嫌な雲行きになってきた模様です
はっきり言おう。
正直キツイ。
かなりキツイ。
日頃の運動不足を後悔しながらひたすら森の中を歩く。目の前の男の子――リエーフ君は疲れた様子も無く前を向いて歩いている。若さか。若さの違いなのか。
まだギリで十代なのに私。
かれこれ朝から何時間歩いているだろうか。
こんな時に、時計を持っていないのが悔やまれる。
朝。
疲れがピークに達していたらしい私は、がばりと飛び起きた。そして焚火の始末をしているリエーフ君とばっちり目が合って慌てた。
認めます。
寝過ぎた!!
土下座せんばかりの私に、リエーフ君は「気にしないでください。もう少ししたら起こそうと思っていたので」と言われてしまった。
七歳も下の男の子に気を遣われてしまったよ・・・。
「ねぇ。リエーフ君」
「何ですか?」
ざかざかと草を踏み分けながら道なき道を歩き続ける。
何故か彼と出会ってから、一度も獣なんかに出会わない。
「昨晩聞きそびれたけど、こんな場所に用事って何があるの?でもってどこなの?」
目印も何もなさそうな森の中。地図すら持たず、目的地や距離が分からないと、余計に疲れる。
けれど、次の言葉に思わず声が裏返った。
「場所は分かりません」
「・・・はい?」
何だろう。
今聞き直したくなるようなことを言われた気がする。
「えっと、どういう・・・?」
「目的の場所は分からないといったんですが」
「え・・・本当に?」
まじですか!
どこに向かってるか分からないなんてそんな馬鹿な!!
よもやリエーフ君も実は迷ってて、二人そろって森で迷子・・・遭難なんて最悪すぎる!!
「ま、迷子・・・・」
「違います」
あ、ごめん。
きっぱり否定されてしまった。
どうやらリエーフ君は子供扱いされるのが嫌いらしい。
私の疲れた顔に気付いたのか、小川に辿りついたとき「ここで少し休みましょう」とリエーフ君が言った。
ごめんね・・・現代っ子なので体力無くて。
へたり込んだ私に、リエーフ君は小川で汲んだ水をくれた。
生水飲んで大丈夫かと一瞬考えたら顔に出ていたらしく、淹れてくれたカップには魔法がかかっていて水を綺麗な飲み水に変えてくれるので大丈夫ですよと言われた。
さすが魔法道具。
便利すぎる。
川の水は綺麗で、毒も何もないと言われたので私は遠慮なく顔を洗った。
冷たい水が気持ちいい。
あとはお風呂に入れればいいのだけれど。
切実に。お風呂。入りたい。
それほど暑くは無いので汗はかいていないけれど、年頃の女の子としてはたとえ一晩といえどもお風呂に入れないのは辛いものがある。
この際小川でもいいから、体拭けないかなぁと考えながら腰を落ち着けた私の向かいに、リエーフ君も座ってこの森へ来た理由を話し始めた。
「ここへは魔物退治でやって来たんです」
「ま、魔物?」
何やら物騒な言葉が出て来たぞ。
「この森の名前を知ってますか?」
知るわけがない。
正直に答えると、嫌な感じの名前を告げられた。
「ここは時の封印された迷いの森。一度足を踏み入れて迷い込んだ人間や生き物は出ることは叶わず、時空を操る影の魔物に喰われてしまうという恐ろしい森です。そんなことも知らずに森に入り込んだんですか?」
「何それ怖っっ!ど、どうするの!?それじゃ森から出られないじゃないの!」
来たくも無い異世界に再び飛ばされ、しかも着いた先がそんな死亡フラグが立ちすぎている場所なんて最悪すぎる。
「そうですね」としれっとリエーフ君は言う。
ちょっと!いくらなんでも落ち着きすぎてはいませんか?
「あ、でも出口は分かるって・・・・・」
言ってたよね?言ってたましたよね!?
今更実は知りませんってことないよね!?
「簡単です。魔物を殺せば森から出られます」
簡単じゃないよ。超難問だよ。少なくとも私にとっては。
「そ、それは出口を知っているという意味とはちょっと違うと思う・・・・」
ああもうっ!だから異世界召喚なんて非現実的なものは嫌いなんですっ!
「で、でも君みたいな子供が一人では危険だと思うなお姉さんは。ほら、世界を救った勇者一向とかが率先してやらなきゃいけないようなことじゃないの?」
「は?」
何を言ってるんだという視線を向けられた。
あれ、私変なこと言った?
だってそうじゃない。
レオはこちらに今居ないので仕方ないけれど、他の人間は居るはずだし。
騎士とか神官とか適任がいるじゃないか。
あと聖女様とか。わが身を犠牲にしてでも世界を守ろうと言う素晴らしい心意気のお方がいるじゃないの。
「何を言ってるんですかヒナコ。世界の至る場所に魔族がはびこっているのに、騎士や教会が国の外れを守ってくれるはずないじゃないですか。彼らが守るのは王都や主要な都市だけ。小さな町や村は自分たちでギルドに依頼して護衛を雇うしかないんです」
以前は自分のことでいっぱいだったのであまり周りのことに注意を向けることができなかったので、リエーフ君の言ったことに私は驚いた。
「なにそれ。お偉いさんは安全な場所に居て、一般市民はどうでもいいってことなの!?」
「力を持つ魔族が多すぎて、騎士も神官も数が足りないというのが理由の半分ですけどね。だから、力の無い辺境の地では、自分たちでどうにかするしかない」
なんてことなんだ、と思わず眉を顰めてしまう。
「だからって、リエーフ君一人でこんな危ない場所に来る必要ないじゃない」
「俺は生まれつき魔力が人より多いらしく、強いですから。慣れてます」
「強いとか慣れてるとか、そういう問題じゃないでしょ。子供一人に危険なことを任せる、というのがおかしいんじゃないの?」
「何がですか?力のある者が戦う。当然のことじゃないですか」
それの何がおかしい?といった風情でリエーフ君は言う。
「―――それをおかしいと思わないのがおかしいのよ・・・・」
ぼそりと呟く私を、リエーフ君は訝しげに見つめていた。
以前私がこちらへ来た時、果ての大地と呼ばれる場所で魔族の世界と人間の世界を隔てる扉の封印をした。それが私が呼び出された理由だったからだ。なぜだかわからないけれど、扉の封印は異世界から来た人間にしかできないということらしかった。
こちらの世界には双子の神様がいて、一人の神様は人間を守ることを選び、一人の神様は姿を消してしまった。
封印の扉の鍵を作り出したのは消えた神様で、魔力の影響を受けず、魔力を持たない人間にしかその鍵を扱うことはできないという制限があったらしい。神様の作り出した鍵には強い力が込められていて、こちらの世界の人間が不用意に触れようとするだけで、強すぎる力に飲み込まれるのだという。
それゆえに、魔力などというものとは縁遠い、異世界の人間が召喚されたのだと、聖女様が言っていた。
この世界の人間は、自分たちを見捨てた神様を忘れ去り、もう一人の神様だけを崇めていた。
「自分たちを見捨てた神など、最早神ではない」
私が王都にある神殿の神官長に言われた言葉だ。
そんなこと、誰が決めたの?その言い方に私は不信感を覚えた。
清廉そうに見せかけて、傲慢な態度と考え方の神官長だった。
私は一目見て嫌な人だろうなと思ったけれど。
初対面の私を見て、「何故忌まわしい黒髪の娘など・・・」と言われたのだ。
感じ悪っっ!!
あんな人が尊いはずの神様に仕える人間のトップなんて嫌すぎる。
・・・ああ、もう一人、聖女様がいたわね。がっちがちに頭の固い、潔癖症の聖女様が。
でも、私はもう一人の神様が姿を消した理由が少しだけ分かる気がする。
この世界の成り立ちを聞いたとき、この世界の人間は他人に――神様に簡単に縋りすぎる、と思ったのだ。
というより、神様どころか他力本願過ぎると思ったのが正直なところだ。
この世界では、何か手に負えないようなことが起こると、人々は神殿に詰めかけて神様に祈るらしい。
祈ることは悪いことではない。
自然災害なんて、自分たちでどうにもできないしね。
そりゃあ私だって、困ったことがあったりしたら神社なんかに行ったりして神頼みすることもある。
でも、神様が助けてくれたとしても、自分でどうにかしようとしなければ何も変わらないし、変えられない。
私のいる世界でだって、病気が流行ったり、干ばつに見舞われたり、水害に遭ったりと、人の手ではどうしようもないことが起こると神様に祈ることがある。
でも、その度に昔から人は考えてきた。
病気の治療法を探したり、干ばつに備えてダムを作ったり、水害に備えて治水工事を行ったり。
人が努力をするから、神様が最後に背中を押してくれている。
私はそんな風に思っている。
けれど、こちらの事情は少々違うようだった。
病が流行ると、神様に祈って神官たちが病を治す方法を教えてもらう。
干ばつに見舞われたら神様に雨を降らせてもらう。
水害に遭うと水を引かせるように神様に祈る。
そんなことができるのなら、最初から何も起こらないようにしてもらえば?と思うがそういう簡単なことでもないらいしい。
とにかく、結局全てが神頼みなのだ。
神様はとても慈悲深い方だということは分かる。
というか過保護なの?
でも、それで本当に良いのかと私は思ってしまう。
まぁ、こちらの人間ではない私が考えてもしょうがないんだけどね・・・。それぞれ事情があるだろうし、そこで生きている人が構わないのならいいのだろう。
でも、戦えるからといってリエーフ君みたいな子供まで危ないことをしないといけないなんておかしいと思う。
王族貴族だって、国民皆税金払ってるんだろうから、国の人間を守るのは国の義務だ。
いくら人手が足りないからって、主要な場所しか守らないなんておかしすぎると思うのは、私がこの国の人間じゃないからだろうか。
でも、それにしたってどうして世界を救ったともてはやされているであろう聖女様、それに騎士や神官のあの男たちが動かないのだろう。この世界の為なら率先して働いてそうなのに。
それに、扉が封印されたことで、魔族はもう二度とこちらの世界にやってこれなくなったはずと聞いている。
残るのは元々こちらにすでに来ていたものだけ。それらも私が居なくなった後にレオが旅しながら消していったと聞いていたに、リエーフ君みたいな子供まで戦わなければならないような世界のままなんて、おかしい気がする。
「――ヒナコ?」
「え、あ、ごめんね。考え事してた」
リエーフ君の呼ぶ声に我に返った。
「先ほどの話の続きですが」
「?」
「勇者なんて居ませんよ」
「確かにレオは今居ないけど、でも他のほら、アンジェリーナとか・・・」
「紅の大魔女が人間を守るはずないでしょう」
「え?でも・・・」
確かにあの魔女は最初はこちらを襲ってきたけど、すぐにレオを気に入って私達と一緒に旅をした。
女王様気質の彼女だけど、むやみに人を傷つけたりはしなかったはずだ。
「先ほどから気にはなっていたんですが、ヒナコ。この世界にまだ勇者はいません。神の信託が降りていないですから。果ての大地の異界の扉からは日々強い魔族が現れて、こちらの世界を脅かしている。誰でも知っていることです」
「―――はい?」
どういうこなんだ。
リエーフ君の言葉に、私は耳を疑った。
「え、ど、どういう・・・こと?だって、レオが勇者になって、異世界から巫女が呼び出されて扉の封印がされたんじゃ・・・・」
確かに封印はした。
それは確実なはずだ。
混乱に陥った私に追い打ちをかけるように、リエーフ君は継げた。
「俺は、レオという人物が勇者となったということも、巫女が召喚されたということも聞いたことがない」
言いながらリエーフ君は立ち上がった。
私はなんでどうしてと考えながら、ただそれを見上げていた。
そのままリエーフ君は私の目の前に座り、まっすぐにこちらを睨み付けるように私と視線を合わせた。
先ほどまでとは違い、がらりと変わった冷たい雰囲気に私の背中に冷や汗が落ちた。
なんだか怖いんですけど・・・。
そのままとん、と肩を押され、気が付いたら私は押し倒されるような体制で呆然とリエーフ君を見上げていた。
いつの間にか手には短いナイフのようなものがあり、私の喉元にぴたりと添えられている。
「―――正直に答えろ。お前はなんなんだ」
敬語は消え去り、ただ、射抜くような冷たい声と瞳に私は地面に縫い付けられてしまった。
―――ピンチです、なんか色々と。