09話 VSレオン
「――遅い」
練兵場に、低い声が響いた。
振り返る。
いつの間に来たのか、入り口に一人の男が立っていた。
橙色の髪を後ろへ流し、細身ながら隙のない身体つきをしている。
腰には一本の剣。ただ立っているだけなのに、周囲の空気が僅かに張り詰めるのが分かった。
剣を提げているだけの、ただそれだけの姿だというのに、纏う気配がまるで違う。
「レオンさん……」
隣にいたソルトが、小さく呟く。声には、これまでの軽さが一切なかった。
「彼も師団の一人か?」
「一人も何も……今回の相手っス」
レオンは周囲を一瞥すると、面倒そうに息を吐いた。整った顔立ちの割に、その仕草には隠す気もない苛立ちが滲んでいる。
「アザレア様からの命令じゃなければ、こんな場所には来ない」
そう言いながら、こちらへ歩いてくる。
一歩ごとに、周囲の兵士たちがさりげなく道を空けていくのが見えた。
誰も、正面から近寄ろうとしない。
「さっさと終わらせるぞ」
その視線が、俺を捉えた。一瞬、眉が動く。
「……なんだ、その顔は」
「顔?」
「まるで盗賊だな。悪人面にも程がある」
「初対面でそれ言う?」
思わず口から漏れた。周囲から、クスクスと笑い声が上がる。
だが、その笑いにはどこか、緊張を紛らわすような色が混じっていた。
レオンは気にした様子もなく、俺を観察している。
品定めをするような、感情の読めない目だった。
「しかも、随分と場違いな格好だ」
今の俺の姿は、退院後にダリスさんから借りた生成り色の布服だけだ。
俺が元の世界で来ていた服は意識が戻る前に調査やらで没収されていたらしい。
「色々あったんだよ」
「そうか。興味はない」
にべもない一言で切り捨てられる。なら聞くなよ、と内心思う。
レオンは、練兵場の端に並べられた武器へ視線を向けた。
「好きな武器を選べ」
「好きなって……」
「剣でも槍でも斧でもいい。自分が最も扱いやすいものを選べ」
レオンは淡々と続ける。
「ただし、私は殺すつもりはない」
その言葉に、少しだけ安心する。
だが――
「殺しはしない。二度と試験を受けられない程度には、叩きのめすがな」
安心したのは、ほんの一瞬だった。温度のない声だった。
脅しですらない、ただの事実の通告として、それは耳に届いた。
「……物騒すぎないか、」
「試験とは、そういうものだろう」
取り付く島もない。
レオンは、それだけ言うと木剣の置かれた場所へ歩いていった。
俺も、重い足取りでその後に続く。
周囲を見ると、いつの間にか兵士たちの数が明らかに増えていた。
先ほどまで自分たちの訓練に励んでいたはずの連中が、次々と手を止め、こちらへ視線を向けている。
「おい、レオンが誰か知らない奴とやるらしいぞ」
「マジか。しかも入団を賭けた勝負だってよ」
「相手、ソルトが案内するって張り切ってた奴だろ? 迷宮で倒れてたとか……」
ひそひそと交わされる会話が、否応なく耳に流れ込んでくる。
歓迎されているとは、お世辞にも言えない空気だった。
むしろ、これから起きる惨劇を見物しようという野次馬の熱に近い。
「……見世物じゃないんだけどな」
「レオンさんが模擬戦として試合するなんて、滅多にないっスから。みんな、気になって仕方ないんスよ」
「でも諦めた方がいいっスよ、今なら辞退することも許されるっス」
ソルトが、乾いた声で苦笑した。
「忠告ありがとう、でもアザレアと約束したんだ」
「アザレア師団長を呼び捨てに出来る胆力があるなら大丈夫そうっスね…」
俺は、棚に並んだ木剣の一本を手に取った。
柄の握り具合を確かめながら、乾いた喉を意識する。
手のひらに、じっとりと汗が滲んでいた。
「俺はこれにする」
「そうか」
レオンも一本の木剣を手に取ると、構えすら取らずに、だらりと下げたまま俺と向き合った。
それだけの姿だというのに、隙という隙がまるで見当たらない。
だが、この試験に落ちれば、待っているのは死刑だ。
選択肢なんて、最初からありはしなかった。
「それじゃあ――」
審判役の兵士が、二人の間に緊張した面持ちで立つ。周囲のざわめきが、すっと静まった。
「始め!」
その瞬間だった。
――消えた。
「え?」
目の前にいたはずのレオンの姿が、一瞬で視界から消える。反応する暇すらなかった。
次の瞬間。
「――ぐっ!」
腹に、とてつもない衝撃が叩き込まれた。何が起きたのか、まるで理解できない。
身体が、宙に浮く感覚。
そのまま地面を転がり、土煙が舞い上がった。
「が、はっ……!」
肺から、まとめて空気が押し出される。
目の前がちかちかと明滅し、何も考えられなくなる。
今、俺は――何をされた。
「……遅い」
遠くから、レオンの声が聞こえた。
顔を上げる。レオンは、さっきとほとんど同じ場所に立っていた。
木剣を片手に提げたまま、まるで何事もなかったかのように。
観客席から、どよめきが起こる。
「見えたか?」
「いや……まったく」
「俺も、何が起きたのか分からなかった」
口々に交わされる困惑の声。誰一人として、今の一撃を目で追えた者はいないらしい。
その中で、ソルトだけが、顔を引きつらせたままこちらを見ていた。
「……だから言ったんスよ」
「クロスさん……」
俺は、震える腕で身体を起こした。
腹が焼けるように痛い。息をするだけで、内臓に響く。
それでも、立つ。ここに入団して帰還する方法を探る。
そのためには――
ここで、勝たなければならない。
負ければ、死刑。それ以外の道は、俺には残されていない。
「……まだ、終わってない」
木剣を、もう一度握り直す。血が滲むほど強く。
レオンの目が、ほんの僅かに細くなった。
「ふん」
「雑魚に費やす時間はない」
俺は、痛む腹を押さえながら木剣を構え直した。
「……勝たなきゃ、どのみち死ぬんだよ」
そして――二人の視線が、再び交差した。




