08話 入団試験
◇
黒須が目覚める、二日前。
帝都、軍務府の最奥。重厚な扉の向こうに広がる執務室で、ガレスは直立不動のまま報告書を差し出していた。
「――以上が、クレイヴェル帝国迷宮、中層及び第四十五層付近における調査結果です」
机の向こうに座るのは、白髪交じりの髭を蓄えた初老の男。帝国軍元帥、ヴィルヘルム・クロイツ。その眼光は、歳を重ねてなお衰えを知らない。
「四十五層で、莫大な魔力反応、か」
ヴィルヘルムは、報告書に目を通しながら、低く呟いた。
「規模としては、並のモンスターが発する量を、桁違いに超えています。原因の特定には至っておりませんがおそらくもう一件の報告に深く関わっているかと」
「その現場で、人間を一人保護した。素性不明の男だ。今はうちの医務室で、事情聴取の名目で拘束している」
ガレスの隣に立つアザレアが、口を開いた。
「保護、ではなく拘束か」
ヴィルヘルムの目が、鋭さを増す。
「衣服に、失踪した冒険者の一人と一致する血痕が付着していた。加えて」
アザレアは、一拍置いてから続けた。
「胸に、悪魔契約の証と見られる印がある。私が見た限り、間違いない」
執務室に、しばしの沈黙が落ちる。
「――悪魔の契約者、か」
ヴィルヘルムの声が、冷たさを帯びた。
「なら話は早い。この帝国の法に、例外は設けていない。悪魔と契約した者は、身元や経緯を問わず、即刻処分する。それが決まりだ」
言葉に迷いはなかった。長年、この国の軍を率いてきた男の、揺るぎない判断基準がそこにあった。
「処分の手配を進めろ。以上だ」
話を切り上げようとするロデリックに、アザレアが一歩踏み出した。
「――待て」
「アザレア。まだ何かあるのか」
「一つ、提案がある」
アザレアは、腕を組んだまま、ロデリックを真っ直ぐに見据えた。
「その男、こちらで預からせてもらいたい。第七師団の入団試験を受けさせる」
「……正気か。悪魔の契約者を、軍に加えろと?」
「加える価値があるかどうかを、試験で見極めるだけだ」
「それで?」
ヴィルヘルムの視線がアザレアへ向く。
「もし、その男が試験に通ったところで、印が消えるわけではない」
「ああ。だから私が面倒を見る」
「お前が?」
「……お前は昔から、厄介事を拾ってくる」
「それについては否定しない」
「今回も同じか?」
「今回は違う」
「――あいつは、何かを持っている」
「何か、とは?」
「知らん」
あまりにも即答だった。
「ただの勘だ。だが、私は自分の勘を信じている」
ロデリックが悟ったような観念したような表情を見せる。
「――条件を言ってみろ」
「入団試験で、レオンから一本取ってみせたら、条件付きで見逃す。それでどうだ」
「レオンか…」
ガレスが、小さく息を呑む音が聞こえた。
ロデリックは、しばらく黙って考え込んでいたが、やがて口の端を僅かに緩めた。
「面白い。もしそれが叶わなければ?」
「その時は、私が直々に処分の任を引き受ける。異存はない」
迷いのない即答だった。
「――いいだろう。その条件、認めよう。ただし、監視は厳重に。少しでも不審な動きがあれば、即刻拘束、処分だ」
「承知した」
アザレアが一礼する。その背後で、ガレスは何とも言えない表情のまま、二人のやり取りを見つめていた。
◇
「んっと、それじゃあ説明するっスね」
ソルトは、懐から一枚の紙を取り出した。
アザレアから預かってきたものらしい。折り目のついたそれを広げ、咳払いを一つ挟んでから読み上げる。
「――試験内容。レオンとの模擬戦にて、一本を取ること。以上っス」
読み上げ終えたソルトの手が、心なしか震えていた。紙を持つ指先が、微かに白くなっている。
「……それだけ?」
あまりにシンプルな内容に、拍子抜けする。
「それだけっスね。まあ、シンプルな分、誤魔化しは効かないっスけど」
俺の問いに、ソルトの顔から、すっと表情が抜け落ちた。
「クロスさん、まだ会ったことないんスね」
「ないけど」
「そうっスか……」
ソルトは、なぜか俺の肩に、そっと手を置いた。
「レオンさんは、第七師団でも上位の実力者っス。それも、ちょっとやそっとの上位じゃないっス」
「へえ」
「代々『剣聖』を輩出してきた家系の生まれで、本人もその名に恥じない実力者っス。正直、なんでそんな人が第一師団じゃなくてウチにいるのか、自分も未だに分からないっス」
「……ちなみに、レオンってどんな人?」
「歳はクロスさんとそんなに変わらないはずっスけど……とにかくプライドが高くて、群れないタイプっスね。誰かとつるんでるところ、見たことないっス」
「優しいとか、そういう感じじゃないんだ」
「優しいなんて言葉、レオンさんには一番似合わないっス」
ソルトは、心なしか声を潜めた。
「師団の中でも、レオンさんに気安く話しかける奴はほとんどいないっス。実力もそうっスけど、それ以上に纏ってる空気が違うっていうか……。正直、自分たちの間じゃ、ちょっとした恐怖の対象っス」
ソルトは、俺の肩を、今度はぽん、と一度だけ叩いた。
「――クロスさん、正直言うと」
「言うと?」
「自分、まだ一回もレオンさんから一本取った新人、見たことないっス」
沈黙が落ちる。
言いながら、ソルト自身の顔が、みるみる青ざめていくのが分かった。まるで、自分がこれから試験を受けるかのような怯えようだった。
「うわ、こうして口に出すと改めてヤバいっスね……自分、案内係でよかったっス、本当に」
「他人事みたいに言うなよ」
「頑張ってください。マジで」
その言葉には、励ましというより、確かな哀れみが滲んでいた。




