277:世界の異変
それから一週間後――世界はさらなる動きを見せた。
それは何の前触れなのかは分からない。
しかし確実に。絶対的に。
世界に異常が起こり始めたのだ。
まず初めに気づいたのは、各地の魔物たちを調査している者たちである。
その者たちは、いつも通り近場に存在する魔物の生態調査をしようと出掛けたのだが、対象の魔物の存在を発見することができなかった。
魔物の棲息地はそこであり、他へ移動するという習性などなかったのだ。
だからもしかしたら他の魔物に捕食されたのでは、という見解に辿り着くのも仕方なかったのだが、不意に他の者が気づいた。
それは――調査対象外の魔物の存在も確認できない、ということ。
これはさすがにおかしいと思い、調査隊は周囲を隈なく調べることに。
するとようやく魔物の姿を発見することができた。
魔物たちは、例外なく巣穴に引きこもっていたのだ。
食物連鎖的に、弱い魔物が引きこもることは珍しくはない。強い存在が立ち去るのをそうして待ったりもする。
しかしここら一帯に棲む魔物たちすべてが、となると異常としか思えない。
試しにAランク級の魔物を巣穴から引っ張り出してみたが、外へ出た瞬間に大暴れし、調査隊から逃げ回って巣穴へ戻って行ったのである。
Aランク級といえば、優秀な冒険者が徒党を組んで討伐しなければならないほどの強者だ。
それなのに、魔物はまるで何かに怯えたように巣へと逃亡したのである。
そしてその現象は、そこ一帯ではなく世界中に広まり始めた。
するとそこからさらに世界は軋み始めたように、各地の空を黒い雲が支配し始めたのだ。
まるで闇そのものを思わせる雲に、当然調査の手が伸びる。
しかし調査した結果、色が黒いだけで普通の雲と何ら変わりがないという調査報告が上がった。
当然大陸に存在する一つの国家の主である日色の耳にも、その報は届けられることに。
「――――なるほどな。つまり世界に異変が生じてる可能性が大だってことか」
執務室にて、上がってきた報告書に目を通して溜め息混じりに発した。
「他にも気になることがある」
報告書を届けてくれたリリィンの言葉に「何?」と眉をひそめる日色。
彼女の隣に立つシウバが、黒いファイルを手渡してきた。
受け取った日色はザッと資料に目を通していき、驚愕する。
「読んだか? まだ小規模だが、獣人界の各地では流行り病が蔓延している」
「……病の傾向は?」
「廃れたと思われた《枯渇病》と呼ばれる病だ」
「《枯渇病》……? どこかで聞いたな」
「昔、【獣王国・パシオン】を襲った未曾有の病気だ」
そうだった。確かまだレオウードが王子として辣腕を振るっていた時代だったと聞いている。
その時に蔓延った病。それは国を蝕み、一時期は壊滅するほどの甚大な被害をもたらした。
しかし何とか特効薬を作ることができて、ある程度病を落ち着きを見せたという。しかしレオウードの妃になっていたはずの一人の少女が、レッグルスの母でありレオウードの妻であるブランサを庇って命を落とした。
その少女というのが、以前アヴォロスが組織した《マタル・デウス》に所属していたコクロゥの姉だったはず。
「その病が獣人界で広がり始めてる?」
「そうだ。それだけでなく、他にも過去に流行った病が獣人界を中心にして、な」
「! ということは、他の大陸にも被害が?」
「このままだとそうなる、かもな。今はレッグルスたちが対応しているらしいが、病が広がっている原因を突き止めない限りは確実な根絶には至らない」
「……ミュアとオッサンはどうしてる?」
「原因の解明に尽力している。ここも獣人界にあることだしな。国を中心にして、調査してもらっているのだ」
「それでいい。ミュアの力を使えば、たとえ病に侵されていても治すこともできるだろう」
彼女の『銀竜』としての力は守りの力であり、邪を祓う力も持つ。駆使すれば病自体を祓うこともできるのだ。
(この国はミュアやオレがいれば何とかなるが、他の場所ではそうはいかないだろうな)
過去に特効薬が作られているといっても、病人の数が劇的に増加してしまえば追いつかなくなるのは明白。それに気になることもある。
かつて『神族』によってもたらされてた病や呪いは【ヤレアッハの塔】のシステムを使って造りあげられたものだった。
(《枯渇病》もその一種のはず。それなのに再び復活してるってことは……)
自然に発生したものである可能性と、誰かの手による可能性が考えられる。ただシステム自体は、日色しか使えなくしているので、システムによって病を広げるのは不可能。
となると自然に発生したと仮定するしかないが……。
「今は【パシオン】の頭脳の二人、ユーヒットとララシークが総力を挙げて薬作りに勤しんでいるようだ」
「白髪の男や四つ目の大陸のこともあるってのに、厄介だな……ん? ジイサン、深刻そうな顔をしてどうした?」
シウバが険しい顔で考え込んでいたので気になった。
「いえ、少し気になったことがございまして」
「気になったこと?」
「はい。四つ目の大陸の存在が明らかになってすぐに、白髪の男の存在も判明しました。次に魔物たちの不明の引きこもり現象に空を覆う黒い雲。そして流行り病……と」
「……何が言いたい?」
「いえ。立て続けに事が起こり過ぎているような気が致します」
「それはワタシも気になっていた。貴様はこう言いたいのだろう? すべては一つに繋がっている、と」
リリィンの言葉に対し、シウバが「恐らくは」と頷きを返した。
確かに、こうも連続して異常事態が起きれば関連性を疑ってしまうのは当然だ。
「…………この世界の異変。もしかしたらその白髪の男が起こしている可能性があるってことか」
「断定はできませんが、ヒイロ様も何となくそう思ってらしたのでは?」
オリザスが何かしらの方法で、世界に異常を広げているとするなら、もう彼はすでに動き出しているということだ。
(アヴォロスからは、目ぼしい情報はない。糸目野郎が示した場所には、すでに奴はいなかったようだからな)
今もアヴォロスと、日色が貸した部隊による捜索は続けられているが、オリザスの尻尾すら掴めていない状況である。
(やはり白髪の男を見つけることが急務……か)
日色の魔法で男の所在を明らかにしようとしてみたが、何らかの抵抗が働いて発見できずにいる。
元々この世界の住人ではない者に対する効果が低いという特性も持ち合わせているのかもしれない。
(まあ、アダムスよりも頭がキレるってことだしな。オレの魔法も研究されて対策をしている可能性は十分に考えられるが)
それにしても、世界の理すら歪められる《文字魔法》から逃れている事実は見逃せないほど、オリザスの実力が高いということだろう。
「……ヒイロ様、もしかしたら他国の病を抱えた者が、この国に続々と押し寄せてくるかもしれませんが」
「ハッキリ言って面倒だ……では済ませられないか。今となっては、な」
もう国王なのだ。たとえ自国の民ではなくても、助けを求めてきた者たちを蔑にしてしまえば信用問題に関わる。
それに恐らくは、レッグルスやイヴェアムからの要請という形になるだろうし、彼らの頼みを無下に断るつもりもない。
とにかく今できることをし続けるしかない。
(アヴォロスから進展の話が聞ければいいが……)
するとそこへ、慌ただしくレッカが部屋へと入ってきた。
「――父上、大至急お知らせしたいことが!」
「レッカか。何があった?」
「実は、南海岸付近の調査部隊から報告がありまして!」
海位がこれからも下がり続ける可能性もあるということで、日色はその調査部隊を編成し確認させているのだ。
「調査部隊によりますと、海の魔物たちが陸へと上がり始めたとのことです!」
「!? どういうことだ?」
「理由は分かりません。ただ無数にも思える魔物たちが、海から押し寄せてきているとのことで」
「……一体何が……?」
さらにそこへ日色のパートナーでもある精霊のテンが空間の歪みから現れる。いや、彼だけではなく、そこには『妖精女王』であるニンニアッホの姿もあった。
「お久しぶりですね、ヒイロさん」
「どうしたんだ、急に?」
彼女が連絡もなしにいきなり現れるとは、余程のことがない限り今までなかった。
微笑を浮かべ挨拶をした彼女だが、すぐにその表情は真剣なものへと姿を変える。
「実は、ホオズキ様から言伝を頼まれておりまして」
「ウキキ、そうなんだよ。ヒイロ、今世界がすっげえことになってるらしいぜ。何でもよ、自然界に棲息する『精霊』たちがよ、普通は生まれてしばらくしたら【スピリットフォレスト】にやってくるんだけど、何でか海に向かい出したっていうんだ」
「……何だと?」
「しかも、『精霊』たちは自我を失ったようになっており、まるで何かに引き寄せられるかのようにして海へ――いえ、四つ目の大陸が沈む南へ向かっているのです」
「……原因は?」
日色の問いにニンニアッホとテンはそれぞれ首を横に振る。
「それにそれだけではありません。ここ獣人界だけではなく、各大陸の外海から魔物たちが押し寄せ初めているのです」
「っ! ……次から次へと……っ」
頭が痛くなるほどの問題の多さだ。
しかしどう考えても、この事態は白髪の男が関係している可能性が非常に高くなってきた。
「……ヒイロ、イヴァライデアはまだ目覚めないのか?」
リリィンが彼女から助言を仰ぎたい気持ちは分かる。日色もそうだからだ。
しかしイヴァライデアはいまだに目を覚まさない。
状況はかなり切羽詰まってきている。とりわけ今、最優先事項として対応しなければならないのは、外界からの魔物だ。
海に棲息する魔物は例外なく強力だ。生半可な者たちでは対処できない。
「……よし。リリィン、部隊を編成し海の魔物の討伐へ向かわせろ」
「分かった。貴様はどうする?」
「こうなった以上は、国で大人しくしているわけにもいかないだろ。一刻も早く事態を収拾しなければ、被害は大きくなる一方だ。オレも向かう」
「本当は止めたいのだが、そうも言ってられない状況……か。シウバ、国には最低限の防衛力だけを残して、他は魔物討伐へ向かわせる。ウィンカァたちにはそう伝えろ」
「畏まりました、お嬢様」
シウバが素早くその場から去る。
「ヒイロさん、私たちもお手伝い致します」
「助かる。自由転移できるお前なら、多くの兵を各地へ派遣できるだろうからな」
ニンニアッホの協力は至極ありがたい。
「ウッキ! なら俺もホオズキのじいちゃんに報告したらすぐにヒイロのところに戻ってくるぜ!」
テンはそう言うと、ニンニアッホとともに空間の歪みへと消えて行った。
そして日色もまた、魔物討伐に向けて行動を開始する。
※
その頃、【魔国・ハーオス】でも、魔王イヴェアムが慌ただしく動いていた。
日色たちのように、最低限の防衛力だけを国に残して、海岸へ向ける部隊を編制していたのだ。
「準備を整えた部隊は、転移魔法陣を使用しさっそく向かってほしい! 何としても、魔物の進撃を止めるんだっ! 各国の王たちも動いている! 我々も負けずに民たちを守れっ!」
「「「「おおぉぉぉぉっ!」」」」
兵士たちの前で彼らの士気を高めるイヴェアム。
そして調練場に設置された魔法陣で、次々と各地に設置された転移魔法陣へと部隊が向かって行く。
「――陛下、こちらの準備も整いましたぞ」
傍で跪くのはマリオネだ。同じように彼の隣にいるアクウィナスも頭を垂れている。
「分かったわ。それじゃアクウィナス、国を任せていいわね?」
「御意」
彼ならば平や民たちの信頼も厚いし実力も申し分ない。故に防衛力として残していくのだ。
「何かあればテッケイルに言伝を頼んで」
各国の情報通達役としてテッケイル・シザーが選ばれている。彼ならば迅速に対応してくれるので任せているのだ。
「じゃあマリオネ、私たちが担当するべき北海岸へと向かうわよ」
「御意!」
調査により、北に棲息する魔物の方が数が多く強さも上という報告が上がっている。だからこそ、魔王である自分と《魔王直属護衛隊・序列二位》のマリオネが向かうのだ。
アクウィナスの見送りを受けつつ、魔法陣へと二人は入っていく。
「……気を付けるのだぞ、陛下」
「ええ、アクウィナスも頼むわね」
「ああ。頼むぞマリオネ」
「貴様に言われるまでもない。陛下はこの私が必ずお守りする」
アクウィナスの言葉に憮然として返すマリオネだが、その様子には頼もしさを感じた。
そうして魔法陣の輝きとともに、イヴェアムたちの姿が掻き消える。
次にイヴェアムの視界に映ったのは、周りを木々で覆われた光景だった。
周りには兵士たちが待機している。彼らは魔法陣に魔力を注ぎ込み発動させている者たちだ。
この魔法陣も便利ではあるが、日色のように少ない魔力で一気に何十人も転移できる代物ではなく、相応の対価が必要なのである。
イヴェアムは兵士たちに「ご苦労様」と一言労ってから、木々の合間を進む。
すぐ先に開けた海岸が映る。
そこではすでに魔物たちと戦いを始めている兵士たちがいた。
「――陛下、マリオネ様!」
「おお、チューガイか。状況はどうだ?」
マリオネの忠臣――チューガイ。先陣部隊を引き連れて、先に向かわせていたのだ。
「さすがに海魔ですね。一筋縄ではいきません」
海の魔物を略して海魔と呼ぶ。地上の魔物と比べても、そのほとんどが異様な能力を宿しており、討伐するには手間がかかるのだ。
「泣き事など言ってられんぞ。陛下、我らも」
「ええ、行くわよ!」
二人して背中から翼を生やして空へと上がる。
「皆の者ぉっ、聞けぇっ!」
マリオネの声が海岸中に轟き、兵士たちが注目する。
そしてマリオネが、イヴェアムに対し僅かに頭を下げた。スッと彼より前に出て眼下を一望してからイヴェアムは口を開く。
「いいかっ! 力なき民のために我らは奮闘する! しかし、お前たちも死すことは許さないっ! 全力で戦い、全力で生きよっ! そしてともに国へ帰るのだっ!」
「「「「おおぉぉぉぉぉぉおおおおおおっ!」」」」
イヴェアムのよく通る声が、兵士たちの疲れを吹き飛ばし、やる気に火をつけていく。
海には半漁人のような魔物が数多く現れ兵士たちと戦っている。魔物たちは石槍のようなものを持って戦っているので、兵士たちも気を抜けないようだ。
すると海面がボコッと盛り上がり、皆の警戒を煽ってきた。
そこから現れたのは、城のように大きなタコ。
故に――。
「出たわね、キャッスルオクトパス! だけど魔界を傷つけさせないわよっ!」
イヴェアムが右手を天高らかに上げる。
「昏き常世より出でし闇。一度現世にその姿を見せ、ただあるがままにすべてを呑み込みたまえ――――デッド・エンドッ!」
詠唱により右手の上方で生まれた闇色の巨大な球体。イヴェアムがキャッスルオクトパスに向けて右手を向けたことによって、その球体が凄まじい勢いで放たれていく。
相手もただジッとしてはおらず、八本の足で弾き落とそうと伸ばす――が、
「ピギャァァァァァァァァァァァッ!?」
球体は触れたものを一瞬にしてこの世から消し去り、それは足とて例外ではない。
その際に激痛を伴っているのか、痛烈な悲鳴を上げるキャッスルオクトパス。そのまま球体に顔面を貫かれ絶命した。
口々にイヴェアムを称賛する声が兵士たちから聞こえる。
「さあっ、我らが勇敢なる兵士たちよ! 我らの地を侵す者たちに鉄槌をくだすぞっ!」
「「「「おおぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおっ!」」」」
兵士たちの勢いに、魔物たちも気圧されたように動きを止めている。
(……本当は逃げ帰ってくれればそれでいいんだけど……。向かってくるなら……民たちを傷つけようとするならば容赦はしないわ!)
それが王としての選択。
イヴェアムは彼らを救うために尽力するだけだ。
※
――【太陽国・アウルム】。
ここは日色の自室。寝具の上では、静かに寝息を立てているイヴァライデアがいた。
勇者たちを地球へ送り届けてから、こうして力を取り戻すために眠っているが、やはり異世界へ送る現象を引き起こすのは多大なエネルギーを使うようで、ほとんどの時間は睡眠に費やしている。起きているのは数十分くらいが普通。
部屋にはイヴァライデア以外いない。部屋の主である日色は、海沿いへと向かっているからだ。
そんな部屋の扉が静かに開き、人影がそっとイヴァライデアへと近づく。
まだイヴァライデアは近づく者の気配に気づかない。
人影は、懐から水晶玉のようなものを取り出すと、イヴァライデアへとそっと近づけていく。
するとそこで初めてイヴァライデアの瞼が動き、目が開く。
「……っ、……ヒ、ヒイロ……?」
しかし視界に飛び込んできた人物は日色でも、自分が知っている者でもなかった。
またその人物から感じた悪意によって、反射的にイヴァライデアは空に跳び上がり逃げようとする――が、
「んきゃっ!?」
相手が投げつけた水晶玉に衝突してしまい、気づけば水晶玉の中に閉じ込められてしまっていた。水晶玉はそのままプカプカと宙に浮いている。
「――っ!? こ、これは!?」
水晶玉を割ってでも外へ出ようと必死で拳を痛めつけるが、ビクともしない。
(っ! し、仕方ない!)
あまり力を使いたくないが《文字魔法》を使おうとするが……。
(……え? は、発動しない……!)
指先に力が集まらないのだ。
身体から徐々に力も抜けてきて、へたり込んでしまう。
「う……ヒイロ……!」
頼りになる少年に助けを求めるが、誰も駆けつけてきてくれない。
謎の人物が、イヴァライデアが入っている水晶玉を手に取り懐へと入れようとする。
(……そん……な……っ、力が……ヒイロ…………ヒイ……ロ……ッ)
意識が薄れていき、イヴァライデアは再び瞼を閉じてしまった。
※
「――爆ぜろ、《文字魔法》!」
放たれる『爆破』の文字。
海から上がってくる魔物たちが、文字の爆発力によって吹き飛んでいく。
日色は『飛翔』の文字で空に浮き上がりながら、眼下に蠢く魔物たちに次々と文字を放って撃退している。
城の警護はシウバとレッカを残してきた。彼らなら何かあっても対処できるだろうと踏んだからだ。
獣人界の南海岸へとやってきた日色は、無数の魔物を蹴散らしながら、沖へと目を向ける。
すでに前方には四つ目の大陸がそのほとんどの姿を海面から表していた。
(報告では聞いていたが、こうやって実際に見るとやはり驚くな)
四つ目の大陸が浮かび上がったという事実にも驚いたが、それよりも海に沈んでいた大陸が獣人界のような緑豊かな土地だということに驚愕したのだ。
まるでずっと結界に守られていたかのように、遥か昔からの姿をそのまま残しているような姿。
川や森、生きた大地に草花が多く発見することができる。とても海底にあったとは思えないほど。
シリウスは、恐らくは四つ目の大陸の地中に眠っている〝力の結晶体〟の影響ではないかと推察しているが、他の者たちもそれに賛同している。
どういう原理が働いているのか分からないが、そもそも魔法というファンタジーな力がある以上は、大抵の常識は覆されてしまう。
(しかし今は、こいつらをどうにかしなきゃな)
次から次へとひっきりなしに現れ出てくる魔物たち。本当にキリがない。
少し離れた海岸では、リリィンたちやウィンカァたちも奮闘しているはずだ。
日色の傍でも多くの兵士たちが魔物の侵攻を食い止めている。
もし魔物たちに敵意がないなら放置も検討できるのだが、明らかに戦闘意欲満々という感じだ。
「……仕方ない。かなり力を使うが。まずはここらを一掃するか」
ふぅと小さく息を吐くと、静かに目を閉じて両手を合わせる。
「――《釈迦金気》」
日色の身体から滲み出る金色の光。瞼を上げたその奥で輝く瞳も金色の太陽を思わせる光を放っている。
その変化に気づいた兵士たちは、感動気に目を見開いていた。
日色は魔物たちを視界に収めると、右手を素早く動かし始めた。
金色の軌跡が文字を空中に刻みつけていく。
同時に、眼下に映る魔物たちの身体にも同時に文字が浮き出てくる。
『滅』
日色の指先と、ここら一帯の魔物たちの身体に刻みつけられたその文字。
「――《文字魔法》発動!」
刹那、文字から放電現象が起きると同時に、魔物たちの身体が燃え散る紙のように散り散りになっていく。
数百以上もの魔物を一気に消滅させた日色に、兵士たちから称賛の声が響く。
――しかし。
「まだ油断するな! 警戒をして前だけ見据えろっ!」
日色の檄に兵士たちの表情も引き締まる。
ただ魔法のお蔭で、大多数を撃破したことで、兵士たちにも余力が生まれて、海から出てくる魔物たちにも冷静に対処できるようになっていた。
(だがこのままでは埒が明かないな。何とか元を断てればいいんだが)
恐らく元はオリザス。しかし彼の所在はいまだに不明のまま。
前方に見えている四つ目の大陸のどこかにいるはずなのだが……。
すると、突如として空が暗くなる。
「っ!? 何だ……?」
当然空を見上げた。
そこにはいつの間にか、例の報告にもあった黒い雲が天を覆っていたのだ。
そしてそこからポタポタと何かが降ってくる。
日色は頬に当たった冷たさを感じるものを、指で拭う。
「これは……雨?」
しかし普通の雨ではないことは確かだった。
何故なら、指に付着している滴は、墨汁のように真っ黒だったのだから。
「――う、うわぁぁぁぁぁっ!?」
下で悲鳴が聞こえ、意識をそちらへと向けると、兵士たちの身体がどういうわけか石化し始めていたのだ。
「ヒ、ヒイロ様ぁぁぁぁぁっ!?」
「いやだぁぁぁぁぁっ!?」
「動けないィィィィッ!?」
口々に叫び声を上げて石像のようになっていく兵士たち。さらに魔物たちも同様のようで――いや、よく見れば地面や岩、木々などもすべて石化し始めている。
「こ、これは一体……っ」
そこへ――。
「――ヒイロォッ!」
空を飛んできた小さな存在。――リリィンだ。
彼女は下を見下ろしながら、舌打ちをして「ここもか」と悔しげに吐いている。
「リリィン、まさかお前のところもか?」
「ああ、兵たちが石化してしまっている。無事なのは……」
リリィンが海の方へ視線を向ける。そこには四つ目の大陸があった。
そう、黒い雨に降られているというのに、四つ目の大陸だけは被害が微塵もないのである。
「――! リリィン、お前の身体も!?」
見れば、彼女の身体も雨に打たれて徐々に石化し始めていた。
日色はすぐに『解除』の文字をリリィンに向けて放つ――が、バチィィィッ!
文字が彼女に触れた瞬間に弾かれてしまう。
「!? どういうことだ?」
「どうやらこの雨、《赤い雨》と同等……いや、それ以上の強力な魔力無効化効果を持つらしい。ワタシもまったく魔力が外に出せない!」
「バカな! オレの魔法は《赤い雨》の効果を打ち消すくらい強いものだぞ!」
いや、それはリリィンにしても言えることだった。しかし現実に、彼女も日色でさえも魔法の効果を発揮できずにいる。
その間にもリリィンの身体だけでなく、この場にいる者たちの身体が石化していく。
「うっぐ……っ」
「リリィン!」
顔をしかめる彼女の身体を抱えて、とりあえず地上へと下りることにした。
「大丈夫か?」
「あ、ああ……しかし息苦しくてな……」
「こうなったらさらに文字数を増やして……」
「よせ」
「! 何故だ?」
「恐らくこの雨は世界中に降り注いでいる。きっとミュアやイヴェアムたちも、皆がワタシと同じことになっているだろう。無事なのは……貴様だけだ、ヒイロ」
「それは……」
確かに日色だけは雨に打たれても石化を免れている。
「この雨はもしかしたら神――イヴァライデアの持つ力と同等のものを持っているのかもしれない。ヒイロが無事であることがその証拠になる。だったらワタシたちではレジストも不可能だ。ヒイロが全力で魔法を行使すればあるいは解けるかもしれないが、それが敵の狙いかもしれない」
「……! 俺の疲労を誘うつもりか」
「ああそうだ。ワタシだけでなく、ミュアたちも石化を解除するとなると、相当の力を使わねばならないだろう。そして消耗した瞬間に狙われたら……負ける」
「なら放っておけっていうのか? 石化していくお前らを見ながら!」
「……安心しろ。この石化は、命を奪うほどの力は持っていない。それは実際に受けているワタシなら感じ取れる。ただ嫌な感じはするが、少なくとも相手を死に至らしめるような効果はないと断言できる」
リリィンの感覚は鋭敏だ。そんな彼女が感じたのなら、それは信頼できる情報ではある。
しかし感情がこのまま彼女を放置するなと言っているのだ。
いや、正しくは違う。放っておけば何か取り返しのつかないことになりそうな……そんな恐怖を感じるのである。
すでにリリィンの身体は九割以上が石化してしまっていた。
「ヒイ……ロ……、敵を……倒せ。そうすればきっと……元に……っ」
「リリィンッ!?」
「任せ……たぞ……っ」
そのまま全身が石に支配されてしまったリリィン。彼女を見て、助けられたかもしれないのに、あとのことを考えて彼女の言うように力を温存しなければならないことで、彼女を見捨てた事実に胸が痛む。
そして恐らく同じように石化しているミュアたちのことも……。
彼女たちを取り戻すには、リリィンの言った通りにオリザスを倒すしかないかもしれない。
日色は立ち上がり、今すぐにでも奴を探そうと四つ目の大陸に意識を向けようとしたその時――。
石化した者たちの身体が淡く発光し始めたのだ。
「な、何だ!?」
咄嗟にリリィンを確認するが、彼女もまた発光していた。
「いや、これは――世界自体が光ってる!?」
大地も木も石も花も草も、そのすべてが光り輝いている。
その輝きが徐々に力強さを増していき――――パリィィィィンッ!?
ガラスを割ったような音とともに、一瞬にしてリリィンたちを覆っていた石が光ったまま砕け散った。同時に石化は何故か解けている。
そして光の粒子となった石が天へと昇っていく。
(何だよこれ……一体何が起こったっていうんだ)
まったく理解不能な事象が起きたことで、日色は思わず空を見上げながら立ち尽くしてしまっていた。
しかしそこへ――。
「……っ……う」
聞き間違いのない、リリィンの声。彼女が目覚めたのだ。
「リリィン! 大丈夫なのか!?」
「っ……耳元で大声を出すな」
良かった。声の調子も、いつもの彼女だ。どうやら正常な状態のようだ。
だがそれは――日色の思い過ごしだった。
「なあ、身体に何も異常はないんだな?」
「あ、あ? 大丈夫だが……ん?」
リリィンの瞳が日色を射抜いてくる。何故だろうか、日色を見るその瞳には一切の優しさや穏やかさは宿っていなかった。むしろ不愉快さや怪訝さが滲んでいるように思える。
そして――告げられる。
「貴様――――――一体誰だ?」




