに長い長い自己治癒期間を与えてしまった。
身体が起き上がれるほど回復した時には、世界の情勢はガラリと変化を遂げていたという。
オリザスは絶望した。
アダムスのために捨てた命なのに、何故自分が生きアダムスが死んでいるのか。
そしてアダムスが死ぬ原因を作ったサタンゾアに激しい憎悪を抱く。
「……僕は復讐を決意した。僕からアダムスを奪ったサタンゾアを殺す。しかし当時の僕にはそれだけの力はなかったんです。知識や知恵はあれども、ね。ですから力を蓄えることにしたのです。かつて第四の大陸と呼ばれた場所を拠点とし、虎視眈々と復讐の力が備わるのを」
しかし……と、オリザスは失望したように首を振る。
「僕の準備が終わる前に、サタンゾアは君によって討たれてしまった」
奇しくも彼の復讐を日色が完遂してしまったらしい。
「僕は再び絶望した。この行き所の無い怒りは、憎しみは、痛みはどうすればいいのか。そこである結論に達した」
――そうだ、アダムスが死んだなら復活させればいい。
「僕の叡智ならばその至高の結果に辿り着けるはず。そう思い、僕は彼女が復活できる手段を模索し、そして――とうとう見つけることができたんです」
イヴァライデアが囚われている水晶玉を日色に見せつけるように上げる。
「神の命を捧げることで、神に等しいアダムスを復活させられるとね!」
「イヴァライデアの命を捧げる、だと?」
とんでもない回答が飛び出してきた。
「ククク、そこで見ているといいですよ」
オリザスの手からゆっくりとシャボン玉のように浮かび上がっていく水晶玉。
「イヴァライデアッ!」
日色の言葉に呼応するかのように、意識を失っていたイヴァライデアの意識が覚醒する。
「……っ、……ぁ…………?」
「イヴァライデアッ! 聞こえるかっ!」
「……! ヒイ……ロ……?」
「今すぐ助ける!」
日色は『転移』の文字を描きすぐさま発動させようとする。
「させませんよ」
直後、オリザスの右手の甲からギョロリと不気味な瞳が浮き上がった。
同時に『転移』の文字が灰化するようにして消失したのである。
「!? これはアクウィナスのっ!?」
情報通り、彼の代名詞でもある《創剣の魔眼》を使えるようだ。
あの眼に魅入られている以上、そう簡単に文字は書けない。
「くっ、こうなったら! ――《釈迦金気》!」
全身から金色のオーラを噴出させた日色は、全速力でイヴァライデアのもとへと向かう。
――だが。
いつの間に潜んでいたのか、日色に向かって無数の『クピドゥス族』たちが飛び掛かってきたのだ。
「邪魔だっ! そこをどけっ!」
殴ったり蹴ったりして弾き飛ばすが、一人一人は大したことはないものの数が多過ぎる。
そうこうしているうちにイヴァライデアは、大樹の方へとゆっくり近づいていく。
「……アダムス!?」
そこで初めて気づいたのか、イヴァライデアもアダムスの存在に目を丸くした。
「イヴァライデアッ!」
「くそっ! こうなったらファンキー魔王には悪いが! ――はあぁぁぁっ!」
日色は《絶刀・ザンゲキ》に《釈迦金気》を纏い、それを斬撃に乗せてアダムスへと飛ばした。
「…………だからさせませんよ」
今度はオリザスの左手に宿っている瞳が開眼する。
飛空する金色の斬撃は、その瞳が発する吸引力に吸い込まれてしまう。
「《菱毘目》か!?」
たった一つでも厄介な魔眼を複数同時に扱うのは本当のようだ。
ことごとく日色の手段はオリザスに防がれてしまった。
「ヒ、ヒイローッ!」
「くっ、イヴァライデアァァァァッ!」
成す術なく、イヴァライデアはそのままアダムスの胸元へ飛ぶと、ズズズズと静かに彼女の体内へと沈み込んでいった。
日色はイヴァライデアがアダムスに吸収されたことに歯噛みしつつも、それでも何とか近づこうと再度文字を書こうとするが――。
「――っ!?」
瞬間、アダムスの身体がドクンッと激しく脈打った。
同時に金色の葉がさらに輝きを増し始めたと思ったら、その輝きが徐々に幹を伝ってアダムスへと流れ込んでいく。
葉は輝きを失うと、枯れ葉のように活気を失って地面へと散っていく。
まるで葉の一枚一枚の生命エネルギーがアダムスへ吸収されているかのように。
「ククク、いい、いいですよ! さすがは我が故郷に存在する【生命の大樹・エデン】!」
「お前の故郷……だと?」
「そうですよ! この大樹こそ、我が故郷においてすべての命の源とされていたもの。ここ【イデア】に来る前に、せめて種子だけを持ってきたんですが、ここでは環境の違いからか育つことはありませんでした。ですから僕は品種改良を施して、ようやく芽吹かせることができたのです!」
まさかそんなものまで持ち出してくるとは予想していなかった。
「命の源? そんなのでホントにアダムスが復活するとでもいうのか?」
「僕は以前、アダムスが死ぬ前に彼女にある実験を手伝ってもらっていました」
「実験?」
「そう。アダムスもまたその実験に興味を示してくれたんです。実験内容は《人造生物》を作成すること」
そんな実験にアダムスが興味を示したとは一瞬思えなかったが、不意にあることを思い出したのである。
それはかつてアダムスの手によって生まれた《ヴァルキリアシリーズ》のことだ。
彼女らは確か人造魔人だったはず。
「その実験では主にアダムスの遺伝子を使用させてもらっていました。アダムスは自分の手足になって働く傀儡として《ヴァルキリアシリーズ》を作成しましたが、結果的に暴走し失敗作として終わってしまいました」
そしてその失敗から学んで完璧に造ったのがアヴォロスだった。
「実験中に手に入れたアダムスの遺伝子情報は大切に保管していたんですよ。それをもとに培養させ、肉体を製造したのはいいのですが、アダムスの意思が覚醒することはありませんでした。だがそこで僕は【エデン】がもたらすエネルギーをすべてアダムスに注ぎ、加えてイヴァライデアの魂を捧げればアダムスが再びこの世に君臨できるはずだと僕の《叡智のクドラ》は答えを出した」
そうして一つ一つ必要なものを用意し、オリザスは見事計画通りに事を運んできたというわけだ。
日色はあの大樹に埋まっているアダムスは、しょせんハリボテのような人形だと思っていたが、アダムスの遺伝子情報から製造した人造魔人だったとは考えがつかなかった。
つまりあそこにいるアダムスは、ヴァルキリアと同じ存在だということ。
「アダムスの記憶も脳にはちゃんと刻まれています。……まあ、余計な感情だけは取り除いておきましたがね」
ということは仮に彼女が目覚めたとしても、オリザスが先にいった故郷でのアダムスが蘇るということか。冷たい心を持ったままの彼女が……。
すべての葉が枯れ落ちてしまうと、今度は次第に大樹全体がボロボロと粒子化して消失し始める。
大樹が崩壊するに従って、ゆっくりとアダムスが地上へと降りてくる。
――ストン。
前屈みになったまま、それでも倒れずに両足でしっかりと立っている。
そして彼女の全身からジワジワと強烈な生命エネルギーが溢れ出てきた。金色の光、それはまさに今の日色と同じように《釈迦金気》を纏っているかのようだった。
「お、おお……! アダムス! 待っていましたよ!」
ビシビシと伝わってくるアダムスの生気を受け、待ち望んでいたオリザスは顔を綻ばせアダムスの復活を歓迎する。
(イヴァライデア……)
日色にとって彼女のことだけが心配だった。本当に魂を捧げられ、彼女という人格は失われてしまったのだろうか。
「……っ、………………ぅ……ぁ……」
小さな呻き声とともに顔を上げるアダムス。開かれた双眼は金色の輝きを帯びており、意識があることが伝わってきた。
しかし無表情で、どこか冷めた眼差しのソレは日色の背筋を冷っとさせる。
「やった…………やはり僕の理論は正しかった。アダムス……アダムス! 僕です! オリザスですよ! 会いたかった……本当に心の底から君に会いたかった!」
彼にとってこの瞬間こそ、すべてを投げ打とうが手に入れたかったものなのだろう。
その表情は子供のように無邪気に歪み、熱い涙さえ流している。
「…………オリザ……ス」
「そうです! ああ、この時をどれほど待ちわびたことか! さあアダムス、その顔をもっと近くで見せてください!」
オリザスの言葉に従うように、アダムスがゆっくりと彼のもとまで歩いていく。
「イヴァライデアッ! そこにいるんだろっ! 目を覚ませ、イヴァライデアッ!」
日色はまだ彼女の意思が残っていると希望を託し声をかける。
「……うるさいですね。せっかくの再会に水を差さないでほしいものです。アダムス、あの喧しいギャラリーは気にしなくていいです。ちゃんとあとで殺しますから」
「……オリザス」
「ええ、ええ、そうです。さあ、僕の腕の中へ」
オリザスが両腕を広げ、アダムスを抱きしめる準備を整える。
一歩、また一歩と、そしてあと一歩でオリザスの懐へ飛び込む距離で、アダムスが不意に足を止めた。
「? どうかしたのですか? まさかまだ復活したてで身体が慣れていませんか?」
「…………オリザス」
「……はい。何です、アダムス?」
「…………………………この」
直後、アダムスの身体から怒りのオーラが迸った。
「…………このっ――――――大馬鹿野郎がぁぁぁぁぁぁぁっ!」
――バキィィィィィッ!
立ち止まっていたアダムスが、あろうことかオリザスの顔面に向けて右拳を放ったのである。
愛しい者に殴られるとは予想だにしていなかったのか、オリザスは無防備に攻撃を受けてしまい、物凄い勢いで日色の方まで吹っ飛んできた。
日色も完全に虚を突かれた光景だったため、思わず言葉を失って見入ってしまっていた。
オリザスは水切りの石のように地面に跳ねながら飛んでいき、その先にあった巨大な石柱に激突する。
その衝撃は石柱に大きな凹みを与えるほどのものであり、一般人なら間違いなく即死だっただろう。
オリザスを守るべき『クピドゥス族』たちも、自分たちの主が弾かれたことにより動きを止めてジッと指示を待っている。
「っ……あ……がぁっ……! どっ……どうし……て……アダム……ス?」
頬を赤く腫らしながらも、まだ意識があるオリザスが信じられないという面持ちでアダムスに視線を送る。
するとアダムスは全身を小刻みに震わせながら、歯を食いしばりビシッとオリザスに指を差す。
「あったり前だコノヤローッ! さすがのアダムスさんでも激オコだぜボケーッ! てめえ何したのか分かってんだろうな、この頭でっかちんこぉっ!」
とてつもなく口汚い言葉を放つが、確かにこんな感じのファンキー魔王だったと日色は記憶と一致する彼女に呆れた。
「アダムス……何故感情が……!」
「んなもんワタシの親友のお蔭に決まってんだろうが!」
「!? ど、どういうことです?」
「それは――」
スッと瞼を閉じたアダムスが、次に瞳を開いて喋ると……。
「こういうこと、なんだよね」
明らかにアダムスの声音ではなかった。
それは、それは――。
「イヴァライデアッ!?」
「うん、ヒイロ。心配かけて、ごめん」
「ホントにお前なのか?」
「そだよ。今はアダムスと感覚を共有してる状態、かな」
つまりあの身体の中には、アダムスとイヴァライデア、双方の魂が息づいているということらしい。
「バカなっ!? こんなこと有り得ない! 僕の理論じゃ、イヴァライデアの魂はアダムスの記憶媒体として転化するはずだった!」
世界最高の頭脳を持つオリザスでも、計算できなかった現象が起きているようだ。
「オリザス、わたしは腐っても神。あまり神の力を舐めないで」
「くっ!?」
下唇から血が流れるくらいに噛み締めるオリザスに対し、今度はアダムスが表に出てきて口を開く。
「今すぐ世界を元に戻しなオリザス! さもないとこのワタシがお尻ペンペンしてやっぞ!」
「いや、それはお仕置きが軽過ぎるだろ……」
思わずツッコんでしまった日色であった。
「およよ? そこにいるのはヒロヒロじゃないかぁ! おひさ~、元気してたぁ?」
およそ一国の王とは思えないほどキャピキャピした感じでフレンドリーに話しかけてくるアダムス。
「だからその呼び方は止め……ん? 何で久しぶりなんだ?」
アダムス本人と会ったのはこれが初めてのはず。あくまでも以前会ったのは彼女の残留思念なのだから。
そしてそのことを彼女に教えると……。
「ウンウン、その残留思念がワタシに宿ってるからねー」
「そうなのか?」
「ウッソー」
ウィンクをして言うアダムスに対し、かなりイラッとしたものを催す日色。
「まあ謎解きをすると、イヴの知識が教えてくれたってことかなー」
「イヴァライデアの?」
「そうそう。君が会ったワタシの残留思念だけど、あのまま消えたわけじゃなくて、イヴァライデアのもとへ向かって記憶として保管されてたわけ」
なるほど。だから今、一心同体になっていることで記憶を共有しているというわけか。
「イヴァライデアは無事、なんだな?」
「…………うん、今はね」
少し気になる言い方だが、ひとまず彼女がそう言うのなら信じてみよう。
「でもでも、ヒロヒロが一国の王になるなんてねー。さすがはワタシたちが見込んだ男の子―!」
「そんなことはどうでもいい。今は……」
「うん、そーだね」
二人して不気味なほどに大人しくしたままのオリザスへと注意を向ける。
するとオリザスもまた日色とアダムスを見比べるようにして視線を動かすと口を開く。
「…………そうか。やはり神の力は侮れないということですか」
ここまで自分の思惑通りに運んできたのに、一瞬で覆されたこの状況、普通ならもっと慌てふためくものだが、もう冷静さを見せている。こういうところも《叡智のクドラ》の為せる技なのだろうか。
「……まあいい。アダムスが復活できたのは事実。あとはアダムスからイヴァライデアの魂だけを削り取って、その上で感情を制御するシステムを作ればいいだけ」
どうやらまだアダムスを手に入れることを諦めていないようだ。
そこへアダムスがオリザスに向けて一歩近づきながら話し始める。
「オリザス、アンタが何でこんなことをしたのかワタシは知ってる。【エデン】に縛られていた時、喋れはしなかったけど意識はあったしね」
「アダムス……」
「でもね、ワタシはアダムスであってアダムスじゃないんだよ。今のワタシは、イヴァライデアの知識のもとに再現されたアダムスなだけ。本物のアダムスはもう死んでいるんだから」
「違う! 僕は君の遺伝子から君そのものを造り出した! その身体も、記憶も、すべて僕の知ってるアダムスなんですよ!」
疑うことなく明言するオリザスを悲しい表情で見つめながら首を左右に振るアダムス。
「ううん、それは間違ってる。ワタシはね、あんたの知ってるアダムスなんかじゃない。ワタシはアンタが作ったただの器。しかも――」
アダムスが右手を挙げると、指先が僅かに粒子化してボロボロと崩れる様相を見せた。
「分かるでしょ? この身体は神の力を入れるには不完全なんだよ」
「!? ま、まさか! いや、そんなはずはない! 僕の計算ではイヴァライデアの魂と同調し、半永久的な生体維持だってできるようになっているはずです!」
「……さっきイヴも言ったでしょ? 神を舐めるなって。そういうことだよ」
「そんなっ……!?」
どうやらオリザスが心血を注いで造り上げたボディは、神様であるイヴァライデアの魂を受け入れるには器が小さ過ぎたようだ。
「くっ、ならすぐにスリープ状態にやって、その身体を詳しく調査する。その上でまた新たな肉体を造り上げればいい。そうです。時間はたっぷりある」
「そうはいかないよオリザス」
「へ?」
キョトンとするオリザスから視線を日色へと移すアダムス。
「ヒロヒロ、早くこの世界の記憶をオリザスから取り戻さないと本格的にヤバイよ」
「! どういうことだ?」
「オリザスが奪ったのは記憶だけじゃない」
「何だと?」
「だって、記憶だけじゃ世界はこんな真っ白にはならないでしょ? 生物だって」
それもそうだ。記憶だけを奪ったのであれば、人が石化したように動かなくなるのはおかしい。
人だったら赤子のように何も知らない状態へと戻るだけなのではないだろうか。
「オリザスが奪ったのは記憶そのものだけど、じゃあ記憶が刻まれているのは何?」
「……脳じゃないのか?」
「そうだね。間違ってはいないけど、それだと転生したりして記憶が残っていることに説明はつかないでしょ? そのまま脳だけを新しい肉体に埋め込んだわけじゃないのに」
「それは……むぅ」
「正解は――魂だよ」
「魂だと? だったら奴は魂を……」
「そう。この世界のありとあらゆる魂を強奪し、その身に吸収しているのよ」
「そんなことが本当に可能なのか? いくら《叡智のクドラ》がずば抜けた能力を有しているといっても、一個の魂が無数にも近い魂を吸収して無事だとは思えないが」
「多分、この街のどこかに魂を保管している〝ナニカ〟があるはず。オリザスは離れていてもそこから情報を自在に取り出せるようにしているだけよ」
とんでもないことをするものだ。
いや、それよりも一つの世界に存在する数多の魂を封じ込めるだけの器を造り出せるオリザスが異常だとも言えるが。
「魂を奪われた存在がどうなるか、分かるでしょ? 早く元に戻してあげないと、いずれ肉体が崩壊現象を始めるわ。……今のワタシのようにね」
それはまさに死体と同様だと彼女は言う。
「ワタシはその魂の保管場所を見つけて解放できるようにしてみる。だから……」
「ああ、オレはあのクソ野郎をぶっ潰しておけばいいんだろ?」
「フフ、そーいうことよ」
確かに今の状態のアダムスを戦わせても、崩壊現象が早まるだけだろう。ならば彼女には魂の保管場所の捜索を任せて、自分がオリザスを倒すことに集中した方が効率は良い。
「……身体、大丈夫なんだろうな?」
「……まだしばらくはもつ」
「イヴァライデア?」
アダムスではなくイヴァライデアが答えてきた。
「この世界を守るのはわたしの役目。だから信じて、ヒイロ」
「……分かった」
「だけどヒイロ、気をつけて。オリザスは、とても強い」
「関係ない。どれだけ強かろうが、オレの生きる世界をこんなにしやがって。ちゃんとケジメは取らせる」
「うん。……じゃあここは任せる」
そうしてイヴァライデアがその場を離れようとしたが、
「どこへ行こうというのですか、アダムス?」
いつの間にか周りを『クピドゥス族』に囲まれていた。
「君がいるべき場所は僕の隣です。それにほら、早く治療しないと。悪い部分を全部取り除いて」
完全に目がすわっている。オリザスの狂気ともいうべきそれが隠そうともせずに全身から溢れ出てしまっていた。思わず身震いしてしまうほどに。
「……ふん、オレが行かせると行ったんだ。邪魔をするな、ストーカー野郎」
「! ……何ですって?」
「――《釈迦金気》」
全身に金色を纏うと、すぐに文字を書く。
『止』
書き上げた瞬間に、周囲に立つ『クピドゥス族』すべての身体に同様の文字が浮かび上がる。
「今だ行けっ、イヴァライデア!」
硬直して動けなくなっている『クピドゥス族』の包囲網を抜けてイヴァライデアが駆けていく。
「ちっ、逃がしはしないと言ったでしょう!」
オリザスがイヴァライデアを追おうと飛び出すが、彼の目前へと素早く入った日色が《絶刀・ザンゲキ》を振るう。
あわやというところでオリザスは、すぐに身を引いて攻撃を回避した。
互いに地面に降りて睨み合う。
「どうやらまずは君を排除しなければならないようですね」
「やれるものならやってみろ」
ここに日色とオリザスの正面衝突が始まった。




